シーン21 来訪者

 うにょろーん……。


 世界がべろんべろんに歪んでる。もうめまいなんていう生易しいもんやないわ。洗濯機の中に洗濯物と一緒に突っ込まれてぐるんぐるんされてる言うか。あーあ。野崎センセも今頃死んどるんちゃう? 授業どころやないんちゃうかなあ。


 昼前までのたうち回ってて、やっとマシになって眠れた思たら電話で起こされた。


「ううー、誰ー?」

「クリやけど、どしたん?」

「例によってめまいで撃沈中」

「げげ。ほんま大丈夫かあ?」

「今日のは、ちときつい。やっと顔動かせるようになったとこ」

「うわ……」

「あ、そういやクリ。今日って野崎センセ、まともに授業してた?」

「そうそう、それやがな!」


 うう、でかい声が脳天に響くわー。かなんー。


「部屋で倒れてて、救急車で運ばれてん」


 うわ、センセの方がきつかったんやな。


「メニエール病の発作出たんちゃうかって言ってたけど」


 ちゃいまんがなー。隙間の呪いやー。センセ、えらいすんまそん。わたしが悪ぅござましたー。


「でも、なんででんでんが知ってんの?」

「いや、卒制の相談で昨日の夜にセンセのとこに顔出したんやけど、あんま調子よくなさそうやったから」

「あ、そうなんや」

「うん」

「でんでんも、無理せんと安静にしとき」

「ありあとー。まだしんどいから寝るー」

「うん。お大事にねー」

「あいー」


 ぴっ。ふう……。アッコは昨日わたしにあんなとこ見られてるから、しばらくは電話してきぃひんやろ。


 少しマシになったんで、トイレに行って、さっとシャワーを浴びて、プリンを食べた。後で、もうちょっとお腹に溜まるもん食べよっと。うん。なんとかバイトには間に合いそうやな。目覚ましかけて、また横になったところでスマホが鳴った。


「誰や?」


 知らん番号やけど、登録番号以外着信せんようになってるからなあ。あ、どっかの会社から掛かってきよったんかな? どうせロクな内容やないんやろうけど。間に合ってますぅとか、女子採ってまへーんとか。くそ。


「はい、穂村ですぅ」

「あの、わたくし中村設計事務所の事務を担当しております、杉谷すぎやと申します」


 おばはんの声や。中村設計事務所ぉ? 人呼びつけといておまえなんか知らん言うた、あのクソ腹立つとこやないか! けたくそわるっ!


「先日はわざわざお越しいただきましたのに、受付の田中が大変失礼なことを申しまして、誠に申し訳ありません。手前共の教育不行き届きで、穂村様に本当にご迷惑をお掛けいたしました。深くお詫び申し上げます」


 おばはんに謝ってもらってもなあ……。受付のねえちゃん、ぶん殴ったるとは思うねんけど。


「田中は解雇いたしましたので、どうかお怒りお鎮めくださいませ」


 どごーん! その場でひっくり返ってもうたわ。おおっとぉ! そらあ……すごいわ。ってか怖いわ。むー。きっと、あのねえちゃん。わたしだけやなくて、他の子のアポもぶっちしたんやろなあ。そらあ設計事務所の評判に関わるもん、青なるわ。


「つきましては直接お詫びに伺いたく、お電話差し上げました」


 どひー。そっか、あの宣伝は伊達やないってことか。すっごいしっかりしてるんやな。


「あ、いえ、もう不採用は分ってますし、結構ですぅ」

「いえ、そのことでも少々お話が……」


 え?


「直接お話できませんでしょうか?」


 なんか風向きが違うぞ。どういうことやろ? まあ、話聞くだけならただやしぃ。


「ええと。今日はバイトがあるので、午後二時から三時までの間なら」

「ええ、それで結構です。住所は以前郵送してくださった履歴書に書かれているところですよね」

「はい」

「突然のお電話失礼いたしました。それでは後ほど伺いますのでよろしくお願いいたします」


 む……むぅ。すっごい丁寧な応対やったなー。でも、わたしにあれやれ言われたら撃沈やわー。頼まれてもそんなとこで働きたないなー。肩凝る。それにしてん、棚倉さんとこのカオスとは正反対やなー。あっちは、ざっくばらんのがっちゃがちゃやもん。


 ふう。めまいも治まったし。お客さん来るなら、少し部屋片付けな。よっこいせっと。


◇ ◇ ◇


 どわー。ひっさしぶりに気合い入れて部屋ぁ片付けた気がするー。掃除機とかはかけてるけど、てきとーやし。放ってある雑誌とか畳んだままクローゼットにしまってない服とか、結構あったからなあ。時々はお客さんてのもええもんやな。アッコやクリじゃあ、客なんて感じやないからなー。


 おっと。パソコン出しっ放しや。お客さん来てる間だけでん、ちょっと引っ込んどいて。わたしは一度パソコンを開けて、開きっぱなしのブログをログオフしようと思った。あ、タイムアウトで切れとるわ。一度再ログオンしてから切ろう。画像も何もないそっけないページに、わたしの書いた四文字がくっきり浮かび上がった。


 『女は損や』


 そうやな。損や思ってしもたらほんとに損なのかもしれへんな。せやけど、わたしは女を止められへん。止められへんなら、損でない生き方を考えなあかんよね。そゆことやね。棚倉さんが言うたこと、見せると見られるは違う。ほしたらわたしは、見せるもんこさえなあかんよね。それには女も男もあらへんもん。


 しげのさんのコメ付いてたからあれやと思ったけど。わたしはそのページを削除した。やっぱ、わたしは。でんでんは。負けたない。ヨワいとこあんのは確かや。なんでこんなんやろって思うこともあるねん。でも、それえどんなにこぼしても軽くならへん。強くならへん。

 アッコやクリに電話で愚痴るんとは違う。あそこに書いたら、読んだ誰かはわたしをそういう風に見る。それが、わたしが見せたいものになってまう。それは……絶対にあかんやろ。なあ。


 わたしがパソコンを片付けたところで、ドアホンが鳴った。


「ごめんください。中村設計事務所の杉谷と申します」


 うわ。どっこまでも丁寧や。


「はあい。今開けますので、お待ち下さあい」


 ドアを開けると、あらふぉーな感じのおばさんが菓子折りを持って立ってた。雰囲気はとってもやらかい。着てるもんとか化粧とかすっごい地味なんやけど、くすんだ感じがせぇへん。なんか存在感あるー言うか。


「あの、どうぞ上がってください」

「はい。では、失礼いたします」


 戸口で靴を脱いだ杉谷さんは、さりげない仕草で靴を揃えて部屋に上がった。なんか……上品やなあ。


 久しぶりに出した座布団の上にきちんと正座した杉谷さんが、菓子折りを差し出して深々と頭を下げた。


「重ねまして、当社の社員の不行き届きに深くお詫び申し上げます」


 うえー。どないリアクションしていいのか分からへんやんかー。


「あ、あの。もう怒ってへんので、それはいいです。それより……」


 そう。求職のことで、なんか匂わしてたやん。


 顔を上げた杉谷さんは、わたしに名刺を手渡してにこっと笑った。あ、いかん。飲み物出したらんと。今日も暑いし。わたしはもらった名刺をさっき片付けたパソコンの上にひょいと乗せて、冷蔵庫に麦茶を取りに行った。


「あの……どうぞ」

「わざわざありがとうございます」

「足も楽にしてください。わたしが肩こるんで」


 ふっと口元を緩めた杉谷さんが、正座を崩して横座りになった。それから話を切り出した。


「当社には、私を含めて数名の事務スタッフがいるんですが、この度私が退社することになりまして。勤務態度の芳しくなかった田中を解雇したことを含めて、急に事務スタッフが減ることになってしまったんです」

「ええと。寿、ですか?」


 こんなん聞いてええんやろかと思うけど、どうせわたしは行くことないやろと思うと何でも聞ける。


「いいえ。ちょっといろいろ事情がありまして……」


 歯切れが悪い。ちょっと顔を伏せてた杉谷さんが、また笑顔に戻る。


「求人は前からかけていたんですけど、なかなかこれと言った人に当たらなかったので。事務といっても、出来れば設計や造形に素養のある方を採用したいというのが、所長の中村の意向なんです」


 お。わたしが考えてたのとぴったりやんか。わたしの表情の変化を見ていたのか、残念そうに杉谷さんが付け加えた。


「でも、多くは期待なさらない方がいいです。しょせんは事務ですから。割り切りが必要になりますよ」


 むー。もしかして……。


「あの、杉谷さんが退職されるのは、そっちの関係ですか?」


 今までの、上品なよそいきの顔がふっと崩れた。


「そうなの。わたしは根っからの事務屋じゃないので。生活のこともあったから辛抱してたんやけど、そろそろいいかなあと思ってね」

「何か新しいお仕事をされるんですか?」

「ペイントアートの工房を立てようかなーと。とりあえず、オンラインでサンプル見せて、受注で細々やってみようと思ってます。それだけじゃやっていけへんから、パートと掛け持ちになりますけどね」


 杉谷さんは、さっきの名刺とは別のカラフルな名刺を渡してくれた。うっわぁ、めっちゃきれいやん!


「すごいですねー!」

「ふふ。ありがと。何にでもペイントしまっせー」


 なるほどなー。おばはんでもチャレンジするんやなあ。わたしも負けてられへん。


「就職状況の厳しい時期ですから、チャンスは上手に活かして下さいね。面接だけでも受けてみたらいいと思います。私みたいなやり方もあるということで」


 うん。せやな。で、もらった名刺をちらっと見て、ふと気付いた。


「あ、ブログ持ってはるんですね」

「ええ。工房のサイトは仕事用で、あまりナマなことは書けへんから。でも、まだ始めたばかりで、プロフも何も書き込んでません」

「そうですよねー。仕事とダブルじゃ……」


 杉谷さんは、そっと立ち上がった。


「そろそろ失礼いたします。就職活動がんばってくださいね」


 丁寧なおじぎを繰り返しながら部屋を出た杉谷さん。わたしは、その柔らかい笑顔を脳裏に焼き付ける。


「ええなあ。ああいうトシの取り方したいわー。わたしには絶対に無理やろうけど」


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