あたし。

@hachisu

声が好きだったのかも

 ホテルの部屋がムシムシしていたから、わたしは羽織っていたカーディガンを脱いだ。左手を袖から抜き、右手もつづけて。

 かれの下卑た視線が露わになった腕に向けられてることに気づいたとき、いまが夏でよかったと、すなおに感じた……。





 どうして街に出たのか、とくに理由はなかった。例年よりも暑さが厳しい初夏の、谷間のような気温がそうさせたのか、明日は三人分のお弁当を用意しなくてよいという気楽さからか、家事と家族の面倒をみる以外になにもない毎日からの逃避か――じぶんとしてはどうでもよかった。

 ただそれゆえに、かけられた声に素直に笑顔を向けてしまったのかもしれない。いつもならテレビをつけたまま、ネット通販のページを眺めてるだけの午後二時過ぎ。ちがった刺激で埋められるなら、それでよかった。しかもその声は、低い音のなかにかすかな高い音が共存しているような、とても心地よい響きだったのだ。


「相沢さん――だよね」

 数瞬凝視したあと、かすかに見覚えがあることだけわかった。

 男の話から、十数年もまえの記憶が棚から引き出される。ずいぶんとくたびれた記憶に息を吹きかけ、わたしはやっと男の素性を認識した。

 結婚前、職場の上司とともに得意先に出向くことが多かった。若いオンナがいるだけで空気が柔らかくなるもんなんだと、よく連れていかれた。わざと失敗させて、酒の席で慰めるのを口説く手段にしてる残念な中年オトコだったが、わたしが誘いに乗らないとわかったつぎの日には別の子を伴っていた。

 その上司と最後に出向いた会社で、手持無沙汰になっていたわたしにコーヒーを淹れて話し相手になってくれた人物。たしか名前は木内。

「変わらないね、ミキちゃん。変わらずキレイだ」

 木内はいちどしか聞いていないはずのわたしの旧姓も、名前すらも憶えていた。さすがに立ち話も――とコーヒーショップに誘われる。木内の外見にも周囲にも、断る理由は見当たらなかった。


 店内は冷房が効きすぎていた。わたしは寸前まで頭にあったアイスティーという単語をホットココアに変更し、バッグから薄手のカーディガンを取り出した。木内は注文した飲み物を席まで運び、改めてわたしをまじまじと見つめた。

「結婚してるんだ。そりゃそっか……」

 苦笑なのか自嘲なのかわかりかねる笑みを口の端に浮かべ、木内はわたしの顔から首、胸元へと視線を移した。木内の眼に色欲を感じたとたん、わたしはもう家庭の愚痴や近況を話すことを禁じた。どうしてだろう。オンナとしてみられることや、欲されることに飢えていたのか、ただの退屈しのぎか。それはどうでもよいのだ。いまは木内の欲情に応えるべきかどうかを、すこしずつ、すこしずつ、判断していけばよい。

 数分後、重ねてきた左手をほどかないわたしに木内は「行こっか」と囁いた。





 木内の手は夫とちがい、強引さよりもやわらかさが勝っていた。唇を重ね、舌を絡ませ唾液を交わらせる間も身体を撫でつづけてくれる。

 若いとき、あまりオトコを知らなかったわたしは夫の強引さやちからづよさに求められている感覚をもててうれしかった。だが、ただじぶんの想うようにしたいだけのセックスよりも、木内のするようなやわらかい行為のほうが心地よいと、いまはわかる。ガツガツした動きは、もっと後でよいのだ。


 スカートを持ち上げ、お尻を撫でている木内に腰を寄せた。服のうえからでもわかるほど、男性自身が怒張している。わたしはそこをさすりながら、自然とベルトを外しチャックを下ろした。早くみたい。興奮した木内自身を。

 四十路という年齢からは信じられないほど、木内のモノはそりかえっていた。わたしはすこしだけ上目づかいで木内と視線を合わせたあと、それに舌を這わせる。あまりに上を向いているため、木内を「座って」とソファーに誘った。腰を下ろした木内のまえに膝をついて、ゆっくりと口に含む。舌や咥内を通じて、亀頭のハリが伝わってくる。先っぽを舌で刺激していると、木内がたまりかねたようにわたしを抱き起し、ベッドへと倒れこんだ。


 指でアソコをまさぐられるまえから、蜜があふれてることは自覚していた。木内は指先のヌルリとした湿り気を確認すると、下卑たような、雄としての喜びが伝わるような、そんな表情でわたしの身体を愛撫しはじめた。キスマークをつけないように、軽くキスと、舌の刺激。背中も腋も、すべてじぶんのものにしようとするかのように木内はわたしを弄った。


「も――挿れ、て」

 クリトリスをペニスで擦りつづけられ、入口には触れるのに挿入してこない。わたしは催促するほど焦らされていた。木内は口角をすこし上げ、膣口にペニスをあてた。

 すこしずつじぶんのなかに押し入ってくるそれは、堅い亀頭が膣壁を擦り、その熱さは意識すら飛びかねないほどの刺激を臀部から背中へと伝えてきた。

 激しく動いて――そんな望みを口にするまえに、木内はわたしの乳首や舌を吸いながら腰を叩きつけるように動かした。木内の貪るような腰使いに合わせるみたいに腰が浮いてしまう。粘膜が擦れあうたび、ジュボジュボと音を立て白濁した汁が溢れて垂れていった。

「あッ――あッあッ、イッ――」

 演技することなく、ことばで伝える間もないままに、わたしは昇りつめた。ガクガクと腰が震えている。息をつめているようなわたしのなかに、ペニスよりも熱いものが注ぎ込まれた――。






 体位を変えるとき以外抜かないまま、木内は三度わたしのなかで果てた。

 危険な日ではなかったが、ほんとうなら木内の無責任さを責めるべきだろう。でもじぶんもかれも、性欲に身を任せてしまいたいというどうしようもない欲望を抑えきれなかった。負担は多少あるけど、あとで薬を飲んでおこう。


 部屋から出るまえに木内が口を開こうとする。それに先んじてわたしは「メアドと番号教えて」と告げた。交換ではない。かれのものを教えてもらうだけだ。

 木内はすこしだけ考えたあと、メモにそれを書いて渡してくれた。


「念のため先に出るから、すこししてからあなたは来てね」

 わたしは先にホテルの駐車場側から出て、駅に向かった。木内は正面側から出るだろうか。


 すこしだけ余韻の残る頭で考える。バッグにしまった電話番号。かけるか。かけないか。メールは。逢うのか。逢わないのか。

 ひとまず、今夜は暑気払いに冬瓜でも炊こう。生姜を利かせて。暑いから温かいものを食べないと。まだ息子も娘も学生なのだ。きちんとしたものを食べないと。


 主人の晩酌に付き合ってもよいか。帰りにスーパーで牛肉のたたきでも買って、さっぱりした酎ハイも買おう。

 そしてひさしぶりにかれとセックスしよう……木内に連絡するかどうかは、それから決めればよいじゃないか。

 わたしは上機嫌で切符売り場へと歩を進めた。



 

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