「夢想」4
「すみません、遅くなりました!」
慌てていつもの白い部屋に飛び込むと、びくっと驚いたように椅子から立ち上がるウサミ先生が居た。今日も相変わらず変わった装いだった。
長い羽が頭に沿って付けられた頭飾りを被っていて、まるでインディアンのようだ。だが体は、いつも通り白衣を身に着けている。
「寝てない寝てない」
涎でも垂らしていたのか、慌てて口元を拭ってた。それを見て、待ちくたびれてうたた寝でもしていたのだなと察する。
「忙しいのに、待たせてすみません」
「ううん、今日は暇だったよ」
「そんな日もあるんですね」
「というかね、全て放り投げて暇にしてやったのさ!」
「はい?」
「まあ、気にしないで」
ウサミ先生はテーブルに置かれたカップを手にし、そこにコーヒーを注ぎ出した。一口飲んだ後、ぽろっと「ああよく寝た」と呟く。おいおい、と思ったけど、あえて突っ込まなかった。
「さあ、もう入るかい?それともコーヒーを飲んで一息つくかい?」
「いや、コーヒーはいいです。それよりも、今日の格好のコンセプトはインディアンですか?」
「おお、ファッションチェックかい。いいだろう」
手していたカップを再びテーブルに置き、撫でるように頭飾りを触る。
「これねぇ、安物じゃないんだよ。輸入したんだけど、結構な価格でねぇ」
「インディアンに憧れてるんですか?」
「憧れているというか、興味はあるね。インディアンの歴史も考えさせられる事が多いからね」
「ああ、インディアン戦争を授業で習った」
「僕は時に考えるのだよ。もしも自分が、その時代のそこに居たのならばってね。例えば米国と激しく戦ったジェロニモ、彼は最終的には妥協し、米国と和解せざるを得なかったが、あのまま死を迎えていたら、歴史はどう変わったのだろう?私なら、どの道を選ぶのだろう?とね」
「そんな事、ジェロニモになってみないと分からないし、実際その状況に置かれてみないと、答えは一生出ない気がしますけど」
「その通りだよハルくん!」
指差されながら大声で言われたので、ビクッとしてしまった。椅子に座ろうとしていたけど、中腰のままウサミ先生を凝視する。
「答えは出ないって分かってるのに、何で考えるんですか」
「考えてしまうのが人間ってもので、だけど考えた所で歴史は変えられないんだよねぇ。つまり無駄って事さ」
「はあ」
ウサミ先生はまるで、ミュージカルの舞台にでも立っているかのように、立ち上がってハキハキとした口調で身振り手振りで話す。
「そう、自分が生きてきた歴史だってそうさ!過去をどんなに悔もうと、いくら考えようと、変える事など出来ないのだ。頭で考えず先を見据えて行動するのみなのだよ!」
「あのウサミ先生、もしかして、疲れてますか?」
そう聞くとしょぼんと肩を落とし、ため息交じりに椅子に腰掛けた。
「まあね。かれこれ28時間はきちんと寝ていないよ。忙しすぎて」
「ええ?」
結構いい歳だと思うけど、よくもまあそんなに起きていられるなと驚いた。恐らく今は、色々飛び越えてハイテンションなのだと思う。
「本題に入ろうハルくん、明日は土曜日だが学校は?」
「ありますよ」
「ふむ。では明日は休んでもらうとしよう」
「何で」
「ハル君さ、意外と丈夫そうだから、今日から長時間入ってもらおうと思って」
「長時間って、どの位?」
「うーん、1時間半くらいかな?大丈夫そうなら2時間?戻った時にシンドイと思うから、明日は休んだ方が良いと思うんだよね」
「突然、そんなに入るんですか?」
そう問うと、満面の笑みで肩を叩いてきた。
「ヤバそうなら戻すから、大丈夫大丈夫」
今のテンションのウサミ先生が、マイ・レメディーの指揮を取る事に不安だ。何なら入ってる途中で寝てしまって、放置されやしないだろうか。
不安を抱えたまま、マイ・レメディーのある一室へと入る。いつも通り上着を脱ぎ、色々な部分にコードを貼りつけられ横になった。
「ハルくん、仮に君の生きてきた歴史が悲惨だろうが幸福だろうが、その中で生きている限り歴史は続く。どんなに先が見えずとも、どう締めくくりたいかだけを考え、それに向かって行動しなさい」
「えっと―― 言ってる意味がよく、分かりません」
「今は分からなくていいんだ。バーイ、ハル」
何故か悲しげな笑みを見せ、ウサミ先生は手を振る。マイ・レメディーの扉が閉じられた。
――
――――
お馴染みの衝撃を感じ、眉を顰めながらゆっくり目を開いた。僕は外のベンチに座っていて、目の前には夕陽でピンク色に染まった景色が広がっている。
人の気配を感じ横を向くと、隣に制服姿のユミさんが座っていた。
「今日は私達以外、誰も来ないね」
辺りを見渡すと、後ろは山道で誰も居ない。景色からして、何処か高い所に登って来たのだと思う。見覚えがあるなと思った時、ズキンと頭痛が走った。つい頭を抱えると、ユミさんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「痛む?」
「うん、ちょっと。此処、見覚えあるなって思ったら、頭が痛くなってきた」
ユミさんは眉を下げ、じっと見つめてくる。
「此処、よく一緒に来たよ。ハルの、お気に入りの場所だから」
「そうなんだ」
「うん、それと、此処に登ってくる途中にある
そこまで言うと言葉を詰まらせ、突如ぽろぽろと涙を流し出した。
「ユミさん?」
覗き込もうとすると、涙を隠すように立ち上がり、目の前にある木の柵の前に立つ。
「ごめん、ショウと喧嘩した事、思い出しちゃって」
“ショウ” ちょっと忘れてたけど、ユミさんのダメ彼氏だ。
「聞きたいん、だけど、ユミさんは何で酷い男とばかり付き合うの?」
そう聞くと、涙を拭いながら笑顔で振り返った。
「何それ、そんなこと言うハルのが酷いよ」
「だってユミさんは―― ユミさんは、優しくて頭が良いしそれに」
それに美人だから、もっと良い男と付き合えるハズだ。自分じゃない事は確かだけど。外見で負けてるだけでは納得がいかなかった。中身が良い人なら、僕だって諦めがつくはずだ。ユミさんが幸せならそれでいい。だけど幸せそうに見えないから、放っておけない。
「とにかく、あの彼氏はユミさんに相応しくないと、思うんだよね」
「そんな事ない。私にピッタリじゃない」
「え?」
「今まで付き合った人は、欠点が多くて皆から反対されるような人ばかりだった。だけど私も欠点だらけだよ。お似合いだと思わない?」
「いや、誰にでも欠点はあると思うけど、ユミさんは自分で思っているよりも――。 その、良い人だと、思う」
本当は“ユミさんは自分で思ってるよりも、魅力的な人だ”と伝えたかったけど、勇気が出なくて言えなかった。
「ありがとう。だけどハルは知ってるじゃない、私の心が歪んでる事を」
ユミさんは再び景色のある方へ体を向き直し、両手を上げて伸びをする。風に乗ってスカートが揺れていた。
「誰も居ない中、広がる自然をこうやってみてると、世界に取り残されたみたいな心地良さがある。僕はこの世界が、終われば良いと思っているから」
ズキッとまた、頭痛が走る。
「ハルの言葉だよ。ハルが抱く暗い心は、私が隠している心と一緒。だから共感出来るの」
痛みに耐えながら目を瞑ると、フラッシュバックのように映像が流れ込んできた。ユミさんとイッタの笑顔が、交互に映し出される。映像は途切れ途切れで、会話だけが響いて聞こえていた。
『私達、似てるよね』
『イッタはあれにそっくりだ』
『何かを守っている様な勇ましい佇まいが似てる、だっけ?』
「駄目!」
ユミさんにそう言われ、ハッとして目を開く。思い詰めたように真剣な表情で、僕を見つめていた。何故か鼓動が早まって、肩で息をしている。
「まだ思い出さないで。戻されちゃうから。それに今はまだ、早過ぎると思う」
「何処まで、分かってるの?マイ・レメディーの事は分かってるんだよね?何で僕はユミさんとの記憶を無くしてるの?協力してくれって言ってたけど、僕の記憶を取り戻す事に関係してる?」
悲しそうに僕をじっと見つめ、そのまま暫く何も言わなかった。
「何が何だか分からない。ウサミ先生の事も信用出来なくなっちゃうし」
「え?」
「うちの父親と一緒にマイ・レメディーの開発に携わった医者で、僕の主治医。ああ、ユミさんの主治医でもあるのか」
ユミさんは驚いた表情で固まってしまう。
「もしかして、ウサミ先生の事を知ってる?」
その問いに、慌てたように首を横に振っていた。ユミさんは自分に主治医がついてる事を知らなかったとか?僕の記憶が無くなった事と何か、関係しているのだろうか。
「本当の事を教えて欲しい。訳が分からない事ばかりなんだ」
「本当の、事――。じゃあ、私が何を望んでいるかを伝えるけど、動揺を押さえて。戻されないように」
「分かった」
「ハルに少しずつでいいから、記憶を取り戻してもらいたい。何故なら、納得して欲しいから。納得してくれないと、きっと私の望みを叶えてはくれない。何故望むのかを理解して、協力して欲しいの」
昨日ユミさんが協力してくれと言っていたから、どんな事なのか予想を立てていた。そこで、二つの説が思い浮かんだ。
一つは、長く居られるように協力してほしいという説。それは、ユミさんが作りだす願望にも似たこの世界が心地良くて、長い間ここで過ごしたいから。僕が交わる事で、描き出される世界があるのだろうと思った。もう一つは、ユミさんも一部の記憶を無くしているという説。だから、一緒に記憶探しをする事に協力してほしいということ。もしかしたら、僕に関わる記憶も無くしているのかもしれない。
だけどユミさんの口から出た真実は、そのどちらでもなかった。
「最終的な望みは―― 死ぬ事に、協力して欲しい」
「え?」
「今はまだ、理解出来ないと思うけど――。」
「ちょっと待って。死ぬ事に協力するって、一体どういうこと?」
「私を、殺してほしいの」
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