fifth chapter.リスタート

「リスタート」1

冗談でも何でもなく、夕陽を背に僕を見るその目は、恐い程に真剣だった。



ユミさんは、死を望んでいる。現実の自分が昏睡状態という事を分かっていて、目を覚ましたくないという事だろうか。



「僕はユミさんを目覚めさせる為に、マイ・レメディーの使用を承諾したんだ」



真剣な表情のままユミさんは首を傾げる。



「承諾?」


「マイ・レメディーの事を知ってるんだよね?断ることも出来たんだ。僕にはその権限は、ないんだけどね」


「どうして?」


「父親のこと、話したことなかったっけ?さっき言った通り、父親がマイ・レメディーの開発に携わったし、僕はその、落ちこぼれだから、断る権利がないようなものだった」



難しい顔で僕を見つめた後、呟くような声で「なるほどね」と言った。



「話戻るけど、目覚めさせるために来てるのに、当の本人が死にたいって言うなら、僕はどうしたらいいのか分からない」


「だから、殺して欲しいんだってば」


「なん、で?」


「まだ理解出来ないよね。だけどハルが記憶を取り戻せば、きっと分かってくれる。その時が来たら―― 宜しくね」


「宜しくと言われても。この世界は夢の中のようなもので、死ぬなんて事は不可能じゃないかな?」



ユミさんは軽くため息を吐いて、再び隣に腰掛ける。笑顔を見せ、そっと肩に触れてきた。ドキッとしたのと同時に、何故かこの状況に、懐かしくて温かい気持ちになった。



「出来るよハル。マイ・レメディーの中で死ねば、脳が死ぬ。死にたいと強く望む気持ちと、現実でやったら絶対に死ねる様な方法を取れば。まあ、後者はまだ模索中なんだけど」


「それって、自殺は可能なの?」


「それが出来ないんだよねぇ。こうなる前に調べてたから、色々やってはみたんだけど、自分1人じゃ決意が揺らぐのか成功した試しがない」



という、あまりにも受け入れ難い事実を聞かされたのに、あっけらかんと明るく言うので重みを感じない。それが逆に恐くて、それでいて悲しくなる。



こんな事になるずっと前から、ユミさんは死にたかったのだろうか。調べていたということは、もしもマイ・レメディーに自分が繋がれたら、という事まで想定して、死ぬ方法を探っていたのだろうか。そこまでして死にたいのは、何故だろう。



「言い難いこと聞くけど、正直に答えて欲しい。もしかして、自殺してマイ・レメディーに繋がれてるんじゃないよね?」


「ううん、違うよ。こうなる前に死ぬ道を探してはいたけど、自殺なんてしてない」


「どうして死にたいなんて思ってんの?」


「そんなの今のハルに言ったって無駄。いいからまずはこの世界に慣れて、長く居られるようになって。それで、記憶を取り戻して」


「そう言われても――。」


「あ、だけどハル、本当にこの世界で死ねるのかって、私みたいに色々試さないでね。どれか本当になったら危ないでしょ」


「それを言ったら、ユミさんの方こそ止めてほしい。そもそも、死にたいなんて思わないで欲しい。あまり鮮明には思い出せないけど、ユミさんは僕にとって凄く重要な人だったと思うんだ。僕は根暗だからさ、それを明るくしてくれるような――。」


「それは私じゃないよ、ハル」


「え?」



ユミさんの目には涙が溢れてきていて、それを見られないようにか俯いてしまう。片方の手で涙を拭った後、切り替えたように笑顔で顔を上げた。



「一緒に試してみる?私が死ねなかった方法で」


「どういう事?」


「今からすること、あと、今まで話した事は全部内緒だよ。その主治医の人にも絶対に言わないで」


「何―― する気?」



悪戯な笑みを見せ、僕の手を引いて立ち上がる。そのまま山道を歩いた。何を仕出かすのかと恐ろしくなる。そうこうする内に、柵も何もない場所に出た。自然が広がる綺麗な景色が一望できた。だけど不思議な事に、徐々に霧が覆ってきて、ほとんど何も見えなくなってしまう。



そこでユミさんが突然、手を引っ張ってくる。



「いくよハルー!」


「えええ!?」



そのまま崖まで走らされ、あっという間に僕の体は宙に浮く。僕達は霧の中へと落ちていった。



ヤバイ死んだ!と思ったのも束の間、瞬時に場面が切り変わる。



僕は記憶にない西洋の内装の部屋に居て、ダイニングテーブルの前に座っていた。正面には、テーブルに置かれたあるを見つめるイッタが居る。そのは、サイコロが2つあるボードゲームだった。だが、よく目にするようなものではなかった。紙ではなく木で作られていて、古めかしい雰囲気。おまけに全てが英文だ。



「これ、一体どういう状況?」



そう問うと、イッタがこっちに目を向ける。だが、いつの間にか横に居たユミさんが腕を引っ張ってきた。



「これ、見覚えあるよね?あの映画だよ――。」


「え?」


「おまえら何言ってんの?早くやろうぜ」



イッタはおもむろにサイコロを掴み取り、下に転がす。ボードの真ん中にある丸い球体部分に、英文が浮かび上がってきた。それを見た時、確かに見覚えがあると思った。それは現実で体験した事ではなく、画面を通して観た物だ。恐らく、また映画の記憶の中に来てしまったようだ。



崖から落ちて場面が切り変わったということは、やはり僕達は死ねなかったという事になる。ユミさんが試したと言う通り、軽々しくあんな行動を取った所で死ねないのかもしれない。



「何だこれ?何て書いてあんの?」



イッタは首を傾げている。僕はどんな内容の映画だったのかを思い出そうとしていた。何故かユミさんは、横で怯える様な表情を見せている。



すると、駒が触ってもないのに動き出した。ユミさんはきゃあっと声を上げて立ち上がり、イッタはすげーと言って前のめりになっている。何処かから、雀でも鳩でもカラスでもない、甲高いとりの鳴き声が聞こえた。



ユミさんが僕の腕にしがみついてきたので、にやけそうになる顔を隠そうと眉間に力を入れた。



「ハ、ハル、早く逃げよう?」



ユミさんはこのシーンに覚えがある様子だ。恐らく、どんな物語の映画かを既に思い出しているのだろう。



ミシミシミシっと何処かから音が聞こえてきた。壁に沿うように置かれた本棚が激しく揺れ出し、何十冊もの本が一気に下に落ちる。



「ハル、イッタも早く!」



そう言うと、僕とイッタの手を引いて走り出した。次の瞬間、壁が壊れ動物の群れが現れる。ゾウ、サイ、シマウマなど多数の動物が群れで走り追いかけてくる。



「えええ!?何これ!」


「いいから走って!」


「うおー、すげー!!」


「イッタ!振り返るなよ!」



イッタは興味津々に何度も振り返っていた。その背中を押して、無我夢中で走る。この出来事で、どんな映画だったか少しだけ思い出した。確か、このすごろくのようなゲームに参加すると、次々に不思議な事が起こるといった内容の映画だ。確かこのゲームから離脱する方法があったはず。



考えながら走り続けていたら、何かに躓いて転んでしまう。終わったと思い目を瞑ると「アウト!」と誰かが叫んだ。目を開くと土の上で、僕は学校のジャージ姿で野球のグラウンドに居る。転んで伸びた手の先に、三塁ベースがあった。



周りが肩を落としながら歩いていて、僕に「何やってんだ」など言ってくる。立ち上がって土を払うと、離れた場所に居るイッタに手招きをされた。



「ダッセーなあ、おまえ。逆転出来たかもしんねーのに、あそこでやらかすとは」


「あ、ああ、うん」


「俺はバレーボール勝った!強烈なスパイクかましてやってさあ、カシワギ君の眼鏡吹っ飛んだんだけど!うけるだろ!」


「ええ?カシワギ知ってんの?」



イッタは怪訝な表情で「はあ?」と言う。



辺りを見回してみる所、今度は映画の中ではないようだ。見慣れた高校の校庭に居る。生徒全員がジャージ姿で競技をやっていることから、恐らく何かの行事に出ているのだと思う。そこへユミさんがやってきた。



女子のジャージは膝上ほどの長さのハーフパンツだ。ユミさんは白いTシャツに赤のハーフパンツ姿で、髪を1つに結んでいる。いつもと装いが違くて少しドキドキした。



「ねぇ、だから帰ろうってば」


「姉貴さっきからずっとこうなんだぜ。生徒会長がこんなんでいいわけ?」


「だって球技苦手なんだもん。私がチームに入ると凄く迷惑がられるし」


「誰だよ、んな文句言う奴。ぶっ飛ばしてやろうか?」


「そういう事じゃないの。帰りたいの!ねぇ、ハルもそうでしょ?」


「ああ、うん、まぁ」


「ほらね!」


「いやだけど、俺はこの後のサッカーが楽しみだし」



そこへ他の生徒がやってきて、ユミさんは途端に大人しくなり僕達から離れる。生徒数名はイッタに声を掛けた。



「イッタ、さっきのやるじゃん!」


「超凄かったね!笑っちゃったよ」



ユミさんはチラッと目だけで僕に合図を送る。付いてきてとでも言っているようだったので、歩き出したユミさんの後を追った。すると慌てるようにイッタも付いてくる。



「何だよ2人とも、俺も仲間に入れろよー!」



ユミさんはどんどん早足になり、校舎の裏に入った。そこには、今や使われていないが離れにある。



錆び切った階段を上ると、水が張られていないこけまみれのプールが現れた。3年前に校舎の地下にプールが出来てから、此処は使用されなくなったらしい。だから錆やこけまみれなのだ。生徒は此処を“廃墟”と呼ぶ。



ユミさんは、真ん中のコースの飛び込み台の上でしゃがんでいた。



「イッタうるさい。付いて来ないでよ、あんたはこの後サッカーに出るんでしょ?」


「えー、だって2人が居なかったらつまんねーじゃん」


「関係ないでしょ。だって学年が違うもの。早く行きなよ」


「全校生徒でやってんだから、関係あんだろー」



これはうちの高校の行事だ。全校生徒で行う球技大会。実際にある。そんな細かい所まで、何故ユミさんは知っているのだろう?



黙って2人のやり取りを見ていると、ユミさんは暗い表情のまま突然遠くを指差す。



「あそこから脱走するよ、ハル」



真顔で何言ってんだと思いながら、指差された場所を見た。3~4mほどの高さのブロック塀がある。すぐ隣が専門学校の為、それで仕切られているのだ。イッタは馬鹿にしたように笑い出した。



「何言っちゃってんの。姉貴の身長いくつよ?そもそも俺ら3人とも似た様な身長なんだから、誰もあれを越えられねーんじゃん?」


「やってみようよ。やった事ないでしょ?」


「やってどうすんだよ。そんな事より球技をやれっての」


「だって抜け出したいのに、毎年誰かが逃げ出すから、正門も裏門も先生が見張ってるじゃない。だから抜け出す方法がそれしかないの」


「いやいやいやいや、無理だって」


「ダッサ。運動神経良いくせに、あんな塀も越えられないんだ。私は出来る気がする。イッタの負けだね」


「はああ?俺だって実際のところ、本気出せばあれくらい屁でもねぇーし!バッカじゃねぇの」



思わず頭を抱える。ああ、いとも簡単にイッタが誘いに乗ってしまった。



2人は「自分のが出来る!」と言い争い、姉弟きょうだい喧嘩を始めてしまう始末。僕だけが冷静だ。そっと2人の間に割って入った。



「あのさ、僕が無理なんだけど。運動神経悪いし、見る所掴めそうな所がないじゃん?物凄いジャンプ力がないと、無理だと思うんだけど」


「そんなのおまえ、ジャンプ以外にも方法はあるだろ!助走付けてダッシュするだろ?んで、そのまま走るように登って上まで行くわけ」


「そんな脚力ないってば。アクション映画じゃあるまいし」


「とにかくやってみようよ」



ユミさんはそう言った後に、僕の耳元までやってきて呟く。



「取りあえずイッタを先に登らせて、私達は引っ張り上げて貰おうよ」



悪戯にニヤッと微笑んでいる。そうだ、ユミさんは時にこうやって人をからかったり、無茶な事を言ったりする人だった。



「おい、ハルに何言ったんだよ姉貴。悪口じゃないだろうな!?」


「違う違う。スパイ映画の主人公だと思ってって励ましたの。さ、まずはかばんを教室に取りに行って、また此処に集合ね」


「おお、スパイ映画ね!俺が主人公で、ハルは親友で俺の窮地を救う役な!」


「どっちでもいいから、僕は――。」



2人は一斉に走り出す。ぽつんと廃墟に残され、自然とため息が漏れた。2人とも元気が良すぎるし、全然人の話聞かない。



仕方なく僕も教室に向かう。

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