「夢想」3

再びホテルのロビーに戻った時、ある人物に目が奪われる。あまりにも驚いて、その場に立ち尽くしてしまった。ユウダイがそんな僕に気付き、じっと見つめてくる。



「何見てんの」



僕が見つめる先を探り「あ」と声を上げた。その瞬間、見つめていた人物が僕等に気付き、目が合ってしまう。



居たのはスーツ姿の父親だった。おまけに隣には、若そうで綺麗な女の人も居る。髪が長くてスレンダーな体系、タイトなスカートから出た脚が驚く程に細い。父親はその女性の腰に回していた手を離し、その人に耳打ちをしてからこっちに向かって歩いてきた。分が悪いはずなのに、眉間にしわを寄せ、背筋を真っ直ぐに伸ばし堂々と近付いてくる。



「おまえ、何をしているんだ」


「それはこっちの台詞なんですけど」


「ハル、俺外で待ってっから」



うちの父親が苦手なユウダイは、そう言ってさっさと行ってしまう。その後ろ姿を、父親が怪訝な表情で見ていた。



「まだあいつと付き合ってたのか。友達は選べって何度言えば分かるんだ」


「ほっといてくれよ。今はそんな事言える立場じゃないよね?あの女の人、誰」


「仕事の打ち合わせで来てる。おまえは何を勘違いしているんだ」


「へえ、こんな夜遅くまで」


「生意気な口を利くな!」



強い口調でそう言った後、僕を殴ろうと思ったのか手を振りかぶる。だけど周りの目が気になるようで、辺りを見回した後に手を下した。



「母さんに余計な事を言って、心配掛けるなよ」



要は黙っておけって事だ。呆れる。いつも偉そうにしてるくせに、女に弱いなんて。父親の浮気疑惑は今までに何度かあった。こんな風に遭遇したのは初めてだけど。



腹は立たなかった。ただ呆れただけだし、僕にはどうだっていい。本当に浮気してるのかなんて事よりも、疑問に思っている事が山ほどあったからかもしれない。



「見なかった事にするよ。それよりも知りたい事がある、僕が実験になってるあれだけど」


「誰が実験だなんて――。」


「もういいよ、そんなようなものだって分かってるから」



父親は更に眉間にしわを寄せ、ぐっと口を噤んだ。



「ウサミ先生と、何か共謀してない?」



すると噤んでいた口を開き、あざけるような声を出す。



「何を言ってる。あの人は先輩だが、出来れば関わりたくない。おまえも分かるだろ?あいつはイカれた男だってな」



心底馬鹿にしているように見えた。幼い頃から見てきた。表面は嘘くさく友好的だが、裏で悪口を言って見下している。大人の癖にと何度失望した事か分からない。だからこそ、父親の発言は嘘ではないという事、ウサミ先生と共謀するなんて事はないという事が何となく分かった。



「ああ、そう。僕はあの先生好きだけど」


「好きだと?馬鹿馬鹿しい。おまえにお菓子でもくれるのか」


「もういい。さよなら」


「待て」



腕をぐっと掴まれ引き留められる。その握力が強く、何かに焦っているのだと感じた。



「母さんに言うなよ」


「分かってる」



父親と話したい事はもうない。ただでさえ会話を交わす事が苦痛なのに、今回の事で更に避けようと思った。



ホテルを出ると、ユウダイが腕を組みながら待ち構えていた。



「おい、一発くらい殴ったんだろうな?」


「殴りたいけど、知っての通り度胸がないんで無理」


「おまえも何か、色々と大変だよな」


「そうでもない」


「俺等も大人になったら、ああなっちまうのかな。今はあいつらの気持ち、一ミリも理解出来ないけどよ」



あんな大人にだけはならない。それは幼い頃から決めている。



だけど、未来なんて分からないし見えない。やりたい事がないし、なりたいものもない。そんな風に手探りで生き続けるなんて、苦痛以外の何ものでもないように思えた。まだそれを真剣に考える時が来ていない。だから僕は考えない振りをして、楽しく過ごしていきたいと思っていた。






                  ***





翌日、放課後のホームルームの時間に、2か月ほど先に行く予定の、社会科見学の話し合いをしていた。班を決めて、それぞれ指定された場所の中から見学に行きたい場所を選ぶのだが、これが難航していた。



何故かそれを纏めるのがイッタで、だからこそ全くを持って意見が纏まらない。先生は横で腕を組み、呆れながら笑っていた。僕は今日も病院に行かなければならない。先生、笑ってないでどうにかしてくれ。そう思いながら、教室の1番前で騒ぐイッタを見つめていた。



横向きに座り、後ろに居るユウダイに目を移すと、俯きがちで真顔だった。



「大丈夫?」



そう問うと、真顔のままゆっくり顔を上げる。



「何が」


「ぼーっとしてたからさ。眠い?」


「いや」



するとイッタに大声で注意された。



「おまえら喋ってないでちゃんと参加しろよ!バレンシアオレンジがかかってんだぞ!」



イッタはどうしても、候補の1つのバレンシアオレンジが収穫出来る農園に行きたいようだ。きっと食べられるから。だが皆も、他の候補で楽しめそうな場所がない為、食べられるだけマシだとその農園を希望している。



「バッカだねおまえ達、バレンシアオレンジの生産量が1番多いのは和歌山県だぞ?ここ神奈川よりきっと和歌山のが美味いって!だからいさぎよく諦めろよ!」



イッタは馬鹿みたいに必至だ。だけどクラスは、イッタを筆頭に大盛り上がりだった。



「――るせぇな」



ユウダイが小声でそう言う。いまだに真顔で目がとても冷めていた。醸し出す雰囲気が怒っているように見え、少し恐ろしさを感じる。ユウダイはそのまま頬杖をつき、机の下でスマホを弄りだしてしまった。



その時気付く。そういえばイッタとユウダイ、昨日からろくに会話していないなと。



「ユウダイさ、イッタと喧嘩でもしたの?」



ユウダイの目線は下のまま、こっちを見ずに言う。



「してないけど」


「ああ、そう」



何となく、話し掛けて欲しくないような空気を感じたので、前を向き直して意見が纏まるのを待った。班は決まったが、それぞれが見学に行く場所決めはやはり纏まらずで、とうとう痺れを切らした先生がイッタと変わる。



結局場所はくじ引きで決める事になった。あれだけ騒いで話し合っていた時間は何だったのか、ものの数分で全てが決まりホームルームを終える。



皆が帰り支度をする中、僕はイッタに伸し掛かられ、身動きが取れない状態だった。細かく言うと、椅子に座ってる僕の背中にイッタが寄り掛かってきている状態。それも全体重で。そのせいで、僕は潰れたように机に伏せていた。



「ずりーよー!何で俺ら寺に行かなきゃなんねーんだよー」


「諦めろ。てか早くどいて」


「バレンシアオレンジ食いてー!」


「あーもう!ユウダイ、助けてくれ!」


「お、そういえばユウダイは?」


「え」



イッタがやっと体を離したので、もう潰されないよう急いで立ち上がる。



本当にユウダイはいつの間にか居なくなっていた。そこで昨夜のやり取りを思い出す。今日はバイト初日だから、急いでいたのかもしれない。だからちょっと苛々してたのかもな。そう思ったらホッとした。



僕が予想していた事じゃなくて良かった。僕はてっきり――。



「なあーんだよユウダイの奴!水臭い奴だなあ!挨拶くらいしろっつーの」



気付けばイッタが他のクラスメイトの所に居る。どうやらユウダイは帰ったと聞いたようで、大声で不満を露わにしていた。かばんを手にし、イッタのもとまで行って背中を軽く叩く。



「何か用があったんじゃん?僕もあれに行かないとならないから、途中まで一緒に帰ろう」



イッタはふて腐れた顔をしたまま、黙って自分のかばんを取りに行く。そして戻ってくると、ため息交じりに言った。



「なんかユウダイよお、最近避けてないか?」


「そう?気のせいでしょ」


「もともと情緒不安定なとこあったけど、今回はなーんか変なんだよなー。俺なんかしたかなー」



イッタは子供っぽくて神経図太そうなのに、何気に繊細だったりもする。そんな時はガラじゃないけど、ポジティブな意見を返す事にしていた。



「気のせい気のせい。何かしたとしたら、あのイビキだろうな。あれは人を狂わすほどの破壊力を持ってるから」



これでもポジティブなつもり。



「えー、イビキなんて皆すんだろー?」


「しない。それにイッタは皆が寝る前に即行で寝るから、その意見に信憑性が全くない」


「あはは、言えてる!おまえ頭良いなー!」


「それは頭良いとは言えませんが」


「真面目かおまえ!」



さっきまで顔色が曇っていたけど、瞬時にげらげらと笑いだした。



その後、再びバレンシアオレンジの農園に行けない事に対しての悔みを永遠と聞かされた。聞いてる途中で、今日はもう完全に遅刻だと思い諦める。何本か電車を逃した所で、半ば強引にイッタと別れた。

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