#5

 秘密を共有することになった、という訳で、以前にも増して嶺月は仙堂と行動をともにするようになっていた。飄々としていてどこか掴みどころのないような男ではあるものの、もともとは人懐っこい性格の持ち主なのだろう。気が付くと仙堂は椎名たちともかなり親しい間柄になっており、人見知りの激しい嶺月よりも皆に馴染んでいるといってもけして過言ではなかった。

 嶺月としてはそれもどうかとは思ったが、彼はきっと自分を、皆を裏切るような真似などはしない────…。そういった信頼感と呼べるようなものが、いつしか嶺月の中にと芽生え始めていたのも事実だった。

「はい、これ皆にお土産」

 そして今日も任務を終え、仙堂ともども施設を訪れた嶺月は、出迎えてくれた子供たちにポケットから取り出した飴玉をひとつひとつ手渡した。食糧難といわれている中で菓子類は非常に貴重なものである。途端、子供たちは目を輝かせ、小さな包装紙に包まれたそれを笑顔で口に頬張った。

「ありがとう、建兄ちゃん!」

「うわぁ~っ、甘くて美味し~っ!」

「また見付けたら持ってきてあげるからね」

「ホント?!僕たち楽しみにしてるね!」

 世間はそう、『食糧難』。残された僅かばかりの食糧を互いに奪い合っているのが現状だ。

 でも、それも稜家のもとでは何の心配も苦労もない。だからこそ嶺月は時折こうして組織から食料をくすねてくるのだった。

「悪いな、嶺月。いつも何かしら差し入れしてくれて」

「いや、良いんだ。僕が好きでやってることだから」

「でもホント、ありがとうな。感謝してる」

 椎名はそういって嶺月の肩を叩くと、『まぁ、のんびりして行けよ』といつものように憩いの場へと二人を誘った。それから出されたコーヒーをいただき、幾分寛ぎ始めた時だったか。ふと、廊下の先からざわめきが聞こえる。

「……何だ?」

 何か様子が変だと気付いた椎名はその場から立ち上がり、傍に腰を据えていた嶺月と仙堂もそちらへと目を向ける。と、次第にざわめきは近くなり、憩いの場にと姿を現した三人の青年は皆が皆強い憤りを感じているかのようだった。

「そうしたんだ?、おい。一体何があった…?」

 椎名がそう訊ねると、三人は眉間に深く皺を寄せたまま事の真相を語り出す。

「……北地区の路地裏に『また』、犯されて殺られた女性の遺体が転がっていたんです。今月に入ってもう、4度目になりますよ」

「!」

「ホント酷いことしやがるよ!、稜家の手下どもは…っ!!」

 遣り切れない思いを拳に託し、中の一人が思いきり壁へとそれを打ち付ける。ここの皆は当然、茂野の過去を知っているのだろう。だから、ここまで怒りを露わにさせているに違いない。

「大体あいつのせいで日本はこんなことになっちまったんだ!あいつが…あいつが政府の人間を皆殺しになんかしなければ…っ!!」

「仕方ねーよ、あのやろうは自分たち以外の人間なんてどうとも思っちゃいねーんだからよ。だからあんな酷い真似も平気でできるんだ」

「…クソッ!、あいつなんかとっととくたばっちまえば良いのに…っ!!」

 それらすべての罵声が稜家に向けられているものだということは、どんなに鈍い頭の持ち主であろうとも分かって当然だった。嶺月も稜家が過去に行った所業というものがどれ程凄惨なものであったか。しかと理解はしている。

 だけどもそれ以上に稜家を思う気持ちの方が今は強いのだ。

 その思いがこの場において不穏当な発言を口にさせてしまう。

「─────そんなことはないと思う」

 ふいにぽつり、と零された嶺月の言葉に、皆の表情が固まる。

「そんなこと、思ってやってる訳じゃないんだと思う」

 誰に向けていうでもなく、自分の足元を見詰めたまま嶺月はそう呟き、唯一その理由というものを理解していた仙堂は途端、さっと顔色を変えていた。いくら『友達』だとはいえ、今この場で自分の身分を明かすのは得策などではない。と、いうかそうなることを一番恐れているのは他でもない、嶺月自身の筈なのだ。

 だけどもどう言葉をかけて良いかも分からない。そうして訪れてしまった沈黙を破り捨てたのは、いつの間にその輪の中に混ざっていたのか、茂野だった。

「…だったら。だったらどんなことを思って『あんな真似』をさせたっていうんだよ…っ…!」

 予期せぬ茂野の声を耳にして、嶺月ははっと顔を持ち上げる。

 視線の先には憶えた憤りに深く眉根を寄せている茂野が仁王立ちとなっていた。

「おまえはあいつらの被害にあったことがないのか?!だとしてもそんなことを俺らの前でいうな!ここにいる皆はなぁ、少なからずあいつらのせいで痛い目をみてるんだからな!」

「……………………」

「…ホント、無神経過ぎて頭くる…っ…」

 それだけいうと茂野は勢い良く皆に背を向け、そのまま通路の先を歩いて行ってしまった。そしてまた訪れてしまう沈黙─────…。そんな中、嶺月はふいに立ち上がると、茂野の後を追うようにして歩を刻んでいた。

 それを心配するかのように仙堂もまたその場から立ち上がりをみせたが、椎名はそんな彼の手を掴み、首をただ横に振る。仙堂の気持ちも分かるが、今は廃りだけの方が良い。そう判断した上での行動だった。

 嶺月は必死になって茂野を追い続け───…だけどもその後ろ姿を目に止めることができたのは、武器庫へと続く廊下を曲がった時のことだった。さらに足を速めるも目前でドアは閉ざされ、一旦はそこを開けようと手を伸ばした嶺月であったが────…その手を静かに下し、中にいる茂野へと向かってただ言葉を発した。

 聞いているかどうかは分からない。でも、しかといっておかなければならないと思った。

「…ごめん、シゲ。きみの気持ちも考えないでホント、無神経なこといっちゃって────…。謝って済む問題じゃないかも知れないけど、ごめん。…ごめんな、シゲ……」

 自分には大切な誰かを他人に奪われてしまった経験などというものはない。厳密にいえば『あの日』家族を失ってしまったことはそれに当て嵌まるのかも知れないが、世の中の大半が自分と同じような思いをしている。茂野のようにある意味理不尽に、その人だけを奪われてしまったことなどなかった。

 嶺月はそのまま暫しドアの前にと立ち尽くしていたがふいにそこから離れると、静かに元きた廊下を歩き出していた。茂野の憤りと慟哭を思えばすぐに赦されるようなことではない。

 次第に遠ざかって行く嶺月の足音を聞きながら、茂野はただ一人ドアに寄りかかったまましゃがみ込んでいるだけだった─────…。






 組織へと戻る道程の間、嶺月は一言も発することはなかった。

 仙堂もそんな彼の胸中を察し、特に声をかけることもなく、二人は重苦しい空気をその身に纏ったままで帰還した。

 普段に比べ早い時間に戻った為か、入口付近にある広間には結構な数の人間がそれぞれ屯していた。だからといって別段気にかけることもない。いつものように無言のままでその間を通り過ぎて行こうとする二人の足を、一人の男が呼び止める。

「お疲れ様です、嶺月せんぱーい。今日は『お伴』を連れての任務遂行でしたかー?」

 どこか小馬鹿にしているようなその物言いに引き続き、別の男たちが愉しげに言葉を紡ぎ出す。

「でもあれ?、嶺月先輩程の腕前をお持ちでしたら『お伴』なんて必要ないんじゃねーですか?」

「つか、最近しょっちゅう一緒にいるんじゃね??」

「─────あ、何?もしかしてあんたらデキてんの??」

 その一言に彼らは一斉にゲラゲラと大声で笑い出し、話を聞いていた周りの連中もにやにやと不快な笑みを浮かべている。

「あー、ヤダヤダ。おまえホントキモいから、いちいち稜家さんとこ行くなよ」

「『そんな』目で見られてたらたまったもんじゃねーっての!」

「おい、仙堂。先輩が満足するまでちゃーんと面倒みてやれよ…?」

「あのな…っ…!!」

 こんな時にあんまりだと思う言葉の内容に腹立たしさを憶えた仙堂はたまらず声を荒げたが、またしても嶺月の手がそれを遮った。嶺月の方が何倍も腹を立てていて当然だというのに、目にしたその面持ちからは何の憤りも感じられはしなかった。

「相手にするだけ、無駄だから」

 そんなことは分かっている。分かってはいるが、どうしたらそこまで大人しくしていることができるのか。

 思わず嶺月に対してまで噛み付きたくなってしまったが、仙堂は寸でのところで言葉を飲み込み、仕方なく溜息を口にした。

「……分かりましたよ。嶺月さんがそれで良いなら我慢しときます」

「うん、…ごめんな」

 自分といることで要らぬ中傷を受ける羽目となってしまった仙堂にと謝罪の言葉を口にすると、嶺月は再び足を進ませた。────相変わらず何ともつまらない反応を示すものである。男たちは『チッ』と大きく舌打ちし白けた空気が漂う中、一人の男がふと、思い出したかのように話を切り出した。

 それは、無視を決め込み歩き出していた嶺月の足を止めるには十分過ぎる内容のものだった。

「────そういえばおまえ、昼間見付けたカワイコちゃんはどうしたよ?」

「あ?」

「どうせまた抵抗されたんじゃねーの?おまえ、いっつも強引に迫るから」

 それは大して興味のある話題などではなかった。が、次の瞬間嶺月の内を、何ともいえない感情が走り抜けて行く。

「あーあー、まさにその通り!だからまたいつもみたく犯るだけ犯ってポイ捨てにしてやったよ。ホント、抵抗しなけりゃ俺だって優しくしてやんのによぉ」

 

 『昼間見付けたカワイコちゃんはどうしたよ?』

 『……北地区の路地裏に『また』、犯されて殺られた女性の遺体が転がっていたんです』

 『だからまたいつもみたく犯るだけ犯ってポイ捨てにしてやったよ』

 『今月に入ってもう、4度目になりますよ』

 『抵抗しなけりゃ俺だって優しくしてやんのによぉ』

 『でもあいつ、半年前に彼女を殺されてんだよ』

 『『稜家』ってやつの手下にさ、犯された上に殺害だ』


「─────おまえがシゲの彼女を殺ったのか…っ…!」


 ぴたり、と足を止めたかと思うと嶺月はそう絞り出すような声でいい、まさか立ち止まるとは思ってもみなかった仙堂はそんな彼の様子を覗き込む。───と、先程までの冷静さもどこへやら、今まで一度も見せたことがないような怒りを露わにさせていた。

「…嶺月、さん…?」

 何がそんなに彼を怒りに駆り立てているというのか。思わず訝しそうな面持ちを浮かべてしまう仙堂を余所に嶺月はふと勢い良く後ろを振り返り、まるで悪びれた風もない男の襟首を力任せに引っ掴む。

「おまえがっ!、おまえがシゲの彼女を殺ったのか!!稜家さんに何の断りもなくっ!、勝手にそんな真似をしたのかよっ!!」

「あぁ?!」

「おまえがそんな最低な真似をするから、稜家さんまで『そう』だと思われるんじゃないかよ…っ!!」

 いつになく声を荒げ、剰え『おまえ』呼ばわりまでしてくる嶺月に当然男は腹を立て、眉間に深く皺を寄せて行く。普段はまるで大人しいくせに掴みかかってくるその姿勢もむかつくが、それ以上に稜家の名前を出されたことの方がむかつく。大体『シゲの彼女』など、まったくもって意味が分からない。

 男は嶺月の体を乱暴に突き飛ばし、懐に忍ばせてある拳銃を手に掲げる。

「調子に乗んなよ、このやろう!てめーなんざ今すぐこの場でぶっ殺してやる…っ…!」

 完全に頭に血が昇っているといった男の行動に嶺月も瞬時に腰裏から銃を抜き取ると、男の脳天へと向かって素早く銃口を掲げた。その光景はまさに、一触即発といったものだった。


「─────何をしている…?」


 そんな酷く緊迫した空気を切り裂いたのは、ひとつの声だった。

 皆は視線を向かわせた先に稜家の姿を見止めると、まるで蛇に睨まれた蛙のようにその場にと硬直してしまっていた。それ程までに稜家には威圧感というものがあった。

 稜家は対峙している二人のもとへと、至極ゆっくりと歩を刻んで行く───。

「組織内で諍いを起こすとはあまり感心しないな。───今すぐ銃を下ろしなさい」

 そんなことの為に拳銃を所持させている訳ではない。

 いわれ嶺月は静かに銃を下に向け、───が、男はおさまりがつかないという風にグリップ部分で嶺月の頭を思いきり殴り付けてからその銃を仕舞った。当然、不意打ちを食らった嶺月は口端から血を流し、そのまま床へと倒れ込む。

「嶺月さん…っ!」

 慌てて駆け寄る仙堂と嶺月の姿を見下ろして、男は『ペッ!』と唾を吐き付ける。

「いっときますけど、こいつが先に手ぇ出してきたんですからね」

 そういう男の言葉に稜家は一度、嶺月の方へと目を落とし───次の瞬間、男の顔面に容赦なく右の拳を叩き込んでいた。あまりの威力に男の鼻柱は見事に折れ曲がり、ぼたぼたと垂れ落ちた鮮血が足元の床をただ汚して行く。

「────そんなことは聞いてない。つまらないことを抜かしてると殺すよ?、おまえ」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…っ…!!」

「おまえらも!おまえらもいつまで屯してるつもりだ?!これ以上俺を怒らせたくなかったらとっとと部屋に戻れ!!」

 稜家がそう周りに向かって声を荒げると、まるで蜘蛛の子を散らすかのような勢いでその場から人の気配はなくなった。そして、鼻柱を折られた男もまた仲間の手を借りて何とか歩き出し、完全に誰もいなくなったことを確認した稜家は、ようやく嶺月の傍へとしゃがみ込む。

 そうして見せた表情は、至極人間味のあるものだった。

「どうしたの?、建ちゃん。いつものきみらしくないじゃない…」

 長いこと嶺月とはともにいるが、先のように怒りを露わにさせた姿など一度として見たことがない。

 問われ、嶺月は床の上にと強く拳を作り上げて行く。

「あいつが……あいつが勝手にしたことで、稜家さんまで悪く思われるなんて僕は嫌だ…っ…」

「!」

「稜家さんはそんな、酷い人なんかじゃない─────…。酷い人なんかじゃ全然ないんだ…っ…!…」

 茂野の彼女が死んだのも、けして稜家の命によるものなどではないのだ。だけども組織の人間がやったというだけで、すべての非難が彼にと向けられる。それを当然のことだという風に受け止められてしまう程、嶺月にとって稜家はそんな小さな存在などではなかった。

 だからこそ、だからこそ『らしく』ない行動を取ってしまった。そんな嶺月の言葉に、稜家はうっすらと笑みを浮かばせる。

「…良いんだよ、建ちゃん。俺はね、分かって欲しい人にちゃんと分かってもらえていればそれだけで十分なんだ。だから、建ちゃんがそんな、気にする必要なんかないんだよ?」

「でも…っ…僕は…っ…」

「────それにね、自分のことできみがこんな風に疵付けられる方が嫌なんだ。ほら、顔を上げて…?」

 いわれるままに顔を上げた嶺月の血に汚れた口元を、稜家はシャツの袖口でそっと拭い取る。嶺月も稜家にそこまでいわれてしまっては返す言葉はなかった。

 口を噤み、再び違う意味で俯いてしまう嶺月の肩越しに今度は仙堂の姿を見止めると、稜家はまたにこり、と笑みを浮かばせた。

「えっと、…きみはなんていったかな?」

 ただ名前を問われているだけなのに、妙な緊張感が全身を支配する。───それは稜家に対する絶対的な畏怖のようなものなのか。思わず仙堂は『ごくり…っ』と息を飲んでいた。

「『仙堂』です。『仙堂、巧真』です」

「あぁ、仙堂くんか。ありがとうね、建ちゃんのこと気遣ってくれて」

「いやっ、そんなお礼なんて…」

「これからも建ちゃんのこと、よろしくね」

 そういった稜家の目があまりにも優しくて、正直仙堂は戸惑いを憶えずにはいられなかった。何故なら自分の知る『稜家道隆』という人間はけして『こんな』風になど笑わない。組織の皆もきっとそう答えることだろう。

 だけども嶺月の前ではこんなにも人間らしい、普通の表情さえ見せてしまうのだ。それは驚きを通り越し、仙堂の胸を痛くさせて行く。

(……稜家さんは嶺月さんのことは『建ちゃん』、って呼んでるんだ───…)

 その後に言葉はもう、続くことはなかった。

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