#4

「最近なんか明るくないですか?、嶺月さん」

 その日は珍しく任務もなく、午前中は自室でのんびりと過ごしていた嶺月は、昼食を済ませ、そろそろ椎名たちのところへ行こうかと思っていた矢先にそう仙堂に声をかけられた。

「前みたく任務から戻ってきても洗面所にこもったりしないし、表情もなんか優しくなってきた感じがしますし────…。もしかして何か良いことでもありました?」

 実際自分がそのような表情をしているかどうかは不明だが、なんて鋭いやつだろう。いや、どうしてそこまで観察しているのかが分からない。仙堂が組織内の誰かが送ってきた刺客、などではないことは何となく信じてはいるのだが、時々どうかと思ってしまうこともある。

 嶺月はにこり、と笑んだままいる仙堂に向かって、実に素っ気ない風で言い返す。

「別に。きみのいうようなことは何もないよ」

「そんな嘘は吐かない方が良いですよ?僕にはちゃーんと分かってるんですからね」

「……だからきみに僕の何が分かるっていうんだよ?」

「とりあえず今の嶺月さんが幸せそうだ、っていうのは分かります」

「……………………」

「あ、僕口は結構固い方ですよ?」

 振り払うように足早に歩を刻んでいるというのに、どこまでもぴたりと着いてくる仙堂の言葉に嶺月はふと、その足を止めると、眉間に深く皺を寄せたまま後ろに立つ彼の姿を見詰めた。

 ────本当に掴みどころのない、何を考えているのかさっぱり分からない男だ。だけどもそんなに嫌な感じがしないのは何故だろう。

「────その言葉、本気で信じるからな」

 どうせこの調子だと吐くまで着いてくるつもりでいるだろう。

 そうして嶺月は仙堂を連れ、椎名たちの元へと向かうのだった────…。






 突然の来客。と、いうか見知らぬ人物の到来。

 そのこと自体には別段驚いている風はなかったが、別の意味で椎名たちは大きくその目を見開いてしまっていた。

「……えっと、そちらの方は一体…?」

 まさか『あの』嶺月が誰かを連れてくるとは思ってもみなかった。そんな理由からくるリアクションだとは知る由もない仙堂は若干『?』と思いながらも、人懐っこい笑顔で自己紹介を始めた。

「はじめまして、嶺月さんの後輩で『仙堂巧真』っていいます」

「あ、あぁ、嶺月の後輩?って、ことは何?、一緒に生活してるんだ?」

「はい、先輩とは仲良くさせていただいてます」

(…って、いうかきみが勝手に付きまとってるだけでしょうが……)

 とは嶺月の心の声である。

「そっか、嶺月の後輩なら俺たちも大歓迎だ。ゆっくりしてってくれよ、仙堂くん」

「はいっ、ありがとうございます」

「それじゃあ今夜は俺が腕によりをかけたカレーをご馳走だ!後で嶺月も作るの手伝えよ?」

「あ、うん。分かったよ、祐ちゃん」

「やったーっ!僕、祐兄ちゃんが作ったカレー大好きーっ!」

「僕も僕もーっ!」

「俺も俺もーっ!」

「って、シゲはそう子供に混じらないっ!」

 椎名がぴしゃり!、そういうと、施設内にはどっと笑いが広がった。それにつられ、自然と笑んでいる嶺月の表情を目にした仙堂は、はっきりとこう納得することができていた。

 最近の嶺月が明るくなった理由───…それは、人との触れ合いだ。きっと本来の彼はこうして穏やかな世界に生きるべき人間なのかも知れない。

(…そういえば、どうして嶺月さんは今の組織に属しているんだ…?)

 思えば稜家のお気に入りで、一番の古株だということ以外は何も知らない。自ら進んでこの道に入ったとはあまり、考え難いことではあるのだが────…。






「おっ、ひと休みですかい?ミネケンも」

 それから1時間程経った頃だったか。施設内は禁煙だということで表へと足を運び、少し離れた瓦礫の山の上に腰を下ろし一人で煙草を吹かしていた嶺月の背後にと、茂野はそう声をかけていた。

 陽はちょうど陰りを見せ始め、廃墟の隙間からは眩いオレンジの筋が広がる。嶺月はその何ともきれいな光景をまっすぐに見詰めたまま、言葉を紡いだ。

「子供らの相手をしてたら疲れてきちゃってさ。…ちょっとした小休止」

「ははっ、あいつら遠慮ってもんを知らないからな。ま、今日は『仙堂』くんだっけ?彼もいるから良いんじゃない?」

「うん、あいつの方が全然子供の扱い方上手いでやんの」

 仙堂に兄弟がいるかどうかなど当然知る由もなかったが、一緒になって遊ぶ姿はまさに『お兄ちゃん』のそれだった。

 茂野は嶺月の隣に腰を下ろし、胸ポケットから取り出した煙草を口に銜える。それを見て嶺月はライターを差し出すと、その葉先へと火を着けた。

 ─────暫しそのままで、ゆっくりと時間が過ぎて行く。

 茂野はふいに嶺月の横顔を目に止めると、再び言葉を口にした。

「─────なんか変な感じだよな、ミネケンとこうしているなんて」

「ん?」

「昔のおまえってほら、『優等生』って訳じゃねぇけどすごく大人しかっただろ?それが今じゃこうして煙草なんか吸っちゃって、銃までぶっ放してるときたもんだ。別にそれをどうこういう訳じゃないけどよ、なんか変な感じだな」

「………………」

「でも、おまえはすごいよ。自分の手でちゃんと守りたい人を守ることができんだろ?――――俺なんか全然だ。そうなりたくて必死に銃の知識とか入れたりしてっけど、結局誰一人満足に守ったことなんてねーんだ」

 そういって『ははっ、』と小さく笑う茂野の表情は、どこか遣り切れない思いを抱えているかのようだった。

 きっとされは亡くなった彼女に対するものなのだろう。未だ癒えることのない疵痕を目の当たりにしたような気がした嶺月も知らず、胸の痛みを憶えてしまっていた。

「……人を守るのは何も『銃』だけじゃないよ、シゲ。そう思う心が強ければ、どんな形であろうとも誰かを守ることはできる─────…。シゲは十分皆のことを守ってると思うよ」

 それはけして茂野を慰める為だけの、上辺だけの言葉などではなかった。───が、あまりにもさらり、とそんなことを口にしてくるものだからすっかりリアクションに困ってしまった茂野は、とりあえず『ぶふっ』と大きく吹いてみせていた。

 当然、吹かれてしまった嶺月はまったく意味が分からない。

「えっ?、その笑いは何??僕何か可笑しなこといった…??」

「いやぁ~…この前の台詞といい、結構恥ずかしいやつなのな、おまえって」

「はっ?何?、僕が『恥ずかしいやつ』??」

「ははははっ!…うん、でもおかげで少し元気出た。ありがとうな、ミネケン」

 別に笑わせるつもりなどまるでなかったりしたのだが────…でもまぁ、それで元気が出たというならば一先ず良しとしておこう。いつの間にか短くなってしまっていた煙草を揉み消し、嶺月はただ口元にうっすらと笑みを浮かべていた。

「おーいっ、二人ともそろそろ夕飯の準備始めっぞーっ!」






 皆で手伝い拵えた特製カレーをいただき、今夜はそのままの流れで泊まることとなってしまった嶺月と仙堂は、客間へと案内されていた。

 とはいえ、簡易ベッドに毛布があるだけの部屋だったが、寝るだけなら特に問題があるという訳ではない。もともと泊まって行くつもりなどなかった二人には、これくらいの方がちょうど良かった。

「いやぁ~、椎名さんの作るカレーってば本当に美味しかったですよねぇ~。子供たちが大好きなのも分かりましたよ」

 『今日は新しいお客さんがきた』ということで、何だかんだ色々と持て成されてしまった仙堂はそういって、無造作にベッドの上にと寝転んだ。おかげで腹はパンパン。久々に楽しい食事をいただいた。

 嶺月もまたベッドの縁へと腰を下ろし、窓から窺える星空をぼんやりと見詰めたままでいう。

「そうだね、正直僕もあの美味さには驚いた」

「って、いうか僕は嶺月さんの包丁捌きにも驚きましたけど」

「…………………」

「あ、いやいや別に馬鹿にしてる訳じゃないですよ?ただ、思いの他不器用なんだなぁ~…と」

「…………しょうがないだろ?滅多にあんなもん、握ったりしないんだからさぁ…」

 自ら料理をする為に包丁を手に持ったことなど、思い返してみれば小学校時代の家庭科くらいなものである。

 怒っている訳ではないにしろ幾分拗ねている感が窺えなくもない嶺月の横顔を目にし、仙堂は小さく笑った。

「────そういえば『祐ちゃん』、って呼んでた人。あの人って嶺月さんのお友達だったんですね」

 その言葉に嶺月の視線が仙堂の方へと向けられる。

「なんか初めて見たなぁ、嶺月さんのあんな楽しそうな顔。いつも傍にいる身としては正直妬けますねぇ…」

「………………」

「でも、嶺月さんはその方が良いですよ。今の組織なんかにいるより、余っ程『らしく』て良いですよ。────あ、もしあれだったら僕、黙っておきますよ?ここで皆さんと一緒に暮らした方が絶対、幸せになれると思いますし」

 今日一日しかここにいる様子を窺ってはいないが、嶺月にはその方が良いに決まっている。自分と違い、このような行き場所がしかと存在しているのだから。


「─────それはないと思うよ」


ふと、嶺月はそう言葉を口にすると両の手を握り合わせ、口元に小さな笑みを浮かべた。仙堂が自分のことを思い、そういってくれたことは正直嬉しかった。確かにここにいると楽しいし、心が至極温かいもので満たされて行くのが良く分かる。きっと椎名もそういえばすぐにでも迎え入れてくれることだろう。でも、嶺月にはその意思というものはなかった。

「きみにはそう映らないかも知れないけど、僕は今のままで十分幸せなんだよ。稜家さんの為に生きて行くことが、僕の『すべて』なんだから─────…」

 いって嶺月は静かにその場から立ち上がると、どこに行くつもりなのか、出口へと向かって足を進ませた。当然仙堂はベッドから起き上がり、嶺月の背を引き止める。

「ちょ…っ、嶺月さん、どこに行くんですか?!」

「見張りの交代。僕が行けば全員休ませてあげることができるでしょ?」

「!」

「……これくらいしか僕には取り柄がないからね」

 確かに嶺月程の腕前があれば、見張りなど彼一人で十分だ。だから仙堂も心配などはしていない。

 が、このまま『はい、そうですか』と大人しく見送ってしまえる訳もない。

(……だから、『こういう』ところが放っとけないっていうんだよ…っ!)

 もっと他人のことではなく、自分のことを大事にして欲しい。

 仙堂もまた執拗に『休んでろ』と突っ撥ねる嶺月の後を追い、明朝まで彼とともに皆の安眠を守り続けたのだった。



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