#3
先の言葉通り、椎名の住む施設は20分ほど南に歩いた廃墟の奥にあった。
『隠れるように生活している』といったのは誇張ではなかったようで、確かにその入口は至極分かり難い場所にあり、近辺には何人かの仲間らしき青年が立っていた。聞けば交代で見張りをしているとのことだった。それほどまでにこの世の治安は悪化している。
「あっ、祐兄ちゃんお帰りーっ!」
「お帰りなさい、祐兄ちゃん!」
薄暗い廃墟の隙間を縫って行くとふいに光が満ち溢れ、先程までの光景が嘘のように整備された空間が目の前に広がった。そして、足を踏み入れた途端そういって何人もの子供たちが椎名の元へと走り寄り、実に無邪気な笑顔で出迎えた。
嶺月は暫しその光景を驚いた風に見詰めてしまう。
「お~っ、おまえたち良い子にしてたかぁ~?今日もいっぱいせしめてきたからな、晩ご飯はご馳走だ」
「ホント?!うわぁ~っ、楽しみだなぁ~っ!」
「僕も僕も!すっごい楽しみ~っ!」
「……………」
「……………………」
「………ねぇ、祐兄ちゃん。後ろに立ってるあの人は誰?」
喜びを露にしていながらも、ふと、気になって仕方がなかった嶺月の方を指差して、中の一人がそう問いかける。それにより嶺月もはっと我を取り戻し、皆の注目を一身に浴びているという事態に思わず困った顔をしてしまう。
椎名はそんな嶺月の様子につい、吹き出してしまいそうになる。
「あの人はね、俺の友達で『嶺月建』っていうの。皆、『建兄ちゃん』って呼んであげてな」
「えっ?!祐ちゃんそれはちょっと─────…」
「はーいっ!よろしくね、建兄ちゃんっ」
「建兄ちゃんっ!、建兄ちゃんっ!」
「………こちらこそよろしくお願い致します…」
『子供が苦手』、という訳ではないが、こういう雰囲気にはあまり慣れていない。いや、正直接し方が分からない。今の今まで自分の身近には『子供』などという存在は皆無だったのだ。
それでもとりあえず返事をし、ぺこりと頭を下げてくる嶺月の姿に不器用なそれを感じ取った椎名は、手にしていた大きな紙袋を子供たちに預けると調理場にそれを持って行くよう言葉を紡いだ。
「ごめんな、あいつら皆人懐っこい性格してんだわ」
「いや、別にそんなことは…」
「────そうだ、シゲに逢わせなきゃな!今の時間だと…『あそこ』にいるな。こいよ、嶺月」
いって先を歩き始める椎名の後に着いて、嶺月もまた施設に奥へと向かった。もともとあった場所を改修し皆の居住地にしたのだろうか、それなりに個々がひとつの部屋として区分されている。そして、意外にも中は広く、男性や女性、大人や子供、多くの人たちが生活をともにしている。その光景は自分の所属している組織内部ではけしてみられない、とても温かで微笑ましいものだった。
本来はこうして身を、肩を寄せ合い生きて行くべきなのかも知れない───…。いつになく嶺月はそんなことを思い浮かべながら、椎名の後ろを歩き続けていた。
「おっ、シゲ!やっぱりここにいたか」
暫くしてたどり着いた部屋は、どうやら武器庫のようだった。と、いってもライフルが数本立てかけられているだけで、そう立派なものではない。
その薄暗い部屋の片隅で、声をかけられた男は黙々とライフルの手入れをしている。耳にはヘッドホン。当然、椎名の声はまったく聞こえていない。
「…ったく、何かあったらあれだからヘッドホンはやめろっつったのに」
いいながら椎名は歩を刻み、シゲ───茂野の前にと仁王立ちになる。と、そこでようやく気が付いた茂野は慌てて耳からヘッドホンを外し、ごまかすかのようにへらり、と笑ってみせる。
「おっ、なんだ。帰ってたのかよ、椎名」
「『帰ってたのか』じゃねーだろ?、シゲ。これがおまえ、敵襲だったらどうするつもりだよっ」
「大丈ー夫っ!俺はおまえら全員の警備を信用してるからさ☆」
「あーのーなっ、そういう問題じゃねーだろっつーの!まったく…っ」
いってもいっても直らない茂野の不用心ぶりには困ったものである。椎名は毎度のことながら大きな溜息をひとつ、口にしてしまう。
「あ、そうだシゲ。おまえに紹介したいやつがいるんだけど」
「へ?」
「ほら、小学校ん時に俺らのクラスに転校してきた『嶺月建』。あいつと今日、偶然再会したんだよ」
「………『嶺月、建』………?」
椎名に指で示され、茂野は入口のところに立つ黒尽くめの男を見詰める。その間2分程度、だっただろうか。目を細め、訝しそうに見詰めていた茂野はふと、ぱっとその表情を変えてこういった。
「あーっ!『嶺月』ってあの地味で暗くて何考えてんのか全っ然分かんなかった『ミネケン』か!うっわぁ~っ、相変わらず暗そうだなぁ、おまえ!」
「…………………」
「って、いうのは嘘だけど。いやぁ~…元気そうで何よりだ!」
茂野もまた同じクラスの生徒であり、椎名とは一番仲の良かった人物だ。その為嶺月ともそれなりに関わりは深い。
だから先の言葉もわざと選んでいったことを嶺月は理解していた。
「シゲには専らここの管理をしてもらってんだ。つか、こいつ程銃の構造やら何やらに詳しいやつがいなくてねぇ…」
「───それってなんだ?遠回しに人のこと『ヲタク』だっていってやがんのか??」
「いやいや、そんなこたぁ申しません。ただ、趣味もここまで極めると───…なぁ?嶺月」
「…………………」
「あ、そうそう、こいつってばすっげー銃持ってんだぜ!良い機会だから見せてもらっちゃえよ、シゲ」
話題を逸らす為かどうなのか、ふいに椎名はそういって茂野を焚き付けた。『すごい銃』、という単語に当然茂野は目を輝かせ、手入れをしていた最中のライフルを床に下ろすとすぐに嶺月の傍へと近寄った。
「なになに?おまえどんな銃持ってんの…??」
実に興味津々といった様子で詰め寄られ、さすがに『見せない』という訳にはいかなくなってしまう。
本当はあまり他人に見せたい代物などではないのだが───…嶺月はコートの下へと手を回し、腰裏に下げているホルスターから愛用の銃を抜き取った。
その銃は使い手の体格に似合わず至極ごつい造りをしたものであり、さらに茂野の目を輝かせてしまうこととなる。
「おまっ、これ『デザートイーグル』じゃねぇかよ!すげーっ!、俺初めて本物目にしたよ…っ!!」
「…『デザートイーグル』?」
「1984年にイスラエル・ミリタリー・インダストリー社が開発したマグナム式自動拳銃のひとつだよ!すげー威力のある銃で、使うやつも相当腕に自信がないと逆に吹っ飛ばされちまうっていう…。ミネケン、おまえいつもこんなの撃ってんのか?!」
「うん、まぁ…」
「すげーすげーっ!俺初めておまえのこと尊敬するわ!で、で、どこで手に入れた訳?!その辺で拾った~ってことはないと思うけどっ!!」
あわよくば自分も手に入れたい代物だ。顔を近づけ、今か今かと返答を待っている茂野に対し嶺月は、うっすらと口元に笑みを浮かべながらいう。
「…ある人からもらったんだ。『きみはもう十分大きくなったから』、って…」
『ある人』とはいうまでもない、稜家のことだ。
茂野はあまりにも穏やかな表情でそう話す嶺月の姿に、近付けていた顔を遠ざけて笑う。
「そっか、もらいもんじゃあ正確な出処なんで分かりっこねーもんな。まぁ良いや、とりあえずゆっくりして行けよ。俺も後で合流させてもらうからさ」
いって嶺月の肩をぽんぽんっと叩くと茂野はその場から足を進ませ、呼び止めた椎名に対し『一服してくるよ』と手を振り出て行った。どうやら所定の場所以外での喫煙は禁止になっているらしい。嶺月は暫しその遠ざかって行く背中を見詰めたままでいた。
「…元気そうだね、彼も」
ふいにぽつり、と呟いた言葉に、椎名もその方向を見詰める。
「─────そう見えるだろ?でもあいつ、半年前に彼女を殺されてんだよ」
「!」
「おまえも名前くらいは聞いたことあるだろ?『稜家』ってやつの手下にさ、犯された上に殺害だ。…まったく酷い話だよ。それから数ヶ月間のシゲの荒れっぷりったらホントなかったな。自殺未遂も何度やらかしたか分かんねー。でも、皆のおかげでようやくあそこまで持ち直すことができたんだ。人の力ってすごいよな」
「…………………」
「あ、今の話俺に聞いたこと、シゲには内緒な」
ようやくふさがりつつある疵口を刺激して欲しくないのか、それとも彼に余計な気を遣わせてしまいたくないのか。どちらにせよ嶺月にはその件で何もいえることなどなかった。少なからず自分は『無関係』などではないからだ。
「さてと、じゃあそろそろ俺らもひと休みしますかね?」
武器庫を後にした椎名と嶺月は、皆の憩いの場だという広場へと向かった。そこでもやはり子供たちが無邪気に遊んでいる姿が窺え、他の住民たちも初めて見る嶺月に対し律儀にも挨拶をしてくれた。そしてコーヒーを出され、後で合流するといっていた茂野も加わり、三人は暫し互いの近状というものを語り合っていた。
とはいえ、嶺月にはあまり詳しく話せるような近状というものはなく、だけどもその曖昧な答えに対し椎名も茂野もあえて深追いしてくることはなかった。
「へぇ~、そっか。おまえんとこも結構人数いるんだ?」
「でも大人ばかりだし、女性も───…子供も中にはいないけどね」
「うわっ、それってば寂しくね?せめて女の子くらいはいないとさ」
「……確かにむさいはむさいかも」
「それでも仲間がいるってことは素晴らしいことだぞ?、嶺月。この世の中には未だ独りぼっちのやつなんかゴロゴロいるんだからさぁ」
誰とも群れることができない、上手く人と接することができない。そんな人間は確かに五万といるのかも知れない。運良く出逢うことができても、その相手が必ずしも『味方』になってくれる訳ではない。そういう意味では常に運試しの毎日だ。
だけども嶺月の周りにいるのは『仲間』でも『味方』でもない、稜家のもとに集まっているだけの身勝手な連中だ。ここのように互いが互いを助け合う為に存在している訳ではない。
そんな状況を悲しいと思った訳ではないが、つい俯いてしまった嶺月の横顔を目に止め、椎名は声をかけていた。
「そういう意味じゃ嶺月も幸せなんじゃないのかな」
「ん?」
「今さっきいってた、おまえに銃をくれた人。その人っておまえにとってすごく大事な人なんじゃないの?…そういう人がいるってだけでも、恵まれてると思う」
先程嶺月が見せた至極穏やかな表情は、きっと『そういうこと』なのだと思った。椎名にいわれ、嶺月は少しはにかみながら両手でコーヒーカップを包んだ。
「……うん、そうだね。あの人は俺にとって命より大切な人だから────…」
「おっ、ミネケンってばすごいこというじゃない!…って、おまえんとこ確か男しかいなかったんじゃなかったっけ?」
「……先にいっとくけど、ソッチの趣味はないから」
確かに稜家のことは好きだが、『そういう』対象としてみている訳ではない。いわれ、明らかにつまらなそうな顔付をみせてしまう茂野の肩を、椎名は軽く小突いてやった。
「おーいっ、シゲ!ちょっとこれ見てくんないかぁーっ!」
ふと、入口の方からそういう声が聞こえ、視線を向けてみると男の手には一丁のライフルが握られていた。口振りからすると多分、調子が悪くなっているのだろう。呼ばれた茂野は飲みかけのカップを椎名の手に預け、輪の中から抜けて行く。
その背を暫し見送って、ふいに嶺月は笑みを浮かばせる。
「…何だか良いね、こういう暮らしって。見ていてすごく、ほっとする…」
そう呟いた嶺月の横顔が、幼い頃に見たものと重なる。どこか寂しげで、だけどもそうと気付いてはいない横顔。
椎名は一瞬、眉を顰めたが、すぐに笑顔をみせていう。
「なに他人事みたいにいってんだ。おまえだってもう、立派なここの『仲間』だぜ?」
それはけして上辺だけの言葉などではない。
嶺月もそうと分かっているからこそ、浮かべていた笑みをさらに深いものへと変えていた。
(祐ちゃんてば本当、昔と全然変わってないや─────…)
いくらこんなご時世だとはいえ、自分が人を殺害する現場を目撃したというのに、まるで何事もなかったかのように普通に接してくれている。それは自分が椎名にとって『友達』だったから。だから、彼は少しも疑うような真似をしないのだ。
大人になった今でもそのような心を持ち続けることができる椎名はなんて大きく、なんて強い人間なのだろう。そんな彼を改めて嶺月は好ましく感じていた。
それから暫しまた談笑し、『少しの間だけなら』と思っていたにも関わらず、結局嶺月は夕食までご馳走になってしまっていた。
温かな人々、そして、温かな光景─────…。長いこと忘れていたそれらは至極心に優しいものだった。
「またいつでも遊びにこいよ。おまえなら歓迎するからさ」
帰り際椎名からかけられた言葉通り、その日を境に嶺月は任務の合間を縫ってはそこを訪れるようになっていた。
─────心に僅かばかりの罪悪感というものを、憶えていながらも。
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