#2
壊滅状態に陥った地表には草花があまり実らず、僅かに残された緑地の他はすべて乾いた砂によって支配されていた。
倒壊した建物などに降り積もるはそう、砂の雨。酷くざらついた空気だけが舞い踊り、それでも人々はその世界の中で懸命に生きて行く。
しかし、その『生』を絶つのも絶つのもまた、同じ人間の所業だった。
「はぁ…っ…はっ、はっ…はぁ…っ…」
荒い息遣いとともに響く足音。
恐怖に酷く引き攣った顔には無数の汗が浮かんでは流れ、どれだけ自分が追い込まれているかということを鮮明に思い知らされる。それでも男は逃げることを諦めず、ひたすら前を向いたまま路地という路地を走り抜けて行く。
いくら相手が凄腕とはいっても、所詮は一対一である。必死にそう己自身へと言い聞かせ、銃を持つ手に僅かながらの力を込めてみる。それでも拭えないこの恐怖心は一体どうすれば良いのか。
男はふいにちら、と後ろを振り返り、自分を追ってきているだろう相手の様子を窺う。───が、いつの間に撒くことができていたのか、相手の姿はどこにもなかった。
途端、安堵に足を止めた男は瓦礫の山と化している路地の壁にと寄りかかり、束の間の休息といわんばかりに手の甲で額の汗を拭い取る。
「…ははっ、何とか撒けた…みたいだな…」
相手の目的ならば分かりきっている。奴は、いや、奴の所属する組織はその他の人間をただのゴミとしか思っていないのだ。だから、少しでも気に入らないことがあれば誰彼かまわず射殺する。そんな野蛮な連中だ。見つかれば確実に自分は殺される。
でも、その心配もどうやらなくなりそうである。
いつまでたっても姿を現すことのない相手の様子に男はふと、口元に笑みを浮かべると、手にしていた拳銃を懐へと差し入れた。
「…さて、そろそろ戻るとするか───…」
そう零し、その場から足を踏み出した時だった。男の心臓に一発の銃弾が突き刺さる。
「…………な、に…?…」
一体何が起きたのか。訳が分からないという風に自分の胸にと手を当てた男のそこには夥しいまでの鮮血が纏わりついており───次いで、何発もの銃弾が容赦なく浴びせられて行く。
男は己の死も知らぬままいつしか地面の上にと倒れ込み、弾道の先───瓦礫の隙間から見事なまでに撃ち抜いた嶺月はゆっくりとその傍らへと歩み寄る。
直接この男に恨みなどというものはない。だけどもその死に胸を痛めることもなかった。
「…今日の任務はこれでお終いか───…」
ぽつり、独り言のように洩らした際、嶺月は僅かに瓦礫の山が崩れる音を耳にしていた。振り返り、音の発生源へと向かって一発の銃弾を撃ち付ける。もちろんそれは威嚇であり、どこも狙った訳ではない。
が、撃たれた相手は余程驚いてしまったのだろう。次いで、派手に倒れたと思われる音が鳴り響く。そして暫しの沈黙が訪れた後、相手は瓦礫の山から慌てて顔を出し、両手を挙げてみせた。
「た、たたたたんまっ!俺はあんたの敵なんかじゃないってのっ!」
別にそんな風に思って発砲した訳ではなかったが、いわれ、嶺月は向けていた銃口を静かに下して行く。───どうやらただの通行人のようだ。相手からはまるで殺気などというものは感じられない。
「………嚇かしてしまってすみませんでした」
いくら殺害現場を目撃された、とはいえ、無差別殺人は自分の好むところではない。それに『この程度』のことなど最早、日常茶飯事同然だ。わざわざ口止めする必要もない。
律儀にも嶺月はそういって頭を下げると、踵を返し、そのまま男に背を向け歩き始めるだけだった。
が、そんな嶺月の背中を男の声が呼び止める。
「───もしかしておまえ、『嶺月』じゃねーか?」
通りすがりに過ぎない相手から名前を口にされ、思わず嶺月は踏み出した足を立ち止める。
そして訝しそうな顔付きで再び男の方を見遣ると、彼は大きくその目を見開いて自身のことを指差しながらいう。
「俺だよ、俺っ!小学校ん時に同じクラスだった『椎名祐次』っ!ほらっ、憶えてないかなぁ?一緒に良く遊んだりしたじゃねーかよっ!」
『小学校』『同じクラス』『一緒に良く遊んだ』『椎名祐次』───…。それらのキーワードがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
嶺月は暫し考え込んだまま男の顔を凝視し、───と、ふと思い出したかのように大きくその目を見開いた。
特徴的ともいえる、天然パーマな頭髪。そして、昔と何ら変わることのない少年のような瞳。
「……………『祐、ちゃん』……?」
「そうそうっ!俺だよ、『祐ちゃん』っ!うっわぁ~っ、嶺月おまえも生きてたんだぁ…っ!」
やはり自分の思い過ごしなどではなかった。男───椎名は瓦礫の山から勢い良く歩を刻みながら、嶺月の元へと駆け寄った。そしてそのまま再会の喜びを表すかのようにぎゅーっと強く抱擁し、笑顔で嶺月を見下ろした。
「いやぁ、ホントに良かった!で、今はどこかの避難所か何かで生活してんのか?つか、すごい銃持ってんなぁ~。俺もそういうの欲しくて探してんだけど、中々見つかんないんだよねぇ~」
「…………」
「あ、俺ね、この近くの施設に住んでんだ。ま、世の中物騒だから隠れるようにして生活してるけど。で、今日は物資の調達だ。今さっきおまえがぶっ殺した奴の組織が貯めてる食糧庫がちょうどこの裏にあってさぁ、いやぁ~…いっぱいせしめてやりましたよ、俺ぁ」
「………どうして『僕』だって分かったんだ…?」
一方的にしゃべり倒していた椎名の言葉を区切るように、嶺月はぽつり、と問いかける。小学生の頃、といってもそれはもちろんつい最近の出来事などではない。なのに何故椎名はそんな昔の容姿をもとに今の自分に気付くことができたのか。
だけども椎名は一度瞬きをみせるだけでまた、にこりと笑みを浮かばせる。
「そりゃあ分かるよ。だって嶺月は俺の『友達』だろ?」
「!」
「それにおまえ、気が付くとすぐ『八の字』眉毛になってっし」
いって自分の眉間を指差しながらそうしてみせる椎名の姿も、嶺月の目からみればやはり昔と何ら変わることのない風に思えて仕方がなかった。───つまりはそういうことなのだろう。
気が付くと嶺月もその口元にうっすらと笑みを浮かべてしまっていた。
「この後特に用事もねーんなら、俺の住んでるとこに寄ってかないか?たいした持て成しはできないが、色々と話もしたいしさ。───あ、そうそう『シゲ』!『茂野透』っ!あいつも今俺と一緒のとこにいるんだよ。だからもしあれだったら…なっ?、嶺月」
椎名のいう通り、この後特に用事があるという訳ではない。それでも嶺月は暫し黙り込み───…が、ふいに顔を上げると小さく頷いた。
少しなら、少しの間だけならそう問題もない筈だ。
「ちょっと歩くけどホント、近くだからさ」
僕と『椎名祐次』という人間が出逢ったのは、小学校5年生の時だった。
父親の仕事の関係で転校してきた僕は元々人見知りなせいもあって皆と馴染むことができず、クラスではかなり浮いた存在に近かった。
「俺、椎名祐次。『祐ちゃん』って呼んで良いよ」
そんな僕にある日声をかけてくれたのが彼───祐ちゃんだった。今でもそういって右手を差し出してくれた時の笑顔を記憶している。
彼はけして優等生という訳ではなかったが、気が付くといつも周りに人が集まっているような、そんなタイプの人間だった。お調子者で口も悪く、だけども何故か赦せてしまう。というか何というか、不思議な魅力が彼にはあったような気がする。
多分彼は分け隔てなく誰とでも接することができるから、みんなもそんな彼を好いていたんだと思う。事実、僕も彼が好きだった。彼といると知らず楽しい気分になれたから。
でも、そんな時間も長く続くことはなかった。
僕が祐ちゃんと一緒にいることができたのはそう、『あの日』が訪れるまでのたった4ヵ月の間だけだった───…。
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