#1

 廃墟と化した街並みに響き渡る銃声と、ふたつの急ぐような足音。

 片方は追われる者。そして、もう片方は追いかける者。人気のまるでない通りをそれらは幾度となく走り抜け、が、ふいに追われていた者が地面の上を転がり、そこで二人の勝敗は至極明白なものとなっていた。

 極度の緊張によるものか、自身の足のもつれによって転倒してしまった男はそれでも懐から取り出した拳銃を掲げ、震えて止まない指先を何とかトリガーへと引っかける。

「…おっ、俺たちが一体何をしたっていうんだよ?!何の為におまえらはこんな酷ぇ真似をするんだよ?!そんなに人を殺して楽しいか?!おまえらのしてること単なる無差別殺人だろうが…っ!」

 そう放たれる言葉にも眉ひとつ動かすことはなく、追いかける者はただ男の眉間にと一発の銃弾を撃ち込んだ。途端、男の目は驚愕に大きく見開かれ、だけども声ひとつ上げる間もなく無造作に後ろへと倒れこんで行く。

 それですべては終わりだった。が、追いかける者はさらにその死体へと何発もの銃弾を撃ち込んだ。それこそただの肉片と化してしまうまで、何の表情もないままに。

「……『そんなこと』は貴方たちが決めることじゃない─────…」






 それは、今から10年以上前のことだった。

 突如発生した謎の衝撃波によって世界の大半が死滅。かろうじて残った領土もほぼ壊滅状態に等しく、国家を再建させるなど夢また夢といった状況に陥ってしまっていた。

 そんな世界において治安の悪化や貧困が叫ばれずに済む筈がなく、ここ日本国内でもさまざまな事件が勃発していた。それはある意味一人の男が組織する集団の手によってもたらされてい、たといってもけして過言ではない。身を寄せ合い、助け合いながら生きている人々の中にあってその男の存在は、まさしく畏怖そのものであるといえた。

 『無差別殺人集団』。

 そう呼ばれる中の一人・嶺月みねづき建は、組織の本拠地内にある誰もいない洗面所でいつまでも両手を洗い続けていた。それこそ神経質なまでに爪という爪の間を、手の皺という皺の溝を擦り上げ、水で丁寧に流してはまた石鹸へと手を伸ばす。

 蛇口からはとめどなく水があふれ出し、彼の手を滑り落ちては排水溝へと消えて行く。そんな嶺月の背後にふと、一人の男が近付いた。

「───またですか?嶺月さん。いつも任務から戻ると『ここ』にいますよねぇ…?」

 いって思わず溜息を口にしてしまうのは、同じ組織の後輩にあたる仙堂巧真だった。嶺月はそう声をかけられたことで、ようやく手を洗うことを止めていた。蛇口を閉め、タオルで軽く手を拭い、相変わらず無表情のままで仙堂の脇を過ぎて行く。

「あれ?シカトですか?、嶺月さん」

「……別に、そういう訳じゃないよ」

「あ、今ので気分を悪くされたんでしたら謝りますよ、僕。ただ嶺月さんのことが心配で心配で───…」

 その言葉にぴたり、と嶺月の足が止まる。

「…あのね、きみに心配されるようなことは何もないと思うんだけど」

「そうですかぁ?結構見てていつも心配なんですけど」

「…………」

「そんな呆れた顔しないで下さいよ」

 とはいえ、他にどんな顔をしろというのか。

 相変わらず掴みどころがないというか、何を考えているのかさっぱり分からないといった仙堂の言動に嶺月は再び足を進ませ、だけどもその後を何故かちょこちょこと彼は着いてくる。どうしてこんな風に懐かれているのかさっぱり思い当たる節はなかったが、仙堂に対する苦手意識は特にない。

 人見知りの激しい嶺月にしては中々珍しいことだった。

「……きみさ、いつまで着いてくるつもり?」

 この世界にありながらほぼ倒壊していない建物の廊下を歩きながらふと、嶺月は後ろを歩く仙堂の方を振り返る。

「『いつまでも』、といいたいところですが嶺月さん、『あの人』のところに行くんでしょう?だったらその手前までお供させて下さいよ」

 いってにこり、と笑う姿があまりに無邪気そのもので困ってしまう。とりあえずそこまで行けば仙堂も満足するのだろう。

 嶺月はまたひとつ溜息を吐き出した。


「───お勤めご苦労様でした、『嶺月先輩殿』」


 そうして暫く歩いていた時だった。ふいにそう引っ掛かりを憶えるような物言いが耳につき、二人は揃って足を立ち止める。顔を向けた先には見るからに柄の悪い男が三人、にやけた口元と小馬鹿にしたような目付きをしながら立っていた。

 彼らもまた同じ組織の人間だ。だが、組織の性質上『仲良し』などとは程遠い。

「今日もいっぱい殺してきたんですかぁ?嶺月先輩は。相変わらず恐ろしい人ですねぇ~。さすがは『人間兵器』様!」

「普段はホント、むかつくくらい最弱野郎に見えるっていうのによ!」

「…おいおい、仮にも先輩に向かって『ぶん殴りてぇ~』はねーだろ?おまえ」

「つか、俺そんなこといってないっつーのっ!」

 一体何が楽しいのか、そういって大声で笑い始める彼らの姿に仙堂はたまらず眉間に皺を寄せ、反論しようと一歩前にと足を進ませる。───が、嶺月の手がその行動を遮り、振り向いた仙堂に向かって彼はただ首を横に振っていた。

「…なんで…っ!馬鹿にされてるんですよ?!、嶺月さん!」

「───しょうがないよ。確かに俺、弱っちく見えるもん」

「……そんな…っ…」

「良いから良いから。こんなことできみが怒る必要なんかないって」

「…………」

 いわれている本人がそういうのであれば、今日のところは大人しくすることにする。仙堂は思わず彼らにと向けてしまいそうになる鋭い眼光を潜め、先と同じように嶺月と廊下の先を歩き出す。

 ───実はこのようなやり取りは何も今回が初めて、という訳ではない。そうと知っているからこそ、仙堂は何かにつけて嶺月の傍にいるのだが。

(こういうところが心配なんだってこと、自覚してないんだろうなぁ~…)

 理不尽な暴力を受けようが今のように『しょうがない』といっていた在りし日の姿を思い出し、仙堂は長くて大袈裟な溜息を口にしてしまう。

「それじゃあ僕はこの辺で」

 それからまた暫く歩いた部屋の前、仙堂はそういって頭を下げると、元きた廊下の先へと静かに足を進ませた。

 嶺月はその背を見送った後ドアの前で一度、深呼吸をしてみせ、少し緊張した面持ちでコンコンッ、と軽くノックする。

「───誰だ?」

 中から聞こえてきた低い声色に、思わず背筋がぴんとしてしまう。

「あ、僕です。嶺月です。…少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか…?」

「あぁ、嶺月?入ってきて良いよ」

 先のものよりもあきらかに優しい口調。

 ドアを開け中にと足を踏み入れてみればやはり、彼は笑んでいてくれた。

 組織のトップであり、嶺月にとっては命の恩人でもある、彼───稜家りょうけ道隆。

「今日もご苦労だったね。…疲れただろう?コーヒーでも淹れるよ」

「あ、いやっ、そんな良いですよ、稜家さん」

「遠慮することないって。相変わらず他人行儀だなぁ?建ちゃんは」

「………あのそのだから『建ちゃん』って呼ぶのは…」

「なんで~?俺と君の仲じゃないの。二人きりの時くらい君も『道隆さん』って呼んで良いってば」

「………いやあのそんな風にはとてもとても…」

「ま、建ちゃんのそういうところ嫌いじゃないけどね。はい、コーヒー」

「………どうもありがとうございます…」

 差し出されたカップを両手で受け取って、温かなそれを喉へと流し込む。先程まで水道水に晒していた掌にもその熱は広がり、ようやく嶺月はほ…っと笑みを浮かべていた。

「で、俺に何か用事でもあったの?」

 立ったままコーヒーをすすり続けている嶺月に自分の隣、ソファーの上に座るよう促しながら稜家はそう問うてみる。『時間をいただいても良いか』と訊ねてきたということはつまり、そういうことだろう。

 だけども嶺月は『あー…、』と声を上げ、自然をわざと逸らしたまま稜家の隣へと腰かける。

 いってしまえばそう、用事など何もない。その事実を嶺月の横顔から容易に察することができてしまった稜家は途端笑みを浮かべると、ぎゅーっと彼の体を抱き寄せた。

「そうかそうか!建ちゃんは俺といたいだけなんだ!ははっ、可愛いねぇ~、ホントにっ!」

「いっ、痛いですってば、稜家さん…」

「───あ、また『稜家さん』っていったな?『道隆さん』でしょ?、『道隆さん』っ」

「………………………分かりましたから、『道隆さん』」

「はいっ、良くできました~っと♪」

 いって今度はくしゃくしゃと頭を撫で回されてしまい、嶺月はただ困った風に眉尻を下げるだけだった。

「───ねぇ、建ちゃんは何か『夢』ってある?」

 温かなコーヒーをすすり、何を話す訳でもなく横並びとなって座っていた最中にふと、稜家はそんなことを嶺月にと問いかけた。当然何の前触れもないその問いに嶺月は『?』と稜家の顔を覗き込む。

 すると稜家はにこり、と笑んで言葉の先を続けた。

「ほら、俺ってここで一人でいることの方が多いでしょ?だからふとそんなこととか考えたりしちゃうんだよね」

「…はぁ」

「で、建ちゃんの『夢』は何?小さい頃とか何になりたいって思った?」

 実に興味津々だという風に幾分身を乗り出して訊ねてくる稜家に対し、嶺月は思わず目を天井へと向けてしまう。

 今までの人生を振り返ってみても、特にそういった願望はなかったような気がする。もちろん、何かに対する憧れや尊敬などは抱いたこともあるのだが───具体的に『これ』といった夢が思い浮かばない。

 だけども嶺月はふと、視線を手元へと向けると、少しはにかみながら稜家へと言葉を紡いだ。

「───僕の『夢』は道隆さんの『夢』が叶うこと、ですかね」

「!」

「その為にはもっと力になれるよう頑張らなきゃならないと思いますけど……」

 稜家の『夢』───…。それは『あの日』からずっと傍にいる嶺月にも実のところ良く理解はできていない。いや、稜家本人があまりそのことを語ろうとはしなかった。なので嶺月も漠然と『夢』と括っているだけで、それに繋がる行為が日々の任務であると自分なりに解釈していた。

 だから、稜家のいうことは何でも聞こうと思った。たとえそれがどんな任務であろうとも良かった。

 稜家はそういって小さく『ははっ、』と笑ってしまう嶺月の姿に、再度手を伸ばし抱き寄せる。


「…建ちゃんはホント、可愛いんだからなぁ……」


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