第13話

 40―30。


 さあ、後がないよ、“キング”。正真正銘のマッチポイントになってしまった。


「しかし、よく気づいたな」


 と、“キング”は言った。

 この状況で“キング”はさっきまでのポイントを振り返ろうとしているのだろうか。こんな話題を振るなんて。


 そして仁君は答える。


「本格的に『怪しい』って感じたのはワタクシが君の動きについての話を振った時さ。

 あの時、君は基礎練習の比重を理由にしていた。一年生だから、ということでね。

 でも考えてみると、高校一年生にやらせる基礎練習は、どっちかって言うと足りていない基礎体力を鍛える、ってより足りてないコートを空けるために追いやるって目的の方が多い。

 でも、この部員数じゃあコートはダダ余りで、基礎練習で追い出す必要は殆どなくて、むしろ一年生は先輩方の相手をしなくちゃなんないんじゃないか?

 って思ったんだよ」


 その通りだ。実際、“キング”はたまに私の自転車と走ったくらいで殆どコートの中で技術練習ばっかりだった。

 あの程度の基礎練習では体力向上ってより体力維持ぐらいの効果しかないだろう。


「で、そこから紐解くに、アレは君が焦ってとっさいついた嘘なのかな?

 って考えてね、つまりワタクシの打球に追いついた理由を体力の向上というイメージを植え付ける必要があったのかな? って思ってね。じゃあ、逆に体力は関係ないのだ、と仮定して分析したんだよ」


 それが今のポイントということだ。

 まあ、完全に正解だろう。ただ、“キング”は認めないだろうけど。

 と、私が“キング”の性格の悪さを分析していると、


「……じゃあ、その情報が出揃ったのは、俺がフェイントを混ぜてから一点目の直後だから……、ふっ、もうちょっとお前が鋭けりゃ二点目の失点はまぬがれたってわけだな」


 こっち方面の発言を飛び出していた。


「き・み・は~! この期に及んでまだ挑発するのかい? いいだろう!

 全力で打ち崩してやるよ! 君こそ大丈夫なのかい? もうマッチポイントだ!

 奇襲といかいう賭けに出る勇気なんて残っているのかい?」

「あったりまえだな。普通にやって勝てる気がしない。この差を覆す一発逆転の方法を模索してるところだ!」

「テニスにねえ、一発逆転はないんだよ。流れのスポーツなんだ。

 奇襲だけで勝つなんてどだい無理な話なんだよ。もういい! ボレーやらなんやらで結構楽しんだ! 終わらせるよ!」


 そして、この試合を終わらせる為のサーブを打つ。

 そのサーブを受け“キング”は、再び高く返した。


「いや、失敗だ」


 横の黒蹄先輩の声。

 失敗?


「上げすぎている。押しすぎている。要するにちょっと深く打っている。抑えきれなかったか。

 無理もない。繊細な体重移動が要求されるレシーブだ。むしろ今まで軽々成功していた事が奇跡ってだけだ」

「え? そうですか? 素人の私には、なんかあんまりわかんないです。でもひょっとして“キング”のステップは届かないくらい深刻なんですか?」

「いや、フェイントの逆から逆まで届いていたから、この程度なら別にワンステップで届くハズだ。

 だが、この深さは……、スマッシュが打てる」


 スマッシュ!


 今まで“キング”の上げたボレーに対し、仁君はワンバウンドさせてからの強烈な『グラウンドスマッシュ』っていうスマッシュもどきのストロークを打っていた。

 しかし、今度はノーバウンドの浮き球をコートにたたきつける、正真正銘のスマッシュを打とうとしているらしい。

 つまりバウンド前に追いつき、あのスマッシュの仰々しい構えをとる余裕もある、というのである。

 この数十センチの差でこれであるのだから、スポーツの世界における数十センチのいかに大きいかが伺える。

「スマッシュの場合、距離を狭めて横幅を狭くして、ワンステップで仮に追いつけたとしても、上から下へ突き刺さる軌道と威力を相手にするのだ。『壁』に準じたボレーでは対処できない。

 ……終わりだ」


 でもでも、


「ねえ、黒蹄先輩……。

 この局面で、“キング”の立場で、例えば、スマッシュを打って欲しい、なんてことあったりしませんか……?」

「なんだ? その質問は。ないな。スマッシュを打って欲しい場面など存在しない」


 じゃあ、勘違いかな。


「ただ、結果的にスマッシュでよかった、って時ならある」

「それは?」

「それはスマッシュを打ち崩せた時だ。スマッシュはスキが大きい。

 返せばほぼ点につながる。そして、その得た点はさらに一点以上の重みがある」

「重み……」

「スマッシュはその選手の全身全霊を使って放つ最高威力の必殺技だ。

 どれだけその他の技術が高くとも、スマッシュ以上の威力になることはない。

 それが打ち崩されるとなれば、立てた作戦にも大きな支障が出る……。まさか!?」

「あ~、じゃあ、もう“キング”はコレ完全にワザとです。流れを、変える為に」

「バカな! テニスが流れのスポーツであるが故に、流れを意識して失敗した、そう認めたのは凄嵯乃なんだぞ!?

 何故今さらまた流れを!? 第一、愛仁の全力で放ったスマッシュを止めることなど不可能だ!」

「違います。“キング”は流れを否定したワケではありません。流れを気にして足元を疎かにしたことを反省したんです。

 今からやるのは奇襲です。その場限りの奇襲。それで“キング”は流れを変えるつもりなのです」

「しかし、凄嵯乃には一体どんな勝算が……。あっ!!」


 黒蹄先輩は、ここでようやく“キング”の姿を確認したのだろう。だから今さら驚きの声をあげることになるのだ。


「あの野郎! あんな中途半端なところに! あんなんじゃ、愛仁は好きなとこに打ち放題だぞ!?」


 と次二郎君も今になって驚く。

 そう、“キング”は今、非常に中途半端な位置に立っている。

 というより、前進レシーブの為にいたサービスラインに立ったままなのである。

 反射とワンステップで捉えるのなら、横幅を狭める為に更なる前進が必要。

 威力の落ちたとこを叩くなら、距離を開ける為に後退が必要。


“キング”の立つサービスラインは、そのどちらの恩恵もない真ん中だ。

 下手したら足元でバウンドして、野球のショートバウンドみたいになりかねない。

 ラケットを使い左腕でスマッシュのスピードのショートバウンドを捌くのは至難の技だ。


「好きなところに打ち放題……?」


 次二郎君の言葉をそのまま反復したのは、黒蹄先輩だ。


「そうだ! それでいいんだ! いいか? 最強のスマッシュは極限の状況下でのみ生まれるんだ。

 練習で最強のスマッシュは出せないようにな! これは、その、火事場のバカ力的な、無意識の作用が原因だ。

 で、逆に言えば、今の好き放題な温い状況では、無意識の作用で全力のスマッシュは打てない」

「はあ」

「つまりだ、愛仁は全力のつもりでも実は威力の落ちているスマッシュを打つことになる。

 そして凄嵯乃はこの威力の落ちたスマッシュを返せば、愛仁は自分の全力スマッシュが打ち崩された、と勝手に認識するだろう。

 愛仁レベルともなれば、全力のスマッシュを打ち返された経験など殆どないはずだ。

 この衝撃とショックは計り知れない。

 そして、これが最大のメリット。凄嵯乃がボレー対決で押され気味になっていた原因がスマッシュとハイボレーという威力の高い技の差にあった。

 つまり、これが成功してスマッシュを封殺出来れば、凄嵯乃はボレー対決での勝利も見えてくる」

「い、いや、でも……、威力が落ちると言っても、多少でしょう? “キング”はそれで捕れるんですかね……」


 数々の不安が渦巻きながら、いよいよ仁君の打点へとレシーブロブが到達する。

 いよいよ放たれる、仁君のトドメの一撃。

 仁君はスマッシュを打った! その瞬間、“キング”が、


「跪いた!?」


 のだ。

 あの跪きっぷりはそう、ストローク練習の時のそれだ。

 確か上半身のブレを正すことが目的だった気がする。このお腹の痛みが覚えている。

 確かにこれならブレずにストロークが打てるだろう。

 ……だから何だ? それ以前に捕れるのかどうかが問題だ。跪いていては動けない。


「いや違う!

 そうか、俺はとんでもない勘違いをしていた! これは走りながらのスマッシュだ! 球は前へ前へと行く!

 その分横への角度はあまりつけられない。

 つまり最初から横の駆け引きはなかった。縦の駆け引きのみなんだ!」


 なるほど。しかし、前後の駆け引きのみならば、なおさら下がるべきだった。

 取り敢えず拾うことは出来るかもしれなかったのに。

 『跪く』という低い構え。

 これでは低い位置からストロークを打つことしか出来ない。あまりにも限定的過ぎるフォーム。


 仁君がちょっと奥の方で深めにバウンドするスマッシュを打ってしまえば、それだけでもう無理だ。


 まさか、これはフェイントで、また打った後から立ち上がって打つのか? いや、今度はスマッシュという最高速度を相手にしている上に、動きも横へのワンステップとは比較にならない程の量が要求される。不可能だ。


 仁君は……。さすが、抜け目がない。しっかりと“キング”の姿を見ている。

 見てすぐに身体を捻っている。恐らく“キング”の構えに対応した振り抜きをする為の予備動作なのだろう。


 言わんこっちゃない。仁君はスイング後でも驚異的な身体能力でコースを変えられるんだ。

 それを利用していたのは“キング”自信だろう。


 凄まじい勢いでラケットを振り抜き、ついにスマッシュが飛び出す。

 瞬く間も無く打球はコートへと突き刺さった。


「!? なんで!?」


 仁君の打ったスマッシュは跪く“キング”の手前に突き刺さった。

 浅いスマッシュ。

 予想外だ。

 てっきり低いストロークを打つ気満々でいる“キング”相手にはノーバウンドで直撃させるスマッシュを打つのが仁君だと思っていたからだ。

 まさか、ここに来て正々堂々と速球勝負がしたくなったとか?


「うーん、大鞭 蛭女。君は勘違いをしているな。

 大方、ストロークの構えしてる相手に何のこのこストローク打ち易い球打ってんだ? って感じかな?

 違うんだよ。

 凄嵯乃があの構えをしているのを見て、「ストロークの構えだ」という発想が最初に出てくるのは、あの練習を見ている人間だけなんだ」

「む!」


 黒蹄先輩が頼んでもないのに得意気に話しかけてきた。


「じゃあ、愛仁にはどう見えているか?

 今の凄嵯乃の姿を普通の目で見たら、それは単に腰を低くして身体を固定し力を安定させ掬い上げるように打とうとしている、と見るのが一般的だ。

 つまりこれは、ノーバウンドで打つ『ローボレー』の準備に見える。

『ローボレー』というのはボレーの一種なんだけど、上から下へ向かっている球をネットより低いところからノーバウンドで打ち、威力を殺して山なりに返す技だ。

 上手く威力を殺せば、相手の頭を越えつつ、コートに入る。

 これは、スマッシュを返す時にもよく使われる定石」

「つまり、仁君は勘違いを!?」

「ああ。君が前に出過ぎなストロークの構えと勘違いし、愛仁は下がり過ぎなローボレーの構えと勘違いした。

 あ、この下がり過ぎなローボレーも上手く怪しまれないようにしてるね。

 ベースラインでサーブを打っていた愛仁が難なくスマッシュを打つタイミングに辿り着いていることからもわかるように、このレシーブロブは深い。

 まあ、ミスったように見せかけワザとやったんだろうが。

 で、つまりだ、このスマッシュは本来より深い位置から打つことになっている。

 ネットに近い浅い位置からならコートの地面に垂直に叩きつけることが可能だが、ネットから遠いと、より平行な角度で打つことになる。

 だから、凄嵯乃がローボレーの割に離れた位置にいることにも合点がいったんだ。

 そして、愛仁は無理に裏を突こうとした。

 身体を捻り上げ、前方斜め上に打点を伸ばし、そこから驚異的な身体能力をもってしてほぼ垂直に叩きつけた。見事、凄嵯乃の手前でバウンドさせることに成功した。

「上から下」へ落ちていく球を待っているであろう相手に、バウンドによって「下から上」へ突き上げる球を打ちつけた。

 愛仁からしたら、愛仁の目に映った情報や知識、自らの可能性等を踏まえた上で達した結論だろう。

 だが、それも完全に凄嵯乃は利用する。

 今、凄嵯乃に向かう球は凄嵯乃の思惑通りに、威力は落ちてコースは狭く一度のバウンドによって下から上へ突き上げるため、ストロークの打ち易い球になった。

 他に必要なのは、反射と反応だけ。そして今の凄嵯乃でもまだ残っている。だから今の凄嵯乃であっても愛仁のスマッシュは」



   *



「打てる!!」


 全てが上手くいった俺は、無我夢中でラケットを突き出す!


 目で追うのではなく、感覚で捉える!

 バシンッ!!

 来た。

 無我夢中でぼんやりとした白い世界の中でも、俺はラケットをつつく振動を感じる。

 そして確信する。俺はやったのだと。


 そして、ほんの少しして響く、ボールの音。

 なつかしい音だ。

 昔、蛭女と遊んだゴム鞠の弾む時のような、その伸びやかな音は、スマッシュがコートをぶち抜いたりフェンスを貫く時の破壊的な音とは違う。


 ラケットの手応えと、ゆったりとコート上で弾むボールの音。

 これらの要素を踏まえて、あえて問おう。

 では、何故、そのボールの音は俺の「背後」で発生しているのだ?


 慌てて俺は振り返る。

 ボールは確かに俺の後ろの、俺のコートの、奥で、ただ淡白に弾むことだけをしていた。

 呼吸を忘れ振り返る。

 愛仁は言った。


「ふー。危な」

「!!」


 なんだ? 俺はやられたのか?


「王ちゃん……」


 蛭女が言う。王ちゃん?


「王ちゃん、運が悪い……。王ちゃんの返した球、仁君がスマッシュで振り抜いたラケットに当たった……」

「は?」

「いやいや、運だけじゃないよ。ちゃんと面は上に向けて威力も殺したんだからね。

 まあ確かにマグレだけど。当てたのも、コートに入れたのも。

 二十回に一回くらいかな。成功するのは」


 と愛仁。

 俺の打ち返した球が、愛仁のラケットに当たった?

 で、それが俺のコートに返ってきた?

 は?


「ゲームセット!」


 っていう審判の合図。

 え? あ、終わり?




続く

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