第10話
第5ゲームを終え、現在5―0。もちろん愛仁が5。
でもって1セットマッチのこの試合は6ゲーム取った方の勝ちだから、今からやる第6ゲームで愛仁がゲームを獲得すれば、試合終了だ。
その1ゲームも最短で4ポイントで終わるから、この試合もあと4球の我慢だ。
あと4球で俺が恥をかかされるのも終わる。ギャラリーも減ってるし、やる気もないから最初よりダメージは減ってるが、それでも蛭女に弱い姿を見せるのは少ない方がいい。
さあ、とっとと終わらしてくれ。
そう強く決心し、俺が厳しい顔でコートに就く。
……。
どうした? 何故打ってこない?
あの高貴な愛仁が、顔中に皺を作り思い悩んでいる。踏ん切りがつかないというか、そ
ういった顔に見える。
だから、
「どうした? 何故打たない?」
と、思った通りの事を言う。
というか制限時間あるぞ?
「……」
打たない。
……サーブを打つまでの制限時間はとっくに超えたが、審判が執事だし野良試合ってことで見逃されてるのだろう。
だれも注意しない。で、打たない。
「おい、どうした?」
周囲がざわざわする。頼むから、衆目に晒されてる今、グダグダするのはやめてくれ。
「……いやね」
いい加減、俺が泣きそうになっていると、ようやく愛仁が口を開いた。
相変わらず難しそうな顔をしている。声も絞り出しているようだ。
「君と試合してても、つまんないな……、と思ってね」
「い、い、い、い、い、今さら!?」
何言ってんだ!? コイツ……!
そりゃそうだろ! 試合の面白さってのは、勝つか負けるかのスリルに大きなポイントがあるんだ。
俺なんかと試合してもそのスリルを味わうことはできねえだろ。わかりきってただろ! つまんねえことぐらい!
さすがに俺も理解が追いつかず、途方に暮れる。そんな様子を見た愛仁が、慌てて付け足す。
「あ、いや、今急にそう思ったんだよ?」
それはフォローのつもりなのか。そして、
「? 途中まで面白かったのか?」
という疑問がまず浮かぶ。
そうならば、実力以外の部分に面白くないという原因があるということだ。
「あ……、いや、最初からつまんなかったや」
「何なんだよ! お前! っつーか、別にお前を楽しませる為にやってねえし!
そもそも、どっちかってーと俺のがずっと超つまんねーって思ってたし! さっさと終わらしたかったし!
超クソゲーじゃん! コレ! ずっと我慢してやってんのによ! つまんねえなら帰れ! 帰れ! 帰れ!」
お前の方から来といて、なんだその態度は! とは言わない。
それを言ってしまうと、愛仁につまんないと言われたことがショックだとバレてしまいそうだからだ。
ああ、俺はショックなのだ。つまんないと言われて。つまんないことなんて、わかりきっていたことなのに。
心のどこかで、楽しんでくれることを期待していたのだ。
「おっと、勘違いしないでくれ。確かに、最初っからつまんなかった。
でも、面白くなりそうな、そんな可能性は感じられたのだよ。
だから、ワタクシは多少の我慢と期待を混じらせて、君との試合を継続させていたのだよ」
と、愛仁は言ってから、慌てた口調を戻す為なのか一呼吸置き、続けてこう言った。
「でも、王君、やる気なくなっちゃったんでしょ?」
「そりゃ、こんだけ心折らせられて、身体もボロボロになればな」
認める。ハッキリと、言葉にして。
「やっぱりか」
愛仁は落ち込む。首の力が一瞬で抜け落ちたようなモーションは、白々しくて腹が立つ。
「ワタクシはね、頭を下げる人間は殴れないんだ。どんなにイヤなことをされても、その人が本当に反省して謝っている姿を見てしまうと、どうしても殴れないのだよ。
拳が見つからない、って言うのかな」
「まあ、普通の精神状態ならそんなことも多いだろうな」
「今の君とワタクシの関係はそれだよ。
やる気のない君を倒す為のテニスが見つからない。君が本気で向かってくるなら、軽くいなしてあげられるのだけれど」
「いや、わかるけどさ~。どうしようもねえじゃん」
「いや、まだ君はやれることをやっていない。全力を出せていない。ワタクシにはわかる」
「出してるって。疲れてるじゃん。俺。ハァハァ。ホラ」
「それはイタズラに体力を消耗しただけ。あ、でも、ワタクシを気絶させようとしていたのは少し良かったよ。
あの瞬間は紛れもなく“キング”だった」
その名前を聞いて少しイラつく。そんなのは遠い過去だ。もう二取り戻せない過去なのだ。
でも、愛仁はまだ諦めきれていないのか、
「ああ、“キング”との決勝は最高に面白かったね」
と、俺から目を逸らさずに言う。現実から目を逸らして。そこに遠い過去を思い出す素振りはない。
「ああ、そうそう。今いる学校はね……」
「あ、そうだぞ! 俺、お前の近況全然知らないぞ!」
黄猩にも居なかった。コイツなら余裕で推薦が来るハズだ。
「え? ああ、うん。そのことなんだけど。君の様に面白いテニスをする人がいてね。ぜひ戦いたかったんだけど、その人は県外の学校でね、しかも昨年は予選ベスト16敗退で、インハイ本選に来るかもわからなかったから、そこに通うことにしちゃった」
「ま、まてよ! 通うことにしちゃったって……、推薦蹴ってか? どの程度の学校なんだよ、そこは!」
「うーん。普通の……。日本のいい田舎、って感じのとこにある学校だよ。
テニス部としては、まあ顧問もコーチもいないところで、気楽にやってる」
何やってんだ、コイツは。そんな事の為に、ただ興味ある選手一人の為に、確実に成功する道を捨てやがったのか? 腕も壊れてないクセに!
腹が立つ! 何考えてんだよ!
「おいおい。いくらワタクシでも、能天気に決めたワケじゃないぞ? ただ、あの夏の全国団体戦。
の、翌日に開かれた個人戦でワタクシは君にリベンジを果たそうとしていた。なのに、君は居なかった」
腕痛くて出るの辞退したからな。
「その時、ポッカリと胸に穴が空いてしまってね。それを埋めることが必要だったのさ。その為にあの学校に入ったのさ」
胸の前で、手をハート型に組んで言う。
「腐った女みたいな性格だったのな」
引き過ぎてそれぐらいしか言えない。
「ふふ、その人とは相変わらず一戦も交えていないのだけどね。
でも、同じ部活にいるだけでも十分、その人がスリリングな試合をする人間だというのがわかる」
興味ねえな。
「でも、だからこそ、わかってしまったことがあるんだ」
愛仁は再び、俺に熱い視線を向ける。
「凄嵯乃 王、君の、“キング”の代わりはいない」
……。
「そうだろ?」
愛仁は唐突に蛭女へと声を投げる。
コクリ、と飲み込むようにして蛭女が頷いた。
「そういうことだよ。王君。世界のどこを探したって、君の代わりはいないし、君も変わらない。“キング”は君の内にいる!」
勝手なことばっか言いやがって。自分の事は自分でわかるっての。もう今の俺に頑張る価値はないんだよ。
しかし、なんだろう。
この一連の会話。この中で、愛仁は何か重大な事を口走ったような気がする。
俺と愛仁の勝負に関わる重大な問題。
恐らく愛仁自信も気づいていない。俺にも、それが何なのかわからない。
ただ妙な違和感というかモヤモヤが頭の後ろから首に架けて熱く残っている。
俺がそんなモヤモヤに悩まされる一方で愛仁は、自分の言った“キング”という言葉に自分で反応したのか、あるいは単にバツの悪そうな顔をしている俺から目を逸らしたかったのか、とにかく記憶を辿って考える時の様に斜め上を見上げてつぶやく。
「なんだろう」
そして、次に言った言葉が俺を変えた。
「君はワタクシを見ていない?」
電撃が走る。
まさにその通りだ!
俺は目の前にいる最強の愛仁に目もくれず、実はこの試合のその先を見ていた!
なんたる自意識過剰! 過ぎたマネ!
今の自分にそんな実力はないというのに!
俺は全国を見てきた。
目の前の保身に走る奴もバカだが、先だけを見据えて考えた気になっている奴も大抵はバカだというのを実感してきたハズだ。
この大きな世界は小さな物の繰り返しなのだ。
細胞が集い肉と骨と臓器が作られそれらが組み合わさり人が出来る。
人が集まり共同体となって町となり国となる。
テニスでもこの一球がポイントとなりポイントがゲームとなりセットとなり勝利となり優勝となり全国制覇へと繋がる。
この世の全ては小さな事の集まり。その繰り返し。
これこそが宇宙の定理。
この定理の前では、ゴールまでのレール敷き、その障害となる物を、目の前に現れたその度に全力で排除しなければならない。
時には先を見据えることを忘れて全力で排除しなければならない。
ああ、今ならわかる。
天さんが提案したあの練習はその為のものだったのだ。
なのに、バカな俺は見捨てられたと勘違いして、勝手に腐っていたのだ。
俺はバカだ。もっと集中して真面目にやるべきだった。
もう一度、全国のトップに行くためには必要なことだったのだ。
俺は全国に行く。
予選に勝って、インターハイに優勝して、やるべきことがある。
やるべきことをやる為に俺はもう一度テニスを始めたのだ。
危うく、それすら忘れるところだった。
俺にはやるべきことがある。
もう一度胸に刻む。
そして、その為にはこんなところで呑気に負けて言いワケじゃない。
俺が高校テニスでやるべき事の為に、今、この試合でやるべき事がある。
十分頑張った?
いいや、生ぬるい。この試合だからこそ出来ることがある。
全力で立ち向かわねば。
先の為に今を全力で闘わねば。明日できることを今日やる必要はないのだ。
今、俺はラリーで全く勝てていない。
オマケに『ゾーン』と『ファントム』がある。
そして疲労感もヤバイ。
何より今からやるのは、レシーブゲーム。
レシーブゲームでの追い詰められ方はサービスゲームの比じゃない。愛仁のサーブに全く対応出来ていない。
そこから導き出される、今、取るべき行動は……。
簡単だ。
本当は初めからやればよかった。そのアイディアもあった。
でも、それをやらなかったのは自分が先を見据えているという根拠の無い自信があって、愚かにもその通りに動いていたからだ。
今の俺はそんなプライドを捨てる。
「はっはっはっはっは!」
「お、王ちゃん……?」
自分でもキモイと思うほど唐突に笑い出した俺に、蛭女が心配そうにして声をかける。
「蛭女……、やっと見つけたぜ」
でも、もう不安を抱く必要もないよ。
「俺が、暴れる場所をだ!」
「キ……」
蛭女は胸いっぱいに気持ちを込めたようにして、身体のもっと奥から叫ぶ。懐かしいあの名を。
「“キングゥ―――――!!”」
痺れるね。チビりそうだ。
断言しよう。幼馴染に“キング”を呼ばれることは至高の喜びである。
続く
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