第4話

「「あああー!」」


 俺と蛭女が雑踏の中で声を上げる。


「今さらかよ」


 次二郎が頬杖を突きながら、あきれるように言った。

 朝練を終えて、教室にやってきてからのことだった。


「「一年生だったのかよ……。そして同じクラスだったのかよ……」」


 俺と蛭女が言う。


「敬語使って損した」


 これは俺だけ。次二郎ごときに敬語を使ったのが悔しかった。

 この気持ちを誰かに分かって欲しかった。


「ん? なんで最初っからテニス部にいたの?」


 蛭女が聞いた。そうだ。その所為で俺は勝手に次二郎を先輩だと思ったんだ。


「んー。まあ、なんとなく予想はしてるだろ? それであってるよ。

 元々入る予定だったから見学も無しにアニキに言って参加してただけ。ん? てか、お前敬語使ってたか?」


「ん? え?」


 使って……たよな? 舐めてはいたけど。あんまり覚えてない。


「ま、いいや。あ、そうそう敬語といやあ、この学校やべえな」


 む。次二郎、お前までこの黒蹄学園をバカにするのか。


「あ、次二郎君、その話長い? 先に鞄置いてきていい?」


 蛭女がハッキリと申し訳なさそうに聞いた。

 教室に入って、すぐに次二郎が目に入り駆け寄ったから、確かにずっと鞄は持ちっぱなしではあった。


「ああ、すまん。いいぞ」


 俺と蛭女が自分の席に荷物を置きに行く。

 水筒のお茶を一口飲んで、背伸びをしてから次二郎の席へと向かった。


「で?」

「いや……、今の大鞭さんもそうだけどよ、なんか俺が全然ちやほやされないんだよ」


 水筒入りの鞄を置いてきてよかった。そうでなかったら今頃……。


「イヤイヤイヤ! マジで! こんな権力者いるんだぜ?

 もっと媚売ってくれてもよくないか? なんか普通の子と同じように接する子ばっかりなんだけど!」


「「次二郎だからだよ」」


 俺と蛭女が我慢できずに言った。


「え? そういうこと? や、でも中学時代は違ったぞ? やっぱり向上心っつーか欲が無さ過ぎるぞ!」

「いいことじゃん」


 黒蹄学園に中等部がまだない。だから外部の私立中学のことだろう。

 決してそっちをベタ褒めしているわけではない事から、色々あったようだと考えられる。

 うむ。やはり、いいことだ。いい環境だ。


 どの学生も、運命というものの大きさを悟った顔をしている。

 ここに流れ着くまでに色々あったのだろう。

 そして運命に抗う事が無意味であり、為すがまま、為されるがままに流れる事が自分の役割であると思い至った、そんな顔をしている。


「よくねえよ。こんなんじゃ、新入部員なんてのは夢のまた夢だぜ」


 ああなる程。そんな先を見ていたのか。


「利用し辛いってことか?」

「そういう露骨な表現はよくねえよ。まあ、そんなところだけどよ」


 次二郎は全面的に俺に同意した。

 そう、利用できない。


 ここの死んだように生きる人間たちは、行動は波風立てないように平坦なものだ。

 しかしその中にある思考は意外と個性的、特徴的であり一貫している。

 だから利用し辛い。煽れない。


 最近の若者には比較的増えてきた現象ではあるのだが、煽るべき大衆という存在が希薄化している。

 煽る側である黒蹄の次二郎はそれを感じ取ったのだろう。

 己の嗅覚を持ってして。

 次二郎は決して無能ではない。


 恐るべし! 黒蹄の血!

 これがテニス部として価値のあるスキルなのかどうかは知らないけど。


「今時の高校生って朝からこんな会話するの?」


 蛭女が眠そうな顔で割り込んできた。


「ふん。会話を時間帯によって変える価値観は持ち合わせてないからな。

 俺の思考は常に一貫している。そして会話では、俺は思った事をただ話すだけだ」


 俺は超カッコいいことを力強く言った。


「うん、ごめん。朝から、なんて言葉を使ったのは謝るよ。

 でもさ、ホラ。そういう思考の垂れ流しみたいなのはネット上でつぶやきなよ。文化人気取りで」


「気取りとかやめろ!」


 珍しくツっ込みに回る。


「ん?」

「ん? どうしたの王ちゃん?」


 俺が蛭女を一瞥してから周囲を見渡していたので、不審に思った蛭女が反応した。


「いや、お前、普通こういう時って女子といるもんじゃねーの?」

「ムッカッ! わたしが友達いないって言いたいの!? いいもん。ゆっくり仲良くなるもん」

「そうじゃないけどさ。ホラ、女子同士ってさ、知らない人ばっかりの集団になると過剰にしゃべって、全員と仲良くしようとするじゃん。

 互いに牽制しながら」


 そういう場面は何度か見てきた。選抜の時とか酷いもんである。

 しかし、この学校はこういう女子特有の文化もないのかもしれない。

 可愛気のないことで……。


「はは。互いに牽制か。はは、女子ってコエーのな」


 次二郎が笑いながら、ゆるく声を漏らした。

 『コエー』、つまり『怖い』か。

 無性に怒りが生まれてきた。俺は爆発させる。


「おい。女の事を怖いとか言うな!」


 俺は怒気を込めた、強い口調で言った。


「そうだそうだ! 言ってやって! 王ちゃん」


 蛭女が俺を煽る。

 よし、蛭女の為にも次二郎には強く教え込んでやろう。


「女の事を『怖い』と言うな。表現するな。

 女はな、怖いと言われると喜ぶんだ、つけ上がるんだ。

 多分、『できる女』や『狡賢い女』と言われたと思うんだろう。

 『狡賢い』そう、自分を頭が良い、『賢い』と思い込むんだ。

 そうして、また『怖い』と言われようと頑張るんだ。

 ……でも実際はどうだ?

 無知ゆえに短絡的に物事を捉え、わがまま故に感情に従った行動を起こし、視野の狭さから理不尽なことを要求する。

 それが『怖い女』と評される女なのだ。

 秩序を乱し、自らの首を絞める、ちっとも頭の良くない、ただのバカなのだ。

 ただのバカをつけ上がらせるな。

 ただのバカを『怖い女』と評してつけ上がらせるな!」


 次二郎は息を飲んだ。しかし俺から目を逸らすことはしない。汗を滲ますのみ。

 いやぁ、スッキリしますな。


 やはり、持論を好き勝手に展開し、押し付けるのは最高に楽しい。どうしようもなく。

 汗をかき、ノドが渇く。そう、なんだかスポーツに似ているのだ。


「あれ? 蛭女は?」


 我に返った合図として俺は聞いた。


「ああ……、顔を真っ赤にして泣きながら教室を出てったぞ……。うん、俺も悪かったな」


 耐えられなかったか。頑張れ! 蛭女!



 日常は続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る