第4話 それがオタクどものハッピーデコレーション。

4-1

 ショッピングモールでの謝罪計画が失敗に終わり、あのあと家に帰ってからは大変だった。

 まず、玄関を開けると、そこにはいつも以上にニコニコした笑顔の彩絵が俺を待っていた。

「おかえり、お兄ちゃん」

 何かお土産でも期待して待っているような妹の屈託のない表情は、俺に対して逆に恐怖を与えた。簡潔に言おう。これまで愛莉の件で放たれたどんな叱責よりも強いお叱りを俺は頂いた。わざわざ妹に手伝ってもらい、あとは謝罪の言葉を述べるだけというお膳立てまでしてもらっておいて、結局終始何もせず友人のお兄さんとばったりエンカウントしただけ。本当につくづく自分でもダメなお兄ちゃんだと思う。

「ごめん。もうさすがの私もこれ以上は何ともできないわ」

「いや、こっちこそごめん。彩絵には色々してもらったのに、それに応えることができなくて」

「……そんなのどうだっていいよ」

 ボソリとそう呟いた彩絵は、自分の部屋へと戻っていってしまった。それ以来、彩絵とはほとんど話が出来ていない。そんなことから現状、愛莉だけでなく、彩絵ともまた険悪なムードとなってしまったのだ。


「はあ……最悪だ……」

 俺は教室の机の上でうな垂れる。今年に入ってから、ひんやりした机の硬い感触を頬で感じるのは、もう何回目だろう。この冷たさにも、少し愛着が湧いてきた気さえする。始業前の教室は、まだみんなも眠たいからか、それほどテンションも高くなく、わりと静かな時間だ。

「あきらー、あんた私が見るたびにいつも落ち込んでるよね」

 茉希が俺の顔を覗き込む。

「おはよ」

「ああ、おはよう……」

「ねえ、挨拶くらいもうちょっと元気にしてくれない?なんか私まで落ち込んじゃうじゃん」

 茉希は目を細めて、俺の返事に文句をつける。

「ああ、ごめん……」

「……それ、全然直す気ないよね?」

「はい、色々ありまして……」

「あんたの色々って、結局どうせアニメか声優の話だけでしょ?どうせ録画失敗したとかじゃないの?だったらいつもと同じじゃん」

 うな垂れている俺にも特に気を遣うことなく、茉希はいつものような明るいテンションで話しかける。一方の俺は極端な陰気を保ったまま、あまり口を動かすことなくだらっと茉希に話す。

「……昨日、修一さんに会ったんだよ」

「修一……?って、え?お兄ちゃんのこと?」

「うん、お兄ちゃんのこと。修さん、言ってなかった?」

「え?……あー、そういえば昨日はお兄ちゃんとほとんど話してないかも」

「そうなの?」

「うん。なんか最近やることがいっぱいあって忙しいみたいで、ご飯食べるとき以外はずっと部屋に籠ってる気がする」

「まあ、そうだろうね……」

 茉希はなんだか曖昧な話し方をする。もしかして、茉希は修さんの仕事のことを詳しく知らない?

「暎はお兄ちゃんから何か聞いた?」

「……いや、ごめん。詳しくは知らないけど、忙しいんだって言ってた。それだけ」

 とりあえず簡単にごまかしてみる。どんな理由があるかは知らないけど、もし修さんが仕事のことを茉希に隠しているというのであれば、俺が茉希に伝えることで面倒になりそうだ。

 というか、よくよく考えたら今は『俺すか』の版権絵描いてるって言ってたよな……そう考えれば、確かに茉希に知られるわけにはいかないのかもしれない。仮にも妹ものアニメのキャラデザイン、その原案イメージが自分だと知ったら、茉希とはいえさすがにもめるだろう。これは言わなくて正解だな。

「茉希って、修さんと仲良いの?」

「うん?んー、別に普通だと思うよ。悪くはないと思う。っていうか、修さんって何それ?……変な呼び方」

 昨日話した限り、お兄ちゃんの側は、ものすごく妹のことを溺愛してるみたいだったので、てっきりそれなりに兄妹仲は良いものだとばかり思っていた。が、そういうものでもないのだろうか。……むしろ兄妹の仲が修さんの求める親愛レベルに達していないからこそ、2次元の世界に自分の妹愛を投影し始め、気付いたらあれだけの実力が身に着いていたとか。適当に考えてみたが、あの人なら十分に理由としてあり得そうだ。

 ただ、茉希本人が良好だと言っているので、今はとりあえずそれを信じることにする。

「で、お兄ちゃんのことは良いとして、結局暎はなんで落ち込んでるの?」

 茉希は話を本筋に戻す。

「ああ、うん……実は俺、昨日買い物に行ったんだ」

「そう。別に珍しい話じゃないね」

「俺一人じゃなく、女の子と」

「…………え?」

 茉希が固まる。表情の変化もなく、さっきまでの顔で動かなくなる。

「ららぽーとまで行ってきたんだよ」

「……その女の子って、彩絵ちゃんじゃなくて?」

「もちろん違う、彩絵じゃない」

「誰が?」

「俺が」

「……ふーん、そう。で、それが何?」

 茉希が急に不機嫌になる。俺が彩絵以外の女の子と出歩くことがそんなに珍しいと思われているんだろうか。俺は別にお前の兄ちゃんと違って、シスコンじゃないぞ。

「あ、ああ……そこで、上手く目的を果たせなくて……」

「……ねえ、それってデートじゃないの?」

「え?!やっぱりこれって……で、デート……なのか?」

「さあね?でも、一般的にはそうやって言うんじゃない?いや、私もそういうのは、よく知らないけど……」

 自分には関係ない話だと言わんばかりの表情で、茉希は首を振る。

「……いや、でもやっぱり違うと思う」

「え?なんで?」

「……途中で向こうが帰っちゃったから」

「は?」

「はあ……」

 茉希の疑問符に対して、俺はため息で返事をする。

「それって、デート中にその相手が帰っちゃったってこと?」

「いや、だからデートじゃないって……たぶん」

 謝罪という明確でネガティブな目的があった以上、やはりそれは間違いなく遊びではない。この世に、『謝罪デート』なんて言葉はあるわけがないのだから。そもそも、当初は俺も愛莉も、彩絵を含めた3人で出掛けるという前提で来ているわけなんだから、それはやっぱりデートとは言えない。

「デート中……まあ、とりあえず言い方は一旦置いておくとして、出掛けてる途中に女の子が帰るなんて、よっぽどのことじゃない?……あんた、どんな変なことしたの?」

「いや、しないって!」

「そんなこと言っても、一個くらいは心当たりあるでしょ?」

「心当たりがないから落ち込むしかないんだよ……」

 そう言いながら、俺はまた机にうな垂れる。このひんやりした感触だけが、今は俺の支えだ。とは言いつつ、そんな支えの柱は所詮、爪楊枝程度の強度だ。俺のメンタルは、数秒で簡単にパキリと倒壊する。

「はああああああああ…………」

「いや、さっきよりため息が大きくなってるんだけど……?」

 そうやっているんだから当然だ。これはもう完全にただの当てつけだ。嫌味とかではなく、純度100パーセントの八つ当たりである。自らに対する鬱憤を晴らすため以外の何物でもない。

「いや、そんなことされたら、私だっていい加減怒る……」

 茉希がそう言い終わる直前、突然机の上に置いてあったスマホが強烈な振動と共に音を立てる。

「うおおおおっ!!!!???」

「きゃあああっ!!??」

「え?……あ、なんだ、メールか」

 音の根源となったスマホを手に取り、画面を操作する。俺はスマホから鳴っていた『俺すか』キャラソンアルバムより、高垣千秋(CV:金元梨紗)の受信メロディを停止する。

「もうやめてよ……私もびっくりするじゃん」

「ごめんごめん。俺も超びっくりしたよ」

 俺と茉希は互いに苦笑いする。茉希は意外にこういう音系のドッキリに弱い。

「でも授業前で良かったね」

「いや、ほんとそうだ。あぶないあぶな……え?」

 差出人は、知らないアドレスだった。けれど、その件名にはよく知っている4文字の漢字が記されていた。

「……件名。『水沢愛莉です』……」

「え?」

 俺の言葉を聞いた茉希が、画面を覗き込む。

「水沢愛莉……って、暎がこないだ言ってた声優の子……じゃなかった?」

「あ……うん。そう、その子だよ。……よく覚えてたな」

「はあ!?あんた、いつの間にそんな女の子と接点持ったの?」

「いや、色々あって……まあ、彩絵のおかげなんだけど」

「彩絵ちゃんのおかげ?……彩絵ちゃんって、何者なの?」

「至って普通のかわいい女子高生だよ」

 俺は茉希の質問に適当に合わせながら、一度呼吸を整えてからメールの本文を確認する。

「あ、埋め合わせ……」

 先日愛莉が去り際に言っていた言葉をふと思い出す。メールの内容は、昨日突然帰ってしまった謝罪の言葉と、愛莉が言っていた埋め合わせについてだった。


 本文。

『先日のことを謝りたくて、勝手に彩絵ちゃんから連絡先を聞いてしまいました。この前はごめんね?どうしてもあの時やらなきゃいけないことを思い出して、急に去ってしまって……本当に暎くんには悪いことをしたと思っています。それで、これが埋め合わせになるかどうか分からないけど、fineのライブチケットを彩絵ちゃんに渡しておきます。もしよかったら、2人で来てくれると嬉しい!』

 下にスクロールすると、添付されている1枚の画像。そこに写っていたのは、白いテーブルに置かれた2枚のライブチケットとピースをした細い指。おそらく、愛莉が自分自身で撮った写真だ。

「ってこれ……俺がこないだ抽選外したライブじゃないか!」

 アプローチ2にて、先日発売したアルバムの初回封入特典についてきた先行抽選と、一般先行、一般販売の全てで空振りし、泣く泣く諦めざるを得なかったライブだ。ネット上の話によると、どうやら倍率が非常に高かったようで、アルバムを10枚買ってすべて外したという猛者もいるという噂もあるほど入手困難となっていた、ある意味では幻のようなライブである。

「fineのライブに……俺が……行けるのか……?」

 抑えきれないこの思いを、一言で表そう。

「……必然力、キターーーー!!!!」

 席から立ち上がり、教室の中心で俺は雄叫びガッツポーズをする。それはさながら、サッカーの試合でロスタイムに同点ゴールを決めた代表選手のように。残念ながら、周りに駆け寄ってくれるチームメイトはいないけれど。朝方の静かだった教室が、よりいっそう静けさを増す。クラス全員の視線が集まっていることに気が付いてはいたが、そんなこと今の俺にはどうだってよかった。

「……なんかよく分かんないけど、暎がまた気持ち悪くなったってことは、元気出たってことだよね?」

 茉希が苦笑いする。

「ああ!オタクにとって、こんなに元気が出ることはないんだ!現場に行けるってのは、何よりの至福なんだよ!」

 テンションマックスで、俺は満面の笑みを茉希に投げかける。

「いや……うん。暎が元気になったのはさ、嬉しいんだけど……恥ずかしいから一旦座ってくれない……?」

 茉希は周囲を見回して、照れくさそうに体を縮める。視線が集中したところで、今の俺自身に羞恥心なんてものはこれっぽっちもなかったけれど、茉希がかなり恥ずかしそうにしているので、しぶしぶもう俺は言われた通り席に座る。

「……ねえ、暎。もしかして、さっき言ってた一緒に買い物に行った子って、その水沢愛莉……さんのこと?」

「へ?……あ、うん。そうだよ」

「ふーん、そうなんだ……暎が声優とデート、ねえ……」

 茉希は難しそうな顔をして、ひとりごとのようにぶつぶつと言っている。

「それがどうかした?いや、そりゃ確かに奇跡的なことだとは俺も思うけど」

「人気声優で、しかも彩絵ちゃん公認とか……急に出てきて何なのよ全く……」

 茉希は俺の話を全く聞く素振りがない。その眉間に縦線が入る。

「だから、何のこと?全然意味が分かんないんだけど……?」

「うっさい!あんたには関係なくなくない!」

「いや、それ関係あるのかないのかどっちだよ……」

「どっちでもいいの!……せいぜい頑張んなさい」

 ボソリとそう呟いて、茉希は少し不機嫌になりながらまた自分の席に戻っていく。何なんだ一体……朝から落差の激しい奴だ。……まあ、さっきまで教室で『必然力!』とか叫んでた俺が言えたことじゃないけど。

 とにもかくにも、そんなわけで梅雨明け前のうっすらとした曇り空の中、俺は晴れやかな気持ちで一日の授業に臨んだのだった。浮かれすぎて、授業の内容なんて一切頭に入らなかったことは言うまでもない。


  

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