3-3


一通り愛莉の買い物を終え、俺たちはショッピングモールの通路を並んで歩いていく。断られつつも、半ば強引に愛莉が買ったその荷物達は俺が持たせてもらうことになった。

彩絵以外の女の子と服を選んだりするのは初めてで、なかなかハードルの高い経験ではあったが、それらもなんとか無事に乗り越えることができ、今に至る。

「ふぁっー……んー、だいぶ歩いたね」

愛莉が両手を突き上げて、体をグーッと伸ばす。

「歩き疲れてきた?」

「うん、ちょっとね」

そう言って愛莉は、ふうと一呼吸する。

「そっか。じゃあ、少し休憩しよっか」

「私、カフェに行きたい!」

「そうだね、カフェだったらこの中にもあるだろうし。フロアの案内図、どこにあったかな……」

俺は辺りを見回して案内図を探す。たまにここへ来ることはあるが、大体が一人で買い物に来るくらいだから、他のお店のことはよく知らない。アニメショップの場所だったら完璧に把握しているけど。


と、そんな感じで、俺が風見鶏のごとくキョロキョロと辺りを見回している時だった。

「あれ?愛莉?」

後ろからそう呼ばれて、愛莉は振り返る。遅れて俺も振り向くと、後ろにはチャラそうな金髪の兄ちゃんが立っていた。

ジーパンの両ポケットに手を入れて、少し猫背で突っ立っている。俺が言うのもなんだけど、お世辞にも覇気があるとは言えない。

でも、今声をかけたの……この人、だよな?後ろ姿で、水沢愛莉だってことがバレたのか?見た目はチャラいけど、この人もオタク……ってことなのか?

いずれにせよ、その索敵スキルの高さには驚いた。さすがの俺でも、後ろ姿だけで好きな声優さんを見分けることは出来ないだろう。というか、声優とか関係なく大抵は無理だと思う。

愛莉はその男を眺めたまま、返事をしない。ひたすらじっと顔を見つめたまま、茫然としている。

愛莉のそんな反応などお構いなく、そして隣にいる俺のことなんて目にも入っていないように、その男は愛莉に一歩ずつ近付いて話しかける。

「いやー久しぶりだなー、愛莉。見た感じ、結構元気そうじゃん!」

そう言って、男はかっかと楽しそうに笑った。

……久しぶり?愛莉と知り合いなのか?このチャラ男が?

呆然としたままの愛莉が、静かに口を開いた。

「修くん……」

愛莉がその男のものと思われる名前を口ずさむ。

「修くんも……元気そうだね」

相手の様子を確かめるように、愛莉は静かに微笑む。

「いやー、エンドロールで水沢愛莉って名前を見るたびに、頑張ってる愛莉が想像できて、俺は嬉しいよ」

「……うん、ありがとう」

どことなく愛莉が歯切れの悪い話し方をしているように感じた。この人のことが苦手なのか?俺はとりあえず2人の様子を伺うことにした。

「暎くん、紹介するね」

愛莉はパッと俺の方を向いて言った。俺もとりあえず一度頷く。

「彼は、修くん。私の中学のときの先輩。そして、私が声優になろうと思ったきっかけをくれた人」

愛莉が声優になろうと思ったきっかけ?

「……つまり、声優水沢愛莉の生みの親ってこと?」

「うーん、まあそんなところなのかな?」

その言葉を聞いて、思わずその男の方を見ると、男は視線に気が付き、俺に向かってニヤリと笑い、ピースをする。

掴みどころのないその雰囲気に、俺はすでになんとなく苦手意識を持った。もちろんその見た目の先入観もあるだろうけど。

「中学の時、修くんと私はアニメの同好会で一緒でね。同好会のみんなで、毎日ひたすらアニメの考察だとか分析みたいなことを素人なりに頑張ってやってたんだよ?その時に私は、修くんに声優になることを勧められたんだ」

「そうなんだ……」

もう一度そちらをチラリと見る。そのチャラ男は、愛莉の話を聞きながら、腕を組んでひたすら深く頷いていた。

「愛莉のちょっと鼻にかかったような声が、アニメに上手く溶け込むと思ったんだよ。ほら、先見の目っていうやつ?」

チャラ男は自慢げな顔をして、愛莉と俺を交互に見ながら話をする。

でも、それは確かに自慢したくなるだろうな。自分がアドバイスをして声優としての道を選んだ一人の女の子が、これだけの人気を博しているのだから。誰だって自慢したくなるのは当たり前だ。俺がもしその立場だったら、声が枯れるほど周囲に言って回るだろう。

水沢愛莉が声優を志したきっかけや理由。そういえば、そういった類の話は聞いたことがなかった。俺の知っている水沢愛莉は、もうすでに声優だったから。

もちろん、インタビュー等で記事になっているものを読んだことはあるが、今の話とは微妙に異なるものだった。もちろん記事には、こんなチャラ男の話は一切出てこない。昔見たアニメの声優さんの演技に感動した、とかありきたりなものだったはずだ。

少しだけもやっとした気持ちが、胸の辺りにざわめく。この人は、俺の知らない水沢愛莉を知っている。

「で、君は?」

相変わらずポケットからは手を出さないまま、その人は俺に問いかける。

「あ、暎です。加藤暎」

「おう。よろしくな」

チャラ男は左目でウィンクをして、少し前に流行った『ちょりーっす』のような動作を見せる。どうやら外見だけでなく、内面もチャラそうだ。

「よ、よろしくお願いします」

どうしても見た目に抵抗があるため、話し方もどもってしまう。その外見は、オタクから一番遠いタイプの人種である。オタクの天敵と言ってもいいかもしれない。愛莉と関係があるのが不思議なくらいだ。正直なところ、すでに十分と言っていいほど苦手意識で溢れている。

「暎くんもアニメが好きなんだよ」

愛莉が間を取り持つように、俺の紹介をしてくれる。その言葉がストレートすぎて若干驚いたが、相手もアニメ好きなので、とりあえず今はスルーしておこう。

「おっ、君もアニオタなのか」

「は、はい」

「そんな緊張しなくてもいいって。俺たち同じ人種の仲間じゃん?世間からの風当たりが強い世界で生きているんだから、オタク同士仲良くしようぜ」

ものすごく馴れ馴れしいが、言っていることは直感的に理解ができた。つまりは、この人もかなりのアニオタということである。

「え、ええ。そうですね。よろしくお願いします、先輩」

「いやいや!先輩なんてつけなくていいって!修でいいから!気楽に呼んでよ」

「……いいんですか?じゃあ、修さん、よろしくお願いします」

「おっけーオッケー、うん、こっちこそよろしく」

……本当に同じ人種と呼べるのか、俺は素直に信じることができなかった。

「君は愛莉と同じ高校なの?」

「いえ。横浜北高校の2年生です」

「おー、バリバリの進学校じゃん!っていうか、横浜北って、うちの妹と同じだよ。しかもちょうど2年だし」

「え、そうなんですか?」

「そうそう。朝原茉希って分かる?」

「……え?」

茉希の名前が出てきた瞬間、俺は固まった。この人が茉希のお兄さん……?

「ショートカットでものすごーくすごーーくかわいい女の子なんだけど」

「…………」

直感的に、すぐに返事をすると向こうのペースに持っていかれると感じたので、とりあえず一旦間を置いてみる。……自分の妹のことを、普通そんな風に呼ぶか?さすがの俺でも出来ないぞ。……この人、もしかしてシスコンなのか?

「……すごくすごーくかわいいかどうかは分かりませんが、その女の子は知ってます。クラスメイトなので」

「おー、マジで?偶然ってあるもんだねー、お兄ちゃんはかわいい妹のクラスメイトとお話することができて、今ちょっと嬉しくなってるよ」

修さんのシスコンはさておき、俺はなんて狭い世界で自分が生きているのだろうと感じる。毎日顔を合わせているクラスメイトの名前をこんなところで聞くことになろうとは、思いもしなかった。

そういえば茉希が以前言っていたことを思い出す。

『私はお兄ちゃんがアニオタだからあんまり抵抗ないけど、世間的に見たらやっぱり生きにくいだろうねー』と。

アニオタということもあって、いつか話す機会がやってくるかもしれないと頭の片隅で思ってはいたが、まさかこんな形で会うことになろうとは。

「そっかそっか。妹のこと、よろしく頼むわ。あいつ外見はかわいいけど、たまにちょっと性格がキツイところがあるだろ?だから、周りの奴らでうまいこと調整してやってくれるとお兄ちゃんは安心する」

……この人、妹の話になってから、一人称がずっとお兄ちゃんになっている。どんだけ妹のことが好きなんだよ。茉希に少しだけ同情する。俺も周囲からこう見られないように気を付けておこう。……愛莉が俺のことをシスコンだと思っていないか、今度改めて確認しておこうと決意する。


「修くんはイラストレーターでもあるの」

「え、イラストレーター?」

「と言っても、有名な某イラストソフトの話じゃないぞ?」

オヤジみたいなギャグを放ち、修さんは大きな声で笑う。俺は愛想笑いをして、適当にスルーした。

しかし、ギャグはともかく、イラストレーターというのは本当なのだろうか?

「あ、今ちょっと疑ったっしょ?」

俺の懐疑心は、すぐにバレた。

「君もアニメ好きなら、キャラデザイン担当とかで『あさいち』ってどっかで名前聞いたことない?」

「もちろん知ってますよ。妹系の萌えアニメに強いイラストレーターさんですよね」

「そうそう。あれ、俺のことね」

「……はい?」

目の前にいるこのシスコンお兄ちゃんがあの有名なイラストレーター?言っている言葉の意味は理解できるが、すぐには受け入れられなかった。このチャラい外見から、あの萌えキャラたちが生まれていくことが想像できなかった。

「……あさいちさんって、『俺すか』のキャラデやってる人ですよね?」

「あー、そうそう。俺すか見てくれたんだ?」

「見るも何も、一番好きな作品です。原作ラノベやコミカライズ版を所持しているのは当然として、市販されているグッズも大抵は持っていると思います」

「いやはや、そこまでファンでいてくれると、俺としても嬉しいよ。俺も一生懸命描いたかいがあったっていうか」

修さんは真面目な顔をして、腕を組んでうんうんと深く相槌を打つ。

「あの作品は、担当さんから妹に対する愛情を爆発させていいよ、って言われたんだよね。だから、俺の妹に対する愛を存分にキャラクターにぶっこんでやった」

「……つまり、あの作品のモデルは、茉希さんってことですか?」

「ご名答。いやー、なんだか恥ずかしいなあ」

さっきまでの表情はどこへいってしまったか、デレデレと笑っている。初対面だけど、分かる。この人、変だ。

まさか、自分が大好きな作品のモデルが、最も身近なクラスメイトだったなんて。この人に会ってから、まだ10分と経っていないが、とにかく驚かされてばかりである。

そう言われてみれば、確かに『俺すか』のメインヒロインである琴乃は、少し茶色っぽいショートカットで、スタイルもそれなりに良く、茉希本人の外見と特徴は酷似していた。

「っていうか、来月から2期やりますよね?」

「うん。だから今は色んな版権絵を描くので超忙しいんだよね。今日はたまたま気分転換も兼ねて、買い物に来たって感じ」

「そうですか……なんだか『俺すか』を素直に楽しめなくなりそうです……」

世の中には知らない方が良いと言われるものがあるが、この事象はそのうちの一つに当てはまるだろう。事実を知ってしまった今、どうしたって茉希の顔がちらつくに決まっている。もう完全に手遅れだけど。

「ちなみに、どうして『あさいち』なんですか?」

「ああ、それは簡単だよ。俺の本名が朝原修一だから、それを略して『あさいち』。シンプルでいいでしょ?」

そっか、茉希の兄なんだから、名字が同じなのは当然だ。さっきまで驚愕の事実の連続だったため、ここにきてごく普通のことを告げられると、その緩急に戸惑う。

それにしても、茉希のお兄さんが超有名なイラストレーターだったなんて……茉希も教えてくれればいいのに。


「で、なに?2人は付き合ってんの?」

「……え?」

「いや、だから2人は今日こうやって二人でデートしてるわけだから、付き合ってるのかって聞いてるんだよ」

「いやいや!そんな滅相もない!」

俺は両手を使って、全力で否定をする。いや、そうなりたいのは山々だし、そうなることができればこれ以上嬉しいことはないけど。しかも今日は何より、謝罪をするつもりで来ているのだ。目的のベクトルがまるで違う。

「あれ、そうなの?」

「そうですよ!」

「ふーん。まあいいや」

俺の返事を聞いた修さんが、一度愛莉の表情を確認するように見た。愛莉は修さんから急いで目を逸らしすように俯く。

「……」

「…………」

2人の間に沈黙が生まれる。修さんのその視線が愛莉の何を疑っているのか、イマイチよく分からない。

「まーでも、愛莉も気を付けろよ?」

「え?」

愛莉が修さんに聞き返す。

「いや、今水沢愛莉って言ったら、オタク業界の中でも有数の人気声優なわけだ。お前本人が自覚していようがなかろうが、その事実は変わらない。そのオタクを敵に回すようなことだけは避けないといけない」

「…………」

「結局は声優なんて人気商売なんだから。ファンから見捨てられたら、本当に一瞬で声優としての仕事を失うぞ」

「……うん、ありがとう。気を付けるよ」

愛莉は静かに返事をする。何か言いたそうで、結局何も言わない返事。

「それと、暎くん……だっけ?君も、その覚悟はしておいた方がいい。事実がどうこうじゃないんだ。ファンがどう思うか、それが全てだってことさ」

修さんは俺に対しても念押しする。

しかし、確かに修さんの言うことはもっともだった。実際にそういった一枚の写真がきっかけで、人気絶頂にあった若手声優が急激に落ちていったのを俺は何度も見てきた。アニオタは基本的にネットの情報にも造詣の深いことが多い。だからこそ、ちょっとした噂話が、とてつもなく拡大解釈されて広がりやすい。そういう点で声優という職業は、そこらのアイドルよりファンからの闇は深いのかもしれない。

「……気を付けます」

「うん、意識しといてくれよ。ま、暎くんは賢そうだから大丈夫だと思うけど」

嫌味にも聞こえるその忠告に、俺はどうしてか少しだけイラッとした。

「さて。じゃ、また仕事しないと納期やばいから、俺は帰るわ」

そう言って、修さんは手をかざした。これだけ散々引っ掻き回しておいて、スッと帰るんだな……

修さんは愛莉の方に目をやる。

「愛莉、大変だと思うけど、頑張れよ。応援してっから」

「うん……ありがと。修くんもお仕事頑張って。私、修くんの色んなイラストが見られるの楽しみにしてるから」

「ああ、任せろ。暎くんもまたな。今後とも、うちのかわいい妹によろしく」

修さんはまた『ちょりーっす』をする。気に入っているというか、もう癖みたいなものなんだろうか。

そうして、修さんは踵を返して立ち去った。


歩いていく修さんを眺めながら、俺は愛莉に話しかける。

「……なんか、すごい人だね。色々と」

「うん、そうだね。修くんは昔から、ずっとあんな感じ。変わらないな」

愛莉が遠い目をして言う。目でその背中を追うように、真っ直ぐな視線は何か考え事をしながら修さんを見つめている。

「……暎くん、ごめん」

「へっ?何が?」

突然深刻な顔をして、愛莉は俺に謝る。どちらかと言えば、謝らないといけないのは、間違いなく俺の方だと思うんだけど……というか、今日はそのつもりで来てたわけだし。

「……私、今日はもう帰るね」

「えっ……?」

愛莉の突然の宣告に理解が追い付かず、俺もさすがに動揺する。

「本当にごめんね!この埋め合わせは、またどこかでするから……」

「あ、うん……いや、それは別にいいんだけど……」

「荷物ありがと!彩絵ちゃんにもよろしく言っておいて!」

「うん、わかった……」

「それじゃあまたね、暎くん!バイバイ!」

そう言って愛莉は俺から紙袋を受け取り、手を振って、その場からどこかへ行ってしまった。


そして、俺は大きなショッピングモールの中で1人になる。突然の出来事に、佇むという表現を俺は体で感じていた。こういうとき、近くを通っていく子どもたちの声が、やけに耳に入ってくるのはどうしてだろうか。『あのお兄さん1人で何してるのー?』とか無邪気な声で聞くのはやめてほしい。切なくなるから。

「……シュークリーム買って帰ろう」

俺は彩絵に奢るはずだった、一際甘い匂いを漂わせるその店の行列に並ぶのだった。もちろん1人で。

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