3-2
俺は集合場所となっているショッピングモールの入口に来ていた。集合時間までは、まだ10分ほどある。さすがに今日遅刻をするわけにはいかないので、大分早めに家を出て、駅で30分ほど時間を潰してからここへやってきたのだった。
今日の最大の目的は、愛莉への謝罪だ。
あの事件以降、愛莉に会うのは初めてということもあり、なんだかやけにソワソワしてしまって、集合場所に立ちつくしたまま、何度も何度も腕時計を確認する。
「……さっきから10秒しか進んでないし……」
人を待つことが、これほど緊張することだとは思いもしなかった。この緊張はもちろん、相手によるものが大きいんだろうけど。携帯の画面を見ても、腕時計と全く同じ時刻を表示しているだけで、特に何か連絡が来ているわけでもない。というか、そもそも俺は愛莉の連絡先を知らないのだから、当然といえば当然である。
「はあ……どうなるのかなあ……」
不安を吐き出すかのごとく、ため息を何度も吐く。目的がはっきりしているからこそ、その完遂に対して不安が付きまとう。……でも、こんなんじゃダメだ。せっかく彩絵にここまでやってもらったんだから、彩絵のためにもしっかりしないと。俺はそんなネガティブな気持ちを振り払うように頭を左右に振る。
「こんにちは、暎くん」
その呼びかけに振り返ると、ワンピースに身を纏った愛莉がいた。制服姿も良かったが、生で見る私服姿は一段と可愛く見える。水色をベースとしたワンピースが、夏仕様の水沢愛莉を爽やかに演出していた。ひとことで言おう。かわいすぎる。
「あ、ああ。こんにちは」
その外見に戸惑いつつ、本来の今日の目的を思い出し、一度咳払いをして平静を保つ。
「……俺がこんなこと言うのもなんだけど、その格好で出歩いて大丈夫なの?」
「え?!あ、変だった……かな?」
「あー、いや、そういうことじゃなくてさ。顔バレとかしないのかなーって」
俺は愛莉から目線を逸らして、顔を手で掻きながら話をする。
「あ、それなら多分大丈夫だと思う。言っても私はまだ新人みたいなものだから、そういうのは滅多にないよ。声を出したりすると、場所によっては気付かれちゃうことはあったりするけど」
愛莉は笑いながら、自分の経歴を軽く謙遜する。
いくら人気があるとはいえ、そこは絶賛売出し中の新人声優だということか。アイドルや女優というならばともかく、愛莉はやはり声優なのだ。家族連れやテンション高めの高校生といった一般人が気づく訳がない。
むしろ愛莉の容姿を考慮すれば、普通に女の子としてナンパされたりする可能性の方が高そうだ。でも、それに関しては、今はとりあえず触れないでおくとしよう。余計なことを言って、これ以上のミス爆弾を落とすのは避けたい。
「それで、えーっと……」
愛莉が辺りをきょろきょろ見回す。
「彩絵ちゃんは?」
「あ、うん……そうだよね。そりゃそうなるよね。……えっと、その件なんだけど……」
俺は覚悟を決めて、今日ここまでにあったことを愛莉に話すことにした。
彩絵は今回3人での外出に関して、それぞれ現地集合を提示して来た。理由は「家から一緒に出掛けたら、私は結局今日一日ずっとお兄ちゃんと一緒にいることになっちゃうからやめて気持ち悪いシスコン死ね」ということだった。後半の気持ち悪いかどうかというところは主観的なものなのでまあ置いておくとして、俺だって愛莉にシスコンだとは思われたくない。しかも、今回の最大目的は、愛莉に対して謝罪をすることなのだ。だからこそ、シスコンだとか余計な先入観を差し込んで、本来の目的の不達成となるのは避けなくてはならない。もちろん、もうすでに俺がシスコンだと思われているのであれば、恥ずかしい杞憂でしかないけど。
そんなわけで、彩絵の言う理由はともかく、現地集合は俺にとっても悪い話ではないと思ったので、俺はその提案を受け入れることにした。
そして、今日。あくせくと準備をする妹を横目に見ながら、俺は先に行くことを伝えて家を出た。そう、彩絵は間違いなく出かける準備をしていたのだ。
電車に乗った瞬間、俺の携帯がメールを受信した。時間的にはそろそろ家を出るであろう、彩絵からのメールだった。
『お兄ちゃんごめんね!急用ができたから、行けなくなった!お兄ちゃんから愛莉先輩にも謝っといて!』
「……は?」
動き出した電車の中で、俺は聞き返すように思わず画面に話しかける。え……どういうこと?
これらの状況を簡潔に一言で表した言葉を、世間ではドタキャンという。というか、百歩譲ってドタキャンするのは仕方ないとしても、せめて愛莉には自分で謝るべきだろう。そう思って彩絵にはそのように返事をしたが、見事に既読スルーされた。
「いや、どうするんだよ……」
家を出るまで、愛莉への謝罪という確固とした決意を持っていた俺であったが、さすがの事態に心が折れそうだった。しかし、とりあえずここまで来たら、会わないわけにもいかない。早めに出たおかげで、着いた駅でしばらく心の整理をすることが出来たのは、結果的にラッキーではあったが、そうやって揺れる感情の中、俺はここショッピングモールの入口に立っていたのである。
というような話を、愛莉には事実部分だけを伝えた。もちろん、俺の主観部分や推察は一切話さない。というか話せない。
「そっか……じゃあ、彩絵ちゃん今日は来ないんだね」
「そういうことなんだ。ごめん。あいつには俺からもきつく言っておくから」
「ううん、大丈夫だよ。確かにちょっと残念ではあるけど、きっと彩絵ちゃんにも外せない都合が出来ちゃったわけだし」
……ここからは俺の推察である。おそらく『急用』なんて、全くのでたらめだ。きっと彩絵は、最初からこうするつもりで今回のお出かけを計画したのだろう。つまり俺と愛莉は、あいつにはめられたのである。深いため息をつきそうになったが、さすがに出会ってすぐため息を吐くというのは愛莉も良い気分がしないだろうと思ったので、そこはなんとか我慢した。
「とりあえず、中に入らない?」
愛莉が俺に告げる。
「え?いいの?」
愛莉の提案に思わず驚いてしまう。
「だって、せっかく来たんだし、ここまで来て入らないのも変な話じゃない?」
それは確かに愛莉の言うとおりだし、俺も賛成なんだけど……本当にこのまま入っちゃってもいいんだろうか。俺はとりあえずきょろきょろと周囲を伺う。
「……暎くん、どうしたの?」
「いや、なんとなく……」
今のところ誰もこちらを見ている人はいない。水沢愛莉だと気付かれてはいないようだ。
「私も、日曜日にお休みなんて久しぶりだし、買いたいものもあるから」
「まあ、そういうことなら……」
「じゃあ決定!ほらっ!いこっ!」
そう言って、愛莉は嬉しそうに俺の袖を引っ張る。
「わっ!?い、いくから、ちょっと待って!引っ張らないで!」
突然袖を引っ張られて転びそうになりながらも、何とか体制を元に戻して歩き出す。愛莉はそんな俺の言葉を聞く素振りも見せず、俺の袖を引いたまま自動ドアをくぐった。
ショッピングモールの中は、日曜ということもあって家族連れが多く、全体的にかなり賑わっていた。小さい子供がはしゃぐ声があちこちから聞こえ、世間の家族サービスという言葉の重みを知る。
そして、俺は思う。
……気まずい。
正直なところ、今回俺は愛莉に対して、先日の自分の言動を謝罪することしか考えていなかった。一緒に行動することについては、彩絵に全てお任せして、俺は少し後ろからついて行くくらいにするつもりだったから、こんな風に並んで歩くなんて思い切り想定外なのである。
そして俺はふと気づく。傍から見たら、こんなのデートでしかないのではないかと。いくら妹にはめられたからといって、謝罪するべき相手と急遽デートすることになるなんて、なかなかの急展開である。しかもその相手は水沢愛莉だ。……いや、でもこれはデートじゃない。言ってみれば謝罪までの下地作りなのだ。勘違いするな、俺。
一人で葛藤を続ける俺を不思議そうに眺めながら、愛莉はリラックスした様子でウィンドウショッピングを楽しむ。こういうところを見ると、とても国民的に人気のある声優だとは思えないなあと感じる。どこにでもいる、普通の女の子だ。いずれにせよ、この時間を楽しんでくれているのであれば、それは良いことだ。
「あっ!かわいい!」
そう言って横にいた愛莉は突如走りだし、雑貨屋の店頭に置かれたダラックマの大きなぬいぐるみに抱き付く。
「ほらっ!ねえ暎くん、どう?」
キラキラした目で俺に意見を求める。
「かわいいと思う……けど」
「だよね!?そう言ってもらえてよかったー」
「ダラックマ、好きなの?」
「うん!私ダラックマ大好きなんだ。部屋の中もグッズで溢れてて、私の部屋っていうより、ダラックマグッズのショールームみたいになってる」
さっきまでとテンションが全然違う。大好きなおもちゃを目にした子供みたいだ。
もちろん俺は水沢愛莉がダラックママニアであることは知っている。ブログの写真にもよく出てくるし、プロフィールの「好きなもの」欄にもダラックマと書かれている。なんとなく知らないふりをしてみただけだ。
「ほらほら!もふもふだよー?」
腰を曲げてぬいぐるみに抱き付き、ふかふかする愛莉。
「はーしあわせー……」
ひたすらダラックマに頬を擦り付ける。確かにその表情は、幸せそのものだった。しかし、その体勢のせいで、ワンピースの裾から、愛莉の太ももがチラチラと覗く。透き通るようなその白い肌に、俺の目線は自然に誘導される。雑念と本能と煩悩が入り交じる。違う、これじゃ全部同じだ。チラリズムの恐怖……見ちゃいけないけど、見たい。そんな新たな葛藤と戦う。
しかし、今日は愛莉に謝罪に来たんだということを改めて思い出し、強制的に愛莉の方を見なくていいようにするため、ダラックマ本体に視線を集中する。ダラックマの足元に値札が付いていたので、愛莉にばれないよう、さりげなく手に取って見る。
…………3万6千円(税別)。
高校生がとても出せる金額じゃない。かっこで後ろに付けられた税別という表示が、背中をダメ押ししてくるような感覚にさせる。いや、まあもともと買うつもりもなかったけど。世間の金銭感覚を思い知る。こんなの本当に買う人がいるんだろうか。まあでもその気持ちは、一般の人がフィギュアにお金をかけるアニオタの感覚が分からないというのと同じなんだろうけど。
「はあ、気持ちよかったー」
恍惚の表情を浮かべながら、愛莉はふらふらと別のダラックマのところへ歩いていく。そんな愛莉の後ろを歩きながら、俺たちは小物シリーズが陳列されたコーナーにやってくる。
「か、かわいい!」
キーホルダーになった小さなダラックマは、より気怠そうな表情で吊り下げられていた。さっきの大きなダラックマが可愛いというのは、まだ分からないことも無いが、こいつはなぜか口元が緩く、よだれを垂らしているデザインだった。これ、かわいい……のか?感覚というのは人それぞれだなあと思いつつも、俺も一つ手に取り、またその値段を確認する。キーホルダーということもあって、値段もそれなりに手頃な価格だった。そのよだれデザインのせいで値段が安いということは、さすがにないと信じたい。
「……買おうか?」
「えっ、ほんと?」
驚いたような表情で、愛莉は俺のことを見る。こんなので許してもらえるとは全く思っていないが、贖罪の一つではあるかもしれない。
「うん、まあそれくらいだったら、俺でも買えるからさ」
「んー……でも今日はいいや。ありがとう。その気持ちだけもらっておくね」
「あ、そっか……うん、わかった」
その下心が伝わってしまったのか、笑顔の愛莉に上手くかわされてしまう。罪滅ぼしとは難しいんだなと、改めて思わされる。
「ふふっ。じゃ、いっぱいダラックマもふもふして満足したし、次のお店に行こっか?」
「あ、うん。そうだね」
「まだまだ見たいものいっぱいあるんだー♪」
浮き立った足取りで、愛莉は別の店に向かう。まだどこか気まずさはあるし、プレゼントも失敗したけれど、見る限り愛莉はこの休日を満喫しているようだ。その姿を見られただけでも、今は少し安心する。
俺はそんな愛莉に置いて行かれないように、後ろを付いて行くので必死だった。
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