第2話 妹という名の運命力が降臨されました。

2-1

 日曜日の午前というのは、何でもできそうな気がしてしまう。もっともそれこそが最大の落とし穴でもあって、何でもできるからこそ油断してしまいどうでもいいことにばかり時間を取られ、一週間の貴重な休日を無駄にすることも少なくない。つまり、自らの意志の弱さが、最も表面に現れやすい日とも言える。

 だからこそ俺はこの貴重な数時間を部屋から出ることなく、いつも未視聴アニメの消化の時間としてあてる。一応は学生として生活している性質上、どうしても平日の夜だけでは消化しきれない作品が出てくるからだ。

 しかし、リアルタイムで見られるアニメについては基本的に全てその都度視聴してしまうので、溜まっている本数としてはそれほど多くはない。時間帯が被ったりしているものを改めて消化するといった感じだ。なので、わりとすぐに終わってしまう。

「……見終わっちゃったな」

 一通り今週分のアニメを消化した俺は、ベッドに横たわる。今週はイベントの予定もない。天気の良い休日に外に出ないというのは、何という贅沢なんだろう。

 俺は枕元のスマホを手に取り、日課の声優ブログのチェックを始める。今は様々なSNSがあるが、何だかんだ言って本人に関する最新の情報を集めるには、これが一番俺に合っていると思う。どんな文章を書くかで、その人の人柄とかそういった性格的な部分が分かるような気がする。そんな内面の魅力がストレートに表れるのが、ブログというツールの特徴だろう。

 ブログに表れる人柄というのは、文体や文章だけでなくその更新頻度にも表れる。毎日更新をするマメな声優もいれば、数日に一度時間が空いたときに更新するといった声優もいる。

 水沢愛莉はその後者だった。彼女のブログが最後に更新されたのは2日前。あるアニメの収録後に、他の女性声優と一緒に撮ったという写真が掲載されていた。内容的には決して珍しいものではないが、そうやって不定期更新だからこそ、更新された時の発見をしたという喜びは大きいのかもしれない。

 その写真を見ながら、改めてこれまで行ってきたアプローチについて振り返る。いくつもの手段で方法を模索してきたが、結局一番難しいのはやはり本人との接点を持つことだった。アニメやゲームの業界関係者でもない一般の高校生の俺が、声優と話すことのできる機会なんてそうそうあるわけがないのだ。

 透にも言われた通り、俺が同人業界で作家としてとてつもない実績を残していたり、有名ラノベの原作者として名を馳せているのであれば別なのだろうが、そんな才能のない俺には何かしらお金を支払ってイベントに参加するくらいしか彼女達を直接この目で拝む機会はない。加えてその上、話をすることのできるイベントなんてほとんどないわけで、そういった理由から、接点を持つという一番最初のハードルこそ最も高さがあるように感じる。

「……やっぱり声優と付き合うなんて、夢の話なのかなあ……」

 右手に握ったスマホを机の上に置き、うつ伏せになって枕へと顔を埋める。

「はあ……」

 枕に吐いたため息が、口周りへと跳ね返る。


「お兄ちゃん、起きてるー?」

 ドアの向こうからそう呼びかけられた後、コンコンとノックがされる。

「あー、起きてるよ。何か用か?」

 妹の彩絵さえはドア越しに話を続ける。

「なら良かった。私、これから高校の先輩と出かけてくるから、留守番よろしくね」

「ああ、分かった。……もしかして、男か?」

「残念ながら違います。お兄ちゃんに彼女がいないように、私にも彼氏はいませーん」

「……さりげなく俺をバカにしたな……」

 ドアに向かって俺は小さく呟く。

「もう少ししたら先輩が迎えに来るから、そしたら行くね」

 そう言って彩絵はバタバタと階段を駆け下りていった。

「お出かけ、ねえ……」

 彩絵は休日に家にいることの方が珍しい。大体こんな感じでいつもどこかに出かけていく。友達が多いというのも考え物である。自分の趣味に充てる時間が全くと言っていいほどないのだから。ま、あいつにとってはそれが趣味なのかもしれないけど。そういう意味では彩絵と俺は真逆なのかもしれない。

 小さなあくびが口元に宿る。

「ここでゴロゴロしててもなんだし、とりあえず何か食べるか……」

 俺は一度背伸びをして、ベッドから立ち上がり、一階のリビングへと向かう。廊下を歩いている途中、洗面所に向かう彩絵とすれ違った。

「あ、お兄ちゃん部屋から出てきたんだ?おはよ」

「……日曜の朝だっていうのに騒がしいな?」

「実はちょっと寝坊しちゃって、急がないと間に合わないの」

 目の前にいる私服姿の高校一年生は、いつもより服装に気合が入っているように思った。

 加藤彩絵。紛れもない俺の妹様である。お世辞にも清楚とは言えないが、ギャルというほどでもない。つまり、その辺りによくいるような普通の女子高生だ。

 妹であるという条件を考慮しなければ、彩絵は一般的に可愛い部類の女の子としてジャンル分けされると思う。実際に、クラスメートから告白をされたという話も本人から何度か聞いているし、それなりにモテているのだろう。にも拘わらず、それらの告白に対して了承したという話を聞いたことはなく、全て断ってきているらしい。その辺り、謎である。

「もったいないよなあ……」

 鏡の前で準備をしている彩絵を見ながら俺は呟く。

「うん?今なんか言った?」

 リボンでツインテールの片側を作りながら、彩絵は俺に問いかける。

「いや、何でもないよ」

「ふーん、そっ。お兄ちゃんもたまには出かければいいのに。どうせ今日も家でオタクしてるだけなんでしょ?」

「ほっとけ。いいんだよ、俺はやりたくてやってるだけなんだから。誰にも迷惑はかけてない」

「その発想やめた方がいいよー?記念すべき傲慢への第一歩、って感じがする」

「いや、それ何の記念だよ……」

「うーん……人類が絶対に到達したくない負へのスタート?」

「だったらそれはそれで、すごい第一人者だな。間違いなく、絶対に友達になりたくない奴ランキング上位だ」

 ……最近、彩絵の発言が茉希に似てきた気がする。注意して見ておかないと、学校だけじゃなく家でも同じようなことを言われるようになって、逃げ場がなくなりそうだ。


 俺と彩絵が2人でそうこう言っていると、インターホンがなる。

「あ、やばっ、もう先輩きちゃったみたい!」

「お前、まだ準備終わってないじゃん」

「うん。あー、どうしよ……あと髪結ぶだけだから、もう少しだけ待っててくださいって、先輩にお兄ちゃん伝えてきてくれない?」

「……いや、なんで俺が行かなきゃいけないんだよ」

「いいからほら早く!お客さんを待たせるわけにいかないでしょ?ほら!」

「ああもう分かったよ……」

 彩絵に急かされ、俺は今歩いてきたばかりの廊下を戻り、玄関に向かう。なんだかんだ言って、こんな感じで俺はいつも彩絵に良いように使われている気がする。今に始まったことではないけれど。そんなことを考えながら、俺は小走りで玄関にやってくる。玄関の擦りガラスの向こうには、白い服をまとった女性の姿がモザイク状に写っていた。

「お待たせしてすいません、今開けますからー」

 ゴム製の軽量スリッパを履き、少し下を向いたまま玄関のドアを開く。ドアが開き切る前に、向こうから挨拶が聞こえる。

「おはようございます。彩絵さんを迎えに……きました」

 そこには。


 水沢愛莉がいた。


 黒髪ロングで、大きな瞳、スッとした鼻立ち、大きすぎない胸。

 似ているとかそういう類のものではなくて、瞬間的にそれが本物だと分かった。

「……」

「…………」

 お互いに黙り込んだまま、顔を見つめ合う。

 あまりに驚きすぎると、何も言葉を発することができないというのはどうやら本当らしい。現に、言葉が出ないどころか、全身がピクリとも動かなかった。唯一動いているところを探すとすれば、ぱちぱちと瞬きをする瞼と、心臓の鼓動だけだった。

「あの……彩絵さんのお兄さんですか?」

 先に沈黙を破ったのは、向こうだった。

「はっ、はい。そうです!お兄さんです!」

「私、水沢愛莉と申します。彩絵さんにはご友人として、いつも仲良くして頂いています」

「そ、そうなんですか?」

「はい、それはもう、非常にお世話になっています。いつも私は彩絵さんに助けてもらってばかりで……感謝するばかりです」

「彩絵のお友達、なんですよね……?」

「はい、そうです。今日は彩絵さんとお出かけするので、お迎えに来ました」

「そ、そうなんだー……へー……うん、楽しんできてね」

「はいっ!ありがとうございます」

「あはは……」

 俺は精一杯、今できる限りの笑みを見せる。作り笑いが下手なことを改めて再認識する。こんなことなら、もうちょっと社交性とか愛嬌みたいなものをしっかりと身に着けておくべきだった。自分の過去を悔やむ。

 そういう理由と純粋なパニックが混合されるせいで、自ずと再度沈黙がやってくる。相手が相手というのもあって、話しかけられるわけがないのも当然な気はするけれど。

「……あのー、お兄さん?」

「は、はいっ?」

 俺の様子を伺うように水沢愛莉は俺に話しかける。お兄さん、なんて久しぶりに呼ばれた気がする。というか、もしかしたらそんな風に呼ばれたのは初めてかもしれない。しかも、その初めてがあの水沢愛莉という事実を今、俺は体験している。混乱するのも許してほしい。

「お兄さんのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「あ、ああ!うん、名前ね!あきら、加藤暎です!」

「あきら、さんですか……分かりました、ありがとうございます」

 そう言って、水沢愛莉は改めて小さく会釈をする。その微笑みはおそらく俺に向いているんだろう。けれど、やっぱり理解が追い付かなくて、彼女が別の誰かに挨拶しているような、どこか第三者的な感覚に陥る。

 ここまでしっかりと話をしても、まだどこかではリアルな夢なんじゃないかと思っている。もしくは彩絵の仕組んでいるドッキリなんじゃないだろうか、と。水沢愛莉の顔を見ながら、そんなことを考えていると、廊下をドタドタと走ってくる彩絵の足音が後ろから近付いてくる。

「お待たせしましたっ!愛莉先輩、おはようございます!」

「彩絵ちゃん、おはよう」

「お兄ちゃん、ありがとっ!」

 彩絵はそう言って、俺の肩につかまりながら、スニーカーの先をトントンする。

「あ、ああ……」

「へへーん、どう?愛莉先輩すっごいかわいいでしょ?私の自慢の先輩なんだよね」

 彩絵は愛莉先輩に駆け寄り、ドヤ顔で俺の方を見る。

「……さっき、彩絵の高校の先輩、とか言ってなかったか?」

「うん、そうだよ。私と同じ高校に通う2年生。あっ、そういえば愛莉先輩とお兄ちゃん同い年だね」

「……あっ、ああ!確かにそうだな」

 そんなこと、言われなくても当然知っている。大好きな声優のプロフィールくらい把握しているに決まってるだろう。生年月日なんて、プロフィールの中でも基本中の基本だ。

「水沢愛莉です。改めて、よろしくお願いします」

 そう言って、目の前にいるアイドル声優は丁寧にお辞儀をする。

「あ、愛莉さん、ね。……よ、よろしくお願いします……」

 それにつられて俺も頭を下げる。

 彩絵はそんな俺と水沢愛莉を不思議そうな面持ちで交互に見た。保護者同士が挨拶をしているのを横で見ている感じなんだろうか。そうやって、水沢愛莉との何度目か分からない挨拶交換が終わったのを確認すると、彩絵は一度深く頷く。

「よし。じゃー、行ってくるね。お兄ちゃん。たぶん、晩御飯までには帰るから」

「あ……ああ、気を付けてな」

「おっけー。行ってきまーす」

 彩絵がいつもと同じテンションのまま出掛けの挨拶をする後ろで、歩き出しながら俺に軽く手を振る水沢愛莉。俺はその姿に戸惑いながらも、なんとか右手を顔の辺りまで上げ、極僅かに手を振って2人を見送った。そして、バタンという音を立て、ゆっくりと玄関のドアが閉じられた。

「…………」

 右手は2人を見送った状態のまま、俺は玄関にて立ち尽くす。あまりに突然の出来事に、現実と夢が入り交じりカオス状態と化していた俺の脳内では、とりあえず何かしらの言語アウトプットを必要としていた。

 そんな状態の俺の脳味噌が選択した最初の言葉。

「運命力キターーーーーー!!!!!」

 爆発するテンション。弾ける脳内物質。暴走する謎のダンス。近所迷惑にならない程度に叫ぶ。

 そして一旦落ち着いたテンションの後、続く二言目。

「……彩絵さん、ありがとう」

 それは実の妹への混じりっ気なしの素直な感謝。それ以外の何物でもなかった。


    

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