第8話 コンプレックスは、彼女を引きずるネゴシエーション。

 会長と話をした翌日の放課後、高槻が言った通り作戦会議をするため、俺たちはいつもの通り漫研部に集合していた。

「この状況、もう俺はツッコまないぞ……」

 そんなことを呟くヒョロ長には見事に誰も触れないまま、俺たちは平然と作戦会議を始める。

 高槻はホワイトボードの前に立ち、俺たちはそれを囲むよう半円状に椅子を並べて座る。なんだか本当に部活のミーティングみたいである。完全に違うとこの部室だけどね。というか俺はまだ破滅部の存在を認めていない。

「じゃあ、集まったことだし、さっそく始めましょうか」

 高槻が小さな体を目一杯使って、ホワイトボードの右の方に縦書きで何かをカツカツと書き始める。

「対盗撮組織破滅作戦秘密会議……?」

 書きあげられたホワイトボードの文字を千里が恐る恐る読み上げる。

 無事に間違えず音読を終えた千里に代わって、俺は高槻に告げる。

「……何でもいいけど、その会議名長くない?破滅のあたりでゲシュタルト崩壊起こしそうになるんだけど」

 ちょっとした漢文の一節みたいである。絶対書いた本人もあれ暗唱できないと思う。

「会議に関係のない発言は却下します。議題に関係のあることだけを言ってください」

 俺の発言は、高槻に軽くスルーされた。いつも無鉄砲で暴力的なこいつに論理的な話し方で却下されると、なんだかすごく悔しい。いつもそれくらい冷静に話をしてもらいたいものである。ただそんなことを言ったら、何言われるか分かんないから、言わないし言えないけどね。

「じゃ、意見がある人は挙手」

 そう言って高槻議長は投げっぱなしの議論を開始する。

 そんな高槻議長の合図を聞いた瞬間、俺の隣でズバッと残像が流れる。

「ハイっ!!会長がランクC評価と言うことに対して、異議があります!」

 俺の横で、これ以上なく元気に村主が挙手をしていた。そのあまりの挙手速度に、どうやら残像が映ったようである。

 当の村主は至って真面目な顔で、授業中の小学生の如く挙手をしながら、議長の方をキラキラと見つめていた。

「……おまえ、あれだけのことをやってて、もう普通に入ってきてるんだな。ある意味すごいわ」

 その図太さとかずうずうしさに、俺はちょっとした敬意を覚える。

 高槻議長は腕を組んだまま、元気よくきれいに挙手を続ける村主を眺めている。

「そこうっさい死ねぇ!……と本来は言いたいところだけど、そこについて今回は私も同意するわ」

 会長のことになるとすぐに反応するはずの高槻が、今日はやけに冷静である。

「珍しいな?」

 俺の問いかけに、高槻は面倒くさそうに首を振る。

「だって、あの会長も言ってたでしょ?その評価には何か理由があるんじゃないかって」

「理由ねえ……それが分かんないから苦労してるんだけどな」

 会長が言っていた。今井会長を上位にしておいてはいけない理由。

「綺麗な人を綺麗だって言っちゃいけないって、なんかおかしな話だよね」

 千里が不思議そうな表情で、率直な意見を述べる。

「ランキングを決めたその人、会長のことが嫌いなのかなあ?」 

 会長自身に問題があるのか、それともその周辺に問題があるのか。はたまた、俺たちが見逃しているようなもっと別の視点なのか。

 そんなことに俺たちがうーんと頭を悩ませていると、その様子を見ていた村主がまた挙手をする。

「まだあんたの番なんだから、いちいち挙手しなくていいわよ」

 高槻が厳しめな声で村主に提言する。やっぱり高槻はまだ村主のことを根に持ってるんだろうか。もちろん簡単に許されていい話じゃないけど……男には想像できない悩みなのかもしれない。とりあえず本人が反省してるといいんだけど。

 その言葉を聞いた当事者の村主は一度高槻に頷き、話し始める。

「うん、そう、その件についてなんだけど。高槻さんたちが生徒会室でバトルしてる間に、こっちはこっちで調べておいたことがあるんだ」

 村主が何か資料を取り出して、続けて説明をする。

「実は、ランキングについて、もう一度よく調べてみたんだ」

「だからさっき、また会長のランクについて言及したってことか?」

「うん、まあそんなところだね。やっぱり俺も気になってたから。で、調べてみて、1つ分かったことがある」

 村主はキメ顔を作って言う。

 俺たちはそんな村主の表情を伺い、静かに唾を飲み込む。

「ランキングの上位は、とにかく貧乳が多い!!」

「死ねぇ!!!」

 一度見送ったはずのその言葉と共に、ホワイトボード用の赤い水性ペンが村主の顔面にヒットする。激しい音と共に、椅子もろともぶっ飛んだ村主。

 ペンが飛んできた方向を即座に見ると、高槻がきれいなフォロースルーを決めていた。右利きのオーバースローである。右投げの左打ち。野手としては理想的なスタイルだ。もうさっさと野球部かソフトボール部に入部してくれ。何回も言うけど、こんなところで才能を無駄遣いしないで頂きたい、マジで。

 椅子から転げ落ちた村主は、膝を立てながら慌てて立ち上がろうとする。

「な、なんでペンをぶつけるの!?」

 突然の事態に困惑する村主の肩に、俺はポンと手を置き首を振る。

「村主、今のはお前が悪い」

「ええっ!?」

 高槻が怒るのも当然である。コンプレックスを抱いている人間に対して、デリカシーというものがない。俺はこの前勉強したからな、うん。同じ過ちは犯さないのだ。だから、同じように村主にも教えてやる。高槻は胸のサイズを絶対的に絶望的に気にしているのだと。

 痛そうにしながら、椅子に座りなおす村主に俺は確認をする。

「まあ高槻の件は置いておくとしても、それは確かな事実なんだろうな?」

「え?あ、ああ。具体的に言うと、ランク評価Bまでの中で、胸の大きい人は一人としていなかったよ」

 俺は自分が持てる限り極力真面目な表情で、村主と議論する。そうでもしないと、いつ俺にもペンが飛んでくるか分からなかったから。ちらりと高槻の様子を見ると、明らかに疑いの眼差しでこちらをじーっと眺めていた。

 やばい、ひとまずなんとかごまかさないと。

「と、ともかくだ!それはかなり有力な情報になるかもしれない!ランキングを決めた人間は、胸の小さい女子の方が好みだっていいうことだろ?」

「うん、可能性の話だけどね」

 確かにまだ確証には程遠いが、それでも犯人を絞ることが出来れば、それは1つ大きな手掛かりにはなる。

「一回誰かに調査してもらった方が良さそうだな……」

 俺の言葉に、村主が横で頷く。

「……あ、じゃあヒョロ長、お願いするよ」

 俺は当然の如く、ヒョロ長にその役目を押し付ける、いや担当してもらう。

 まさか自分に来るだろうとは思ってもいなかっただろうヒョロ長は、即座に俺の言葉に反応する。

「なんで俺がやらなきゃいけないんだよ!村主はともかくとして、そもそも俺は今回の件に全く関係ないだろ?!」

 ヒョロ長がそう言うのはごもっともである。というか、俺も全くそう思う。

「いや、俺はヒョロ長じゃなくても別にいいんだよ?けど、あいつがなんて言うか……ねえ?」

「あいつ……?」

「ほら、あっち」

 俺は不服そうな顔をするヒョロ長に、ホワイトボードの方を見るようチョイチョイと親指で指示する。

「……?」

 ヒョロ長は俺が指示した通り、ゆっくりとそちらに頭を動かす。

 そこには、微動だにすることなく、鋭いまなざしで睨み付ける高槻がいた。

 ヒョロ長の時間が止まる。

「…………」

「悪いね、そういうことだから頼むわ。お前がファンクラブを作ったのも含めて、全部あいつの見た目と性格が乖離(かいり)しすぎてるのが悪い」

 一回の問題に対して、ヒョロ長はいつまで高槻の言うことに従えばいいのだろうね。少なくともこの事件が解決するまでは、ずっとこの扱いは続きそうだけど。

 返事をすることもなくがっくりと肩を落とすヒョロ長に対し、千里が軽く背中をポンポンと叩き、フォローする。ヒョロ長のことは千里に任せておこう。男がフォローするより女子がやってくれた方が、立ち直るのも早いだろ。

 俺はホワイトボードの前で仁王立ちする高槻議長に向き直り、改めて挙手をする。

「そういえば、俺も気になってたことがあるんだけど」

「なお、何?」

 高槻が指を差して、俺に発言権を与える。

「うちの学校って校則厳しいじゃん?だからこそ基本的には、高槻みたいな荒くれ者がほとんどいないわけで、それはすごくいいことだと思うんだけど」

 高槻が険しい目付きで俺を睨み付ける。

「……私のことを例外だって言いたいわけ?」

「いや、誤解です」

 まあ確かにちょっとはそうやって言いたかったんだけどね。自覚してもらわないとその無鉄砲さ直んないし。ただ高槻の場合、自覚してても暴走しそうだから、あんまり意味ない気はするけど。

 コホンと咳払いをして、俺は再度高槻に話を続ける。

「なのに、スマホやタブレット端末に関しては特に使用制限がない。もちろん授業中に使ったりするのは禁止されてるけど、休み時間とかだったら別に好きなように使っていいだろ?本当に校則が厳しい学校だと、スマホの持ち込みさえ禁止のところもあったりするのに……なんか不思議だなと思ってたんだ」

 俺は思っていた疑問をぶつける。

「この携帯の使用許可って誰が出したんだ?」

 俺の質問に、高槻は顎に手を当てて難しそうな表情を見せる。

「言われてみれば、確かにそうね……当たり前すぎて気付かなかったけど、みんな普通にスマホを出して使っているわ」

「だろ?本当にスマホが禁止になってたら、こいつみたいなソシャゲ廃人は、禁断症状が出て死んでたと思う」

 そう言って村主の方を見ると、村主は大きく首を縦に振っていた。廃人ってところは否定しないんだな……自分で否定するまでもなく、1つのステータスみたいな感じになってるのか?こういう人種はよく分からない。

「……まあこいつらに限らず、もちろん一般の生徒もみんな、今とは生活が全く違うものになってたと思うんだよ」

「どうなってたか想像もできないくらい、あって当たり前に使ってるから、今更またなくなるなんて言い始めたら、きっと暴動が起きるでしょうね」

「そういうことだ。そもそもスマホがなかったら、こんな事件も起きてなかっただろうしな。だから、誰が使用許可を出したのかなって気になったわけ」

 ふーんと頷きながら、高槻が俺の方をニヤリと眺める。

「あんたにしては、なかなか良いところに気が付くじゃない。なお」

「ありがとうございますね。上から目線、どうも」

 嬉しそうな表情で話しかける高槻に、俺は軽く嫌味を言う。

 そんな俺たちのやり取りに、キョロキョロと辺りを見回していた千里が挙手をする。

「あの……いいかな?」

「え?あ、はい。ちり、いいわよ」

 今までずっと黙っていた千里が、突然挙手をしたので、高槻も少し驚いたようである。

 発言権を得た千里はおもむろに立ち上がった。

「……いや、別に立たなくてもいいんじゃないか?これまで誰も立ってないだろ?」

 俺は千里にそう諭す。唯一立ち上がったのは、村主が椅子から転げ落ちた時くらいだったが、あれは立ち上がったと言うより起き上がったという方が正しい気がするので、ノーカウントとしよう。

「あ、そっか……でも一回立っちゃったから、このまま話すね?」

 あははと照れ笑いをしながら、千里は話を続ける。

「さっきのスマホの件についてなんだけど、それだったら今の生徒会になってから許可が出たみたいだよ?」

「え、生徒会?」

「うん。というか、あの書記の人が発案したみたい」

「書記?……って、この前生徒会室にいた、あの永井って先輩か?」

 千里は立ったまま、コクリと頷く。

「うん。なんかね?聞いた話だと、学校内でのスマホの使用許可を公約の中に入れたらしいよ」

 突如話題へと浮上する生徒会の爽やか担当。

「公約って、選挙演説とかで言う公約のこと?」

「そう。きっと、この前私達に話してたようなことだったと思う。一人一人の才能を開花させるため、新しい技術にもより深く携わっていくべきだってことを、公約の一つとして入れたんだって。その具体的な例がスマホだったみたい」

 千里は両手でスカートを抑えながら、さらに話を続ける。

「そうすることで個々の力を高め、さらにみんなの英知を結集させられる生徒会を目指す……みたいなことを言ってたような気がする」

「うーん……あの人らしいと言えばあの人らしいんだろうけど……やっぱ俺は素直に受け取れないかもしれない」

 俺の発言に、正面の高槻が大きく頷いて賛同する。

「っていうか、なんで千里はそんなこと知ってるんだ?」

 俺はふと思った単純な疑問を千里にぶつける。

「あ、うん。それはね、私のバイト先、なおくんもあやちも知ってると思うけど、うちの高校の生徒がたくさんお客さんとして来るでしょ?だから、お客さん同士の話から、学校内の色んな情報が入ってくるんだよね。本当は聞いちゃいけないんだろうけど……」

 あははとはにかみながら、千里は恥ずかしそうに話す。

 アンジェは通学路にあることもあり、確かに学校帰りのうちの生徒がよくやって来ている。もちろんそのほとんどがケーキではなくプリンを目当てに来ているわけだが……

 だから、そこでバイトをしている千里が学内の情報に詳しいのは頷ける。学校内ならともかく、学校の外で話す噂話なんて、何かを恐れて情報を包み隠すこともほとんどないだろうから、千里の耳にはスクープに近い生の情報が知らず知らずのうちに入ってきているんだろう。それで噂の多い高槻のこともよく知ってたのか……情報通の千里さん、侮れないです。

 一通り千里の話を聞き終えた高槻は、一度ふうとため息を吐く。

「あの男、怪しいわね」

 一気に疑惑が深まる。生徒会書記、永井孝太郎。通称爽やか炭酸水。これは完全に今俺が考えたあだ名だけど。

 ごくりと唾を飲み込んだ俺たちは、互いに顔を見合わせる。そして、一見爽やかに見えるその人物の本質へと近づくための術を探す。

 高槻が水性ペンをポンと放り投げるように置く。というか、結局ホワイトボードには最初の長ったらしい会議名しか書かれていなかった。結果的に高槻のネーミングセンスを垣間見ることになっただけである。ホワイトボード必要なかったじゃん……

 ペンを置いた高槻が、俺たちの方をキッと厳しい顔つきで見つめる。その視線を受けて、俺たちの空気にも緊張感が高まる。

 高槻がゆっくりと口を開く。

「こうなったら、おとり捜査その②を実行するしかないわね。別名強制捜査」

「……いや、それ全然おとりじゃないんだけど。完全に強行突入しちゃってるから」

 世間的にはそれ、強制家宅捜索とかそういうやつじゃないんですかね。大量の警官が押しかけるやつでしょ?ちゃんとした令状とかいるやつを、ちゃんとしてない奴がやろうとしてるの?大丈夫なのだろうか。頭には不安しか浮かばないんだが。

「いいわよ、私がハッキングしてやるわ」

「え?お前、ハッキングなんて出来たのか……?」

 普段の高槻の言動からは、想像もつかない発言に驚いてしまう。

 そんな俺の言葉を聞いた高槻が、鼻でフッと笑った。

「そんなの簡単じゃない。要はあいつをとっ捕まえて、自白させればいいわけでしょ?」

「……それ、ただの拷問じゃないです?」

 完全にハッキングの意味をはき違えている高槻に対して、俺は頭を抱える。さっきまで抱いていた不要な緊張感は何だったんだ。必要のないところで意味ありげに固い雰囲気を出すのは、定期テスト返却の時くらいで十分だ。どうせ点数が良くても悪くても同じ雰囲気出すんだから、もう適当に返してくれていい。それで点数が変わるわけじゃない。

 高槻の発言を聞いて、俺の五感が危険な臭いを察知したので、俺は高槻に改めて忠告しておくことにする。

「何でもいいけど、暴力沙汰だけは勘弁してくれよ?夏休み前に停学とかホントやめてくれ」

 いや、もちろん夏休み超えても嫌だけどね?高校の3年間くらいは安寧無事に過ごしたいんです。

 そんな俺の切実な願いともいえる言葉を聞いた高槻は、真面目な顔をしてそのままじっと動かずに、少し何かを考えていた。

 あれ?もしかして結構しっかり伝わった?俺は自分の思いの1%でも伝われば、こいつを相手にした言葉としてはもう十分上出来だと思っていたので、かなり意外な結果である。うん、何事も言ってみるものだな。今後もこうやって1つずつ理解してもらうことにしよう。

 そんな思いを抱きながら、高槻の成長を喜んでいると、当の高槻がツカツカと俺の前に近づいてきて、俺に手を差し出す。

 ……立ち上がれ、ということだろうか?

 手を取る前に、俺は目の前に立って影になった高槻の顔を見上げた。自信ありげに笑った高槻のその表情に一抹の不安を覚えながら、俺は恐る恐るその手を取って立ち上がる。握った手は小さく、それでいてその無鉄砲な性格に似付かず柔らかかった。

「ほら!じゃあ行くわよ!」

 高槻が全員の顔を見渡して、立つように指示する。千里はそんな高槻を見て、嬉しそうな表情で立ち上がった。

「……えっと、作戦は?」

 戦闘モード満々の高槻に俺は質問をする。

「そうね、名付けるなら『ゴー!in 郷!』作戦……ね。一般的には、郷に入らば郷に従えとも言うわ。相手のシステムをそのまま利用してやるのよ!」

 高槻は俺の目を真っ直ぐに見たまま言った。

「…………そうか」

 高槻の言葉を聞いた瞬間、俺は目の前に光が差し込んだ感覚を覚える。

「あら、察しがいいじゃない?」

 高槻はそう言って、俺にニヤリと微笑む。

「そうだよ……別に犯人なんて、どうでも良かったんだ」

 ああ、そうか、その手があった。俺はずっと勘違いしていた。色々やっていくうちに難しく考えてしまうのは、我ながら良くない癖だと思う。色んな情報が入ってくるうちに、俺は根本から離れてしまっていた。

 でも、高槻は一番大切なことを忘れていなかった。きっと、最初から一人でやってきたからなのだろう。

 俺は思わず鼻で笑ってしまう。なんだか、こいつに助けられるなんて、本当にパートナーみたいだ。

 というか、そのネーミングを聞いた瞬間にピンときてしまった俺も、少しずつあいつのことを理解してきているのかもしれない。なんか、素直には喜べないなあ……なんだか本当にさっきの俺の願いが伝わっているのか、急に心配になってきた。

 俺は何も言わず高槻に頷いて、今俺にできることを進言する。

「高槻のおかげで分かった。自分が何をしたらいいか」

「そう?それなら説明する手間が省けて良かったわ」

 ふふんと笑う高槻に、俺も少しだけ口角を上げてその表情を見せる。

「ああ。けど、俺はちょっとPC部に寄ってから行くことにする。……ほら村主、お前も行くぞ」

 そう言って俺は村主の腕をグッと掴む。

「お、俺も行くの?」

 突然の呼びかけに村主は、これ以上ない程に動揺する。

「お前は人質みたいなもんだからな。これまでの贖罪だと思って付いてこい。詳しいことは歩きながら話すよ」

「そんなこと言われたら断れないだろ……」

「そもそも最初からお前に選択肢はないんだよ……俺もだけどな」

 戸惑う村主に俺はまた鼻で笑う。いつの間にか、こんなことになってしまっている自分の境遇が、ふと可笑しくなった。自分の受身が招いたトラブルの結末は、やっぱり自分で解決するしかないんだなと改めて実感する。

 そんな俺たちのやり取りを見ていた高槻が、千里の方を向く。

「さて……ちり、私達も準備するわよ」

「えっ?準備って何を?」

 高槻の意図がまだ理解できていない千里は、目をパチパチさせてきょとんとしている。

「しいて言うとすれば、心の準備ってところかしら」

「ええっ?!」

 高槻はあえて遠回しの言い方をして、千里をわざと脅す。

「大丈夫よ。少なくとも、また服を水で濡らしたりってことはないから」

 高槻が時代劇に出てくる悪代官のような表情で、ニヤリと千里に微笑む。

「その笑顔が怖いんだよぉ……」

 想像できないという恐怖に半泣きになる千里。頑張れ千里。千里がどうなるか分からないが、俺は楽しみにしている。そうやって心の内でラッキースケベを期待していることは、こっそりと胸に秘めておく。多分ずっと秘めておく。

 涙目の千里から目を離し、改めて高槻は俺の顔を見る。

 小さな高槻に見つめられた目。不思議とその目線に、不快感を感じることはなかった。

「じゃあ、また後で。……なお、頼んだわよ」

 そう言って高槻は俺の左肩を、拳で軽く押し当てる。

「ま、それなりに頑張るよ」

 俺は高槻にそう告げて、漫研部の部室を後にした。

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