第7話 今井早妃は、防刃魅惑のプロポーション。

 夕暮れは黄昏。放課後の終了時刻が刻々と迫ってくる中、各々の身長よりも長くなった3本の影が廊下に伸びる。

 赤みを増してきた夕日に目を細めながら、俺たちは生徒会室に向かってのこのこと歩く。擬音というのは不思議なもので、「のこのこ」というだけで、まるで俺たちが仕掛けられた罠にでもはまりに行くような感覚を覚える。まあそんなことを言い始めたら、高槻と関係を持った段階ですでに罠にかかってるようなものなんだけどね。

 生徒会室は文化部部室棟の一階、その一番奥にある。当然ではあるが、何の部活にも所属していない俺のような人間が、この辺りに来ることはめったにない。用事がないのだから、来る必要がない。その立地のせいもあり、この近隣部室の生徒くらいしか来ないのではなかろうか。

 つまり、この辺りは学校内で一番目の届かない場所と言っても過言ではない。俺が知っていたのが奇跡的なくらいだ。入学早々校舎内で迷子になったことにも、それなりの甲斐があったというものである。なんで学校ってフロアの案内図とか置いてないんだろうね?新入生への嫌がらせか、もしくは社会の厳しさを教えるための優しさか。最初だけでいいから、テーマパークとかでもらえるような折り畳みのマップが欲しい。あれ、ポケットに入れられて便利だからね。

 そうこうしているうちに、俺たちは生徒会室の前に着く。

 高槻は相変わらず苛立ったような面持ちで、ドアの引き手を握る。高槻は眉間にしわを寄せたまま、そのまま無言で引き戸を勢いよく開けた。ガラガラという引き戸ならではの音とともに、生徒会室がオープンになる。

 生徒会室は俺が想像していたより一段と広かった。生徒会に所属している生徒はせいぜい10人もいないはずなので、その全員が入るくらいの大きさだろうと勝手に想像していた。しかし実際は、職員室の先生が使うような事務用のオフィスデスクがずらりと並んでいる。明らかに一般の教室や部室とは設備が違う。本当に仕事をするために存在している部屋、と言っても差支えないほどに、異質な空間がそこにあった。

 そんなずらっと机が並べられたその一番奥の席に、一人の女性だけが座っていた。そう、彼女こそがこの高校の生徒会長である。

「……入るわよ」

 高槻はボソリとそう言って、ずんずんと中に進んでいく。生徒会室だからといって全く動じることもない。こいつ、すげえな……この度胸だけは見習いたいものである。横暴なところは反面教師にしていこう、うん。

 ずんずんと近づいてくる高槻に気が付いた会長は意外そうな表情を見せて、持っていた紙をデスクに置く。

「あら?珍しいお客さんね。でも、入るときはノックくらいしたらどうかしら?」

 会長がすまし顔で高槻に話す。

「ふんっ、ノックするのはその大きくて邪魔そうな胸だけでいいわよ」

 高槻は会長の身体的な部分をピンポイントに悪態をつく。ただ、それがあまり悪口に聞こえないのは、俺が男だからなのだろうか。

 そんな高槻の様子を見た会長は、ため息をついて首を横に振る。

「ふう、まったくあなたは相変わらずねー……」

 売り言葉に買い言葉。この言葉がこれだけ分かりやすく当てはまるシチュエーションも今どき珍しい。

 この2人、知り合いなのか?いきなり始まったケンカ腰のやり取りは、見ているこちらがハラハラする。これが3年生の生徒会長と、入学してまだ2ヶ月の1年生の会話だとは、到底思えない。

 そんな高槻と会長のやり取りを横目で見ながら、俺たちはこっそりと生徒会室の中に入る。

「お、お邪魔しまーす……」

 千里が俺の隣で、会長に聞こえるか聞こえないか絶妙な程のボリュームで挨拶をする。

「あら?今日は高槻さん、一人じゃなかったのね?」

 そう言って会長が俺と千里の方を見る。

「お邪魔します」

 俺は改めて会長に挨拶をする。

「ああ、いらっしゃい」

 会長は俺にニコリと微笑む。美しい造詣の顔立ちから放たれる微笑みの、その攻撃力たるやいかに。実際にこれだけ近くで見ると、思っていた以上にかなりの美人である。俺はその笑顔にやられないよう、意識して口角筋にグッと力を入れた。

「……今は会長1人だけなんですか?」

「あー……うん。他の子たちは、別の委員会の会議の様子を見に行っちゃった」

 会長は何か言いづらそうな表情を見せる。

「ま、とりあえず、簡単に言うとサボっちゃったっていうか?」

 自分で言った言葉を笑ってごまかすかのごとく、すぐさま会長は照れ笑いした。

 小垣北高校生徒会長、今井早妃(いまい さき)。誰が見ても美人なこの会長は、意外とズボラというか適当である。

 成績は当然のごとくトップクラスで、運動のセンスも群を抜けている。ため息が出そうになるほどのそのプロポーションの良さ。そして何より、美しい見た目にそぐわない、このあっけらかんとしたキャラクターとのギャップが、人気の秘訣なのだろう。

 この会長に告白し、玉砕してきた数々の先人たちの気持ちはよく分かる。全てがあまりに完璧すぎて、この人にだったらフラれても仕方がないと素直に諦めがつくほどだ。

 そんな会長に、俺は今目の前で起きていた光景のことを質問してみる。

「……会長と高槻って、あんまり仲良くないんですか?」

 俺の質問に対し、会長は不思議そうな表情を見せる。

「あら?私は仲良くしたいって思ってるわよ?ただ、高槻さんの方は私のこと嫌ってるみたいだけど」

 そう言って会長は、高槻の方をチラリと一瞥する。

 高槻は今にも噛みつかんというばかりに、会長のことを睨み付けていた。飛び掛かろうとする高槻の体を、千里が必死に後ろから羽交い絞めして抑えている。千里も自分の役割をだいぶ理解してきたみたいだな……人間の慣れって怖い。

「……この様子を見て、なんとなく理解しました」

「ふふ、理解が早くて嬉しいわ♪」

 会長がにっこりと微笑む。

「で、君の名前は?」

 会長はそう言って、座ったまま机に肘を付いて手の甲に顎を置いた。

「あ、そうですよね。香山です。香山 直っていいます」

「ふんふん。見た感じ、君は一年だね?」

「はい、そうです」

「高槻さん以外の一年生がこの部屋に来るなんて珍しいねー。うんうん、会長として私は嬉しいよー!」

 高槻はちょくちょく来てるのか。だからあれだけ無鉄砲で方向音痴なこいつが、珍しく最短距離でこの部屋まで来れたんだな……なんでこの生徒会室によく来てるのかは聞かないでおこう。何となく想像はつくけど。

 会長と高槻の深い関係についても気になるところではあるが、それはさておき、俺は本題について聞くことにした。

「あの……実はちょっと会長に聞きたいことがあって、ここに来たんです」

「ほう?この私に?」

「はい、会長にです」

 俺がそう告げると、会長は分かったと言わんばかりに、うんうんと大きく頷いた。

「いいわ、教えてあげる。そうね、私のスリーサイズは上から……」

「そんなこと誰も聞いてないっ!!!」

 会長の言葉に横やりを入れるように、突然高槻が怒鳴った。眉間に深いしわを入れて、全身全霊を込めてこちらを睨み付けている。強く威嚇する高槻のその表情は、ギリギリという音がここまで聞こえそうなほどに全力で歯を噛みしめていた。

「冗談よ♪いちいち怒ってちゃキリがないわよ?高槻さん」

 会長はてへっと舌を出し余裕そうな表情で、高槻をたしなめるように人差し指を左右に振る。

 高槻の奴、なんてことをしてくれたんだ……せっかく会長が自らスリーサイズを自白しようとしたのに、そのチャンスをつぶすなんて……せめてその胸のカップ数だけでも知りたかった。

「で、香山くん、本当は何を聞きに来たのかな?」

 俺が心の中で残念がっているのを知ってか知らずか、会長は改めて俺に問いかける。

「あ、はい。あのこんなことを聞くのは失礼も承知で聞くんですが……」

「もーじれったいなー、ほらほら!さっさと言ってよー!」

 俺の前置きに対し焦れてきた会長が、頬を少し膨らませて、ふてくされたような表情で俺に催促する。

「え、ええ。……会長は、校内の美少女ランキングって知ってますか?」

 俺は覚悟を決めて聞く。

「ランキング?あー……」

 会長は確認するようにそう呟いた後、ふふと笑い、そして2回ほど軽く頷いた。

 会長が少しだけ口角を上げたまま、俺の目を真っ直ぐに見て話す。

「うん、ランキングのことならもちろん知ってるよー?自分がどんな位置にいるかってのも、なんとなくはね」

 これだけ聞くのをためらった質問への回答は、意外すぎるほどあっさりと返ってきた。

「え?会長知ってたんですか?」

「まあ、学校内の噂みたいなもんだし、放っておいても勝手に耳には入ってくるから」

「そういうものなんですね……」

「それに、一応この生徒会室は学校内の色んな情報を集約してるわけだからねっ♪」

 そう言って会長は、再度俺に微笑む。

 千里と高槻は、俺と会長のそんなやり取りを黙って見ていた。

 高槻は腕を組みながら何かに対してイラついている雰囲気を出していたが、事件の情報を得るという名目のもと、必死に自分の内側で自制心と共に葛藤しているようだった。

 会長は机の上にあった消しゴムを手に取り、手首のスナップをきかせ軽く空中に投げてはキャッチした。

「……会長はこのランキング、どう思われます?」

「どうって言われても、ねえ?みんなからそういう風に思われてるんだなー、ってくらいにしか思わないかなー?」

 そう言いながら会長は、握った消しゴムをそのまま頭頂部に移動させ、自らのつむじの辺りに乗せて落ちないようにバランスを取った。こういうところを見ると、なんだか小学生みたいだよなあ。もしこの人が会長だと事前に知っていなければ、とても生徒会長だとは思わなかっただろう。

 そんな会長に向かって、俺は話を続ける。

「かなー、って……会長はそれでいいんですか?」

「だって、それが事実なら受けいれるしかないでしょ?所詮ランキングなんてそういうものなんだし」

「そうですか……」

 少しだけモヤッとした気持ちが胸の辺りに生まれる。会長がもっとランキングの上位にいてほしい、という気持ちがあったのかもしれない。そんな個人的な理由で本人を困らせるわけにいかないことは俺も重々承知しているけれど、やっぱりそのランキングにはどこか納得ができず悔しい。

 そんな俺の葛藤に気が付いたのか、ふふ、と会長が意味ありげに笑う。

「……?」

 俺の困った顔をじーっと見つめて、会長は不敵な笑みで再度口を開く。

「……でも、それって、本当に外見の基準だけなのかしらね?」

「……どういうことですか?」

「外見の好みということを隠れ蓑にして、本当はもっと別の理由もあったりして……なんて」

 含みを持たせたような会長の言葉。

「え?何か心当たりあるんですか?」

「心当たり?そんなの腐るほどあるよー?紛いなりにも生徒会長なんてやってるとねー、知らないうちに面倒事も増えてるもんなのよ。ただ、外見のことで妬まれるとか、そんなの私だって知ったこっちゃないっつーの」

 会長は肩の辺りで両手を広げ、ヤレヤレというジェスチャーをする。

 完璧超人という表現がぴったりな会長を妬む人間というのも、学校内にこれだけの人数がいれば、やはり何人かは存在するのだろう。努力して目立てば目立つほど妬まれるなんて、嫌な世界である。

 目立つという意味だけで言えば、高槻も同じような人種なのかもしれない。会長のそれと同じように、あいつのことも妬んでいる人間がいたりするのだろうか。

 ふうと大きなため息を吐く会長に、俺は再度情報を求める。

「何かヒントになりそうなことだけでも……ほんと、些細なことでいいので」

 会長は俺の言葉を聞くと、頭の中の情報を洗いざらい探すように、目をしかめて脳内のデータベースを検索する。

「うーん、そうね……これはあくまで推測でしかないけど、どうしても私を上位にしておけない理由があった、とか?例えば私が上の方にいたらまずいとかね」

「会長が上位にいちゃいけない……」

「誰かが決めるものは、全て必ず下心がある……なーんてね♪」

 会長はそう言って、俺にウィンクを飛ばす。それこそ俺に下心があったら、もう完全に会長の虜になっていたところだろう。危ない危ない。

 会長とそんなやり取りをしていると、扉越しにザワザワと廊下が騒がしくなる。そして、ガラガラという音とともに、生徒会室のドアが開く。

 開かれたドアの向こうには、見覚えのある男女が1人ずつ立っていた。女生徒の方が先に室内へと足を踏み入れる。その足取りはなんだか疲労感に満ちていた。

「ただいま戻りましたー。はあ、つかれたー……」

「佐川ちゃんお疲れーっ♪」

「お疲れじゃないです!会長もちゃんと来てくださいよ……」

 佐川というのは、副会長の名前だ。生徒会副会長3年、佐川亜紀(さがわ あき)。とりわけ外見は今井会長のように目立つわけでもなく、ごくごく一般的な可愛らしい女子高生と言った感じだ。唯一の特徴を挙げるとすれば、ポニーテールがよく似合っているとかそれくらいである。

 会長と副会長、ペアだからこそどうしても比較されてしまうだろうから、その見た目について言及されることは少ないが、決して可愛くないわけではない。俺は完全に会長派だけど。

 そんな副会長である佐川先輩と共に室内へ入ってきた男子生徒が、会長に頭を下げる。

「お疲れ様でした」

「あら、永井君もお疲れ♪いつもありがとね!」

「いえ、仕事ですから」

 清潔感溢れる爽やかな笑顔で、永井先輩は会長に返事をする。その爽やかさ足るや、まるで夏のサイダーのCMのようである。絵に描いたような好青年というか、スタイリッシュな外見。まあ単純に分かりやすく言ってしまえば、かなりのイケメンだ。

 そんな永井先輩を見て、副会長は顔を膨らまし、不機嫌そうな表情を見せる。

「もー、永井ももうちょっと会長にちゃんと言いなよー!そうやって甘やかすから会長が全然仕事しないんじゃん?」

「え、そうなのかな……?」

 そんな副会長と書記の会話に、立ち上がった会長が割って入る。

「まあまあ、2人とも!ケンカしないでよー?」

「会長が原因です!」

「へ?あ、あはははー……」

 副会長に怒られてしまった会長は、恥ずかしそうに苦笑いをした。そんな姿も可愛らしく見えるのだから、元々ある美しさというのは本当にプラス方向に影響しやすいんだなと実感する。外見って大事ですね。

 小言を言って呆れていた副会長が、俺たちに気が付く。

「あれ?お客さん?って高槻さんじゃない?!」

「…………」

 高槻は返事もしないまま、副会長のことを睨み付ける。

「高槻さん、また会長とケンカでもしにきたの?」

 副会長は高槻を挑発するかのごとく、少し鼻で笑いながら高槻に声をかける。明らかに良くない空気が2人の間に流れる。一触即発とはこういう状況を言うのだろうか。顔や声には出さないが、無言でも高槻のとてつもない怒りがオーラとしてこちらまで伝わってくる。

 そんな状況を見つつ、そろそろ一度間に入ってフォローに入っておいた方がいいかなと俺が考えていたところ、高槻の様子に気が付いたのか、永井先輩が副会長に話しかける。

「副会長はさっき出た議題を会長に伝えてあげてください。これ、議事録ですから」

 そうやって永井先輩に議事録を半ば無理やり渡された副会長は、不服そうな顔で訴える。

「えー……会長に伝えたところで、どうせ最後には私が決めなきゃいけないんだから、わざわざ伝える必要ないんじゃん?」

「それでもです。この生徒会のトップは今井会長なんですから、組織としてちゃんと上に内容を伝えるべきです。会長が仕事をしないなんてことは、生徒会をはじめみんな知ってるんですから」

 ……永井先輩、爽やかな顔して意外と毒づくんだな。清潔感があるだけに、逆にその言葉が発言内容の鋭利さを増幅させてるような気もする。

「ううっ!永井君の偽りないストレートな言葉が胸に刺さるぅっ!」

 永井先輩の言葉を受け、会長は刺されたと言わんばかりにその豊満な胸を自らぎゅっと抑える。

「わかってるわよ、全く……ほら、会長。バカなことやってないで打ち合わせしますよ」

 そう言って副会長は会長の襟首をグッと掴むと、そのまま生徒会室の端の方にある打ち合わせテーブルに歩いていった。会長がズリズリと引きずられたまま離れていく。

「みんなゆっくりしていってねー……」

 会長が最後の別れを惜しむように、力なく俺たちに手を振る。

 千里だけが苦笑いをしつつも、会長に手を振り返していた。

「……こんな会長でうちの学校は大丈夫なのか?」

 生徒会の2トップがいなくなり、途端に静かになった空間で俺は呟く。

「あの会長なら大丈夫だよ。僕たちを含め周りには見せないけど、裏ではしっかりしてるんだ」

 この高校の先行きに不安感を覚えている俺に、先輩が声をかける。

「永井先輩……でしたっけ?」

「ああ、自己紹介が遅れたね。うん、僕は2年の永井 孝太郎(ながいこうたろう)だ。生徒会では書記をやっているよ、よろしくね……君は?」

「あ、はい、香山直です。こちらこそよろしくお願いします。……なんだか騒がしくしちゃってすいません」

「いや、いいんだよ。高槻さんも騒がしくしたくてそうしてるわけじゃないだろうし。こっちこそごめんね?本来はこちらがおもてなししなきゃいけない立場なのに、気を使わせてしまって」

 爽やかさの代名詞とでも言えるほど、永井先輩のその姿は全体的に清潔感で溢れている。ザ・好青年。少なくとも、自分にはないものがすべてそこに凝縮されているようで、普通に喋っているだけでもなんだかすごく劣等感にさいなまれる。

「それにしても珍しいね、一年生がこんなところにやってくるなんて。何か用でもあったのかい?」

「ああ、ええ、まあそんなところです。会長に用があったので。もう終わりましたけど」

 俺の返事を聞いた永井先輩は、にこやかなスマイルを見せ頷く。

「そっか。うん、無事に済んだのなら良かった。何かあったらいつでも来てくれていいからね?ここは僕たち生徒会執行部だけの部屋じゃない。この学校に所属するみんなが使用して良い部屋なんだから」

「はあ……」

 そうは言っても、実際一般の生徒がここに入るのは勇気いるよなあ。感覚的には職員室みたいなものだよ?ほら、職員室に生徒がいたら、それだけでそいつは何か悪いことをしたんだって思っちゃうじゃない?それと同じです。

 満足げな表情の先輩が、一息ついてまた俺に話す。

「僕はね、この学校の生徒一人一人の才能を開花させたいんだ」

 そう言って、永井先輩は俺の目を真っ直ぐに見る。

 正直、俺は人の目を見るのが苦手だ。別に何か自分に落ち度があるわけでもないのに、目をじっと見られているだけで、自分の粗を探されているような感覚を覚える。だから俺はそういうとき、若干目を細めて相手を見ることにしている。そうすれば少しは自分の心を覆ってやれるような気がする。これは過去色んな経験を繰り返し、人生を受身でこなしていくことを決意した結果、こうやって部分的にひねくれていったという、一つの証拠かもしれない。

 そんなことを思っている俺の内面など全く気にするそぶりも見せず、先輩は口角を上げて、いとも爽やかに軽やかに話を続ける。

「うちの高校は、大雑把に言って大体1,000人くらいの生徒がいる。それだけいる生徒全員が、それぞれの才能を伸ばしたらどうなると思う?」

「……なんかすごそうっすね」

 なんか急に面倒になったので、適当に相槌を打ってみる。

「ああ、そうなんだよ!個々の才能が真に開花したとき、この学校は全国でも例を見ないほど本当に素晴らしい高校になる!」

 先輩は両の掌を軽く空に向けて、熱く語る。見た目のタイプは真逆だが、黒金に初めて会ったときの感覚に酷似していた。熱が高すぎて少し戸惑ってしまうとか、早くこの場を切り抜けたいなあとかそういう気持ちだ。

「だからね、君の才能はこの学校の宝でもあるんだ。僕は心からそう信じている」

 物事を前向きに真剣に考えている意識の高い人間の方が、人としてはきっと優秀であるに違いない。けど、どうしてか俺は『そちら側』にいくことに抵抗がある。

 何かを変えていこうとかそんな気持ちは、俺の人生の中に搭載されていない。やってきた事実に対して処置していく、後手後手の発想。だからこんな風に色々と振り回されちゃうんだろうけど。

「君の才能に期待しているよ」

「が、頑張ります……」

「ああ!!一緒に頑張ろう!」

 俺は永井先輩に肩をポンと叩かれる。少女漫画に出てくるイケメンのような、にこやかな笑顔。

 もやもやとした気持ちの中、それが表情に出ないよう俺も必死に顔を繕う。

「じゃあ、今日はこれで失礼します」

「ああ、また来てくれるのを待ってるよ」

 永井先輩は爽やかに手を振る。それにつられて、俺も苦笑いしながら上げた手を軽く揺すった。


 俺たちは3人揃って、生徒会室を出る。

 千里が引き戸を閉めた瞬間、顔をしかめていた高槻がすぐさま口を開いた。

「あの永井って人、うさんくさいわね」

「まあ、そう言ってやるな……っていうか、こんなドアの目の前で言うなって。聞こえてたらどうすんだよ?」

 俺はその場から離れるために、2人より先に廊下を歩き始める。

 後ろからパタパタと軽やかな足音と、ズンズンと怒りに満ちた足音が聞こえる。どちらの足音がどちらのものなのかは、確かめるまでもなく明らかだった。

「意識高い系ってやつ?頭おかしいんじゃないの?」

「生徒会の奴らからすれば、お前も十分に頭おかしいだろうよ。少なくとも学校一の問題児には言われたくないだろうな」

 廊下を歩きながら、俺は背中越しにイライラしている高槻をたしなめる。

「でも、結局これといったヒントは見つからなかったね。会長さんもよく知らないみたいだったし……」

 千里が残念そうなトーンで、ハアとため息交じりに口を開く。

「……いや、そうでもないわよ?」

 そう言った高槻が前を行く俺の袖をグッと引っ張って、後ろから顔を近づける。女子特有の不思議な良い匂いがふわりと鼻に入ってきた。

「明日の放課後。また作戦会議するわよ」

 本格的に赤みを帯びてきた夕日が、ニヤつく高槻の顔を照らす。

 悪いことを企んでいる人間の顔って、すぐ分かるもんなんだなあ……そんなことを思いながら、俺は無言で頷いた。

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