第十六話 くたばれ、ばれんたいん!
みんな、わくわくそわそわしているバレンタイン。今日は、たぶん授業になんかならないでしょ。女の子は、くすくす笑いながらカバンの中を指差して。前の日の苦労話で盛り上がってる。男の子も、この日が終わるまでは何があるか分からないって、見込みがある子もない子も落ち着かない感じぃ。うちの高校は昔はミッション系だったから、校則厳しい割にはバレンタインには甘い。公休日に近いかもしんない。
どろどろどろーーん。
そういう中にあって。わたしはどっぷり暗黒オーラに包まれてた。
「ちょ、みゆー、あんたどしたん?」
あずさがのけぞって驚く。そりゃ、そうだよね。目は泣き腫らしてぱんぱんだしぃ。髪はぼっさぼさ。タイはひん曲がってる。靴のかかとは踏んづけちゃってるし、手足は擦り傷だらけ。
「朝っぱらから、お兄さんとケンカ?」
「んにゃあ。今日の兄貴はケンカ受けてくんないも」
「あ、そっか。彼女のあんまーいチョコがでろーんと」
「そ。けったくそ悪いけど。今日はなに言っても効果なしよ」
「じゃあ、その荒れようはなんなの?」
「決まってるじゃん、あのオトコよ」
「あのオトコぉ!?」
あずさのあたまン中には、わたしとじょいんとする男の名前も姿も浮かんでこないみたい。そりゃそうさ。わたしだってまだ面拝んでないんだもん。
「どの……オトコでございましょ?」
「その薄い胸に手を置いて、よーく考えてみたまい」
げしっ! 遠慮なく、ど突きが入る。
「みゆってば、ひとことどころか、存在そのものが余計なお世話ね」
「今ごろ気ぃ付いたか。あふぉー。ぐえへへへ」
自分でも思う。こういう日の自虐ギャグはオモい。教室に入ったところで、いいんちょがすっ飛んできた。
「みゆー、はよー。でさ。例の……」
「うん。めっちゃへびぃよ。とってもこんな浮かれた日にハナシ出来るこっちゃないわ」
「で?」
「今日乗り込んで、火ぃ吹いてくる」
「ドラゴンかい!」
でも。いいんちょの顔にも笑顔はなかった。あずさもやっと気ぃ付いたようでん。
「みゆ、カレとの約束は?」
「午後。でも、わたしがそれまで保たないかもしんない」
にしやんが寄ってきた。
「はよー、みゆ。保たないって、向こうが?」
「それもある。でも、わたしが自分の気持ちを抑え切れないかも」
「ふん?」
にしやんが、わたしの制服の胸ぐらをぐいっとつかんで引き寄せた。
「じゃあ、遠慮すんな。ぶちかませっ!」
「うん!」
にしやんは、わたしの頬をぱんと張った。
「気合い負けすんなよ」
「うすっ!」
田丸さんも寄ってきた。持ってるのは、あの運命の輪のカードだ。
「みゆ。ちゃんと回すんだよ。がんばれっ!」
「ありがとっ!」
そして……。しょーこが、手に何か持ってやってきた。
「これ、みゆに」
「チョコ?」
「うん。わたしね」
しょーこがにこっと笑った。
「先にみゆに変えてもらったから。だから、がんばって」
昨日、あんなに泣いたのに。また涙が出る。
「うぐ……」
わたしは、自分の机の上を見て。拳を握りしめる。しっぽの最後のいたずらなんだろか。わたしが金曜日にお見舞いで持ってったガーベラの花束。その一輪が、机の上に置いてあった。明るいパステルピンクの花。それは柔らかな、でも確かな拒絶。もう、いいよ。僕はもうじゅうぶん君からもらった。満たされた。だからもういい。もうそっとしといて。
わたしは唇をかむ。強く。強く。血が出るくらい強く。あったまくるっ! でも、我慢しなきゃ。が、我慢……しなきゃ。その我慢の限界が来たのは、三時間目。三輪目の花が机に置かれた時だった。わたしの頭の中で何かが弾けとんだ。
ぷっつーーん!!
「もおお、我慢できん! あんのやろおおおっ!!」
わたしは。先生もクラスメートもあぜんとしてる中、ものっすごい勢いでカバンを引っつかんで教室を飛び出した。なあにがバレンタインだっ! なあにが愛の告白だっ! そんなもん、くそっくらえだーーっ!!
◇ ◇ ◇
昨日は面会出来なかった、マサトの病室。今日は、昨日と違ってすっごい慌ただしくなってる。たぶん、お姉さんや親に面会を申し込んでも絶対に断られるだろう。そういう状態になってるってことが、よく分かる。だから強行突破するしかない。わたしは、看護師さんの数が少し減るタイミングを待って、その部屋に飛び込んだ!
「き、君は誰だっ! 今は面会できる状態じゃないっ! 出ろっ! 出て行けっ!」
若いお医者さんが、血相を変えてわたしに怒鳴った。わたしの視線の先に、包帯で顔中ぐるぐる巻きになってる男の子の顔が飛び込んできた。包帯のすき間から見えるあざや傷、やせ細った顔、薄いまぶた。鼻や手から何本もチューブが伸びて、真正面から見ているのがつらい。ぴーぴーとうるさくがなっているのは、のーはかなんか計る機械だっけ。うるさいっ。静かにしてっ!
そして、わたしは駆け寄ってきた看護師さんを突き飛ばして、全力で叫んだ!
「こんの、こんじょなしーーっ! なあにが、後悔してるだあ? こんのばかあっ!!」
「勘違いしないでよねっ! あんたは、わたしになんかしたと思ってる? あんたのいたずらが、わたしになんか出来たと思ってる? じょーだんじゃないっ!!」
「いない人からのもんなんか、何も受け取れないよっ! なんでそんなことも分かんないほどバカなのっ!?」
「あんたさ。自分のためになんかしたことあんのっ!? あきらめないでなんかしようとしたことあんのっ!?」
「腐ってるよね。自分で自分しばりつけて、ぐじぐじぐじぐじ。勝手に自爆して、めそめそして、身ぃ引きますだあ? いい加減にしろーーっ!!」
わたしのあまりの剣幕に。取り押さえようとしてた看護師さんたちも、足がすくんだみたい。
「いたずらする元気があるんだったら、なんでそれを自分に使わんの!? なんで、それを全部人にあげちゃうの!?」
「それね、受け取れないっ! そんな、あんたの血がだらっだら垂れてるようなん、受け取れないっ!」
「好きだって言うんなら、あんたの口で、その口で、わたしの目の前でちゃんと言いなさいよっ! 卑怯者っ!」
「ごめんなさいひゃっかい言った後に、食べ残したしば漬けみたいに好きって残されたって、そんなん知るかあっ! ばかあああああっ!!」
わたしは、自分の持ってるありったけの力を全部ぶち込んで、思いっきりばかって叫んだ。マサトが勘違いしてること。優しさの意味を勘違いしてること。言葉だけ遺されても、想いの行き場なんかないの。だったら、最初っからそんな言葉なんか遺さない方がいい! ずーーっといい!!
じゃあ、なんでそんなこと言ったの? 生きたいからでしょ? 生きて、やり直したいからでしょ? 本当は、どっこまでもそう思ってるんでしょ? なのに、どうしてかっこつけるの? そんなクサい映画のラストシーンみたいなんを、自分で作っちゃうの? それは、あんたが弱いからだよ。強くなりたいって言いながら、何もしないあんたが弱いからだよ!
わたしだって、人のことなんか言えない。絶対に言えない! でもね、わたしはずっともがいてきたの。みっともなくても、ばかみたいでも、ばたばたもがいてきたの! だって、それがわたしなんだもん。かっこ悪くたって、ぶっさいくだって、そうやってきたの!
わたしがかっこよく見えたんなら、それはわたしが犬かきでちょっぴり前へ進めたから。でも、わたしは溺れてんの。まだ溺れてんの! だから泳がないと沈んじゃう。そうでしょ? 違う!? 違うかーーっ!?
◇ ◇ ◇
わたしが全身全霊を込めてバカを絶叫したあと。脳波計が、無情な音を出した。
ぴ。ぴ。ぴ。ぴーーーっ。
わたしは。その場にへたり込んじゃった。こんだけ言ってもだめだったか……。呆然としてたお医者さんが、ゆっくり聴診器を外して首を振った。看護師さんたちがすすり泣く。お姉さんとご両親が、泣きながらマサトにすがりついた。
ん。んー? んんんんーー!?
また、新たな怒りがふつふつと沸いてきた。わたしは涙でろでろの顔で、お医者さんの白衣の袖をぐいっと引っ張って、脳波計を指差した。
「せんせー、よーーっく聞いてください、これっ!」
わたしの言葉に、部屋がしーんと静まり返った。
確かに脳波計からは、連続音がぴーって聞こえてくる。だけどその音は微妙に揺らいでて、何か他の音が混じってる。そして、混じってる音がだんだんはっきりして、大きくなってきた。
「ぴーーーっ。いーしやーきいもー、やきいもっ、ほっかほかのー、あまーい、おいもだよっ」
ぶっちーん!! さいってーーっ!! 命かけてギャグればいいってもんじゃねえぞーーっ!! ごるあーーっ!!
その最っ低最っ悪のいたずらに激怒したわたしは、脳波計を持ち上げて床に思いっきり叩き付けちった。
ぐわっしゃあああん!!
その背後から。マサトの迷惑そうな小さな声が響いてきた。
「うるっさいなあ。ちっとも眠れないよ」
◇ ◇ ◇
あの機械。すっごい高いらすぃ。わたしが、残りの高校生活のお昼を全部コーヒー牛乳だけで我慢しても、弁償しきれないらすぃ。むぅ。やっちまった……。まあ、でも。お金で命が拾えるんなら、その方がいい。ずーーっといい。
わたしは。お姉さんやご両親、先生や看護師さんにぺこぺこと頭を下げられて。まるで病院のいいんちょにでもなったような気分で、ゆっくり病室を後にした。でも……脳波計の請求書はうちに送られて来るんだろうなー。お母さんが、食卓に塩だけ置く日が来るのかもしんない。とほほほほー。
病院を出たわたしは、少し緩んできた冬空を見上げた。泣き腫らした目に、少しベールのかかった日差しは優しい。辺りを見回すと、昼ご飯食べに行ってたOLさんたちが、リボンのかかったチョコを手に、ぺちゃくちゃしゃべりながら歩ってる。うん。まだ午後の部もあるもんね。腐ってもバレンタインかあ。わたしのプレゼントはとりあえず受け取ってもらえたみたいだから、それでいいってことにしよう。ああ、腹減ったー。
バス停で、しょーこからもらったチョコがあったのに気付いた。
「うむうむ。持つべきものはトモダチだなやー。ありがたやありがたや」
包装を解いたら、中からハート型の手作りチョコクッキーが出てきた。うれしいなあ……。ごち! ほくほく顔で、ぽんと口に放り込む。
「……」
うむ。その。なんだな。
「しょーこ。頼むから塩と砂糖は間違えんでくで」
◇ ◇ ◇
学校に戻って午後の授業を受けられる時間だったけど、さすがに恥ずぃ。いいよね。今日は、もう。平日だけど、バレンタインだからか街中には人がいっぱいあふれてる。今日だったら制服着てても、人波に紛れて行けるかな?
コンビニでパンとコーヒー牛乳を買って、アズールに行く。なんとなく、そこならほっとできるかなーと思って。ドアの前に立ったら、バイオリンの音が漏れてきた。きっとおばさんが練習しているんだろう。うん。ほんとにすごいなーと思う。
「こんにちはー」
ドアを開けたら、汗をだらだら流してるおばさんがこっちを向いた。
「あら、みゆちゃん、学校どしたの?」
「今日はバレンタインなので、ほとんど授業になってません」
「こらこら、さぼってっ!」
怒られちった。でも、おばさんは笑顔だった。
「なんか、いいことあったんでしょ?」
えへへ。笑ってごまかす。弓を下ろしたおばさんに聞かれた。
「想いは届いた?」
「はいっ!」
「うん、それはよかった。じゃあ、ごほうびね」
にこっと笑ったおばさんが、CDプレイヤーのボタンを押して弓を構えた。
「ベートーベンのバイオリンソナタ第5番。春」
青い空間の中を漂う音。わたしは椅子の背中を抱いて、じっとその音に浸った。これまでと違う、暖かい涙を流しながら。
◇ ◇ ◇
「たーだいまー」
「おかえりー」
兄貴は、中村さんと食事にでも行ったかな。ホワイトデーまで待てるような兄貴じゃないよ。きっとこの日のためにがっつりバイトして、外メシ代を稼いでたんでしょ。がんばってねい、兄貴。
「ねえ、みゆ」
「なにい?」
「昨日の夜、部屋で暴れてたでしょ。満月でも見たの?」
「狼男じゃあるまいしぃ」
「じゃあ、豚女か?」
くっそぉ。本当に身内だとよーしゃないね。
「ちゃうよ。ちぃと腹立つことがあっただけ」
「ちぃとなら、暴れるのもちぃとにしといてよ。後片付けすんの大変なんだから」
「そんなん頼んでまへーん」
「そゆことは、自分で部屋を掃除してから言うことねー、豚女」
ぐぎぎぎ。言い返せんのが、とことんよわよわだん。
「ったく、どうしてわたしから、こんながさつそのもんの娘が生まれちゃったんだろ?」
お母さま。オコトバですが、間違いなくあなたのDNAのせいだと思われます。
「どうせ、今日だって誰にもチョコ上げられなかったんでしょ?」
「うん? チョコはあげなかったけど、あげてきたものはあるよ」
「ほへ?」
お母さんが、びっくり顔をする。
「バレンタインにあんたからなにかもらうなんて、そんな奇特な男の子、見たことも聞いたこともないけど」
これだよ。ったく。
「まあ世の中広いですからねぃ」
お母さんが、じとーっとわたしを見る。
「純潔とか言わないよね?」
ちょっと! 何年わたしの親やってんのよ、お母さん!
「そーゆー、ちょー脱力するギャグはヤメテ」
「そーよねー。で、何あげたの?」
わたしはカバンをひょいと抱えて、階段に歩ってった。部屋ぁ片付けなきゃ、後でまた突っ込まれる。
「……勇気」
◇ ◇ ◇
「あーあ」
我ながら、よくここまでぶちまかしたにゃあ。自分にこんなぱっしょんがあるなんて、思ってもみなかったもん。床中に散らばった本や教科書を拾って、机と本棚に戻す。鉛筆や小物はあっちこっちに入り込んじゃってる。回収できるものだけにしとこ。壊れちゃったのもあるし。
わたしがどんなに部屋の中をぐっちゃぐちゃにしても、それは片付ければ元に戻る。少しの引っ掻き傷とがらくたと、そしてもやもやした気持ちは残るかもしれないけど。元に……戻るの。でもね。なくなった命だけは、元に戻らない。それはやり直しってわけにはいかないよね。
わたしは。今日、マサトにお礼することができたかな? わたしを変えてくれたマサトのいたずら。ほんとはね、ありがとうって言いたかった。わたしにいっぱいチャンスをくれて、ありがとうって言いたかった。でもね。そしたらマサトは、自己満足の優しさだけを、孵らない卵みたいに抱いたまま逝っちゃう。だから、わたしは心を鬼にした。世界中のバレンタインを待ってる女の子を全員敵に回してもいいから、バレンタインの奇跡なんかぶっ壊したかった。
マサトが自分の足で、こんちくしょうって歯をくいしばりながら欲しいものを取りにいく。そうしないと、何にももらえないよ? 奇跡なんかどっこにもないんだよ?わたしがバカ絶叫に込めた気持ち……分かってくれたかなあ。
ベッドの布団をめくったら、金曜日に握りしめて寝たコインが出て来た。わたしはそれを持って、部屋の窓を開ける。流れ込んでくる冷気。道路に向かって、コインを力いっぱい投げた。澄んだ暗闇の中で、小さくちぃんと音がした。だって、あれは魔法のコインじゃない。単なるスロットのコイン。百円玉の代わりにも使えない。うっかり高校の売店で出したら、怒られちゃうもん。
わたしは窓をぱたんと閉めて、カーテンを引いた。さあ。みんなにメールを流そう。
『ミッション完了! 無事生還! 応援ありがとう!』
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