第十一話 ぴあの
ううー、めっちゃハードな一週間だった。よく乗り切ったと思うわー。特に最後の水浴びは、冬にはちょっときつかったっす。なーんとなく風邪気味。だから今日は出歩きたくないんだけど、計画してることがある。ちょっと……試してみよう。
さて。朝メシ食べてこよっと。着替えないで、パジャマのまんまで一階に下りる。
「はよー」
兄貴が、ソファーにふんぞり返ってバイト誌をチェックしてる。
「おー。なんか顔赤いぞ? 恋でもしたかあ?」
「くだらん突っ込みありあとー。なーんとなく熱っぽくてー。風邪のウイルスにラブかもー」
「お下がりを俺によこすなよー」
「遠慮せずにー」
「やかあし!」
おおっ! 珍しく朝からご飯だ。お母さんに何かあったんか?
「お母さん、どしたん? ご飯なんて?」
「この前食べたいって言ってたでしょ? だからよ」
はっはーん。違うなー。中村さんが来た時に恥かいたから、少しは練習しとこうと思ったんでしょ。ぐひひ。お母さんも、意外に見栄張るからねい。いあいあ、それでも久しぶりの和食はうれしい。いただきやーす。
もぐもぐもぐ。ずずー。うん、おいしいじゃん。お母さんも、ちゃんと作れるのになー。でも仕事忙しそうだから、しょうがないところもあるんだよね。だから、わたしもあんま無理言えない。さて。
「お母さん、おいしかたー。ごちそうさまー」
「あれ? また寝るの?」
「うん、ちょっと熱っぽいし、後で出かけないとなんないから、それまで休む」
「無理しないようにね」
「あいー」
ベッドに戻って、体温を計る。
「うー、ちょっとヤバいかも」
38度超え……かあ。出かけるまでに熱下がるかなー。わたしは毛布をもう一枚追加して、布団に潜り込んだ。風邪薬飲んだし、すぐに眠気が来た。ぐう……。
◇ ◇ ◇
整理しておこう。こんなに次々おかしなことが起こるようになったのは、二週間前にあのしっぽのストラップを拾ってからだ。あれがわたしの近くにあっても、離れてても関係ない。わたしがそれを持ってるだけで、いたずらは起こる。
あのストラップ。拾った時から、なんか変な感じだった。正確に言ったら、拾ったんじゃなくて。付けてた人がそれを落としたのを拾って、でも返しそびれたんだよね。携帯にこれを付けてたのは、若い会社員風のお姉さんだった。携帯を握りしめて、すごい勢いで誰かにどなってた。
「どうしてっ!? どうして、あんたはいっつもそうなのよーっ!?」
カレシから別れ話でも切り出されたのかなーって。そしたら携帯からあのストラップが落ちて、気付かないお姉さんがそれを残したままで、話しながら離れてく。わたしがそれを拾って、落としましたよーって声かけようと思った時には。もうお姉さんは携帯をバッグに放り込んで走っていた。まるで逃げるみたいに。
わたしは……なんとなく思う。お姉さんは、このしっぽから縁を切りたかったんじゃないかなーって。悪意のないいたずらなんだろうけど、こいつのいたずらは本当にたちが悪いもん。だって、いたずらの結果が全部残っちゃうから。じゃあ、しっぽなんかさっさと捨てちゃえばいいのに。わざわざ誰かに拾わせるように仕組んで。なんで、あんな回りくどいことをしたんだろう? わたしは、いやあな予感がしたんだ。だから、これからそれを確かめようかなーと思ったの。
いやな予感……捨てても捨てても戻って来ること。
◇ ◇ ◇
目がさめた時には、びっしょり汗をかいてた。べたべたして気持ち悪い。シャワー浴びてこよう。家の中がみょーに静かだなーと思いながら、一階に降りる。
「あれー? お母さんも、兄貴もいないなー」
出かけたんかなー。家中がしーんとしてる。休みの日は、お母さんがひっきりなしにスナック菓子をぼりぼり食べる音が響いてるから、それが当たり前のようになってて。こんなに静かだと、ちょっと薄気味悪い。熱出ててぼーっとしてたから、シャワーを浴びるまで気が付かなくて。蛇口ひねったところでやっと気付いた。
音が……しない。
わたしは勘でシャワーを浴びた。風邪のせいで耳がやられて、音が聞こえにくくなってるんだ。そう自分に言い聞かせて。お風呂を出て、下着とパジャマを替えて、前のを洗濯機に入れた。洗濯機のスイッチを入れたけど。音が……しない。洗濯機自体はちゃんと回ってる。だんだん不安になってくる。冷蔵庫からポカリを出して、電子レンジで少しあっためた。あっため終わりの音が聞こえない。熱くなっちゃった。いらいらする。やだ。早く寝ちゃおう。
二階に上がって、また布団にもぐりこむ。少し熱下がったかなー。
◇ ◇ ◇
少しして、ふっと目が覚めた。うん、さっきよりだいぶ楽になった気がする。布団から出て一階に下りる。あ、今度は音が聞こえる。よかったー。さっきのは何だったんだろ? お母さんが、ぼりぼり音を立ててスナック菓子を食べる音。これこれ、これだよねー、やっぱ。
お母さん、さっきはどこ行ってたのー? そう言おうとして。声が出ないことに気付いた。のどが痛いとか、かれてるとか、そんなんじゃなく。声自体が取り上げられちゃった。そんな感じ。リビングに入ったら、お母さんに心配された。
「みゆー、あんた具合悪そうだけど、大丈夫かい?」
だいじょうぶじゃない。たぶん、わたしは真っ青だったんだろう。でも、それは風邪のせいじゃない。それを……説明できない。わたしはのどを指差して、手でばってんを作った。
「ありゃ、のどやられちゃったかー。病院行く?」
わたしは手をぱたぱた振って断る。おねんねのまねをして。二階に戻った。
「あったかくして、寝てるんだよー」
お母さんの声が背中に乗っかってくる。うー。寝よう。
◇ ◇ ◇
今度は短時間のうたた寝だったと思う。お腹空いたなー。そう感じて、布団を出た。あ、あれ? もう夕方? 時計を見る。まだ昼前なのに、なんでこんなに薄暗いの? 周りを見回して、ぎょっとした。色が……ない。白黒だあ!
や、やだ。やだあっ! 怖いっ! 怖いよーっ!
わたしは布団を被って、目をつぶってがたがた震えた。分かってる。これはいたずらだ。あのしっぽのいたずらだ。でも、今度のはアクシツだよ。ひどいよ! 風邪引いてて具合悪いのに、どうしてこんなことするの? ひどいよーっ! 怖いのと。アタマ来たのと。わたしは泣こうと……したはずだった。
え? 涙が。涙が出ない!? 慌てて布団をはねのける。色は戻ってる。いつものごてごてカラフルなわたしの部屋だ。でも、涙が出ない。泣き顔にならない。
泣くことを……取り上げられちゃった。
◇ ◇ ◇
一階に下りて、昼ご飯を食べる。風邪引いてるっていうのに、お母さんはそういう配慮はしてくんない。宅配のピザ、すか。でも、ぶちぶち文句言いながらも食べてしまう自分が悲すぃ。
「みゆ、喉は大丈夫なの?」
「うん、まだかすれてる感じはするけど、なんとか」
「熱は?」
「下がった。7度1分」
「良かったじゃない」
「うん。兄貴は?」
「バイトの面接に行くって」
「ふーん。でも、いいなー」
「何が?」
「いや、バイトできるのがさー」
お母さんが、からからと笑った。
「みゆ、何言ってんの。そのうちイヤでも自分で稼がなきゃならなくなるのに」
むー。確かにそれもそうだ。あ、そういや。
「お母さん。二年のコース決めるのに、進路希望出さないとなんないの。親とも相談して、希望出してって」
「ふん? 最近は何でも早く決めさせんのねー。慌てることないのに」
わたしもそう思うんすけど、ガッコの方針ですけ。
「どうしたらいいと思う?」
まあ、お母さんがどう答えるかは分かってる。分かってるから気が重い。
「自分で考えなさいよ。あんたの将来でしょ?」
はい。その通しです。
「みゆは、なんかやりたいことないのー? 美容師とか、保育士とか、婦警とか」
「なんでわたしがお巡りさんやらないとなんないの?」
「別にやれなんて言ってないよ。憧れとか、おもしろそーとか、そんなんないの?」
「うー」
わたしのアタマだと、出来ることがそんなに……。お母さんは、わたしの顔をじーっと見てて。にやっと笑った。
「あんたは、昔から考え過ぎよ。まずやってみて、だめだったら他やればいいのに。そういう割り切りが下手」
ぐうう。
「無関心のポーズは取るけど、実際はすっごく突っ込む。いい加減にしない。したくない。お父さんに似ちゃったねー」
「え?」
「あんだけおじいちゃんに反対されてたのに、警察で働くのを諦めなかったでしょ? あんたもそっくりよ。決めるまでは悩むけど、一度決めたらひっくり返さない。すっごいごうじょっぱり」
お母さんは、ゆっくり立ち上がった。
「一生のことなんだからさ。別に慌てなくていいよ。進路決めろってのは高校の都合。それに乗せられることはないさ。ただし」
お母さんが、わたしをぴっと指差した。
「自分の尻は自分で拭きなさいね。寄生虫は許さないよ」
ピザの空き箱をばたばたっと畳んで。それをぐしゃっと潰したお母さんが、強い口調で警告した。
「絶対にね!」
◇ ◇ ◇
もう一度。お母さんに言われたことを、布団の中で思い返す。
わたしがすぐに考え込んじゃうこと。難しく考えちゃうこと。そして、それを知られたくないってごまかしちゃうこと。わたしは悩まないよー、平気だよっていうへらへらポーズ。そういうのって、バレちゃうんだなーって思う。お母さんにだけじゃなくて、ビーバーにもにしやんにもすぐにバレる。
わたしは、どうでもいいトモダチがいっぱい出来てもうれしくない。自分を飾らないで、ほんとにナマのところが出せるトモダチが欲しい。トモダチが欲しくても出来ないのは、わたしのへびぃなところが相手に見えちゃうからだ。わたしに踏み込むには覚悟が要るよって。そういう重ったるいクウキが、わたしのどっかにどよーんと漂ってるんだと思う。だから。それを知られるのがヤだから。わたしはむりっくりそれをアタマが悪いせいにする。コンプレックスのせいにする。そしたら。今度はそれが呪いになる。トモダチ出来ない言い訳が二つになっちゃう。悪循環……。
あ、今度は涙出た。わたしは、布団から顔を出した。
「熱下がったし。出かけよ」
◇ ◇ ◇
もっこもこに着込んで、わたしは玄関の扉を開けた。風がすっごい冷たいはずなのに、今はそれを感じない。今は、温感が取り上げられちゃってるんだろなー。
わたしはぴあの。誰かがてきとーにいたずら弾きしてる。鍵盤が押されるたんびに、わたしは悲鳴を上げる。ひゃあ、とか。きゃあ、とか。その鍵盤が元に戻るまでは、その音は出ない。それが今の状態だよね。わたしは、鍵盤が押されるたんびに無くした音の意味を考える。それがわたしにとって、どんなに大事なものだったのかを考える。でたらめな調子っぱずれのメロディーを、どこか遠くに聞きながら。
「どとれとみとふぁとそとらとしの音がー出なーい」
◇ ◇ ◇
人通りの多いショッピングエリアの一角。あんまり使われてない電話ボックスの中に入って、風を避ける。寒さの感覚が戻ってきたとたんに、それがめっちゃつらくなっちゃった。やっぱ、まだ風邪のダメージは消えてないね。さっさと済ませて帰らなきゃ。でも、それからが大変だった。温感は戻ったんだけど、今度は触感がなくなった。なにかを触ってるっていう感じがしない。指をうまく制御できない。
なーにーよーこーれーーっ!!
わたしはしっぽ追放計画をちょっと中断して、アズールに行ってみることにした。おばさん、いるかなー。中村さんに教えてもらったビルの二階。アズールの扉に何か張り紙がしてある。
『中村絵美 イラスト展』
ええーっ!? 中村さんて、絵ぇ描くのーっ!? この前来た時には、そんなことひとっつも言ってなかったよ。兄貴は知ってたんかなー。そおっと扉を開けて、中に入る。中村さんはいなかった。隅っこの方におばさんが座ってて、熱心に何か読んでる。
「すみませーん」
顔を上げてわたしを見たおばさんが、にこっと笑った。
「ああ、この前絵美ちゃんと来た子じゃないの。みゆちゃんだっけ、元気?」
「ううー、風邪引いちゃいましたー」
「そんくらいなら大したこっちゃないよ。まだ若いんだからさ。はっはっはー」
ほんと、楽しいおばさんだー。
「でも、知らなかったですぅ。中村さん、絵を描いてるんですねー」
見回すと、この前授業でやったみたいなパステルトーンの柔らかいイラストが、青い海にいっぱいぷかぷか浮かんでいた。あったかい絵。吸い込まれそう。
「まあ、あの子も恥ずかしがりやでねえ。もっとしっかり売り込めばいいと思うんだけど」
へえー。絵描きさんなのかなー。
「中村さんは、これがお仕事なんですか?」
「違うよ。あの子はまだ学生だ。それも専門は全然絵と関係ない。こっちは趣味だね。もったいないと思うけど」
そうなんだー。
「気にいったかい?」
「はい! わたしが描いてみたい絵ですー」
「はっはっは。そういうのが伝わる絵だよねー」
おばさんは、一つの絵の前に立って目を細めた。
「絵も、音楽も。伝えるものさ。自分を伝える。伝われば、それが広がる。そういうもんだよ」
中村さんの絵を見ているうちに。わたしの中の波は穏やかになったみたいだ。ぽぉん……。わたしのぴあのは、小さな音を一つ残して。静かになった。
◇ ◇ ◇
さっきの電話ボックスの近く。歩道に差し掛かっている木の枝を一つつかまえて。わたしは携帯から外したしっぽを、それにくくりつけた。
「ばいばい。おもしろかったけど、しんどすぎるよ」
さ。鯛焼き買って帰ろっと。デパ地下でぬくぬくの鯛焼きを買って、それをカイロ代わりに両手で包みながら家に帰った。
「ただいまー」
「お帰り。お、鯛焼きじゃないの」
「一個五百円!」
「中のあんこがダイヤモンドかぃ」
「ざりざりしそう」
「お金上げるから一個ちょうだい」
「いいよー」
久しぶりに和食作ってくれたし。さっき、ちゃんと相談に乗ってくれたし。お母さんにお茶いれてもらって、二人でぬくぬくと食べる。
「ふはあ。しやわせー」
「おいしー」
「変わり鯛焼きもあるけど、やっぱり王道のあんこが一番だなー」
「うん、わたしもそー思うー」
ほこほこ。さて……。
「お母さん。まだ本調子じゃないから、晩ご飯までもう少し横になる」
「そうだね。あったかくしとくんだよ」
「うん」
部屋に戻って、制服からパジャマに着替える。そして、カバンから携帯を出した。しっぽは……ちゃんと戻ってた。勝手に置いてかないでよー、ひどいなあって顔して。
「はあっ。やっぱりかあ……」
来週学校に行ったら、対応策を考えないとなー。このままじゃ、どんどん被害が広がっちゃう。もうわたし一人じゃ、手に負えない。手伝ってもらおう。しっぽがわたしに引っ付けてくれた、たくさんの人の力を借りて、なんとかしなきゃね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます