第十話 おおあめけいほう

 ぴーかん。ガラス拭きが終わったでっかい窓みたいに。ぺきっとした青空がぐいーんと広がってる。今日は、いっちゃん最初っから体育だん。しかも。しかもだよ。男子は体育館なのに、女子はグラウンドだってさ。どーいうことよ! まあ霜柱が立つほど寒くはないし、今日は天気もいいからそこそこぽかぽかしてるし。しょーがない。勘弁してやる! とか、えらそーに言ってみる。にゃはは。


 体育は二クラス合同でやるから、昨日の美術で顔を合わせてる子たちとも一緒になる。美術室で騒ぎ起こしたわけじゃないから、わたしはあれだけど、南雲さんはしんどいだろなあ。……と思って、そっちを見ると。やっぱ元気がない。

 二人一組での柔軟体操でも、南雲さんの相手はいない。でもそれは、昨日のこととは別の理由のような気がする。女の子は、嫉妬が絡むとおっかないからにゃあ。南雲さんがどんな性格の人だったとしても、男の子なら最初から50%アップ、女の子からは50%ダウンの査定でしょ。どっちからもダウン査定しか出ないわたしよりゃ、ましかもしんないけどさ。


 手加減しないわたしを嫌がって、あずさがさっさといいんちょと組んだ。くぅ、きゃつもツメタいのぉ。体育はクラスはあんまかんけーないので、南雲さんに肥え掛ける。あ、もといっ、声掛ける。


「南雲さん、組もうよ」


 いきなりわたしから声が掛かって、びっくりした風の南雲さん。でも、うれしそうな返事が返ってきた。


「あ、ありがとー」

「でも、わたし荒っぽいから、そりは勘弁ね」

「ひえー」


 わたしの運動神経は、もともとよろしくない。特に、球技系がぼんぼろりんじゃ。でも、今日は走る跳ぶ系なので、まだなんとか。運動不足でひーふー言うだけ。前にビーバーのあとを追っかけさせられた時は、しんどかったよなあ。心臓爆発するかと思ったもん。


 四百メートルを軽く流して、その後走り幅跳びの記録を取ることになった。腹が重いわたしは、人間が跳ぶというより、ウシガエルが跳ぶっていう感じになんの。でも、腹の重心をうまく軌道に乗せれば、それなりに跳ぶのよー……って自分で言ってて泣きたくなってきたわん。あんま助走で勢い付け過ぎると、跳ぶ前にこけて潰れるし。かなぴー。まあ、それでも二メートル台の記録。わたしには上出来。


 お、南雲さんが跳ぶ。顔だけでなくてプロポーションもいいから、結構いい記録出るんちゃうかなー。そう思ったわたしの予想は、きれいさっぱり裏切られた。


 助走のスピードがとろっとろで助走になってないしぃ。じぇんじぇん踏み切りのタイミングが合ってないしぃ。えいっていう掛け声はいいんだけど、両足揃えて跳ぶのはないでしょ。それは立ち幅跳びっしょ? 記録は一メートルにも届かにゃい。アマガエルでもそれよか跳ぶぞ。むーん、見事な運痴だにゃあ。

 変な話だけど、わたしはなーんとなく安心する。天は、そうそう二ブツも三ブツも与えないってことだよね。あっはっは。一ブツもないわたしの言うこっちゃないけんどさ。昨日のアレじゃないけど、はめられちゃったイメージで振り回されると、こういうんももしかしたらツラいのかもなあ。わたしは、大変だろなーと逆に同情しちゃったりする。


「みゆー、おつー」

「あずさぁ、ごるあ、逃げよったなあ!」

「だってえ、みゆってば柔軟の時に手加減しないんだもん」

「ちっ。あずさもちったぁ肉付けんと。いつまでも二次元のままじゃあ、風で飛ばされっぞ」

「にゃにおう?」


 更衣室で着替えながら、あずさと突っ込み合う。


「ほほん、今日はキャラパン?」

「つーか、基本キャラパン。昨日はたまったま清楚な白でよござんした」

「ぐへえ」

「にしてもなあ、昨日はヤバかったよなー」

「うに。変だなあーとは思ったけどさ」

「でしょ? みょーににやけてなかった?」

「それは、いっつも」

「ごるあ!」


 着替え終わって出ようとした時に、更衣室に南雲さんだけがぽつんと残ってることに気が付いた。


「あれえ、南雲さん、どしたー?」


 あずさがすぐに気付いた。


「ひっどいことするなー」

「え?」


 あずさが指差したのは、南雲さんが手にしてたスカート。それは、カッターかなんかでざっくりと切り裂かれていた。


「うげえ! ちょっと、なんぼなんでもこれは」


 それをじっと見ていたあずさが、わたしに言った。


「みゆー、ちょっと付いててあげて。わたし、先生に言ってくる」

「あ……」


 止めようとした南雲さんを残して、あずさがさっと更衣室を出て行った。むーん。気まずい。


「ねえ。南雲さん。こんなんいっつもなの?」


 黙ってうつむいてた南雲さんが、ゆっくりうなずいた。ぼろぼろ涙をこぼして。


「あれえ?」


 泣き出した南雲さんの涙に合わせるように、すごい雨が降り出した。ちょ、さっきまで雨雲なんかどっこにもなかったぞー? どゆこったあ? そこに。めっちゃ変な表情のビーバーとあずさが来た。


「なに、これ?」

「へ?」

「この更衣室の上だけ、すんごい雨なの。五メートル四方だけだよ。真四角に降ってる」

「わたしに理由が分かるわけないじゃん。律儀でしみったれた雨降らしの神様でもいるんちゃうの?」

「どーいう神様よ!」


 ビーバーが、やれやれって表情で南雲さんに声を掛けた。


「南雲さん、とりあえず保健室に移動しましょ」


 ビーバーが差し出した大判のタオルを腰の周りに巻いて。ぐすぐす泣いてる南雲さんを取り囲むようにして、四人で保健室に移動した。それに付いてくる雨雲。


「やーな雲だなあ。こっちに付いてきたよ」

「まあ、校内までは入れないからいいんちゃうの」


 能天気なあずさ。


「そっかなあ……」


 わたしの直感や嫌な予感は、よーく当たる。テストのヤマとか懸賞とかは、ちぃとも当たんないのにさ。ぶちぶち。


◇ ◇ ◇


 少し落ち着いた南雲さんが、小声でぼそぼそ話したこと。これがまた、真っ黒けのけの話だった。話自体はどっこにでもある話。ことは去年にさかのぼる。開校以来の美少女ってことで、周囲が南雲さんを見る目はぎんぎらぎん。最初っからなじみにくい雰囲気だったらしい。でも、それは小学校でも中学校でもそうで。高校も公立ならトラブルを避け切れないだろうからって、わざわざ背伸びしてここにきた、と。ここは、もとはお嬢さん校だったし。


 でも、中身は他と変わらんかったわけね。うちのガッコはもう共学になってるし、お作法にうるさいってことは、やっかみとか恨みが表に出ないで潜りやすい。同じクラスの女の子のカレシが、勝手に南雲さんによろめいたのを逆恨みして、陰湿な嫌がらせが始まったそうな。それも面が割れないように、何人かローテーションしてイジメぷろぐらむを作ってる、と。そんなん考えるアタマあるなら、他に使えよなーって感じ。

 南雲さんはこれまでも学校にイジメの事実を訴えてるけど、イジメの首謀者がこの学園の有力なスポンサーの娘なんだとか。そりゃあ、学校側でも腰引けるわね。イジメグループへの口頭注意だけしかしないから、なーんにも解決にならんとさーあ、さのよいよい。


「オンナって、やーねー」


 あずさがこぼす。


「あずさぁ、それはちみがオンナになってから言いたまい」

「にゃにおう!?」

「こら、あんたたち!」


 ビーバーが割って入る。深く溜息をついたビーバーが、わたしの方を向いた。


「石田さん、わたしがこの前辞めたいって言った中には、こういうのも入ってるのよ」

「う。そ、そっかあ」

「でも、なんとかしないとね」

「せんせー、なんか方法があるんですかぁ?」


 あずさが確かめる。


「そんなの、あったらわたしが実行してるわ。わたしよりも上で決まることには、わたしは手出しできないわよ」

「けーさつは?」

「器物損壊とかで訴えることはできるでしょうけど、スカートの代金弁償して終わりでしょ? 学校側が処分の姿勢を示さない限り、警察は手を出さないわよ。南雲さん本人には手出ししてないし。ほんと、陰湿ね」


 むぅ。昨日の美術室のこともある。きっと、すっごく我慢しててつらいんだろうなーと思う。わたしとあずさみたいにバカやって突っ込み合う相手が、ずっといないんだろう。ほんとにかわいそうだ。みんなで、うーうー言いながら考え込んでる間に。また南雲さんが、べそべそ泣き出した。


 と。


「く、来るっ!」


 わたしがそう叫んだのに、あとの三人が驚いた。


「ちょ、みゆー、おどかさないでよ。なに?」

「みんな廊下に出てっ! せんせーもっ!」


 わたしの大声に弾かれたように、ぞろぞろっと廊下に出た。その上から……。

 どざざざざーーっ!! 土砂降り。


「ちょっとーーっ!」

「こ、これなにっ?」


 驚いた南雲さんが泣き止んだ途端に。ぴたっ。雨が止んだ。


「ううー、びっしょびしょー」

「ほらー、あずさ。やっぱ付いてきたでしょ? 雨雲」

「ろくでもない雨雲じゃあっ!」


 ビーバー、ぼーぜん。


「あの、石田さん。どういうこと?」

「わたしに聞かんといてください。んなこと知りませんよ。でも」

「でも?」

「南雲さんが泣くと、その上にめっさ大雨が降るっていうことなんでしょ」

「はあっ?」


 べっくらこいたのは、南雲さん。


「つーことで、南雲さん。しばらく泣きたくても我慢してくらはい。風邪引いちゃう」


 ビーバーが、頭をぷるぷる振りながら言った。


「タオルと着替え持って来るわ。保健室の中で待ってて」


◇ ◇ ◇


 当然、さっきの話の続きになる。


「でさ。具体的に、首謀者だれ?」


 あずさがダイレクトに聞いた。ビーバーと南雲さんが、顔を見合わせた。わたしたちが信用出来るかどうか分かんないから、用心したんでしょ。でも、今でもじうぶんどこもかしこも敵だらけ。あきらめたように、ビーバーがばらした。


海老島えびしまさんよ。ほんとに困った子だわ」


 ああ、有名人だ。えび女王様。まんま、白雪姫の悪いおきさき様みたいなキャラだからにゃあ。予想はしてたけどね。どんぴ、かー。と、あずさの顔を見ると。


「げっ!」


 鬼のような顔してる。


「ちょ、ちょっとあずさぁ、どしたん?」

「あんの野郎ー」


 野郎? あのー、えび女王様はオンナっすけどー?


「みゆー。この前わたしをだましてたらしこもうとした連中がいたでしょ?」

「ほいな。それが?」

「その黒幕が、えびパパよ。あのカネの亡者めが!」


 あ。やべ。あずさのスイッチ入った。戦闘モードだ。


「ちょ、あずさぁ、なんぼなんでも直接えび女王に手ぇ出すのはまずくないっすかあ?」

「あんなチンケなのはどーでもいー。おやぢの方よっ。ぶっ潰してやるーっ!」


 はい。最強戦闘体勢になりましたねい。わたしゃ、もう知りまへーん。


 にっこり笑ったあずさが、わたしたちに手を振った。


「馬場先生、わたしちょっと気分が悪いので、早退します。大村先生にそうお伝えください」


 急にばかてーねーな言葉遣いになった。そんな気分爽快そうな顔で、気分悪いって言われてもなー。そっすかー。んで、あずさがさかっと姿を消した。当然、生活指導やってるビーバーだから、質問が出る。


「石田さん。生野さんは、何しに行ったの?」


 ふう。


「せんせー、それは知らない方がシアワセだと思います。この前あずさに絡んだろくでなしどもは……」


 わたしが、首ちょんぱの真似をしたのを見て。ビーバーと南雲さんが、首をぷるぷる振って目をつぶった。


◇ ◇ ◇


 二時間目がそろそろ終わるにゃあ。三時間目には間に合いそうだけど、ここまで関わったんだから最後まで付き合おう。


「と、まあ。上の方はあずさに任せるにしても」

「は?」


 きょとんとした顔の南雲さん。をいをい、ほけっとるばやいではないぞ。


「えび女王への落とし前はちゃんと付けとかないと、状況は変わんないと思う」


 ビーバーのクエスチョン。


「石田さん、落とし前って、どういうこと?」

「せんせー、抵抗しない相手をいじめるって、いっちゃん楽なんですよ。やられたら、やり返す。そしたら、向こうもそうそう手を出せなくなる」

「でも……」


 南雲さんのゼツボー的な気持ちは、よーっく分かる。たぶん、女の子たちからずーっとハズされてきたんだろうから。だけど、やっぱガチ入れる時は全力で入れないとさあ。


「そういうよわよわのところは、男子からは同情を集めるけど、女子にはぶりっ子に取られちゃうの。悪循環でしょ?」

「う……」

「言わないと。押し返さないと。南雲さんの中身は分かんないよ? わたしもこの前トモダチにそう言われたの。ちゃんと、自分出せって。あんたはおもしろいんだからって」


 それを聞いたビーバーが、くすっと笑った。


「あらあ。石田さんも、ずいぶんタフになってきたわねえ」

「ええー? わたしは元々タフですよう」

「こら。自分をごまかしちゃダメよ」


 ちぇー。さすがビーバーだなー。南雲さんが、顔を伏せたままで小声で聞いた。


「あの。どうやって?」

「ああ、今日は強い味方がいるから、しっかり使いまそ」

「味方……って?」

「さっきの雨雲」


 ずどん! ビーバーと南雲さんがぶっこけた。


「南雲さんが泣けば、その上から大雨が降るよね。その土砂降りを相手よりも長く我慢できれば、腕力なくても勝てますよん」

「へえ。なるほどねえ」


 ビーバーがくすくす笑った。


「確かに、石田さんはおもしろいわー」


 せんせ。ちぃともほめられてる気がしましぇーん。


◇ ◇ ◇


 三時間目が終わって。スカートの代わりにジャージを履いた南雲さんが、教室に戻った。わたしは自分の教室には戻らないで、廊下にヤモリみたいに貼り付いて、こそーりと様子を伺った。


「あらー、南雲さん、スカートどーしたのー?」


 えび女王、さっそく絡む。南雲さん、いつもはずーっと嫌みを聞き流して我慢してるんだろう。でも、さっきわたしに言われたことを勇気を振り絞って切り出した。


「海老島さん、わたしに嫌がらせするのはもう止めてっ! あなただって、こんなことされたら嫌でしょ!?」


 切り裂かれたスカートを、女王様の顔に投げつけた。む。いいぞー。


「わたしがやったっていう証拠がどこにあんのー?」


 さすが女王様。抜かりはない。でもねい、今回はいつもと違うのよー。ビーバーが、切り札で南雲さんにわたした証拠写真。学校側は、一応裏を取って注意していたわけだわさ。南雲さんは、それを女王様の顔の前に突きつけた。


「これでも、やってないって言うの?」


 顔色が変わる女王様。でも、言い逃れようとする。


「そんなん、どうにでも合成できるでしょー。陰湿ねー」


 どっちが。


「とにかく、止めてっ!」


 それ以上は突っ込まずに、南雲さんが席に戻ろうとした。足を引っかけようとした取り巻きの足。いつもなら避けて歩くんだろう。でも、南雲さんはそれを踏んづけた。ぐしっ!


 戦闘開始。うん。南雲さん。ちゃんと覚悟したんだね。すごいよ。踏まれた子がいきり立つ。


「なにすんのよー!」

「いつもわたしにしてることでしょ? なんで怒るの?」


 反撃を食らったことのなかった女王様が、ぷっつんした。


「このクソあまぁっ! 下手に出てりゃいい気になりやがってぇっ!」


 雄叫びを上げながら、南雲さんに向かって突進する。まあ、お下品だこと。お行儀指導のセンセ。ちゃあんとああいう方を指導して差し上げないと、お給料をもらえませんことよ。おほほのほ。女王様の化の皮を剥いだところで、必殺技発動だーっ! 南雲さんが、抑えてた感情を爆発させて泣く。


「あんたなんかに、わたしの何が分かるっていうのよーっ!」


 来たっ、来たあっ、来たああっ!! どっぱあああっ!!


 おお! これまでの降り方とはケタが違います。長期熟成してますね。たっぷり年季が入ってますね。気象台観測史上さいっこーの降り方でしょー。いじょー、ゲンバからみゆがお送りいたしましたぁ!


 いきなり自分を襲った激しいスコール。それにもびっくりしたんだろうけど、十センチ先が見えないようなとんでもない土砂降りの中、顔を伏せずに自分をぎっとにらみ続けるその姿に。女王様は敗北を認めざるを得なかった。だらしなく、ばたばたと四つん這いで離れていく。


 はい。勝負ありましたねい。


◇ ◇ ◇


 お隣の教室は。何があったのか分かんないくらいの水浸し。膝下まで水位が上がったみたいだから。うっひゃあ、って感じだけど。


 わたしは、これで流れが変わるだろうなあと思った。勝手に作られた南雲さんのイメージは、あの大雨で崩れたと思う。それで無くすものよりは、雨上がりのまぶしい日差しの下で見えるものの方がずっと多いと。わたしはそう思うよ。ねえ、南雲さん。



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