第六話 おもいで

 じっくりことこと煮込んだ悩み。悩んだところで、なーんも解決するわけじゃない。アズールのおばさんに言われたみたいに、わたしのしなきゃなんないことは、もう決まってる。ただねえ。きっついよねえ。今まで、ずーっと逃げ回ってきて、最後にどうしても対戦しないとならないのが最強のボスキャラ、みたいな。はあ……どうしよ。


 RPGなら、まずパーティを組むところ。戦士がわたし。ヒーリング系のエルフは、ちぃと寸足らずだけどあずさがやってくれる。あとは、できれば援護してくれるウィザードが欲しい。そこは、やっぱビーバーだよねー。これまでみたいに、べったり頼るのは無しにするにしても、やっぱアドバイスは欲しいし、べんきおの手伝いも頼みたい。


 うん。ちゃんと頼みに行こう。これまでみたいに、たるい、うざいじゃなくして。

せめて赤点回避出来るところまでは、必死にがんばるから手伝ってくださいって、お願いしよう。だから……辞めないでほしい。ねえ、ビーバー。


◇ ◇ ◇


 週末びっしり考えて。セメント買って、決意を固めた。あ、ちゃうちゃう、固めるならゼライスか寒天パパくらいにしといて。いや、そうじゃなくて。早起きして、学校に行った。授業が始まる前に、ビーバーをつかまえてお願いしなきゃ。


 職員室の前に立つ。何度来ても、いやあな雰囲気のとこだよね。よっぽどのことがないと、ここには近付きたくない。まだ先生方はあんま来てないんか、職員室の中は静かだった。うーん、勢い込んで来たけど、まだビーバー来てないんちゃうかなあ。わたしも肝心なところが、ぼっこり抜けてっから。だははっ。

 まあ、男はどきょう、女はあいきょう、あいきょうのないわたしは当たって砕けろだ。行くぞーっ! わたしは目をつぶって、職員室のドアを引いてだだだっと中に入った。


「おはようございますっ!」


 礼儀にうるさいうちの高校では、ビーバー以外の先生は言葉遣いにとっても神経質で、うっかりタメな口をきくとぎっちり説教されるはめになる。それが、職員室の敷居をエベレストにしてるんだよねー。うだうだ言っててもしゃあない。さあ……あ……あえ……えーーっ!? って。なんじゃこりゃあああっ!


 どー見ても。職員室じゃないっすね。田んぼ。一面水が張ってあって。これから田植えするんだよーんて感じぃ。わたしは、その中に両足突っ込んじゃってる。うげえ、泥の感触がめっちゃキモい。


 おっとー。これはあまりにあまりじゃあーりませんか。今までのも相当キツかったけど。これは、いくらわたしでも耐えられそうにない。半泣き状態で、なんとか田んぼから足を引っこ抜いて、あぜに上がった。

 だいたい、ここどこよっ! もうすぐバレンタインなんだから、リアルな季節は間違いなく冬。でも、わたしの周りの景色は初夏だよねえ。どっかでカエルがげこってるし。もっとげっそりすんのは、右見ても田んぼ、左見ても田んぼ。そこいら中が田んぼだらけってこと。田んぼの中に、ぽつぽつと家が挟まってるって感じぃ。それも古ぼけた家ばっか。


 えーん、ここどこぉ? わたしがぼーぜんとしてるところに、どやどやと大勢の人が来る気配が近付いてきた。や、やばっ! でも、逃げようにも、隠れようにも。一面360度、大パノラマの、た・ん・ぼ。開き直るしかないよ。


 わたしを見つけたおじさんの一人が、声を掛けてきた。


「おう、ねえちゃん。援農けぇ?」


 意味が分かんないので、とりあえず話を合わせる。


「はい」

「そりゃあ、ありがてえけんど、そんな格好じゃあできねえべ。フミちゃん、あんたんとこで服貸してやってくれんけ?」


 フミちゃんと呼ばれたおばあちゃんが、わたしに聞いた。


「あいよ。あんた名前は?」


 ううう、とっさにうそっこの名前も浮かばない。ええい!


「みゆです」

「美冬さんかい」


 ばあちゃん、耳が遠いらしい。わたしは美冬さんてことになった。


「こっちおいで」


 あぜ道を歩っていって、一番近くに見えた家がおばあちゃんちだった。泥だらけの足を、井戸で洗わせてもらう。うわ、井戸って実物見たの初めてかも。わたしの足を見たおばあちゃんが、くすくす笑った。


「きれいないい足しとるねえ」


 あまりカラダをほめられたことないから、ものっすごくくすぐったい。


「ありがとう……」

「じゃあ、こっちおいで」


 座敷に上げてもらう。おばあちゃんが奥から服を持って来た。うわあ、歴史の教科書でしか見たことのないような服だあ。もんぺに足袋。上は和服みたいの。頭に帽子みたいにきれを巻いて。ぺたこらぺたこら、最初のところに戻る。もう、この時点で。わたしは完全に開き直ってた。どうなっても知ったこっちゃないわーっ!


◇ ◇ ◇


 ぐわーっ! こ、こ、腰痛ぇーっ!


 中腰で屈んで何かやるって、全然経験ないもん。泥はすっごく重いし、慣れてないからおばあちゃんたちよりもへたっぴ。植えてる列はぐにゃぐにゃ曲がるし、スピードも遅いし。わたしは、あんま役に立ってなかったと思う。でも、すっごいきつい作業なのに、みんなは文句一つ言わずに黙々と苗を植えて行く。何か所めかの田んぼに苗を植えたところで、一番年配のおじいちゃんが腰を叩きながら言った。


「昼にすべえ」


 他の人たちも一斉に体を起こして、腰を叩いた。わたしは、注意深くその人たちを見回した。おばあちゃんやおばちゃんたちは、さっさと田んぼから出てフミおばあちゃんの家に歩いてく。あ、そうか。お昼ご飯の準備だ。手伝わなきゃ。わたしも慌てて後を追った。


 おっきな網見たいのがかかってるおぼん。そこに山のようにおにぎりが並んでた。

それを持って、縁側に持ってく。おばちゃんたちが、お漬け物を洗って切って。川魚の佃煮が、かめから出て来る。わ! かまどだ。木が燃えてる。わたしはお味噌汁をよそうのを手伝いながら、周りを見た。そっか。なんか違うなーと思ったのは……。電気がないんだ。だから冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、電灯も。なーんもない。


 料理がそろったところで、にぎやかに話が始まった。わたしは明らかに異質な人物だと思うんだけど、みんなそれを気にしない。ひたすら近所のうわさ話やら、家族の話やらを繰り広げてる。


「なあ、善造さん。あんたんとこの息子は復員したんだべ?」

「ああ、ありがてえことにな。生きて返ってきたで。でも、さっさと町に出ちまってよ。百姓の方が、食いっぱぐれねえんだけんど」

「まあ、水飲み百姓のしんどさ知っちまうとな」

「で、両次郎さん、仕事はなんにしたんだ?」

「警察に勤めるってよ」

「ほー、大したもんだべ」


 わたしは。その会話になーんか引っかかるものを感じた。


 お父さんは、おじいちゃんの影響で警察官を目指したけど、おじいちゃんに止められた。ありゃあ、とことんしんどい仕事だ。止めとけって。あきらめ切れないお父さんは、粘って警察に入った。ただし、事務職として。頑固なおじいちゃんと妥協するためだって聞いてる。おじいちゃんの名前は両次郎。石田両次郎。もしかして……。


 フミおばあちゃんが、漬け物の入った丼をわたしの方に押してよこした。


「あんたもしっかり食べんと、いい子産めないよ。そーんな細っこい体して」


 わたしが細いと言われたのは、生まれて初めてかもしれない。なんか、めっちゃうれしい。


「ありがとうございます!」


 わたしは、お漬け物も佃煮も嫌いなはずなのに。すっごくおいしく感じた。お味噌汁のお豆腐の味が濃い。お味噌も匂いが強いんだけど、わたしの好きな味。わたしの和食好きは、お父さんの影響だもんな。


 にぎやかに話を繰り広げてたおじさん、おばさんたちが、空を見上げて急に静かになった。


 ごーうううん……。あ、飛行機が飛んでる音か。みんなが静かにその音のする方向を目で追ってる。


「善造さん、もう戦争は終わったさけ、飛行機が飛んどっても何も落ちてこんべ」

「ははは、そうよな」


 でも……みんな、それからしばらく何もしゃべらなかった。善造さんが、膝をぱたんと叩いて立ち上がった。


「さあ、もう一仕事すべえ」

「おう」


 おじさんたちが田んぼに向かう中、昼ご飯の後片付けをおばさんたちとやる。わたしは一番若いから、井戸の水汲みをすることにした。水の入った桶を引っ張って上げるのは大変だけど、腰を伸ばしてできる仕事だから。少し、楽な姿勢でできる。


 それからまた田んぼに行って、田植え。みんな黙々と。わたしがここに来た時にはただの泥の海だったところに、そよそよと苗がそよいでる。腰は限界に近かったけど、わたしにはその景色がアタマの中に強く、ものっすごく強く焼き付いた。それは、絶対に忘れちゃいけない景色のような気がして。


 夕方。へとへとになってフミおばあちゃんの家に戻る。おばあちゃんが、靴と靴下をきれいに洗ってくれていた。わたしは、その気遣いがとってもうれしかった。服を制服に着替えて。わたしは、おばあちゃんにお礼を言った。


「おばあちゃん、おいしいご飯をありがとう。すっごく楽しかったです」

「そうかいそうかい。そりゃあよかった」


 フミおばあちゃんが、深い皺の中に目をうずめて笑った。


「また機会があったら手伝うとくれ。今日はありがとうね」


 一度奥の間に行ったおばあちゃんが、何か持ってくる。


「手伝うてくれた駄賃が渡せりゃいいんだけんど、何もないんでねえ。昨日作った飴だけんど、持ってきな」


 新聞紙で無造作に包まれた白い飴が、わたしに手渡された。


「ありがとう、おばあちゃん!」


 傾く日差しの下。茜色に輝く田んぼを見ながら。わたしはおばあちゃんの家を出て、あぜ道を歩いていった。さて……。


「どうやったら、帰れるんだろ?」


 おじちゃんたちが歩いてきた方向に行ってみる。どろどろに疲れてたんで、どっかで座ってちょっと休みたいなーと思った。バスの待合室みたいな小屋が見えたので、そこの扉を開けて中に踏み込んだら……。ビーバーの声が、前から降ってきた。


「あら、石田さん。おはよう。どうしたの? こんなに朝早く」


 くすん。朝から再開すか。勘弁してくらはい。一日四十八時間は、しゃれになりましぇん。ああ、先生。わたしね、一大決心して来たんですけど、それはちょっと延期します。根性がもちまっしぇーん。


 わたしは、かろうじて先生に笑顔だけ見せて。ばったり倒れた。


◇ ◇ ◇


 わたしは、保健室で夕方まで爆睡していたらしい。あずさがわたしの悩んでた様子を知ってたから、ものっすごく心配してずっと付き添っててくれたって。ほんとにうれしい。


 でも、さっきのは夢? 架空のできごと? いや。手足や顔に付いた泥のあとはそのままだ。それに……。わたしは手にしていた新聞の包み紙を見る。開いた新聞紙の日付。昭和21年6月1日。そして、飴は……そこにあった。


「あら、懐かしい。たんきり飴ね」

「先生、食べます?」

「いただくわ。大好きなの」


 新聞紙から飴を取り上げた先生が、それを口にぽんと入れた。


「うわ、すごくおいしいわあ。上手に作ってるわねえ。どこで買ってきたの?」

「おばあちゃんの手作りです」

「あら、お上手ねえ」


 わたしのおばあちゃんのじゃないけど。


 五十年以上も前かあ。わたしは、まだたった十六年しか生きてないけど、その間に

も世の中が変わってる。人の歴史って、すごいね。ビーバーがここで先生をやってた二十五年の間にも。いろいろなものが来ては、去っていったんだろうなー。そして、それが今の先生を作ってる。わたしは、そのことに素直に感動する。


「ねえ、先生」

「なあに?」

「先生を辞めないでください。わたし、先生の授業大好きです」

「……」

「先生の授業は、先生にしかできないの。だから、辞めないでください。お願いします」

「分かったわ」


 ビーバーが、苦笑いした。


「今、わいろもらっちゃったしね」

「あはは。でも、先生。それね、すっごく貴重な飴なんですよー」

「そうなの?」

「うん。それは、先生がまだ生まれる前にできた飴」


 ビーバーが変な顔をした。


「どういうこと?」

「そのまんまです。あ、わたしそろそろ帰ります。今日は迷惑かけてごめんなさい」


 わたしは、ぽかんとした顔のビーバーを残して保健室を出た。


◇ ◇ ◇


「ちょっと、みゆー。なに、そんなおばあさんみたいなかっこしてんの?」

「ううう、腰が痛いんだもん、しょうがないでしょ」

「保健室で寝過ぎたか?」

「ちゃうよ。重労働の後遺症じゃ」

「ぐーすか寝てるののどこが重労働じゃ、あほー」


 ぐうう、反論できんのが悔すい。反論する元気なんか残ってないけどさ。


「じゃねー、また明日ー」

「あずさぁ、今日はありあとー」

「お大事にねー」

「へーい」


 家に帰ったら、真っ先に確かめたいことがあった。ちょうどお父さんが帰ってきてるタイミング。そのチャンスを逃がしちゃいけない。新聞を読んでたお父さんに声を掛ける。


「お父さん」

「んー?」

「お父さんのおじいちゃんの名前分かる?」

「ああ、善造だよ。石田善造」


 やっぱり。


「もしかして、農業とかやってたりする?」

「よく知ってるな。俺が話したことあったっけ?」

「いや、お父さんから聞いたことはないと思う。小さい頃に、おじいちゃんから聞いたかも」

「親父も、若い頃に東京に出ちまったからなあ。なんかじいちゃんとぶつかったらしくて」

「お父さんもでしょ?」

「ははは、確かにそうだ」

「お父さんはさ。兄貴に何か注文付けんの?」

「いやあ、好きにやってくれればいいよ。今はそういう時代だし。俺の仕事は、跡継がせるようなもんじゃないしな」


 お父さんは新聞を畳んだ。


「ただ、な」

「うん」

「自分のしたいことは、自分で稼いでやれ。親は一切面倒を見ん」

「うん」

「それだけだよ」


 お父さんは、くるっと振り向いてわたしの顔を見る。


「未由が俺に話を振るのは珍しいな」

「いやあ、たまにはさ」

「たまには、かよ。とほほ」


 わたしは、手にしてた新聞紙から、飴を一個出す。


「おとうさん、食べない?」

「お、たんきり飴じゃないか。懐かしいなあ」


 なめ始めたお父さんが、急に無口になった。


「この味……」

「うん。これね」



「フミおばあちゃんの手作りなの」


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