第四話 おとりかえ

「ういーす」

「はよー」

「元気そうじゃん、あずさ」

「まあね。パパの方が大変だった」


 だろーなー。あのおやぢさんだからなー。


「これで、ちぃとわ懲りたでそ? 少しはオトコの見方もべんきおしたまい」

「ほー。恋愛経験ゼロのみゆには言われたないなー」


 ぐぐ。復活した途端にこれかよ、みたいな。まあ、しおしおになってるあずさ見るよりは、ずっといいけどさ。学校に着いたら、なんと一時間目の奥田センセの現代文が自習だと。らっきーっ!


「ねえ、いいんちょ。おくちゃんどないしたん?」

「インフルにやられたみたいよー」


 あ、そらキツい。しばらく出てこれんだろなあ。代わりのセンセは来るんかしらん。自習つーたって、べんきおする気はまるっきりない。あずさとべちゃべちゃしゃべり倒す。


「ねー、みゆー。あそこでさ、警察がうんちゃらカマしてたやん。あれって本当?」

「ああ、あれね。ほんとだよ。一応、だけど」

「一応って、どゆこと?」

「うちのおやぢ、警察署勤務なん」

「げ! そんなお堅いゴカテイだとはつゆ知らず、数々のご無礼を」

「事務だけど」


 どげん! あずさがこけた。


「しかも、人がいいもんだからさー。しっかり単身赴任で島流し」

「うが……」

「でも家にいたら、お母はんのきっつい教育的指導に毎日ど突き回されるだけだから、今の方がシアワセかもしれないけどねー」

「ふうん。時々は帰ってくるの?」

「月に二、三回ってとこかなー」

「そっかー。寂しいね」

「むーん、そういう感じはないけどなー」

「どして?」

「存在感ないもん。お母はんには口答えできないしぃ、わたしらにもあまりエラそうなことは言わないしぃ」

「なんか、父母の役割、逆になってない?」

「ま、そういうのもありーのとゆーことで。それよかさ、あれからアヤシい動きはないの?」

「ああ、あれね」


 あずさがにやっと笑った。


「みゆのお兄さんがヒントくれたじゃない」

「ああ、店の履歴書からなんちゃらってやつ?」

「そ。パパがね。そっからぜーんぶ洗って」

「ほお。洗って」

「芋づる引っ張って」

「うむうむ。引っ張って」


 あずさが、喉を切るまねをした。うぞぞぞぞぞーっ! そっから先は、コワくて聞けなかったっす。でも、どんな形でもいい。もうこんなことが、二度と起きないってこと。それが一番うれしいことだから。とかなんとか言ってるうちに、教室の一角がざわめきだした。んんー?


「おおーっ! すげえっ!」

「うっひょーっ!」


 なんぞ、男子どもがスケベなグラビアでも見とんのか? センセに見つかったら、どえりゃあことになるがや。ちゃれんじゃーじゃのぉ。どれ、偵察だ。


「みゆー、止めときー」

「だいじょぶよん!」


 余されもののわたしは、クラスでは浮遊物体。あずさ以外には、ほとんど見てもらえない。裏返せば、どうせわたしだーと思うと、とことん気楽なもんだわさ。


 何人かの男子が囲んでいたのは、田丸さんだ。ちっちゃくておとなしい、地味な子。確か、頭は結構良かったと思うけど、とくしんクラスってほどじゃあない。女の子がエロ本持ち込みかあ? ひょいと机の上を覗き込んだら、トランプ? いや、模様が違う。えーと、あれ。その、なんだっけ? 占いに使うやつー。田丸さんがわたしの顔を見上げて、笑いながら言った。


「タロット」

「あ、そうそう、それそれ」


 思わず声出しちったよ。


「たまちゃんのは、よー当たるぜー」

「おう、すげえわ。特に恋愛関係はずびずば!」


 け。わたしにゃ関係ないなー。モブの正体が分かったところで帰ろうとしたら、男子から声が上がった。


「いしだー、おまいも占ってもらえー」

「んだんだー。いつ春が来るかも分かるぞー」


 クソ腹立つ。わたしのドタマと面を見て、バカにするつもりでそう言ってるんだろう。うー、あずさの言う通り、止めときゃ良かった。でも田丸さんは、わたしの顔を見て、笑わずに言った。


「座って」


 それは。どうぞ、プリーズじゃない。強制。わたしは、かちんと来たけど。でも、ちょっと気になることもあったから、素直に田丸さんの前の椅子に座った。騒いでいた男子たちが急に静まった。さっきまでおふざけだったクウキが、がらっと変わったから。一人また一人と机から離れて、男子が席に戻る。田丸さんのところにいるのは、わたし一人になった。そして、教室がまたざわめき出した。何事もなかったように。


 田丸さんの表情が、さっきみたいに柔らかくなった。


「何を占う?」


 どうしよう。あずさの事件の時のしっぽ。そして、昨日の携帯メール。常識じゃあ考えられないことが続いてる。でも、それを田丸さんに明かすのは怖い。じゃあ。


「わたしの今、を」

「分かったー」


 田丸さんが、カードをシャッフルした。束ねて、わたしの前に積まれたカード。


「好きなところで分けて、上の山を右に置いて」


 ほい。


「残った山の一番上のカードを、自分の前で開いて」


 えいっ。えと、これってなんだろ? 輪っかみたいの。


「運命の輪、正位置か」


 田丸さんは、それをじっと見ていた。それから顔を上げて、わたしを見つめた。笑顔じゃない。すっごく厳しい、まじめな顔。


「えーとね」


 ごくり。


「今、石田さんの周りが、ばたばたしてるでしょ?」


 う。当たってる。


「いろんなことが起こる。たくさん出会いがある。それが石田さんの今の状態」


 どんぴ。ぞっとする。


「でもね、それは石田さんにとっていいことだと思う。チャンスを」


 田丸さんが、わたしの前のカードをつまんで山に戻した。


「……逃がさんようにね」


 そう言って、にっこり笑った。


「あ、バレンタインも近いし、サービスしとくね。おまけの恋占い」


 あのー、それは間に合ってますぅ。それどこじゃないしぃ……と言う間もなく。田丸さんは、シャッフルしたカードを机の上に扇状に広げて、指差した。


「好きなの取って」


 うー、しぶしぶ。


「じゃあ、これ」

「開いて」

「うい」


 引っこ抜いたのを、目の前で広げる。


「げっ!」


 これはわたしにも分かる。恋人たち。


「恋の予感、だね。でも……」


 カードを持った田丸さんが、わたしに顔を寄せた。


「このカード。選択や迷いも意味すんの。楽じゃないよ」


 ん……。たかが占いだよね。でも昨日の夜、なんでわたしは泣くはめになったのか。田丸さんの占いは、それを思い出させてくれた。


「うん。ありがと、田丸さん」

「どういたましてー」


 わたしは手を振る田丸さんの気配を背中に感じながら、ゆっくり席に戻った。ああ、わたしは。もうこのクラスを出る今頃になって。田丸さんの知らなかった一面に気付く。そういう後悔を……わたしは、これからもずっと繰り返すんだろうか?


「どしたん、みゆー? 占ってもらったの?」

「うん。すごいね。当たってるわ。すっごく」

「へえー」


◇ ◇ ◇


 バスを降りて、すぐに携帯の電源を入れる。メール、メール! どうなってる?チェックしたら、新しいメールは一通だけ。それにほっとする自分と、がっかりする自分がいた。


 マサト『ありがと。またね』


 こりゃまた、ずいぶん宙ぶらりんの返事だにゃあ。わたしはその画面を見て、思わず苦笑いした。この子も、女の子にはモテそうにないね。わたしは、最後に出したのと最後に来たの以外のメールを、全部消した。最後のだけが、わたしのリアル。それくらいは、お守り代わりに置いといてもいいでしょ?


◇ ◇ ◇


「たーだいまー」


 おや? 玄関に見慣れない靴が二つある。でかい革靴と、かわいいお洒落なパンプス。お客さんか? わたしがリビングに入ったら、視線がいっぺんにわたしに集まった。それがまた。どう見てもなんじゃそりゃな光景だった。

 男靴はお父さんのだった。パンプスはたぶん、兄貴の彼女のだろう。それに、お母さんと兄貴。つーことわ。兄貴がわたしらに紹介するのに、彼女を連れてきたんだろう。お父さんは、たまたま帰ってきてた、と。それはすんなり理解出来たんだけど、なんでみんなマスクしてるの? 彼女さんまで?


「あのー、お母さんもお父さんも。風邪引いたん?」


 四人して、顔をぷるぷる振る。


「へ?」


 怯え切った青い顔をして、マスクを外したお母さんが口を開いた。


「声がね……変なことになっちゃって」


 うぎゃああああっ! な、な、なんでお母さんが男声になってるのーっ!? そ、そりわ、お父さんの声だよ。ちょ、ちょっと。つーことわだよ。


「お、お父さん……」

「困ったー。どうしよう」


 あうー、お母さんの声だー。兄貴は?


「こりゃあ、どういうことだ?」


 まあ、ちょきんぎょの口からソプラノのうつくしい声。腰が砕けますぅ。


「あのお、初めまして。中村なかむら絵里えりです」


 野獣にはもったいない美女の口から、野太いちょきんぎょの声。魔法使いのお婆さんに、呪いかけられたみたい。わたしも、口をあんぐりあけて見回すしかなかった。田丸さん。確かにいろいろ起こるね。起こり過ぎ。くらんくらん、めまいがするよ。でも。しっぽは消えた。メールも半日で収まってる。とゆーことわ、だよ。


「なんで、こーなったか分かんないけど。たぶんすぐに戻るんじゃないかなー」


 わたしがパニックにならなかったのを見て、みんなほっとしたんだろう。


「それよか、お母さん。お兄ちゃんの彼女が来てるんだから、手抜きしないでちゃんとディナー出さないと」


 お母さんが、手にしていた出前寿司のチラシを、慌てて後ろに隠した。けっけっけ。たまには、恥をかきたまい。いつもわたしに粗末な食事を押し付けてる報いじゃ。あー、でも。間違ってもそんなことは口には出せませーん。言ったが最後。朝はパンじゃなくて、小麦粉の袋がテーブルにどどんと乗ること間違いなしっ。とほほー。


◇ ◇ ◇


 結局お母さんは無駄に見栄を張るのをやめて、宅配のお寿司とオードブルを頼んだ。中村さんも、お母さんのそういうサバけたところは兄貴から聞いてたんでしょ。開き直ってしまえば。こんな異常事態も、それなりに楽しいもんだなーと思った。まるで、コメディー映画の吹き替えやってるみたいで。めったにできない経験を楽しむ雰囲気になってった。

 兄貴も中村さんも、もちろんお母さん、お父さんも。こんなアクシデントがなければ、すごく緊張したと思う。でも出足がギャグそのものだったから、すぐに打ち解けてバカ話できる雰囲気になった。


「ちょっとお兄ちゃん、わたしのけーたい勝手にいじらないでよっ」

「なーに言ってんのよう。きょうだいじゃないの。あんたのものはあたしのもの。あたしのものはあたしのもの」


 それを中村さんの声でやられると、思わずへこっとなる。


「ねえ、中村さん、なんとか言ってやってくださいよう」

「ごるあ! 進! しばくぞわりゃあ!」


 ぎゃはははははっ! 中村さんもノリがいいなあ。兄貴の口調そっくしだ。兄貴の手元からわたしの携帯を取り上げた中村さんが、ストラップをしげしげと見てる。


「何かおもしろいもん、あります?」

「んんー、この尻尾みたいなの、どっかで見たことあるなーと思って」

「はあ?」


 兄貴がそれに初めて気付いたみたい。


「へえ、こんなんあるんだ。いつものファンシーショップか?」

「いや……」


 中村さんがいるから、言いたくなかったけど。


「それね。拾ったの」

「拾ったあ!?」


 兄貴が呆れたような顔をした。でも声が中村さんだからさ、中村さんが呆れたみたいでヘコむ。


「ふうん」


 でも中村さんは、それを手にしてしばらく何事か考え込んでた。何か知ってることがあるんかなあ。でも、何も言わないで携帯をわたしに返してくれた。その時。灯りが急に、ゆらゆらゆらっと明るくなったり暗くなったりして。ぱちんという音と共に消えた。


「あれ? ブレーカーが落ちたかな?」


 お父さんがゆっくり立ち上がって、玄関にあるブレーカーを戻しに行った。ぱちん! ひゅいーん。ぱぱぱっ。家の中で一瞬気絶してた電化製品たちが、いっせいに生き返る。


「ああー、びっくりしたあ」


 中村さんの声。


「あ!」

「お!」

「戻ったね」

「うん」


 まるでスイッチが切り替わるように。声はそれぞれのもとに戻った。さっきのはさっきでおもしろかったけど。やっぱり、自分の声が一番。そういう安心感に包まれて、わたしたちはお互いに顔を見合わせた。


「さ、遅くなっちゃったね。ごめん。うちはこんな感じ。また遊びに来て」

「うん、とっても楽しかったです。お父さん、お母さん、お邪魔しました」

「進、送ってくんだぞ」

「たりまえだろ」

「送り狼にならないようにね」


 こらこらこらこら、お母さん。何言うだ。赤くなった中村さんを少し急かすようにして、兄貴が家を出て行った。


「ふう……。さっきのはいったい何だったんだ?」

「知らないわよ。それにしても、進も彼女連れて来るなら前もって言ってよね。そしたら、もうちょっと豪華なのを注文しといたのに」


 自分でなんとかしようとはずえったいに思わないところが、とことんお母さんである。


◇ ◇ ◇


「ふいーっ」


 お風呂から上がって。自分の部屋で、コーラを飲みながら今日の出来事を振り返る。今日のは、わたしには影響しなかったけど。声が自分のものでなくなるって、どんな感じなんだろう? 自分の姿。自分の声。自分の心。そんなん当たり前にあるって思ってることが、突然自分のものでなくなる。それって、本当におっかないことなのかもしれない。


 田丸さんの占いがわたしに警告したこと。わたしの周りでいろいろなことが起きる。それをチャンスと考えなさい、か。確かにね。今日のも、兄貴にとっては追い風になった。声が入れ替わっちゃったことで、自分は自分でなくなった。だから、中村さんもお母さんも緊張しないで自然に話が出来た。とんでもない事件なんだけどさ。それがいい経験になったみたいに思える。


 それにしてもなー。わたしのしんぞーはいつまで保つんだろう? なんぼなんでも、こう立て続けじゃびっくり過ぎるよー。さ、もう寝よう。サイドライトを消したら、窓の外でわたしが叫びながら遠ざかって行くのが聞こえた。


「どうなってるのよーっ、これーっ!!!」


 え? ちょ、ちょっと、もしかして……。わたしは、恐る恐る声を出してみる。


「にゃあぁぁ」


 ぐわわーっ! もう勘弁してよーっ! わたしは何も考えたくなくて、布団を頭からかぶった。


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