正体を明かすには早すぎる



 3



 バリィィィン! と壮絶な破裂音が炸裂した。ガラス板が叩き割られたような不快な音に僕は小さく耳を塞ぐ。

 魔方陣による破壊は中止された。

「おやおや。大した瞬発力デースこと」

 破壊の直前に中川が飛び出して、どこからか取り出したロングソードで魔方陣を叩き壊したのだ。

 だがその代わりに。

「でもー? 魔方陣を壊す場合、設定によってはペナルティが課せられる事があるんデースよ……知ってましたか?」

 中川の右腕が、びぎいっ! と引き吊ったかと思うと、右腕はロングソードを握り締めたまま直上に跳ね上がった。

「!?」

「中川ッ!」

 魔女はまた、簡潔に言う。

 あの、冷酷な声で。

Atone for your sinつみをつぐなえ.」

 中川の右腕が、中川の首を切り取らんとする軌道で降り下ろされる。だがその少し前に、僕が中川を押し倒した。

 バランスを崩して倒れていく中川の身体に引っ張られるようにその右腕は不規則な軌道を描いて降り下ろされ、結果何も切断することなく石畳を叩いた。

 ギィン! と甲高い金属音が響き渡る。

「あらー……外れてしまいましたか」

 魔女の残念そうな声が響く。

「中川、大丈夫か?」

「ええ、ありがとうございます、先輩……あ、右腕が元に戻っている」

 中川と僕はゆっくりと立ち上がると、そのまま流れるように何の打ち合わせもなく魔女に突撃した。

 この切羽詰まった状況下では、マイ達の救援は望めそうもない。ならば一秒でも早く、この魔女を叩き潰す!

「印は《dagger》」

 魔女との距離を詰め、逆手に持った短刀で下から切りつける。狙うは頸動脈……と見せかけて、脳震盪を狙える顎! そこを拳で殴りつける。

 魔女は落ち着き払って、杖をまるで剣のように構えると、僕が撃ち出した拳をしたたかに打ち据えた。

 そして、中川が僕の陰からロングソードをまるでレイピア(細身の刺突用長剣)のようにつき出す。魔女はそれも読んでいたような顔をして、僕を叩いた杖をそのまま上にあげて剣の軌道を上方に逸らすと、少しだけ、最早全く人通りの無くなった通りを下がった。そして小さく拍手する。

「ふんふん、なかなかやりますね。息の合ったコンビネーション」

 残念ながらそれは違う。今のは僕は中川の動きなんて気にしていなかった。つまり、中川が僕の動きに合わせて的確に動いたのだ。

「しかしながら、わたくしに体技を挑むのは些か分が悪いと思いますよ。これは忠告デース」

「なぜそんな事を教える?」

「つまらないからデースよ。わたくしの魔術も見ない内にくたばられては、イリュージョンの国に招待したことにはならない」

「その自慢の体技も、魔術の補助を受けているんでしょう?」

 中川の問いに魔女は少し笑うと、

「ニアピンデース。正確には、副作用とでも言いましょうか」

 そう言うと魔女はステッキを地に突き立てた。

「さて、今からひとつ目のイリュージョンをお見せします。おっと……こいつを邪魔すれば、またペナルティを喰らいますよ。しかもさっきより酷いやつをね」

「ぐっ……」

 早速ステッキを叩き斬ろうと前に一歩出た中川が呻いた。

「開くは水の扉、現れるは嵐の神」

 ステッキが地に刺さっている所を中心に、魔女の足元に半径二メートルほどの魔方陣が開いた。続けて、キィン、キィンキィンと魔女の両手首両足首に青く光る魔方陣が現れる。

「航海の神よ、海の神の忠臣よ、時は来た。我は汝の願いを叶え、汝を身に宿す者、なれば汝も我に力を貸すべし。いわおも砕くその気概、使うは右腕、水を貯めたるその一翼。我が為に解放しろ」

 僕と中川は、小さく防御姿勢を取った。神の一撃? 冗談にしか思えないが……。

 魔女の、今までステッキを押さえていた右腕がすい、とこちらに向けて翳される。

「来ます!」

「流水・海蛇」

 中川の叫ぶのと同時。魔女の右手首の腕輪がぎゅいっ、と大きくなった。

 直後。巨大な蛇のような形をした何かが、まっすぐにこちらに突っ込んできた。

「うおおあ!?」

 正面から、その蛇は僕と中川に激突した。鈍い衝撃音がするのが、自分でもはっきりと分かる。

 触れたらその正体は簡単に看破できた。それは、水で出来た蛇だった。凄まじい勢いで魔女の手から水が飛び出て、僕らに直撃しているのだ。飛沫が周りに散る。消火用のぶっといホースで思い切り放水される感覚に近いだろう。

 まあ、問題は。

 看破できたところで、どうしようもないということだ。

「あああああ!」

 水流に押され、じりじりと後ろに下がらされる。正面から受け止めたのは作戦ミスだった。最初からかわすべきだったのだ。何とかして受け流せないか、と思ったとき、さらに事態は悪化する。

 蛇の頭と思われる部分が、ぐぱっ、と上下に開いた。

「「!!」」

 中川と揃って息を飲む。こいつは、こいつは……、蛇ということは…………!

「飲み込め、海蛇」

 魔女の声と共に、ばぐうん! と蛇の口が閉じた。幸い、中川と僕はタイミングを見計らい身を引いたので食われなかったが、その迫力にぞっとする。

 蛇はもう一咬み、ダイナミックなやつをかますと、そのまま地にばしゃりと落ちた。

「神の力の保持か……。体技は神の筋力とでも言うつもりか?」

「残念デースが」

 魔女はふるふると首を振る。

「違いますよ。そもそも、人体に神の力を丸々取り込む事はまず不可能デース。所詮下位種族が、最上位に位置する神を身体に取り込むというのは、冒涜も甚だしい。わたくしの身体に取り込まれているのは、とある新興下級神の力の0.0001%あれば良い方でしょう。それでも、下級種族同士の戦闘には十二分に通用します」

 そして、と魔女は言葉をなめらかに繋いでいく。

「たったそれっぽっちの力を取り込む為にも、酷く身体を鍛える必要があります。弱々しい肉体では、神族の力を取り込んだ時点で内側から食い破られますからね。光に汚された強すぎる力に。もっとも、それ以外にもうひとつだけ、理由がないことはないんデースが」

「体技はそうやって身体を鍛えた結果手に入れたモノだと」

「またまたニアピンデース。身体を鍛えるために体技に手を出しました」

「なるほど。まあ誤差範囲だな」

「いいえ?」

 魔女は僕の言葉ににこりと笑うと答える。

「天と地ほど違うぞクソ野郎」

 いつの間にか魔女が目の前に現れ、そして僕の鳩尾に拳を叩き込んだ。


 ッドンッ!


 肺の空気が押し出されるような感覚と共に、確かに身体が宙に浮くのがはっきりと分かる。

「力を手に入れたから技を習うのと、力を手にいれるために技を習うのは全くの別物デース。少なくとも、わたくしにとってはね。流した汗も涙も血の量も、努力にかける思いも、その何もかも全てが」

 背中から地に落ちた僕の胸を踏みつけ、魔女ははっきりと告げる。

「あれだ、あまり魔女を舐めてんじゃねえぞ人間。天性の魔法才能に頼って努力を怠るバカも多いが、何もそういうヤツしかいない訳じゃない。わたくしみたいに、必死こいて血の汗が滲み血の涙が流れるような苦労をして力を手に入れた者もいる」

 そして、と魔女は笑いながら告げた。

「上級魔女の九十九%は血の涙を流した方なんだよ」

「くそ、先輩を放せ!」

 中川がロングソードを振るうが、それはあえなくステッキに弾かれ、見当違いの軌道を描く。

「学習能力は無いのか小娘。わたくしに体技は効かないと……」

省略詠唱ノ弌コールワン! 殴!」

「げ、O・Cか!」

 中川の空いた左手が魔女に軽く触れた、と思ったら魔女は大きく弾き飛ばされた。OMIT CHANT、あらかじめ設定しておいたいくつかの魔術を詠唱省略でぶっぱなせるという補助魔術だ。中川のメイン魔術でもある。

 ガゴォン! と骨が骨を打つ一際派手な衝突音が炸裂した。

 とある飲食店の煉瓦壁に激突した後そのまま地にべしゃりと落ちた魔女は、いやーミスったな、とか言いながらすぐに立ち上がった。あまりダメージは入っていないようだ。

「先輩、早く立って」

「分かってる」

 僕は小さく呻きながら立ち上がる。魔女はステッキを構えると、あーもうキャラ作るのダルいや、とぼやいた。

「キャラ……?」

「あー面倒だからもう暴露するか。こんなこと信じられないかも知れないけどね。あたし本当はか弱い乙女なんだけどね。気まぐれでこんな格好して似合わない台詞吐いて、でももう疲れたわ。好き勝手やらしてもらう。そもそも、あたしの望みはアンタ達を殺すことでもテロ活動でもなく、」

「マイだろ。そんなものこのタイミングで、しかも僕らの前に現れた瞬間から把握している」

「そ。で、アンタ達に構ってる暇は正直言うとあまり無いわけよ。今の一撃も結構効いたし、油断出来ないってのもよーく分かった。ふざけていられる余裕も無くなった。だから、必死こいて雰囲気とかキャラとか造るのはもうやめる。もう手加減無しの本気でいかしてもらう」

 その言葉を証明するかのように、魔女の皺の寄った皮膚はどろどろと溶け始めた。そしてその中から、サングラスを掛けている黄色いボーイッシュな髪形をした快活そうな少女が現れる。

 そして同様に服から何から全てが溶けて一新された。いつの間にか少女はグラデーションが掛かった紫色のビキニを着て、その上に白いカーデガンを羽織る姿に変身していた。ビーチサンダルを履いているあたりがふざけているようにも見えるが、

「そっか。ならも本気を出そう」

 それでも確実に魔女から漂う空気は変貌していた。だから、僕は手元の魔装を小さく弄くりながら言う。

 いきなりの本気宣言に臆することは無い。大体において、勝負の転機は何の脈絡もなく突然にやってくる。今がその時だというだけだ。

「その前に一つだけ。お前がマイを狙う理由はなんだ?」

「教える義務は無いね。あたしの行動はアンタらにとってはいい迷惑かも知れないけど、まあアイドルの負った宿命として我慢してくれないかしら」

 魔女はいまだに黒いステッキだけは持っていた。海水浴場に似合いそうな服装の中でそれだけが、酷い異物感を漂わせている。

「なるほど」

「それじゃ」

 よろしく。

 次元が。

 一つ変わる。



 4



 トイレにつくまでに吐き気は収まっていたのだから、普通なら安堵すべきだ。やった、ばんざーい、乙女の勝利。

 しかしマイは、せっかくの労力が無駄になった苛立ちを感じていた。

 マイは洗面台の前に立ち、腹立たしげに指を喉の奥に突っ込む。えう、とえずきそうにはなるのだが、そして唾液の量は増すのだが、肝心の消化途中のジャムパンはおろか黄色い胃液すら出て来なかった。

「別に無理して吐く必要は無いと思いますが……」

「いやー、私のプライドが許さない」

「どんなプライドですか? もう小隊室に戻るのも面倒ですから、このまま帰りましょうか。幸い、鞄も持ってきてますし」

「まだだ、まだ私は諦めないー!」

 そんな事をしてるとガチ目に出番減りますよー、とアニーはぼんやりと言った。古今東西どこを探しても、メインヒロインが吐瀉姿をお見せする事はまれだろう。

 と、マイはそんなことを欠片も気にせずに喉奥に何度も指を突っ込んでみるのだが、

「えう、えふっ! げほげほっ!」

 何度むせ、さらさらのよだれがだらだらと垂れても、全く目的は達せそうになかった。流石に見かねたアニーがマイを洗面台から引き剥がす。

「あーもう、いい加減に止めて帰りますよ! まだ校内に居ることを見回りの先生に見つかると面倒ですし」

 ところで、マイ達が今居る公園から校門まではゆうに五キロはある。その距離を踏破するのは、マイは構わないかも知れないがアニーが死ぬ。具体的にはふくろはぎあたりがマジで吊る。

 マイに座標移動系の魔法を使ってもらえば一発で校門まで飛べるのだが、今のマイでは役に立たないだろう、とアニーは少し考えた。つまり自分で何とかするしかない、とアニーは覚悟を決める。面倒だがここは自分の出番だと。

 仮に今のアニーの姿を取月アキラが見たら喜んだに違いない。そうか、アニーもやっぱりやれば出来るんだな、と

(……ならば、そこらの車を一台盗んだ方が現実的ですか?)

 思いながら、アニーはポケットから針金を一本取り出した。何でも良いが、車の鍵の基本はICカード仕様だ。電子錠を針金でどうやってこじ開けるつもりなのだろうか。トリックアートか。そうか。

 というかそもそも、相変わらずやろうとしていることはイリーガルなままであるのだが。

 アニーはマイを引きずり、トイレの外に出る。確か近くに駐車場があったはずだ。出来るだけ安そうなのを一台いただこう、と考えるアニー。

 二人は公園を出て、元来た道を少し引き返す。徒歩にして三〇秒、三台分くらいしかない小さなスペースに足を踏み入れる。

 だからこそ、引きずられてアニーとは反対の方向を見ていたマイだけが気付けたのかも知れない。

 校門の方角、街の居住区付近。

「――――あれは?」

 ほんの一瞬にせよ、青い光の柱が煌々と突き立っていた事について。


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