ここはラブホテルじゃないです



《地底》から脱出後、急いで《天空》の円盤の一つに逃げ帰った少女は、小さなビジネスホテルのような所に入った。

《天空》といっても、その町並みはあまり百年前の文明と変わらない。野蛮なコンクリートジャングルだ。科学力があまり無いため、発展も《地底》に比べて微々たるものなのでこれはしょうがない。

 しかし一部地域では、いっそ昔に戻ろうなどとほざいて、電気の使用を完全に取り止めた。そのためその辺りは、『まさに中世の田舎』みたいな町並みになっている。少女はそれを鼻で笑う。使用出来る技術を自ら捨て去るのは、愚の骨頂としか思えない。

 部屋に入るなり服を全部脱ぎ去って裸になり、ブラジャーから靴下まで全ていっしょくたにして部屋に備え付けの洗濯機に放り込んだ。洗剤投入、と同時にスタートボタンを押す。びーっ、と洗濯機は怒り、フタを閉めろと叫んだ。

「むー、私は満身創痍で疲れているのに……」

 少女は腹立たしげに洗濯機のフタを閉めると、スタートボタンを連打して、それから自分はバスルームに飛び込んだ。

 シャワーを浴びる。身体中にこびりついた血と汗と埃と、その他色々なものが温水に剥がされ、落ちていく。何日ぶりのシャワーだろうか。さっき、アキラとかいう少年に馬乗りになったときも汗臭かったに違いない。

 うわー自分レディとして終わってるなー、とか少女は頭を抱えるが、レディは人をなぶり殺したりしない。そもそも汗の臭いなんて返り血の鉄錆みたいな臭いに紛れて消えていた事に少女は気づけなかった。

「少年…………か。いや、あの少年たいちょうは私より年上だな? お兄ちゃんだな?」

 言いながらきゅっ、と蛇口を捻って止めると、シャンプー(ただし紫色)を手のひらに取る。それを少女は水でしっとりと湿った髪に無造作に塗りつけ、わしゃわしゃと洗い出した。

 シャンプーは安物だが、柔らかい泡(ただし紫色)が舞って少女の裸体を少しずつ隠していく。少女はまた蛇口を捻り、あっという間に泡だらけになった髪にシャワーヘッドが吐き出す温水を掛ける。

「作戦はいい感じに続行中。元々、あのまま誘拐してはい終わりじゃあ、そんなお粗末な案件じゃない」

「その通りデース! あなたはもっと? 万全の体制で行くべきだったんだよ我がライバァル!」

 バスルームのドアが凄まじい勢いで開いたと思ったら、すっとんきょうな声を出してシルクハットに燕尾服の男が乱入してきた。

 少女はそちらを向くこともなく、シャワーヘッドを背後に向けてシャーッ、と温水を射出する。

「ヘイマイスヴィーットライバァル! 最初から濡れ濡れ透け透けぬるぬるぬめぬめなプレイをご所望デースかぁ? OKです、応えて差し上げまあっす!」

「どっから沸いたカス」

「あなたの居る所にあたくしは自動で登場って熱い! 熱い! ベリーホット! 無言で水温上昇ボタン連打しないで! もう液晶に六十五℃とか書いてあるぅ! そんな事しても帽子からハトは飛び出ないのデースよぉ!」

「黙って帰れ変態。仮にもレディの入浴中だ」

「おお、では外で待つデース」

「ドアを閉めろマジシャン! 命ごと切断マジックしてやろうか!?」

 ドアを開けたまま、びしょびしょの格好で出ていこうとするシルクハットの男に少女は後ろから怒声を浴びせた。

 少女にしては珍しい怒り声だった。




 シャワーから上がって、ローブを着ようとした少女は、

「サイズ……、げ、Sは無いのか。Mじゃあぶっかぶかだなあ」

「私がお出ししましょうか? あそれ、イリュージョン」

 生命切断マジシャンあらわる。

「頼むからせめて座っていてくれ、本当に蹴り殺したくなる。いやむしろ蹴り殺しちゃっていいか?」

「ご褒美デースかぁ?」

 裸のままで少女はマジシャンの尻を本気で蹴飛ばすと、バスローブに袖を通す。相当丈が余っているが、外出するわけでもない。問題は無いだろう。少し端を引きずりながら、少女はベッドまで歩き、腰をおろした。安物だ。スプリングがもうダメになっている。

「行くのか」

 少女はそして、やはり安物の椅子に座っているシルクハットに声を掛けた。

 シルクハットはいまだに全身びしょびしょなまま、「ええ」と答えた。

「だってあなたのおかげで場所が分かりましたからねぇ。あなたは大分消耗しているご様子デース。なら当然? やつらも消耗している? うふ。うふふふふふふふふ。ビッグチャアーンス」

「で、もののついでに私も殺すか?」

「まさかぁ。ライバルで? しかもまだ未発達な肢体の幼女を? わたくしが? 殺す? そおおおんな無粋な真似はできませんしー、それに……」

 シルクハットは少女をちらりと見ると、

「やろうとしても出来ないでしょ? 相性悪すぎてぇえええ? もおおおお、人のアイデンティティーを……」

「あーその喋り方やめろ、虫酸が走る……、そもそも私はお前をライバルとは認めていない」

 少女は両手で自分を抱きかかえながら、小さく身震いした。シルクハットはそれを愛おしそうに見詰めているが、少女は気付いていない。

「とにかく。行くならさっさと行けよ。なぜ私の所にずっと留まる?」

「あなたの事が好きだからデース」

「それについての返答は前にもしただろ? 私は頭に竹トンボ付けて宇宙まで行けるやつとしか付き合えない」

「求婚難題譚でー、ハッピーエンドになった例ってありますかぁ?」

「ベニスの商人」

「あったのデース!? い、いや、でもあれは……」

「つべこべ言わないでさっさと行け。それとそろそろその気持ち悪い喋り方をやめろ、お前も仮にも乙女だろうが」

「いやぁ」

 その言葉に、ばしゅっ、とティアと呼ばれたマジシャンは姿を変えた。そこに立っていたのは、黄色い髪をボーイッシュに短く切り揃えて水着を着た快活そうな少女だった。

「人間に少女だからと舐めてかかられるのが嫌でさ。だから得体の知れない格好して行こうかなと思って。アンタとは違って、あたしは人間と馴れ合うのが苦手なのよ」

「私も苦手だよ」

 ティアはうっそだあ、とケラケラ笑いながら椅子から立ち上がった。

「嘘じゃない」

「おーおー、ほっぺたを膨らました姿もすっごく可愛いわぁ。ところで話は変わるけどさ。何度も聞くけど、アンタ本当にあたし達を敵に回す気ね?」

「ああ。お前らがプロジェクトを変更しない限りは、絶対にな。正直、今お前を行かせるのも本意ではないが――」

「今のアンタにあたしは止められない。ゆえに、ここは指をくわえて見ているしかない。ふふ、強がってる姿も可愛いわ、でも良い気味ねぇ。さすが、あたしが大好きになっただけはある」

「私はお前の事が嫌いだ。帰れ」

「ツンツンするのも良いのだけれど、いつになったらデレてくれるのかしら? あたしはこんなにデレデレなのに、いまだにアンタからデレの欠片すら貰ったことないわ」

「未来永劫お前にそんな姿は見せないよ。それを見せるときは私が死ぬときだ」

「死ぬときには見せてくれるの!? じゃあ今無理してでも殺しちゃおっかなぁ」

 ティアの口調が狂気をはらむ。しかし少女は少しニヤリとすると、

「それじゃあ、挑戦するんだな? 

 その右腕が、ゴボゴボゴボッ! と泡立った。まるで何かを威嚇するヘビのように、少女は腕をゴボゴボと鳴らす。

 ティアはそれを見て、やべ、と焦るような顔をした。

「分かった、分かった。やめますやめれば良いんでしょ。お望み通りさっさと行きますよーだ。ていうか、あたしにはやっぱりアンタは相性悪すぎるわー……」

 ばしゅっ、と再びティアはマジシャンの姿になる。ステッキをシルクハットの中から取り出しながら、ティアは言う。

「今から? 君の欲しいものを? 一つ? 奪いに? 行ってくるデース。アディオース」

 そう言ってマジシャンは消えた。口調と共に溶けて無くなった。

 残された空間で一人、少女は唇の端を歪める。――――笑っていた。

「そう上手く行くと良いがな。マイはそれでは捕まえられまい。だからこそ、私が求めるのだ」

 そして、と少女はその先を言葉に出さずに繋いでいく。

(ティアが《地底》を攻めることで、マイ達は確実に選択を迫られるだろう。《地底》の平和と、マイの身柄。お兄さんたいちょう、お前はきっと迷わずにマイの身柄を取る。だがその時、果たしてマイ自身がその状況に耐えられるのか)

 少女の唇の端がさらに歪んでいく。ここまでは、ティアが動く事も含めて計画通り。

(見物だな)

 ここまでは読みきった。次はマイの精神力に懸かっている。


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