人気者って辛いんだ




 魔女の襲撃から日曜日を挟んで、学校は何の障害もなく普段通りに始まった。まるでテロには屈しないと声高に叫んでいるようだ。

 すでに学園でも僕ら取月隊が奮闘したという情報が駆け巡っているらしく、

「取月! お前すげえなぁ!」

「マイ先輩! カッコいいです!」

「アニー姉様、さすがですわ……」

「中川ちゃん、尊敬するー!」

 なんて感じで、学園中至るところで知り合いか否かに関わらず声を掛けられた。食堂ではランチの長い列の先頭付近にいた人が前を譲ってくれて、しかも長い列の後ろに並ぶ誰一人からも文句は出なかったのには驚いた。

 その他にも、色々と……。

 …………実質魔女はマイ一人で押し返したようなものなので、あまりいい気分にはならなかったし、特に僕は隊長のくせに魔女を逃がしてしまったので後ろめたさすら芽生えた。




 そんなこんなで放課後である。僕らは四人とも玄関が半壊した小隊室棟にいた。

 というより、小隊室にいた。

「アニーと中川は大丈夫だったか?」

「ええ、脳を揺さぶられて脳震盪を起こしただけですから。お気遣いありがとうございます」

「そうか……、良かった」

「私を誰だと思っていますの? が高いですわよ?」

「あーもーお前は豆腐の角に頭ぶつけて死なねえかな本当に」

 二人とも大事には至らなかったようで安心する。実のところアニーの頭が少しくらいは改善されていることも期待したがそんなことは無かった。

 そしてしばらく、妙な沈黙が訪れる。

「あの、さっきから気になってたんですけど……」

 遂に空気に耐えられなくなったのか丸椅子に座る中川が、ゆっくりと口を開いた。その目はソファーに座る僕を見据えている。


 いや正確には。僕の後ろから僕に抱きついているマイを見据えている。


「どうしたんですか? その……斬新なショルダーバッグ」

「遂に先輩をショルダーバッグ呼びしたな!? ……僕も知らないよ。今日一日ずっと機嫌が良いと思ったら、小隊室に入るなり後ろからベッタリだよ。正直、僕みたいな思春期の男子には精神衛生上良くない。色々と出してしまいそうだ」

「ん…………、先輩ってそんな下ネタ言う人でしたっけ」

「ほえ?」

 そういえば、今無意識に下ネタを言ってしまった。……どうにも、昨日会ったばかりのとある魔女の顔が浮かんできてしょうがない。あいつの下品な言葉に悪影響を受けたらしい。

「ま、あたしはあまり気にしませんけどね。先輩がムッツリ野郎だとは知っていましたから」

「おいちょっと待て。ひどい誤解を受けている気がするぞ」

 いや誤解じゃないかも知れないけど!

 ………………と、ふと気付いた。あれ、中川って、そもそも下ネタ自体に反応できないほどそういうこと知らなかったような気が……。

「だってアニー先輩の持ってる、男女の裸がたくさん出てくる薄い本に書いてありましたし。男はみんな変態だって」

「アニィィィイイイィィイイイイイイィィィイ!? お前何買ってんの? そして何読ませてるの!?」

「あら。アキラも興味ありますの?」

「はい正直に言えばあります……、って違う! 読みたいんじゃない、なんでそんなものを中川に読ませてるわけ!」

「えっと、あたしが勝手に読みました」


 いよいよ僕にはどうすることも出来なかった。


 気が付いたら純粋だった一人の少女が、淫猥な知識を取得していた。

「あれって、結局何をしてたんですか? なんか、舐めたりしゃぶっ



《しばらくお待ちください》



「…………さて中川くん。話を戻そうか」

「はい…………」

 いや勘違いしないでほしい。僕はやましいことは何もしていない。ただ、少し中川の首にナイフを当てて『その本に載っていた一切のことは忘れろ』と交渉を持ちかけただけだ。中川の純粋な心を守ったのだ。なのに何だろう。この、どうしようもない悲しみは。男のロマンがどっか遠くに飛んでいった気がする。

 ちなみにアニーは一部始終を笑いながら見ていたので一発軽く殴っておいた。そしてマイも背中で笑っていたのでこづいておいた。こいつらに乙女としての恥じらいは無いのか。無いんだろう。

「やっぱり本人に訊けばいいじゃないですか?」

「とっくに訊いたよ。何回もな。何度訊いても」

「何でもないよー」

「…………の一点張りだ」

「昔持っていたおもちゃを彷彿とさせるので出来ればやめて欲しいですね」

「そうか? 僕はむしろこの小隊室にいるとある機械科のヤツに似ていると思うんだが」

 それを聞いて、マイは少しむすっとした顔になると、

「だから、何も無いんだってばー」

「お、ようやく語調が少しだけ変わったな。ついでにやっと離れてくれたか」

「ちょっとお手洗いにー」

「この棟のトイレは破壊されてますよ? あ、いや、正確には水洗機能と自動洗浄機能が完全に死んでいるというか」

 中川の言葉に、未だに壊れている扉まで足を運んでいたマイの動きがぴた、と止まった。

「あー、そういう話もありましたわね。たしか、地中に甚大なダメージが入ったせいで水道管が破裂したとか。修復作業は明後日開始と聞いていますわ」

 アニーが軽く補足をする。

「ここから一番近いのはどこだっけ?」

「グレムリンという飛行機にいたずらする妖精がいましてね」

「すまんお前には訊いてない。中川、ここから一番近いトイレは?」

「第二体育館のトイレですかね。あそこか、あるいは中洲公園のトイレだと思います」

 マイの顔から冷や汗が滴り落ちる。

「…………も」

「も?」

 珍しく中川がマイに聞き返した。

「もれそうなんだけどー……」

 この瞬間から、取月小隊は『いかにマイを迅速にかつ刺激しないままにトイレに運搬出来るか』に本気を出すことになる。




 佐々木健介はオベリスクの破損部分、ちょっとした広間のようになったところに居た。

「あちゃあ、こいつぁ酷い。フロアの半分を消し飛ばすとは」

 広間の奥には階段がある。佐々木が上ってきた階段だ。あれは《表層》まで繋がっている。エレベーターもあったのだが、そっちはどこかに弾け飛んでいた。

「水属性の攻撃で破損、か。もっと詳しく教えてくれなくちゃ、中和が手間取るんじゃねーかなぁー……」

 彼は修復作業員の一員だった。といっても、普段は学校(魔術科・闇系攻撃魔方陣研究室)の非常勤教員だ。魔方陣を描く精確さを買われて、修復作業に駆り出された。

 彼は手に持っていた白いスーツケースのようなものを床に下ろすと、中から赤い油性ペンと分厚いマニュアルを取り出す。

 彼が今から行うのは、中和作業である。

 魔術攻撃を受けた地点は、目に見える魔術攻撃のみを受けたとは限らない。つまり、目に見えない小細工も一緒に施されている危険性がある。それを放置したまま破損箇所を修復してしまうと、建物や地面に小細工が埋め込まれてしまう事になる。するとその小細工により《地底》侵入が容易くなったり、もしくはそれがテロの引き金になってしまうため、必ず魔術攻撃を受けた場所には一切の魔術を中和する処置が施される事になっていた。

 ただし一部もとより魔術を組み込んである場所では、仕掛けられた魔術のみを的確に破壊する必要がある。そのため、相手の属性にあわせてその属性の魔法全てを中和する処置を行ったり、あるいは念入りに調査して小細工そのものを探しだして中和する必要性が出てくる。

 そして、このオベリスクには元々光属性魔法が細かく施されているのだった。当然、特別処置が必要なのだ。

「えーっと? 水属性のページはっ、と。こいつか。ていうか、水属性って決め手はなんだ? あの犬みたいな『何か』か? そうなんだろうな……」

 佐々木は学術都市ほとんどぜんぶがくえんと言って語弊の無い街並みを見下ろす。べらべらべら、とマニュアルをめくりながらマニュアル人間は油性ペンのキャップを片手で抜いた。カシン、とキャップが地面に落ちる。

「んー、とりあえず、水属性全部中和するなら? この図を壁か地面に書いて? それから、この文を唱えよ……か。なんだ、別に面倒な訳ではないな。あー、ラーメン食いてえ」

 佐々木は床の瓦礫を足で払うと、図を書くスペースを確保した。それから、しゃがんで図を書こうとして、ふと違和感を感じ取った。

 あれ、水属性? と。

 なんか、おかしくね、と。

 確信は無い。だが佐々木は一応魔術科の非常勤教員だ。その教師としての勘が告げている。どこかおかしい気がする。何がおかしいか、は分からないが。

 違和感の正体を探しながら、佐々木は床に円を書き、更にその中に円を書いて、そしてそれを土台に精緻で複雑な装飾を加えていく。もっとも、佐々木にとっては大した苦労ではないのだが。

 敵の攻撃は、水を利用した犬のような『何か』だった。ここの爆破だって、水蒸気爆発か何かを使ったのだろう。その証拠に、床にはところどころに水が溜まっている。

 だが、何かが引っ掛かる。ちょっと待て、と自分の心が警報を発している。

 例えるなら、水と油を混ぜ合わせたような――――、絶対に混ざらないものを強引に混ぜたような、不快な空気が漂っているのだ。

 佐々木が魔法使いならば、マニュアルに頼る必要が無いほど魔術に精通していれば、あるいはその不快さに答えを出すことが出来たかも知れない。だが、佐々木は不快の原因をその眼中に捉えていながら答えを出すことが出来なかった。

 果たして魔方陣は完成し、佐々木は呪を読み上げる。それに合わせて魔方陣が脈打つように赤く光り、正常に作動したことを知らせた。と同時に、ぶしゅ、と辺りから何かが抜けるような音がした。

 これで佐々木の仕事は終わりだ。念のため、簡易チェッカー(とある魔法使い作)を取り出し、場に残留する魔術の属性をチェックする。

 ………………光属性しか検出されない。

 ということはさっきの違和感は考えすぎかな、と思いつつ、佐々木はスーツケース片手に階段を降りていく。

 考えすぎなどではない。例えそれが、何の実害ももたらさないものであったとしても。




「すっきりんこー」

 マイが爽やかな表情で手を拭きながら中洲公園のトイレから出てきた。

 トイレの近くのベンチに僕と中川は腰を下ろしている。マイを運搬中、新聞部やら放送部やらに捕まりそうになって非常に疲れた。ていうかあいつらしつこすぎ。

 アニーは相変わらず小隊室でパソコンをいじっている。まああのニートは言ったってしょうがない。

「それにしても、簡易トイレかおまるでも常備しろよ」

「後で買ってきます」

「ちょっと待ってーふたりとも。仮にも年頃の乙女にそんなもの使わせる気ー?」

「お前は乙女と言えるほどのデリカシーも持っていないだろ……」

「というか、もとはといえばトイレ壊したマイ先輩が悪いんですよ」

 あー、原因がマイっていう事も知れ渡っているのかー…………。って、

「あれ? そういえば中川、事件の一部始終知ってたっけ?」

「いえ。尾ひれが付きまくった英雄譚なら沢山耳に届いてますけどね。どうして寝てたはずのあたしが切った張った出来るのか不思議ですよ……。出来れば後で、正確な話を聞かせてもらえますか?」

「ああ。小隊室に帰ってからな」

 仲間に隠し事をするのは卑怯だ、と時々思う。

 広くも狭くもない公園には、今は誰もいない。砂場の方をぼんやりと見ながら僕は、マイすら知らない魔女が最後に提案してきた事も含めて、包み隠さず暴露しようと決めた。

 実は撃退したというよりは逃がしてしまったんだ、なんて言ったら、また中川にキレられるかな。今せっかく機嫌良いんだけどな……。少し残念だ。




 で、小隊室に帰ったあと。

 何もかもを包み隠さず話した僕に、中川とアニーが発した言葉は『それはお疲れ様でした』程度のモノだった。

「………………あれ?」

「あれ――――?」

 面食らったのは僕とマイだ。てっきり、すわ、再び怒り狂う中川と対峙せん事に、とか頭の中で考えていたので、正直肩透かしを喰らったような気分だ。

「あれって何ですか、あれあれうるさいです」

「パンナ・コッタ」

「アニー先輩は黙ってて下さい」

「いや、失礼な話かも知れないけどな? またお前に首を絞められるものかと」

「しませんよ、そんなこと」

 中川は怒るどころかくすくすと笑いながら言った。

「話を聞く限り、逃がしたか撃退したかは見方の違いによる表裏一体のものですし。そもそも、敵襲を受けて早々はやばやと戦線離脱したあたしに先輩方を責めるなんて事はできませんよ。むしろそんな状況で二人にほとんど怪我が無いことに安心しました」

 おお。中川が凄く優しく見える。

「しかし、魔女はそんなに若い少女でしたか。もっと怖い人を想像していたんですが、なんというか、悔しいです」

「中川よりさらに年下だろうな。言葉遣いは最悪だったけど」

「下品だったねー。でも、歳は分かんないよ? どれだけ整形しているかも分からないしー。魔法なら、顔だけじゃなく身長もスタイルも作り替えられるからー」

「一応、マイが生まれた時には自分はまだ生まれてなかったとか言ってたがな」

「というか年齢云々関係なく、役に立てなかった事が悔しいです……」

「プリン・ア・ラ・モード」

「アニー先輩は黙ってて下さい。マストで」

 にこやかに、あるいは悔しそうに、表情豊かに話す中川が相当不気味に見えるのはどうしてだろう。少し怖いぐらいだ。そういえば今日、やけにアニーやマイにも突っ掛からないし、まさか……。

「中川、お前熱でも」

「それはそうと、今日の仕事はどうしました先輩? 一日一仕事宣言は」

「やっぱりいつも通りだよこんちくしょう!」

 というかそんな宣言したっけ! 真面目にやるとは言った覚えあるけど!

「今日は一昨日の騒動のせいで仕事は募集されてないですわよー」

 中川は少し残念そうに肩を落とした。そして続けて、

「気になるのはその、最後に魔女が言ったことですね。もちろん、マイ先輩にそんな凄い秘密があったというのも驚きですが」

「確かにな。それには実は僕も相当驚いているんだが……」

 マイはそのフリに少し困った顔をすると、

「あー……まあねー私もびっくりだよー……」

「もちろん、魔女の甘言には耳を貸す必要は無いが、でもやっぱりどうにも気になるな。魔女の戯言は抜きにしても、確かに以降多くの敵が攻めてくる可能性は高いし」

「それの対処については確かに検討が必要ですわね。分かりましたわ、魔女との交渉などの情報は全て伏せて、『魔女が報復を匂わせる発言を繰り返していた』と報告を入れておきます」

 するとそれを聞いて中川が僕の耳元に口を寄せて、

「アニー先輩って、真面目な時はすごく真面目なのに……」

「だめだ中川、そういうことを言うとあいつは調子に乗るぞ。あまり誉めたりしちゃだめだ」

「何か嫌な話をされている気がしますわー……」

「アニーちゃん、ファイトだよー」

 そう言うマイの横顔にさっきとは一転して、どこか影が見えたのは僕の気のせいなのだろうか。


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