馬乗りって素敵なシチュエーション


 3



いつの間に逃げたのか、魔女はどこにもいなくなっていた。

『まだ近くにいるだろうからー、手分けして探そうー。私は西に行くからー』

 というマイの言葉に従って、僕は小隊室棟から東に向かっていた。

「居ないな……。もう《天空》に逃げたか?」

 適当に辺りを見回すが、どこにも魔女の影は見当たらなかい。ところが、とあるめちゃくちゃ細い路地を覗き込んだ瞬間、襟を誰かに掴まれ、そのまま押し倒された。

 誰かなんて言うまでもない。

 魔女だ。

「お前ッ……!」

「少し黙って話を聞け」

 顔面をわしづかみにされ、地面に頭を押さえ付けられる。魔女はそのまま僕に馬乗りになると、口を開いた。

「心配せずとも、今は何もしないしすぐに逃げるよ。……ここでお前を殺しても、何の得にもならないんでな」

 そう言って、だが、と魔女は付け足す。

「抵抗するようならすぐに殺す。今なら綺麗に殺せるしな。死体は使い道が多い。戦闘用にも娯楽用にも、果ては性具にも使用できる。死体の形が整っていれば更に使い道は増える」

 あまりの悪趣味に吐くかと思った。

 僕の表情から何か察したのか、魔女はにこやかに言った。

「案ずるな。少なくとも私は性具には使わんよ。さて、じゃあ時間もないし、さっさと本題に入ろうか」

「…………どうせろくでもない話だろうが」

「そうでもない。お前らにとっては結構重要な事だろう」

 魔女はそして、言葉を選ぶように少し間を置いて、

「…………なあお前。お前は、これだけで済むと思っているのか?」

「何がだ」

「マイを狙う騒動の話だよ。お前は本当に、私を追い払ってそれでおしまいだと、そう思っているのか?」

「あ?」

「おしまいじゃないさ。自分でやっておいてなんだが、ここまで派手にやってしまうと他の馬鹿共が何か嗅ぎ付けるだろう。そうなれば今回と同等かあるいはそれ以上の騒ぎがこれから何回も起こるぞ。ここで私を倒してハッピーエンド、じゃあ

「今回以上というと……」

「私はマイに無関係な死者は出ないようにしたはずだ。が、私みたいに変な世話を焼くヤツはそうはいない。元々、この世界に恨みしか持っていないやつらだ、全力で潰しにかかる可能性のほうが高いぞ。そうなれば」

「待て、でも、そんな派手な攻撃をすればマイも巻き込まれて死ぬかも知れないだろ?」

「死なないよ。死なないから、あの方は特別なんだ。だがお前らは違う。死ぬぞ、何の迷いも無く、な」

「……っ」

 腹に魔女の身体の温もりがこもる。魔女にも人の暖かみはあった。それが腹を中心にじんわりと身体に沁みていく。にもかかわらず、全身には冷たいものしか走らなかった。

 何か魔術攻撃を受けているのか? いや違う、……これは恐怖だ。身体中が小さく震えている。

 身体が密接している魔女もその小さな震えを感じたらしく、

「……お前が恐怖しているのは死ではないな?」

「…………」

「これは死を恐れる震えじゃない。これは目の前にぶら下がっていた明確な敵を取り払われた恐怖。私を倒せば良いと思っていたのに、そんなのは何の解決にも繋がらないと知った絶望」

「……その通りだよ。ここでお前を逃がそうが逃がすまいが、その後に待つのは次の敵の猛攻。そんなの」

「理不尽だと? そう言いたいのか、哀れで矮小な人間よ、理不尽だと言って自分を慰めるつもりなのか?」

 魔女はそう言って、僕の襟を掴み、ぐいっと引っ張って僕の上半身を起こした。

 そして耳元に口を近付けて、囁くように。

「その通り、理不尽だよ。魔女である私が見てもな」

 耳に魔女の息がかかり、反射的に魔女を突き飛ばしてしまった。もっとも、魔女は少し上半身が後ろに下がった程度だが。

「おっと。痛いな……、レディには優しくしろよ」

「うるせえ……。そもそも、お前がここを襲わなければこうはならなかったんだよ!」

「ああ、それで? いつまで過去に拘泥してるんだ、起こったことにいつまでもうだうだ言ってるのは恥ずかしいぞ」

「てめっ!」

「私にも私のやるべき事が有るんだよ。実のところ、別にお前らが今後どうなろうと知ったことじゃない。それを教えたのはそいつが交渉カードになりうるからだ。それと勘違いするなよ、まだお前は私の支配下だ」

 言うなり、魔女は僕の顔を掴み、勢いよく地面に叩きつけた。

「がッ!!!」

「ここで素敵な提案だ。マイを無償で引き渡せ。そうすればこれから、ここがマイ関係で襲われる事は無くなるさ。いや、今ならエッチなサービスを付けようか? お前は結構好みなタイプだ」

 それは、魔女との…………、いや、悪魔との交渉。

 悪魔と性的交渉を持った女性が、魔女。遥か昔、『魔女狩り』という名の虐殺においては、魔女はそう定義されていた。

「ふ、ざけるなッ…………!」

「今すぐにのめとは言わないよ。心の準備をする為の、少し考える時間をくれてやる」

 魔女は指を一本立てると、楽しそうな口調で告げる。

「一週間。腹を決めたら、一週間後に《表層》のオベリスクの下にマイを連れて来い。話は終わりだよ。そろそろ逃げないと私も本当にマズイ」

 そして魔女は僕から手を離すと、素早く立ち去った。消えた、と言った方が正しいかもしれない。

 僕の返答を待たずに、魔女は消え去った。急いで起き上がり、路地から出たが、…………今度こそ魔女の姿はどこにも無かった。

 目標ロスト。半分くらいは僕の意志も混ざっていたに違いないけど、それは心のごみ箱に押し込んで火を点けた。

 クセで耳に手を当てようとして、今はインカムをつけていないことを思い出した。



 3.5



 コードオレンジ解除。敵性は《地底》より逃走。以下、被害報告及び見識。


【人的被害】


 死者0名、重傷者二名(いずれも教諭)、軽傷者三十四名(内、学生二十五名、一般人四名)。


【物的被害】


 第一小隊室棟及びその近辺の半壊。オベリスクの部分崩壊。

 それ以外には目立った物的被害報告は無し。


【見識】


 魔女一人にこれだけの破壊を許すのは由々しき事態であり、防衛力の強化を急務とする。場合によっては、オベリスクの認証システムの抜本的改革の検討(詳しくは別個資料)。

 各地で散見された犬のようなものは、魔術によって形成された無機物であると思われる。恐らく生体反応などは一切見受けられないものと思われるが、詳細は不明。『犬』自体も完全に消滅し捕獲不能な為、調査は不可能である。

 今回の人的被害は大部分がこの『犬』によるものであり、ただし二名だけは魔女の直接攻撃によるものであるとの報告が入っている。

 目立った人的被害が無いことについては魔女が何らかの配慮をしたと見られるが、その原因は不明。要調査。

 魔女の撃退の一手となったのは取月隊であることが判明。彼等への褒賞は現在検討中。確定次第、速やかに表彰を実行すること。


 以上を持って、中途簡易報告を終了する。最終報告への準備を進めること。


【追記】


 一つ気になるのが、なぜ魔女がこうも易々と《地底》にザザザ! ザザザザザ!

 ザザザザザガガガガガガガガガ! ガガガガガガガガザザザガガガガガガガ!

〈エラー! データ破損〉

 ザザガガガガガガザザザガガガガガガガガガガガガガガガガガガガザザザザザザザガガガガガガガガガガガガザザザザザガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガザザザザザザザザザガガガガガガガガガガガガガザザザザザザザザザザザザザザガガガガガガガガガガガガガガガザザザザザザザザザガガガガガガガガガガガザザザザザザザザザザザザガガガガガガガガ!!!

〈追加書キ込ミデータニ危険性ノ確認・強制消去実行〉

〈バックアップ読ミ込ミ・及ビデータプロテクト開始〉

〈強制終了実行・再起動マデ約一八〇秒〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る