乖離性の思考(意味不明
2
マイはアキラの言葉を聞いて、何も言えなかった。思えなかった。
知らず知らずの内に、涙が溢れたことにも気が付かなかった。
「結局こうなるか。まあ、このままマイを引っ掛けて逃走しても良いんだが……遊んだ方が楽しそうだな。ここでのしといた方が逃走も格段に楽になる」
魔女はそう言って、右手を振った。びゃっ、と水が飛び出して、それがそのまま剣の形になる。
「それに、まだ説得のチャンスは残っているみたいだしな?」
「ねーよ」
足元の煉瓦を踏み割りかねない脚力で、魔女がこちらに向けて走り出す。魔装を《sword》にセット。ぶいん、と手の内の魔装は形を変え、ロングソードになった。
ガギィン! と硬質と硬質が衝突する甲高い音が響いた。凄まじい力だ。それを両腕で必死に押さえ込む。
「ほっ!」
「がっ、あ!」
ドッ! と良い音を立てて、空いた腹に少女の蹴りが入った。胃の中身が逆流しそうだ。仕方ない。後ろに素早く下がって距離を取る。
「知りたくないか?」
「げほっ、……何をだ」
「さっきの話。何が本当で何が嘘なのか」
「言われなくても分かっている」
魔装を《gun》にセット。
「お前がマイを連れ去りたいってとこ以外、全部嘘だ」
銃身短めのマッチロック式、それをろくに狙いを定めないままに引き金を引く。パゥン、と軽快な音と共に
「まあ、正解だな」
ガギュン! と少女が翳した水の剣に打ち消された。
「でも一応、記憶の改竄の部分も間違いじゃない。マイはあまりに幼いときにこの地に降ろされたから、記憶が無いのさ。自分が魔女だと、しかも王族の娘だと知らない」
連射。パパパパゥン! と綺麗な音が響き渡る。マッチロック銃なのに連射可能、この辺りはやはり魔装である。追跡機能を備えた弾丸は吸い込まれるように魔女の顔面に向かい、しかし無情にも全て叩き落とされる。
「マイが王族の娘……?」
「ま、あまりに極秘裏に行われていた上、当時の記録も曖昧だ。私も産まれていない。娘というのも正確じゃないな、連れ去られた子は、男か女かも分からない。半ば伝承的な、あるいは伝説的な形でこの十数年間に広まった噂のようなものにすぎない。『この王国にはもう一人、継承候補者がいる。幼くして連れ去られた子が――』という形でな。だが」
少女の剣が紅色に染まっていき、同時にその口調も真剣味を帯びてくる。徐々に徐々に、しかし加速度的に。危険度が、指数関数のグラフのように急速に上昇する。
「まあ、こっちでも色々あってな。私はほぼ一〇〇パーセント、その子はマイに違いないとは思っている」
「違いなかったとして、だ」
僕は魔装の印を再び組み替えながら、ゆっくりと言う。
「なぜわざわざさらいに来る? まさかマイが、いやその連れ去られた王族の子が、救世主だとでも?」
「大体正解だな。決定的な戦力になるんだよ。元々、連れ去られた理由が理由なんだが」
「だとすればお笑いだな。マイを手に入れたとして、マイの意思は既に人間側だ。人間の味方だ。今さらお前らの役に立つことをするわけがない」
「そうとしても、ならばさせれば良いだけの話だろう?」
少女は紅い刀身をいとおしそうに舐めながら言う。
「さっきのを見なかったか? 操るのは実に簡単だよ。重要なのは本人の意思じゃない、力そのものだ」
僕は思わず舌打ちした。
「…………腐りきっているな。この外道め」
「よく言われる。微妙にその呼ばれ方も気に入ってきているんだが」
「変態か、魔女?」
「そりゃあないだろ」
魔女の手の内の刀身が光を放ち始める。それも、黒い光だ。まるで、剣の内側から影が延びているような、不思議な光景。
影は女物にしてはやや質素な魔女のパーカーに当たり、そして彼女の顔の陰影を際立たせる。
「ところで話は変わるんだが、昔の剣には妖刀という類いの刀剣があったそうだな。人の血を吸いすぎて死者の怨念が積もりに積もった、持つ者も相対した者も等しく不幸に導く、それでいて人を惹き付けて止まなかった血塗られた剣」
魔女が楽しそうに言う。それがどうした、と返そうとして、はっ、と気が付いた。
その黒い影は、まさか。
「ねえ隊長さんよ。それって一体何人分くらいの血を吸えば良いんだろうな。ざっと一〇〇人分程度?」
「お前……ッッッ!」
「じゃあ百二十四人分の怨念を乗せた一撃はどうなるのかな。少なくとも、避けようと思って避けられるものでもないだろうよ」
魔女が。
いつの間にか真っ赤に染まっている剣を、上段に構えた。その顔が、卑劣な笑みに歪んでいく。
「おしゃべりはここまでだ。短かったが楽しかったよ。受け止められるものなら受け止めてみな、人間」
理不尽が火を吹く、その、
数秒前!
その僅か二分前。
その時マイはようやく、自分の身体に仕掛けられたギミックを看破した。それは結構簡単な事だ。
(大体、液体状のアンテナかー! それが分かれば話は早い……)
知らず知らずの内に、口内かどこか粘膜に撃ち込まれていたのだろう。マイには魔女と直接接触した覚えはない。となれば、間接的な攻撃によるものだ。恐らくは、あのぶよぶよした『何か』を使った。
気付いたのは偶然。自分の中に『他人』が入り込んだ僅かな違和感、針で胸をつつかれるような不快感から逆算したに過ぎない。
さっそく対抗策を練る。注意して感じてみると、小さな小さな不快感は既に胸から移動して、手、足、おなか、頭、そして秘部に至るまで、全身をくまなくチクチクと刺してくる。つまり、『アンテナ』は血管かリンパ管に潜り込んでいる可能性が高い。
本来なら、全身をまんべんなく支配し、かつ原因の特定を遅れさせる有効打に違いない。だがいったんバレてしまうと、克服の穴も見えてくる。
(ならそれを、)
幸い、今は魔女の意識はアキラに向いている。さらに感覚を
今なら、拘束を抜け出せる。
(逆手に取る…………ッ!)
手足は動かずとも、魔術を発動する事は不可能じゃない。体内での消毒魔術の急精製。
そして、血管とリンパ管を使い、魔術を一気に全身に広げる!
バヅッ! と右足太ももの辺りに強く叩かれるような衝撃が走った。
「うわっ!」
身体の拘束が解除され、マイは前のめりに倒れる。
「痛ッ……。消毒魔術はやり過ぎたかー?」
自由になった代わりに、全身は内側から刺すような痛みを訴え始めた。少し内出血も起きているかも知れないが、今はそんなことは気にしていられない。
(アキラはどこにー!? 早急に援護を…………ッ!!?)
自分の事に必死で、アキラが今どうなっているのかを見失ってしまった。慌てて周囲を見回すマイの視界の端に、何か凄まじいものが映った。
バッ! とそちらを向く。
そこにはアキラと、魔女と。いや、その二人は別に驚くほどのことじゃない。問題は、その魔女が上段に構えている、液体を強制的に固めたような姿形をしている刀。
……………………………………………………………………………………………………、…………アレハナンダー?
禍々しい程に赤々としていて、しかし黒い影が中からこれでもかというほど吹き出している。ラーメンのスープにショートケーキが浸かっているような、何とも異様な光景だった。相反する筈のものが、何故か一つの器に収まってしまっている。
あれが何かなんて分からない。効果も威力もまるで知れない。でも、
ろくなものじゃ無いだろうことに違いはない!
マイは気が付けば走り出していた。勝算もないままに、純粋にアキラを助ける為に。
――――この瞬間こそ。
理不尽が火を吹く、三秒前!
魔女は視界の端でマイが拘束から抜け出したのを捉えていた。
(あー、ギミックがバレたか。まあ良いけどな)
アキラを騙しての誘拐に失敗した以上、どのみち力わざだ。マイが拘束から抜けようが抜けまいが、そんなのは何の支障にもならない。
とりあえず、ここでこの隊長野郎を潰す。跡形も残らないほどに。
そう思って、そのまま一気に剣を降り下ろそうとした。
だが、誤算が、生じ――。
そして、数秒などはあっさりと過ぎた。三秒ぐらいだっただろうか? まあ、そんなことは些事に過ぎない。
結果から言えば、僕は死ぬどころか一撃を喰らうことも無かった。
刀を降り下ろそうとした魔女が、ぴたり、とその動きを止めたのだ。いや、それはまるで、止めざるを得なかったような。
「ああくそっ! マイ、邪魔だ!」
その訳も至ってシンプルだ。マイが、僕と魔女の間に割り込んだ……、それだけ。
苛立たしそうに叫ぶ魔女に、マイはそのまま勢いよく右手をかざす。そして、その右手を中心に丸い魔方陣が展開した。それも一つじゃない。
「十五重魔方陣っ!? やっぱりマイは……」
魔女が何か言ったが、それは途中で打ち切られることになる。
十五枚の縦に並ぶ魔方陣はそれぞれがオレンジ色に光を放ったかと思うと、全ての魔方陣の中心を通るように一本の閃光が走った。
直後。ゴッ! と凄まじい太さの光の柱が舐めるように地面を走る。マイから魔女の足元に向けて一直線に煉瓦が焼かれる。
魔女は慌てて防御術式を張ろうとしたようだが、もう遅い。ドオ! という音ともに、赤熱した地面から火柱が上がった。
仕掛け花火のように、光が焼いた跡から火柱が一斉に立ち上る。
「馬鹿、なっ!」
この間、わずかに一秒。
だが、それだけで状況は逆転した。
魔女は火柱に巻き上げられて、何メートルか後ろに飛ばされる。その隙を見計らって、マイが僕に近寄ってきた。
「アキラ、大丈夫ー?」
「ああ、何とか。けど、あー……畜生、結局僕には何も出来ず、か……」
するとマイはにっこり微笑んで、
「そんなことないよー? 少なくとも、私にとっては、ねー」
「?」
「何でもないよー。さてと」
マイは僕に背を向けて言う。
「これは私が招いた事態らしいしー? 私が決着をつけようか。アキラはアニー達を……」
「断る」
僕は魔装をいじくりながら返す。
「男がやられっぱなしっていうのもダサいだろ。挙げ句女子に助けられるとかさ」
「好きにしたらー?」
魔女の少女は慌てて起き上がった。
想像以上の一撃。まだ目覚めていないと思っていたが。
あの破壊力は、余裕で《天空》でも相当の上位に入るだろう。それに十五重魔方陣も驚きだが、それ以上にそこから産み出された『結果』だ。即席魔方陣であの破壊力が出るだろうか。何にせよ、驚異と言わざるを得ない。
そして、更に問題なのは、その破壊力を見せてなお全く底が知れないことだ。
なんだあれは、と言いたくなる。正に規格外。
とりあえずは逃走するしかない。このままアレを捕らえるのは困難を極める上に、あんなのをもう一度喰らったら死にかねない。
だが、逃走するとなるとその前に絶対にやらなければいけない事がある。
震える足を叩いて、少女は立ち上がる。もう一度だけ、脅威のトリガーとなる者と相対するために。
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