二章 誤解と秘密と、それと誤解

事件は突然に



 1



 僕はすぐに窓の外に目を向けた。

 音の出所は果たして、あっさりと見つかった。ドーム状の世界、《地底》。その中央。ドームを支えるように、ドームの天井中央に突き刺さる一本の太い四角い柱、地上のオベリスクを支える根元。

 その真ん中辺りから、黒い煙がもうもうと上がっていた。

「な!?」

「『侵入者』ですわ。…………それも、すでに《表層》で防衛員を何人も殺害した完璧な敵性。魔女の上位個体」

 アニーがなおもパソコンを見ながら言う。

「危険度は準高度オレンジですわね」

「現在進行形で侵入する敵の脅威が上から二番目とはねー! レッドは一体どーいう状況を想定しているのやら!」

 マイがどこか楽しそうに言った。そこへ、

『学生の皆様に伝達します。現在、魔女の《地底》内への侵入が確認されました。学生の皆様は速やかに寮に戻り、各寮では点呼を行ってください。また、一部通学生は、職員室に集合するよう。繰り返します……』

 天井のスピーカーを使って、アナウンスがやかましく泣き喚く。逃げてください、逃げてください、マジ危ないから。確かに危ないんだろう。僕らも早く逃げた方が良さそうだ。

「どうするアキラー?」

「逃げる」

 即答する。

「防衛員が何人も殺害されるほどだ、その魔女は相当凄腕なんだろう。勝てるか否かより、勝負になるか否かすら怪しい。さっさと逃げた方が得策だ」

 ドアを見つめながら、僕は説明する。マイもアニーも異論は無いようで、うんうんと頷いている。

 しかし今までずっと窓の外を見ていた中川が、待ってください、と言った。

「どうした? この期に及んで『仕事しろ』か? 確かに侵入者を撃破すればポイントは高いだろうが……」

「違います! 外…………っ!」

 外? と首を傾げる。中川は珍しく慌てたような表情で続けて叫ぶ。

「敵襲です!」




 とある少年はその時、学園南東部にある衣料品店を慌ただしく飛び出た。彼は学園の魔術科の生徒であり、言うまでもなく先のアナウンスに促されて店を出たのである。

 店員は大丈夫だろうか、と『ヒーローらしい』事を少し考えた少年は、でも自分もピンチだもんな、と走り出した。寮はすぐ目の前、二〇メートルくらいにある。さっさと帰ろう、そこなら安全な筈だ。

 そんな少年の右足に。

 どすっ、と衝撃があった。

「? なんだ……?」

 目線を下げる。何か、透明なぶよぶよしたものが目に入った。まるでスライムみたいな何かが、足にまとわりついている。いや、これは。

 足を、何か変な生物に噛まれている…………ッ!?

 そう思った時に、少年の右足に激痛が走った。足に、その肉に、太い牙が何本も鋭く食い込むのが分かる。

「うああぁああぁぁぁあああ!!!?」

 透明な何かがみるみる紅く染まっていく。それが自分の血であると、少年はなぜかすぐに分かった。

「畜生、離れろ!」

 少年は咄嗟に腰から銃を抜き、透明な何かに向けて適当にぶっぱなした。見事に『何か』に当たったが、ついでに自分の足もまとめて撃ち抜いた。

 パン! と乾いた音が響く。

 …………貫通したのが、せめてもの救いだろうか?

「ぐおおあああぁぁあぁああッ!」

 爆発したような激しい痛み。焼けるような熱が、弾丸が当たった所を中心に広がる。

 しかし、代わりに『何か』は足から離れた。寮までは残り五メートルと少し。匍匐前進してでも辿り着ける距離である。

「あと、ちょっと……!」

 あそこまで行けば助かる。目に見えて分かる安全地帯。

 非情にも。そこまでの道を塞ぐように、べっ! と透明な塊が空から落ちてきた。

「あ…………」

 塊はすぐに形をうねうねと変えて、犬のような四足歩行の姿になる。それは結局、さっきの『何か』と同じモノだった。

 終わった。少年は悟った。もう、待ち受けるのは『死』だ。『何か』が何なのかは分からないが、まさか良性生物ではあるまい。

 神へ祈りを捧げる。少年はカトリック教徒だったが――、今まで神を本気で信じたことは無かった。あくまでもつたない魔術を行使する溶媒として使っていたに過ぎない。だがこの瞬間、彼は今までを悔い、神に願った。

 奇跡を。

 その時それに呼応するように、目の前の『何か』が爆散した。

「あ!?」

「無事か、少年?」

 背後から声がする。少年は振り返った。拳銃を両手で構え苦い顔をしている若い男に、少年は見覚えがあった。つい数分前に、少年が慌てて立ち去った店の、店員。

 どんな形であれ、少年が見捨てた店員。

「くっそ、足をやられてるみたいだな」

「おじさん……、なんで?」

 おじさんはよしてくれ、これでもまだ二十五だと店員は笑った。

「学園時代は劣等生だったがな、射撃だけは自信あったんだ。機械科の取り柄か……。無駄話してる場合じゃないな少年、寮はすぐそこだろ? とりあえずそこまで逃げるぞ!」

 少年は手を引っ張られて、寮まで半ば引きずられるように店員についていった。

 ヒーローとは心意気一つで、誰にでもなれる。その立場も、時も、何にも縛られずに現れる奇跡こそが、ヒーロー。

 少年は神に感謝した。

 これからは熱心に祈ると心に決めた。




 僕らは一階に降りていた。

 強行突破する。小隊室棟にいて、それ以外に出来る事は無さそうだった。

「くそ! このぶよぶよ、一体どれだけいるんだ!? 捌ききれない!」

「アキラ、どいてー!」

 拳銃を握る僕を押しのけて、玄関口でマイが何か詠唱する。直後、その手のひらから炎が火炎放射機のように吹き出した。

 小隊室棟の前、煉瓦敷の広場に黒い跡が残る。

「あーあ……」

 視界にいる敵の三分の一を消し去る一撃。景観を犠牲にしての一撃だ。

「ここじゃ私は何もできませんわね」

「中川、嫌かも知れないがアニーを守ってやってくれ」

「後でなんかおごってくださいよ?」

 中川はどこから取り出したのか、ロングソードを持ち、アニーの側に立った。

「数は多いけどー、一体一体はそこまで強くない。これならー、」

 マイは火で出来た剣でぶよぶよした『何か』を切り飛ばしながら言う。

「いけそうだねー」

「にしても、こんなのがまさか学園中に出てるのか? いくら弱いとはいえ、非戦闘要員に耐えられるものじゃないぞ!」

 パンパン! と僕の手元から乾いた音が響き渡る。銃口が光り、反動で手が痛む。代わりに、『何か』が何体か爆散していく。

「……今は、人の心配をしている場合じゃありません」

 冷静に言いながら、中川はアニーに噛みつこうとした一体を剣で掬うように下から真っ二つにした。アニー本人は所在なさげに携帯電話をいじくっている。多分、また何か調べ回っているのだろう。

 ひとまず現状を維持できれば、この局面から脱出すること自体はさして難しくない。だが非戦闘要員の救出を叶えるのは、その後にするしかないだろう。

「とりあえずここを切り抜けて、」

『切り抜けてもらっちゃ困るんだなあ』

 そんなときのんびりと、僕の声を遮るようにどこからか声がした。次の瞬間に、


 ゴッ!!! と。


 何か見えない力が僕の脇をすり抜けていった。釣られるように後ろを向く。見えない力は中川とアニーを襲い、二人を勢いよく後ろに弾き飛ばした。

 反応出来なかった。

 ゆうに数メートル。二人は回避する暇もなく宙を舞い、ごがっ! と煉瓦敷の床に叩きつけられた。

 慌てて二人に駆け寄り、肩を揺する。息はあるらしいが、意識が完全に刈り取られている。

「誰だ、オマエ……!」

 見えない誰かに怒りを向ける。

「一体何をした!?」

『そんなに怒るな。殺してはないよ。少し邪魔だったのでな。そうだ、こいつらももう用済みだな』

 言葉と共に、パチッ、とスイッチを切り替えたかのように一瞬で『何か』が消え去った。辺りを囲んでいた脅威が瞬く間に蒸発する。

 だが僕はそれに関係無く、同じことを繰り返しもう一度言う。

「誰だと訊いているんだ……!」

 それに対して、『声』は大きくため息をついた。

『は―――――――――――っ、…………一応、お前がリーダーらしいから気絶させなかったんだぞ。はっきり言って本来、今はお前に用は無い。お前も眠らせてやろうか?』

「っ!」

『嫌なら少し待てよ……』

 可愛らしい少女を思わせる声はしかし、危険を漂わせる事を告げる。

『すぐそっちにいくから。話はそれからでも遅くはないだろ? それに、マイもご苦労だった。もういいぞ』

 マイ? ご苦労だった……?

 その一言を脳が理解する前に、ぶぢいっ! と何かを強制的に立ちきるような嫌な音が少し離れたところからした。

 反射的に、横を向く。

 マイが口を押さえて、膝から地に崩れ落ちるのが見えた。




(とりあえずは内から裂いてみようか。信頼感、仲間意識、エトセトラエトセトラ。姫君に当たったのは誤算だったが……。本当は隊長さんにやらせるべきだった)

 魔女は水で作ったスケートボードのようなものに乗って、通りを軽快に滑っていた。目にも美しい髪が風になびく。

(でもまあ、姫の力を先に無効化できるのは良いなあ。あれは開花すると怖い。先に隊長さんを潰そうか。目的の達成はそれからだ)




「マイ……どうした…………?」

 怒るでもなく、ただ呆然としたようなアキラの声。それを聞きながら、うずくまっているマイは何も答えなかった。

「…………、」

 否。何も答えられなかった。

(口の主導権が奪われている!? なっ、なんだこれー……! さっきは私の意志とは関係無く声が出たし…………)

「……マイ、何か答えてくれないか?」

 アキラの頼みに応えようと、ぎぎぎぎぎ、と口を動かそうとする。しかしながら、いくら力を込めようが口が言うことを聞かない。

 ついで、唇のあたりから手にぬるりとした感触が広がる。やがてそのぬるぬるは指の間をすり抜けて、石畳を叩いた。それが赤いのを見た瞬間、マイは自分の顔からさっと血の気が引いたのが分かった。

(血……!)

 口内から血が漏れている。だがそれ以上に驚異だったのは、視認しなければ血だと分からなかった事だ。

 口内から出ているにも関わらず。マイは血の味を知覚できなかった。それが示すところは当然、味覚の麻痺。いよいよ持って謎だ。一体自分に何が起きている?

「マイ!」

 血を見て慌てたようにアキラがマイの肩を揺する。マイは大丈夫、とアキラを落ち着かせようとした。その為に右手の手のひらをアキラの方に突きだし、制止しようとして――――、


 愚策だった。


 口が操られて、手が操られない道理など有るまいて。

 その手のひらから、ゴッ! と衝撃波のようなモノが出た。もちろん、マイが意図して出した訳ではない。口と同じように、魔法の一部まで制御権を奪われている。

 ただ同時に、マイはその一撃に悪意を覚えた。というのもそれはまるで、

 中川とアニーを昏倒させた一撃のような。

 アキラの体が後ろに弾かれる。ほんの一瞬、アキラは宙に浮いて、そして尻から地べたに落ちた。

「がっ! マイ、お前……!?」

 アキラから見れば、マイはどう映るか。言うまでもない、『中川達が喰らったのと同じ魔法を使用して自分を攻撃した』、裏切り者にしか見えないのは誰の目にも明らかだ!

(違う、私じゃない! 私は何も…………っ!)

 思いは声に昇華しない。形に成らない。声帯が震えない。

 自分が何らかの魔術的攻撃を受けている、それは確定的な事実だ。だが一方で、その魔術が何かが分からない。いつ何を身体に小細工された?

 幸い、アキラはいまだマイを敵と決めつけた訳ではなさそうだ。(本意では無いにせよ)攻撃を加えてもなお、声に迷いの色が混ざっている。今から素早く小細工を破壊すれば、まだ説得の機会が有る。マイはそう考えた。


 しかし、総じて現実というものは甘くない。


「あー、マイ、余計な事はしなくて良いんだよ」

 ぞくりと。背筋が震えた。

 後ろから掛けられた少女の声に、非常に悪い予感しかしない。何せその声は、

 コイツハ何カ害ヲ及ボス。

 それは分かっているのに、マイは全く動けなかった。脅威はすぐ後ろに迫っているというのに、身体に力が入らない。代わりに、顔の筋肉が勝手に動いたのが分かった。

「お前に与えられた役はあくまでも、邪魔者二人の排除に過ぎない」

 ぎちぎちと。その言葉がさらに嫌な予感を助長する。まるで、何か自分の立場が曖昧にされていくような……。いや、それが

 はっ、と。マイは目だけ動かしてアキラの顔を見た。

 何か終わってしまったような、――――――――。そんな気がして。

 そして、マイはそれを見て、頭を殴られるような衝撃を受けた。既に敵の目的は達されていたことを知った。

 これまでに無いほど恐ろしい顔をしたアキラがそこに立っていたことを、マイはかろうじて認識した。




 僕の目の前で、マイは呻きながら地に崩れ落ちた。かたかた、とその小さな肩が壊れそうなほどに震えている。その顔はしかし、だった。

 なぜ? 人を傷付けて笑顔でいられるのは、なぜだ?

 僕は視線をマイから移した。膝から崩れ、地面に座り込むマイ。の、その後ろ。

「はろー?」

「…………」

「つれないな、隊長さんだろ?」

 笑顔で話しかける金髪の少女がいた。その素振りからはっきりと分かる――、こいつは魔女だ。

「マイがごめんな? 命令されてもいないことを勝手にやったようで……。何しろ、やっと君達穢れた人間とおさらばできるんだ。はやる気持ちが抑えきれないのを分かってやってくれ」

「どういう事だ?」

「簡単だよ。私は悪の組織に囚われ、記憶を改竄された姫君を取り返しに来たヒーロー。君達はその姫君に取り付けられた鎖。というわけで、出来れば戦いたくない。平和的解決を求めるよ」

「ヒロインがほざくなよ」

 僕はつとめて、冷たく言った。

「だがまあ、僕らは悪の組織じゃない。だから、姫君を捕らえた気すらないさ」

 マイを指差す。

「連れてけよ。条件は裏切り者マイの引き渡しだろう?」

 マイがこちらを見てくる。その顔はなおも……笑っていた。満面の笑みだ。こちらの良心が痛むほどに。

「思いの外話が早いな。それにしても、どんな『枷』をつけていたんだ? マイが壊れてしまいそうだ」

 魔女は驚いたような顔をしながら、マイの頭に手を置いた。

「僕も知らないよ。ついさっきまで本当の仲間と思い込んでいたくらいだから」

「それもそうだな。お前らはただの鎖だったからな」

「代わりに約束しろよ。そいつを連れて、さっさと出ていけ。これ以上ここを荒らすな」

「分かってるよ。目的はマイだ。正直、ここまで平和的に解決されて驚いているよ」

 魔女は踵を返し、マイの襟を掴んで、無理矢理立たせた。

「ほら、行くぞマイ」

 マイはそれに抵抗しない。震える肩は喜びによるものだろうか。笑顔は待ちわびたヒロインの登場に起因していて、先ほどの攻撃もマイの本当の気持ちがこもった一撃なのか。

 はーっ、と僕はため息を吐く。二人は今にも広場から出ていきそうだ。

 マイは本当は敵だったのか。その事実に心が壊……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、って、



「そんなわけ無いよなぁオイ!!!」



 取り落とした拳銃を拾い、迷わず魔女に向けて発砲する。

 パン! と乾いた音が一つして、魔女の身体が前に弾き飛ばされた。つまり弾丸は、狙いたがわず魔女の背中に命中した。

「悪いな魔女、僕は最初からお前の話は何一つ信用していない。そもそも矛盾が多すぎたしな」

 排出された金色の薬莢が足元の煉瓦を叩き、キン、と高い音が響く。

 拳銃弾一発じゃ死んでなかろう。相手は魔女だ。常識は通用しない。

 「マイは何が有ろうと僕の仲間だ。マイの意志による攻撃? 違うだろ、お前が何か操ったんだろう! 命令されていないことをやるな? 元々お前は命令なんかしてないだろうが! 命令すらせず、マイを操作したんだ!!!」

「ちっ、ガキが。証拠もない希望論をべらべらと……」

 魔女は立ち上がりながら忌々しそうに言う。あー、服に泥がついたじゃないか、とかなんとか言いながら膝の辺りを手で払っている。

 ……お前もガキだろうが。

「証拠もない? 有るさ。マイは嬉しいときに喋らない事はまず無いんだ。そいつはおしゃべりなんだよ。なのにさっきから無口だなあ、マイは。それに」

 魔装を腰から抜き、構える。

!」

 さて、と。

「魔女、交渉は決裂だ。マイを返して貰うぞ。お前にどんな目的が有るかは知らないが、そいつは僕の仲間なんだ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る