ジャムパンは悪夢



 2



 歴史Aの授業が済んだ。いざ食堂へ参る! 今日こそランチセットをいただきます!

 …………なんて意気込んでた五分前が夢のようだ。今はぼんやりと購買でジャムパンにするかクリームパンにするか真剣に悩む僕がいた。長方形の食堂の隅に購買はコンビニのように(ただしサイズはスーパーなみだ)仕切られて存在する。

「うむぅ……」

 甘すぎて吐き気がするジャムパンと、納豆みたいな臭いがするクリームパン。

 ちなみに他のパンは全部売り切れだ。この学園が抱える生徒は一五〇〇〇を越える。食堂からあぶれた生徒は皆購買に流れ込むため、購買の商品もすぐに売り切れてしまう。この不味すぎる二商品を残して。

「今日の昼は抜くか……?」

 この二つは食いたくないなぁ、と考える僕の肩を、誰かが叩いた。

「うっひゃあ!」

 びっくりして振り向くと、そこには知った顔があった。

「…………な、何をそんなに驚いている」

「あ、いや……急に叩かれてびっくりしただけだ。すまん、俊樹」

 背が高くがっしりとした体つきにスポーツ刈りをしている彼の名前は井上俊樹。静かな喋り方と、冷静さが非常に好感を与える僕の小学校からの幼馴染みだ。

「で、どうした? 何か用か?」

「…………いや、お前が顔色悪くしていたからな。何かあったのかと」

「あったあった。昨日恋人にフラれちゃって」

「…………という夢を見たんだな」

「酷くない!?」

 マイといい俊樹といい、アニーやジニーも含め、やっぱり僕の周りには冷たいヤツが多すぎる気がする。

「…………そもそも夢でも、お前に恋人など出来るものなのか?」

「うっさいな、真顔で聞くな真顔で! 本当の所は、パンがまたこの二種しか残っていなくて、閉口してたんだよ」

 溜め息を吐きながら言う。

「…………個人的にはジャムパンをおすすめする」

「なんでよ?」

「…………クリームパンは保存料たっぷりな気がしてな」

「そういやお前は健康第一思考だからな」

 でもジャムパンも似たようなもんだと思うぞ、と返答しつつ、言われた通りにジャムパンを買うことにした。一個百円。半分も食えたら上出来だろう。

 ジャムパンの袋を引っ提げて購買から出ようとする僕の背中に、俊樹が言う。

「…………そうだ、マイが小隊室に来いと言ってたぞ」

「お前もともとは、その伝達をしに来たんじゃないのか?」

 ジャムパンの残りはマイに無理矢理食わせようかな、とか考えつつ、食堂からあまり離れていない取月小隊室のある棟へと向かった。小隊室棟の中でも最も規模が大きく、五十を越える小隊を抱えるだけあって、棟は非常に巨大だ。

 入ってすぐにある階段を上へ、上へ。大抵の小隊部屋は一階から二階にあるが、一部成績の悪い小隊の部屋は三階にある。もちろん、我が取月隊は三階にある方だ。何しろ隊長の僕が全く仕事しないから。

 部屋の前に着くと、ドアが取れている。昨日マイがぶっ壊したせいで、ドアは外されて小隊室の横の壁に立て掛けてあった。

 取月隊小隊室。そう書かれたドアプレートだけは破壊の手を逃れ、ドアの枠の上部に健在だった。

 と、部屋の中に人気を感じる。きっとマイだろう。あるいはアニーが、パソコンを弄りに来ているかもしれない。

「おーいマイ、用ってなんだ……」

 言いながら小隊室に入った僕はしかし、ぎょっとして首を引っ込めそうになった。

「お久しぶりです、先輩」

 あんまり見たくない顔がそこにあった。

 中川理愛、なかがわりあ。部屋の中央のソファに腰掛ける彼女とは少し因縁があった。

「あ、ああ。久しぶり」

 僕は何とかそれだけ返すと、彼女と向かい合うように小さな丸椅子を部屋の隅から持ってきて、腰掛けた。

「随分と出口の辺りがすっきりしたみたいですけれど。何か良いことでも?」

「ああ、少し宝くじに当たってね。ところで、用件は。できるだけ手早くな。マイが来る前に済ませて欲しい」

 何をしに来たんだろう。遂に僕を殺しに来たんだろうか。『墓地はどこがいいですか』とか訊かれたらどうしよう、こいつとは因縁があるからなぁ……とか考えていると、意外な言葉が飛んできた。

「昨日は久々に任務を果たしたそうですね。おめでとうございます。何ヵ月ぶりですか?」

 まさかのお祝い。

「え、えーと……」

 頬を掻きながら、頭で数える。えーと、確か……。

「三ヵ月ぶり?」

「今日は何月だと思います?」

「七月終わり、夏休みの手前……」

「つまり先輩は」

 中川はその長い黒髪を耳の上に上げながら、

「あの時を最後に任務を昨日までしていなかった、と」

 僕をまっすぐに睨み付けた。

「先輩がどうしようと勝手です。勝手ですが、このままでは先輩はただの役立たずですよ? 筆記の成績は良いのに、実践ではまるで足手まとい」

「……」

 三ヶ月前の記憶がよみがえりそうな言葉だった。

「せっかく二年の中で、いえ学園の中で数少ないパートナーを得ている者であるにも関わらず、ろくに仕事もしない」

「……返す言葉もない。だが、」

「挙げ句、小隊室でニートのような堕落した日々を過ごす底辺!」

「……そんな事を言いに、わざわざ来たのか?」

「そうですよ」

 挑発したつもりの言葉をあっさりと首肯され、少し面食らった。

「ですが、続きが有ります。あの時は色々ありましたが、もう一度あたしはここの小隊に戻ります」

「んなっ! だ、だけど……」

「あの時のことはあの時のこと。今それは関係ありません。このまま先輩がゴミクズ扱いされるのは気分が悪いですから」

「待て! それは多分、マイが許さないぞ!」

「マイさんが許そうと許すまいと認知の外です。あたしは先輩を監視します。これはマストです」

 中川は立ち上がると、出口に向かってかつかつと歩いて行った。

「アニー先輩とマイ先輩によろしく言っておいてください」

「僕は知らないぞ。何があっても」

 そんな僕の言葉を無視して中川は出ていった。嫌な空気が後に残った。




 中川が去った数分後に、『ごめーん遅れーたー』とか言いながら部屋に箒で突っ込んできたマイに、ついさっきあった事を話した。

「りあちゃんがー?」

「ああ。戻るらしい」

 マイは少し嫌そうな顔をして、

「ふーん。……随分、勝手な事を言うものだねー」

「どうする?」

「拒否はしないさー。というか、拒否しようにも一度この小隊に入ったんだからー、今も取月隊の一員として登録されてるんだよねー」

「へえ、そうなのか」

「まあだからこちらに拒否権は無いってことー。話に聞く限り嫌がらせしに戻ろうって訳でもないんだから、いーんじゃないのー」

「後はアニーが納得するか、だな」

「りあちゃんとの決裂の原因はー、間違いなくアキラの美徳だからねー。アニーはその美徳を気に入ってる訳だしー……」

 マイは爪先を床にこんこんと打ち付けながら言った。

「結構、難しいかもねー?」

 やっぱりか、と僕は苛立つような感情に髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、

「とりあえずアニーに状況を伝えといてくれないか。中川が今日の放課後にも来るだろうって。アニーが中川とケンカしそうになったら、抑えておいてくれ」

「あいあいさー。それとアキラ」

「はいよ?」

 マイは僕の目にかかるまで伸びたそれを指差して言った。

「髪、切った方が良いと思うよ?」

 僕は返事をせず、代わりに手をひらひらと振って小隊室を後にした。しかし何だろう。何か忘れているような気がするのだが。




 アキラが去った後しばらくして、取月小隊室で、マイは叫んだ。

「結局アキラに言いたかった事言ってないじゃーんっっっ!」




 各小隊の小隊室がある棟、正式名称小隊活動棟から中庭に抜けた所で、僕は叫んだ。

「マイにジャムパン食べさせるの忘れた! というかジャムパンの袋、小隊室に忘れたっっっ!」




 これは、他愛もない思い出話だ。

 どういう経緯でこうなったかも思い出せないくらい、他愛もない。


『どうして魔女を殺さなかったんですか!』

『いや、悪かったとは思っている。だが、殺さなくても……』

『……戦争』

『え?』

『………………これは、戦争ですよ……? 戦争で相手が殺せないなんて、何を寝ぼけた事を抜かしているんですか! それだけの力が、それだけの武器がありながら! あなたは、なぜ……!』

『苦しい! 首を絞めるな……!』

『あなたの美学、あなたの哲学、そんなものはどうでもいい。なぜ敵の雑兵の首一つすら刈れない人間が、なぜここに立っている! なぜそんなに堂々としていられる! なぜその力を手にしている!』

『くる、しい……ッ!』

『魔法使いに力を与えられていながら、なぜ魔女を殺さなかった? 答えろ、取月ッ!! なぜ殺さなかったんだ!!』

 部屋の扉が開き、異常に気付いたマイが近寄ってくる。

『……何をしている? アキラから手を離せ、りあちゃん!!』

『……チッ!』

 珍しいマイの怒る声に、首を絞め上げていた白い手が離れていく。

『げほっ、げほ。……中川。何も、殺さなくても良いだろう? 平和的に解決する手段もあるはずだ』

『平和的に……? あなたは、何を言ってるんですか……?』

 ここで中川の目がうるんだことだけは、今でも鮮明に思い出せる。

『それを、秋に言えますか! 哲に言えますか! 卓也に言えますか! 咲子に言えますか! あたしに、言えますかああああぁぁぁあああぁぁぁあああああッ!』

 絶叫。まるで、歯みがき粉のチューブから歯みがき粉全てを絞り出すような、絞り出しきってもそれでも懸命にカスを絞り出そうとするような、喉の奥からの絶叫。

 後になって知れば、それはまさに「認識」の差だった。魔女に家庭を崩された者と、そうでない者との魔女への認識の違い。恨みの違い。「正義」の実行力の違い。

 その後の事は、よく覚えていない。

 気づいたら、バンッ! と扉を勢い良く開く音がしていた。中川は小隊室から走り去って行った。

 後にはただ、首が紫色になった僕と、気まずそうに佇むマイとアニーが居るだけだった。

 それもみんな済んだ事だ、中川の件は僕の中ではそういう扱いになっていた。少なくとも、僕にとっては。誰もいない中庭で一人、呟く。

「中川、きっと僕には、魔女について正面から君と話す資格は無かったんだろう」

 そうこれは、他愛もない身の上話。

「そもそも僕には、親がいないんだし、ね」

 僕が済んだか否かを決めることすらおこがましい、そんな昔話。



 2.5



「……………………もういいかな」

 魔女の少女は雨を降らせるのを止めた。朱く染め上げられていた手は白さを取り戻していた。敵の追加はまだだろうか。そう思った矢先、ズドッ! とその首筋、脊髄を貫くように矢が突き立った。

「がッ…………!?」

 正確には、矢は首に下げられていたペンダントのチェーンを切断して、ペンダントを少女から切り離す。

『那須与一』。そう名付けられた弓と矢は、必中を願して魔法使いが祷りを捧げた武具。すなわち、それはただの弓矢ではなく、立派な霊装として機能する。

 パキバキパキバキ、と少女の首筋が凍るように固まっていく。幸いあまり深く刺さってはいない。神経に傷をつけている訳でもなさそうだ。しかし少女は珍しく慌てたように矢を握ると、

「ぐっ!」

 ぐちょ、と引き抜いた。矢じりに細かく彫られた返しが肉に僅かに引っ掛かるが、無理してそれを引き抜く。『魔女殺しの矢』をそのままにすれば、命に関わる。これが最良の選択だった。

 カラン、と少女の血肉を少しだけ付けた矢が地に落ちる。

「…………随分乱暴な一撃だ。処断委員会かな?」

「だったら何だ」

 少女の呟くような問い掛けに、誰かが答えた。辺りには姿は見えない。眼で探しても無駄だろう。力技で場所を暴くしかない。

「別に何と言うことはない」

 少女は地に落ちたペンダントを拾い上げながら、素っ気なく言った。その口の中で何かが青く光る。

「ただ少し、道案内を求めていた所でな?」


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