一章 魔女が存在する世界
この世界の事情
1
第三の長い世界大戦の決着は、勃発から一〇〇年を経た今でも、ついていない。現在は『休戦状態』だ。
最初は核がメインの戦争だった筈だが、途中で何が起きたのやら、最終的には魔法使い対人間という構図に刷り変わっていた。
中世に理不尽な虐殺により滅んだ筈の魔法使い、そしてそのアイデンティティである『魔法』という不可思議な存在は、ここに来て圧倒的な存在感を放った。
それはまさに、幻想世界の住人。
鉄と火薬では殺しきれない存在、指先から火を散らすような存在に、結果として無力な人間は敗走しそうになる。しかし、そこで思わぬ事が起きた。
「ではこの思わぬ事とは何か答えて貰おうかの。取月」
歴史Aのハゲ教師が、板書の手を止めて、黒板をチョークでコツコツと叩いた。僕は慌てずに立ち上がり、そして、
「魔法使いの一部が人間に協力した事です」
「よろしい。流石、パートナーを持つだけの事はあるの」
関係ありませんよ、先生。席に座りながら、僕は心の中でそっと呟く。幼年期の絵本は偉大だ。柔らかい脳に政治的記憶を刻み込む。
ちなみにこの後に有るであろう授業はこんな感じだろう。
…………魔法使いの一部は、人間との争いの道より、人間との共存の道を求め、彼等の砦から白旗を抱えて人間界へと降りていった。
このころ、まだ世界は二面だった。《表層》と《天空》である。《天空》は魔法使い達の砦。直径が十キロ程度、大きければ五〇キロもある円盤状の素材不明の巨大建造物が空には幾つも浮かんでいる。戦時中のどさくさに紛れて魔法使い達によりばかすか展開された空中要塞で、その上に魔法使い達は住んでいた。
その《天空》が造り上げられてすぐに、《表層》住人つまり人間は、大打撃を受けた。
未知なる力、お伽噺に毒された力に、人間はなすすべもなく屈服した。核ミサイルなんかでは到底効き目がなく、ヒトは上空から軽々と蹂躙された。人界の武器は役立たずだった。
あるいは効いたとして、その後が怖かった。直径が十キロを越える物体が、対流圏上部から自由落下を起こしたら果たしてどうなるか。大津波の発生か? 巨大クレーターの出現か? 氷河期の再来は言い過ぎか。
「結局は浮遊物体そのものが武器でしかなかった訳じゃ」
教師はカツカツと黒板に英単語を記した。
Bomb。
爆弾。つまるところその時点で、魔法使い軍勢の勝利は確定していた。まさに絶体絶命。
しかし実際には爆弾は落ちてこず、今も浮かんだままだ。その訳こそ、人間協力派の魔法使いが現れた事である。
「世界中の色々な所に、白旗を掲げた魔法使いの集団が降りてきた。最初は、降伏の勧告かと思われた。しかし違ったのじゃ。彼等は地に降り立つなり、こう言った――『私達も、仲間に入れてくれませんか』」
機械科工学部試作品第一開発室、略称ラボ1。そこには二人の少女がいた。
「当時、魔法使いの側の理由も様々だったらしいねー。単純に虐殺を嫌ったー。人間と仲良くしたかったー。理由は色々だけど、人間に協力する一団が居たのに代わりはないー……」
少女の片方、マイはそう言って、近くでメカをいじくっている水色の髪の少女に後ろから抱きつき、頭にあごを乗せた。
「分かったー? アニー」
「邪魔だから離れてくださいね?」
降りてきた魔法使いの中には、魔法使い全体の中でもトップクラスの力を持つ者もいた。ゆえに、敵の魔法使い達は迂闊に爆弾を落とせなかった。落とせば、強烈なしっぺ返しに遭う危険性が出てくるから。
その後、戦争は膠着状態に突入する。どちらも大掛かりな攻撃は出来ないままに。
その間、魔法使い達は人口が爆発的に増え、現在は爆弾を落とす事を諦めている。落とせる爆弾が無いのだ。どの《天空》にも魔法使いが住んでいる。仮に落とせば、自分の首を絞める。
しかしながら、爆弾は落ちずとも、敵魔法使い達からの攻撃は有る。それに対処するため、味方の魔法使い達は新たな策を講じた。それが、現在僕がいる世界、《地底》世界の創造だ。
地下数百メートル以下にシェルター替わりとして作られた《地底》も、《天空》と同じく、虫食い状に幾つも存在する。
人間は《表層》を捨て、《地底》に移り住んだ。そして、敵魔法使いの事を『魔女』と呼称し、『魔女狩り』を始めるようになる。
そうだ、いまだに説明していなかったか。この学校はそんな『魔女狩り』が出来るものを育成する学校。第一魔女処断学校である。
1.5
(或る男の亡霊の話、機械科『降霊術機』を通してのリアルタイム記録)
僅かに23.4度傾いた世界に、私は横たわっていました。
気付いたら、全ては終わっていました。
血と、汗と、叫びと、涙と、暴力と恐怖と無慈悲に彩られた世界は……消え去りました。
私は、死んでいました。それをこうもはっきりと自覚できるのは、やはり死後の世界があったからに違いありません。
死の間際に見えたのは聳え立つオベリスクと、朱が塗りたくられた白い手でした。
オベリスク、私の魂の帰る場所。私を守り、そして私が守るべきその象徴物質。
そして現在、視界中央には私と私の仲間を殺した少女。の足。今も私の屍の頭蓋に足を載せていて、ああ、屈辱的ではあるけれど、これも報いなのでしょうか。
そして雨が降り注ぎます。汚ならしい体液と混じって、私に根を張っていた穢れも流れて行きます。
その中で私は確かにこう願うのです。
魔女を狩り続けたこの身を赦したまえ。
なんて、ね。
そして――……。
(
――そして天に浮かぶ街より舞い降りてきた少女は、小さく溜め息を吐いた。その手はべっとりと赤く濡れている。穢れた血だ。
その足元には、同じような服装をした男が二人転がっている。二人は仲良く、首の骨が嫌な方向に曲がっていた。
「…………またやっちゃった」
少女は片方の男の頭を踏みつけると、ぐるり、と少女は首を回して辺りを見渡す。一人くらい生きている奴はいないかな。いないみたい?
少女の回りには、足元の二人と同じ服装をした人間が更に十数人ほど横たわっていた。それらは皆、ピクリとも動かない。
死んでいる。生命活動の停止。少女の行動がもたらした結末だ。
「仕方ないな……。もう少し、踏み込んでみようか」
もう十分に魔女には危険区域であると云うのに。視界に君臨するオベリスクは、無言の警告を放ち続けていると云うのに。それでもなお、少女は中心部に迫ろうとする。
そして少女は小さく呪を呟く。すぐにぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
恵みの水は、少女の穢れを綺麗に洗い流していく。綺麗な金髪にも顔にもこびりついていた血と脳漿を擦り落とすと、僅か五〇メートルほど離れた所に高く聳え立つオベリスクを仰ぎ見て、少女は言った。
「戦争はまだ終わっていない。膠着状態に入っただけ」
私はここに宣戦布告する。あの方に会うまで、私は止まることができない。
「だから待っててくれ、あなた様」
言葉と共に、足元の男の頭蓋骨を思い切り踏み割った。
んべ、と少女は舌を出す。『穢れた血』が――――、人間の血がたらたらと流れ出した。
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