ここで科学か

 8



 火の魔法をあらかた極めるまでに、大した時間は必要なかった。

 無論、『火の魔法』なんてくくりなら星の数ほど存在する。フィアが極めたのはそのうち、もっとも難易度の高い、『火』そのものを生み出す、いわばあらゆる火系統の魔法の始祖となっているような魔法群だった。

 ゆえに、フィアは大体どんな火系統魔法も使用できた。大方、フィアの本命の魔法群をベースに敷いている為、模倣は大して難しい事ではなかった。

 そしてフィアはティアに出会った。

 元々が少数派の住む村だ。村自体はそう大きくなく、彼女らが出会い、仲良くなり、果ては一夜を共にしたというのも、偶然と言うまでもないことだろう。

 だが、ティアが村随一の水の魔法使いだったことは、間違いなく偶然であり、幸運だった。

 フィアはティアから水の魔法を習い始めた。基本的に火の魔法使いは水の魔法を使えない。完全に相克の関係に有るからだ。しかし、フィアの火の魔法が『始祖の魔法』で有ると話は変わってくる。

 火で水を沸かせば水は水蒸気に代わり、そしてそれが凝結すればまた水になる。フィアはこれを徹底して利用した。空気中の水蒸気を、微量でも良いからかき集めて、使役する。使役方法は全てティアに教わった。

 あるいは雨を降らす術式。水蒸気が凝結して空に浮かんだものが雲だ。フィアは雨雲を作り出すすべを手に入れた。

 果たして、フィアの水の魔法は使い物になるまでになった。以来、フィアは専門とする火の魔法を極力隠して生きてきた。

 そう、ティアと仲違いした時だって。




「ようは発想の転換だよ」

 フィアは淡々と僕に言った。

「馬鹿馬鹿しい大回りをすることで、私は水を使えるようになった。オベリスクの爆破なんかを見て不思議に思わなかったか? 私は水蒸気を使ったんだ。爆発なんて火の専門分野だ、たかが水の魔術師ごときに使用できるシロモンじゃあないんだよ」

「水蒸気爆発は火山の用語だよ」

「そうかい。だが、似たような威力は出ただろう?」

 違いない、と僕は頷いた。

 そして流れるように、右手を前にかざした。

 キュガッ! と拳大の太さの氷柱つららが飛翔した。…………が、フィアはそれを右手人差し指で軽く弾いた。

 弾かれた瞬間に、氷柱は一瞬で昇華した。いや実際には昇華などしていない。氷柱は一瞬で融け、一瞬で気化したのだ。それは一体どれだけの熱量か。

「ちっ!」

 僕はアニーに指示を出した。そしてそのまま、手の中に炎剣を生み出し、フィアに急接近する。

 僕が出した指示はこうだ。

 その時、確かに何かが動いた。




「はいはい。科学的むぞくせいな方面からのアプローチですわね」

 アニーはその時、脇に置いておいたノートパソコンでハッキングを開始した。本来、どうやっても侵入されてはいけない筈のシステムに、こっそりと忍び込む。

 それは、ダクトから屋内に入り込もうとするような荒業。

 幾重のトラップをかいくぐり、執拗なシステム精査を乗り越えて、結果として、アニーは凄まじいスピードでシステムの一部を完全に掌握した。

 疑似乱数ではなく、正真正銘の乱数で組み立てられた、ホストコンピューターにしか開けない筈のコンパネコントロールパネルを強引にこじ開ける。

 準備は完了した。

 僅か一分にも満たない時間でもって、アニーは指示の遂行に必要な全てを掌握しつくした。

「アキラ、準備は完了しましたわ。――命令一つで、いつでもオベリスクの衛星用対衛星機能破壊兵器レーザービームを地上に射出できますわよ」




 その知らせが入った瞬間、僕は後ろに飛び退いた。今現在、オベリスクは丁度左手側にある。中川がいる建物も射線上には存在しない。

 僕は迷わなかった。というより、迷うほどの精神的余裕などなかった。これをフィアが食らったらどうなるかなど、あまり考えていなかった。

 今まさにあの大砲の発射権を握っているアニーも、多分そうだ。実のところ僕らはマイと中川をやられて、相当に苛立ち、追い詰められていたのかも知れなかった。

 つまり、僕はすぐに命令を下した。

「撃て」

 びっぎいいいいいいん! と音にならない音が響く。

 既に砲の角度補正など調整が済んでいたのか、ほぼ即座にレーザーは発射された。

 何日か前に夢で見たより、遥かに太いレーザーがフィアを横から殴り付けた。

 ズバッッッ! と道路に亀裂が入る。アスファルトと土が舞う。

 少しだけ地を舐めたのち、速やかにレーザーはフィアに直撃した。

 だが。

「っつあっ!!!」

 振り絞るようなフィアの声が響いたと思ったら。

 ゴッギイイイイン! とレーザーは斜めに弾き上げられた。光が屈折したように不気味に曲がったレーザーは雲を突き抜け、雲に大穴を開けた。その先に広がっていた《天空》円盤のはじを削り取りながら、レーザーは更に遠くに延びていく。

 フィアは魔方陣を盾のように斜めに構え、レーザーを弾いた。

 ビキビキビキ、と魔方陣にヒビが入っていくが、レーザーが切れる方が先だった。

 レーザーは無限に撃ちまくれるものではない。次の装填までにはそれ相応の時間が必要だ。

 つまり、この策はここで終了ということになる。

「惜しいね。さっきまではこれでも十分脅威的な一撃だったろうけど」

 少しだけ苦しげな声で、フィアが言った。その足元十センチ先は地面が割れていて、シュウウウウ、と嫌な音が響く。

 だが、フィアは無傷だった。完璧に。

 嘘だろ、と口が開きそうになる。

「あんな純度の高い炎を大量に吸収したんだ。今ではこんなの、恐れるに足らないよ」

「どうやって弾いた…………?」

「弾いたんじゃない。曲げたんだ。まあ、一部魔方陣に当たったせいで弾いたように見えただろうがな。……蜃気楼の理屈を知らないとは言わせないぞ」

 くっそ、と僕は内心で毒づいた。ここに来て科学か。いや実際には蜃気楼じゃあんな屈折は起こらない。つまり蜃気楼の『光の屈折』という点だけを魔術で強化したんだろう。

 そして単に光の屈折というだけではなく、蜃気楼でなくてはいけない理由。。……彼女の得意分野という訳か。

 何から何まで最悪だ。全てが裏目に出てしまう気がする。

 ついで、ついつい中川が突っ込んだ建物を見て――、彼女がまだ立ち直っていないのが少し心配になった――ところで、横殴りの一撃が僕を襲った。

 自分の骨が壮絶な音を立て軋むのが分かる。肉が歪む。歪む。

 それは炎の拳だった。炎でどうしてこの高度が実現出来るのか、と思ったときには殴り飛ばされていた。

「があっ!」

 数メートルをノーバウンドで吹っ飛び、ドガッ! と背中からブロック塀に激突する。そのまま、ブロック塀を崩しながら他人の家に突っ込んだ。僕がマイから力を返してもらっていなければ、凄惨な結果に終わっていたに違いない。壊れるのは僕だった筈だ。

 僕はその家の広間にあったテーブルに衝突すると止まった。がらがらとテーブルに乗っかっていたものが落下する。実に十メートル以上、一撃で飛ばされた。

 と、息をつく暇もなく、ガシャアン! と僕が開けた穴の横にあるガラス窓を壊して、フィアが突っ込んできた。

 咄嗟に魔法を唱えようとするが、その前に正面から首を掴まれた。そして、ゴガッ! と頭を床に押さえつけられる。つい最近も経験したような、彼女の重さと体温が腹にのし掛かる。そのまま、額に札を貼られた。

 途端に、魔力が凍結されたのが分かった。

「甘えるな。メシアとはいえ、今のお兄ちゃんにその一〇〇パーセントの実力は引き出せないよ。それはスクーターに乗ってるおばちゃんにハーレーを与えるようなものだ」

「僕としては君が百年以上前のバイクメーカを知っている方が驚きなんだよね」

「さて、ペンダントはもう使ってしまったし……。どうしようかな」

「なんだ、もう僕を仕留めたような口振りだな」

「違うのか? マイも捕らえた、もう一人、……中川と言ったか、は戦闘不能。もう助けは来ないよ」

 僕は気付かれないように、近くに落ちていたフォークを拾い上げた。

「そうじゃなくてさ」

 それを、多少躊躇はあったが――、思い切り、彼女の太ももに突き刺した。

 彼女のズボンで少し威力は殺されたが、それでも三叉は繊維を破き、彼女の柔肌に食い込んだ。

「僕はまだギブアップしてないんだよなぁ!」

 ぶづり、と気味の悪い音と感触。鶏肉に串を刺した時みたいな、妙な抵抗と、抵抗が消えた瞬間の快感。

 この瞬間、僕はもしかすると人を傷付ける喜びを味わったのかも知れない。

「ああああああああああああああああっ!?」

 だが、そのフィアの悲鳴によって、僕のは一瞬で嘔吐感に襲われた。ここまではっきりと、人の体組織が壊れる感触を味わうのは初めてだった。妙な興奮は酷い吐き気と嫌悪感に完璧に塗り潰された。

 しかし、確かにフィアの力が緩む。そこを一気にはね飛ばし、僕は距離を取った。ほぼ反射的に、そばにあった椅子の足を掴み、太ももを庇うように屈み込んだフィアを、

 下から掬い上げるように叩き飛ばした。

「らあっ!」

 ゴガァン! と椅子がぶっ壊れる。代わりにフィアも、人間ロケットを体現するように、僕がぶち開けた穴に頭から突き刺さった。

 距離を取ったとはいえ、狭い屋内ではたかが知れている。札を剥がし、空気をカッターのように鋭く飛ばして、僕は家から転がり出た。




 瓦礫ががらがら、と崩れた。冗談抜きで壁に突き刺さったフィアがべしゃ、と地に落ちる。

 しばらくフィアは動かなかったが、痛む身体を無理矢理起こした。

「…………………………くそっ、油断した……」

 座り込んだままフィアは毒づき、太ももに刺さったままのフォークを見た。

 小さなナイフでズボンを切り裂き、患部を見る。

「うっ……」

 まるで白い肌から生えてきているようにも見えるフォークは、二センチくらい刺さっていた。あまり出血はないが、これを抜けばどうなるかは分からない。

 だが、フィアは迷わずに上着を脱ぐと、それをしっかりと噛んだ。そして、フォークのを握り締める。

 そして、一気に引き抜いた。

 刹那、視界がスパークする。激痛に頭までもが痛んだ。しかし、すぐに意識を傷口に向ける。空気中の水分をかき集め、小さな水球を作り出し、それを傷口に被せる。水球はすぐに真っ赤に染まったが、出血はそこで無理矢理ストップされた。

 意識が揺らぐ。

 キン、と手からこぼれたフォークが床に落ち、音を立てる。瞬間的に凄まじいダメージが彼女の身体には入っていた。

 フィアはその場で横になりたい衝動に駆られたが、自分に鞭打って立ち上がった。涎で腕のあたりがべたべたになった上着を着込み、重たい足取りで家の外に出る。

 この足では勝率は更に薄まった。

 だが、どうしても諦め切れない。

 故郷を救わなければ。

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