もうダメかもしれない。


「悪いな。るる子……俺、もう……」


 くやしくって、涙がこぼれそうだ。


 せめてひと言だけでも、るる子に声をかけてやりたかった。

 それができていれば、俺のつまらない後悔のせいで、彼女が縛られることはなかったんだ。


 でも、これで────何もかも終わりだ。


 そう思ったとき、ふわふわと漂うものが俺の前に立った。


「夕日……?」


 いつもと同じく、夕日が穏やかな笑みを浮かべている。


「マモちゃん。一緒に消えてあげるです」

「消えるって……何を言ってるんだよ!」

「お友達だからなのです。でも、マモちゃんなら私が消されている間に、きっといい考えを思いつくはずなのです」


 思いつかなかったら、どうするんだ。


「大丈夫なのです。あっちもマモちゃんだから、怖くないのです」


 俺たちと向き合っている、もう一人の俺がものすごく嫌そうな顔をする。


「やめろ。夕日、こっちに戻ってこい。やりにくいだろ」

「も……もっと、やりにくくしてさしあげますわ!」


 今度は黒羽だった。

 当然、白羽が見逃すわけがなかった。


「おい。黒羽、やめるんだぞ!」

「ごめんなさいですわ、白羽ちゃん……」


 剣を構えた黒羽の手が、かすかに震えていた。


「わ、私……自分で、何をしているのか、わからないんですの」

「おじさんにまた、ひどいことされるんだぞ」

「そんなこと、わかっていますの。でも……でも、今お姉様を死なせてしまうのは……何かがおかしいと思いますわ!」

「黒羽は自分が何をしているか、わかってないんだな」


 そう言いながら、白羽は黒羽の横に並んだ。


「頭の悪い相棒を持つと苦労させられるんだぞ……って言ったら、カッコイイ大人みたいだな」

「白羽ちゃん……」


 二人にやめろ、と言おうとしたら、そこにナナまでやってきた。


「お兄ちゃん、ダメだよ! お姉ちゃんを消したりしたら、えっと……自殺、になるのかなぁ?」

「うう……」


 並行世界の俺は、泣きそうになっていた。


「ナナぁ……帰ってきなさい。お兄ちゃんは悲しいぞぉ」

「バカ言ってないで、なんとかする方法をちゃんと考えて!」

「いやそれ、俺に言うかよ」


 ナナにどやしつけられたもう一人の俺は、背後のキル先生をチラリとうかがう。


「どうした。さっさとやれ。力づくでひっぺがしてやらんのか」

「そりゃ、できないこともないですけどね」

「では、なぜやらん? 貴様が手をこまねいているなら、私がやるぞ」

「先生。大人なんだから、空気読めるようになったほうがいいすよ」

「ぬかせ。道理を押し通すためには、空気なんぞ読めないフリをする。そのくらいのことができなければ、大人はやっておられんのだ」


 二人の間に緊張が走り抜け、バチバチッ……と電流が視覚化した。


「ハハッ!! ハ! ハハハハッ……」


 収集のつかない状況を前にして、ナツメが哄笑を響かせる。


「こうまで言われて、この僕が黙っていられるはずがないな! かつては神になろうとまでした僕だ。このまま黙って消されると思うなよ……!!」


 今の場面で、どうしてこいつはこんな虚勢を張れるんだ。


「みずからの手ですべてをつかもうとした、この力で────せめて一矢を報いてやろう。こののちは、死しても癒えることのない傷をさする夜を送らせてやる!!」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でひとつの考えが思い浮かぶ。


「みんな、待ってくれ。やめるんだ。誰も戦う必要はない」

「なんだ!! 邪魔をする気か────」

「いいから、おまえちょっと黙れ。俺と交代しろ」


 ナツメは静かになった。


「先生。俺の話を聞いてください!」

「なんだ? 策を弄するつもりであらば……」

「違います。俺がここから消えれば、うまくいくんですよ」


 説明しようとしたところで、ナナが手をつかんだ。


「自分が消されればそれでいいなんて、ダメだよ。お姉ちゃん!!」

「安心しろ、ナナ。それより、おまえの兄ちゃんに頼んでくれ」


 異世界から来た俺に、まっすぐ目を向ける。


「俺を七年前に送ってくれ、ってな」


 俺の頼みを耳にして、相手は頭に手をあてがった。


「待てよ。そんなことをして、どうするつもりなんだ」


 その質問は想定済みだ。


「過去を変える」

「できないだろ。そんなこと無理だって、おまえが俺ならわかるはずだ」

「それは、していたからだ」


 通常であれば、俺の能力で時間を移動すると、同時に自己防衛が行われる。

 自動的に安全機構が働き、パラドックスをひき起こさないように、記憶や意識に作用する。それでは、過去は変えられない。


 そうならないようにする方法は、ただひとつ。

 自分の能力以外の手段で、時間を遡ればいい。


「でも、それだとるる子ちゃんはどうなるですか?」

「それも問題ない。ナツメ。おまえならわかるだろ。みんなに説明してやってくれ」


 俺の考えは、こうだ。


 過去を変えれば、今あるこの世界は別の時間軸の流れとなる。

 七年前の時点から分岐した、異なる可能性を持つ未来となる。


 時間と空間で仕切られた、どの世界においても俺は一人しかいられない。

 なので、この時空が俺を識別できるようにしてやればいい


「つまり、これは観測者効果の解消だ」


 ややこしい話なのでナツメに説明を頼んだら、最後に余計なこと言いやがった。


「そもそも、この生きているのか死んでいるのかよくわからないロクデナシの久垣守が、この時間軸上で自分は久垣守だと認識していることが問題なのだ。たいへん大きな問題だ。こいつは自分が存在しているのか、それともしていないのか、曖昧な状態で漂っているゴミクズにすぎない。存在している価値がない」

「いちいち俺を攻撃するな」

「ようするに、この人類史上はじまって以来の最低野郎である久垣守を取り除けばいい。こいつがいなくなることで、世界に久垣守は一人という、本来の法則が守られる。自分は物理法則を無視しているのに、まったく勝手な言い草だ。僕個人としての意見を言わせてもらえば、一人もいらない。久垣守は、一人も必要がない!」

「……いいから結論を言え」

「このドブの底から生まれた薄汚い久垣守がいなくなれば、フタがはずれたのと同じ状態になる。本来の法則が守られれば、異なる未来の可能性から、現時点では存在していないがはずの多少はまともかもしれない久垣守が実体を取り戻す……というのが、このずさんな計画を思いついた久垣守の考えている絵空事だ。実現の保障すらない、じつに愚かしい戯れ言だと言わざるを得ないな」


 こいつがさっき、口にしていた脅し文句。


 みずからの手でうんぬんと、先生に言い放っていたやつだ。

 あのひと言があったから、過去に戻る方法を思いついたことは教えないほうがよさそうだ。誰でも一人でなんでもできる気になっていたらダメだなんて、たぶん言っても、こいつ理解しないだろ。


「最後のところは、まあ……賭けだ」

「ううん。お兄ちゃんならできるよ」


 俺の言葉をいい方向に否定してくれたのは、ナナだった。


「お兄ちゃんの能力なら、それが可能だよ。全部、説明してくれたとおりになるよ」

「おい! ナナ、まさか自分の力を使ったのか?」


 同時に声を放った俺と俺に、ナナは微笑みかけた。


「大丈夫。今のは、新しく力を使って知ったことじゃないよ。ずっと前に、お兄ちゃんのことを全部知りたいって、最初に力を使ったときに知ったこと」

「そ、そうか……それならいいんだけどよ」

「でも、わかってるなら最初に言ってくれ」

「そんなの無理だってばぁ。記憶の中に知識があるだけっていうのと、知識と情報を組み合わせて有効活用するのとでは、ぜんぜん違うんだから」


 俺たち二人そろって、ため息をついた。

 お兄ちゃん稼業も、まったくラクじゃない。


 息を吐ききる前に、ナツメが催促した。


「お取込み中すまないが、さっさとこいつを過去に送ってくれないか」

「偉そうに命令するな」

「おっと。しまった。僕としたことが、ひとつ忘れていた」


 ナツメは黒羽に、光り輝く小さな星型の石を渡した。


「勇敢なお嬢さんたち。僕には罪を償うことはできないが、これをお返ししよう」

「これ……魔力の欠片ですわ!」


 さっきの大口の根拠はそれかよ。


 ナツメのやつめ。

 やっぱりまだ、そんな隠し玉を持っていやがったのか。


「ほんのわずかばかり使わせてもらった。許してほしい」

「しょうがないやつだな。でもまあ、許してやるんだぞ」

「ご配慮いたみいる。この龍宮ナツメ、お二人にはたいへん感謝している」


 白羽も黒羽も、その言葉だけで十分だとばかりに笑顔になった。


 おのれ、幼女ども。

 心なしか、俺とナツメの扱いに差を感じるのだが。


 ひと言だけでも抗議してやろうと思っていたら、並行世界の俺が先に口を開いた。


「さて、まずはおまえを七年前に送るとするか。先生、それでいいですか?」

「子細は聞いた。さっさとやれ。それから、久垣守。両名ともに卒業後まで私に手間をかけさせるな。まったく嘆かわしい」


 先生の言葉に、俺は二人そろって苦笑した。


「んじゃ、行くぜ」

「待て。みんなにお別れぐらい言わせ────」


 最後まで言う前に、すっ飛ばされた。

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