3
一難去って、また一難どころじゃない。
助けてくれるはずだと思っていたキル先生が、真っ向から反対してきた。
「待ってください、先生!」
このまま黙って、引き下がることはできない。
なにしろ、るる子の命がかかっているんだ。
並行世界から来た俺は頼りにならないし、自力で先生を説得するしかない。
「人の命がかかっているんです。それを助けたいって、ただそれだけなんですよ。何がダメだっていうんですか」
「そのこと自体は、まったく問題ない」
「だったら見逃してくださいよ!」
先生が首を振った。
「問題は、貴様だ」
俺の何が悪いって言うんだ。
「生きた人間の世界に、死者がかかわってはならぬ」
「俺まだ死んでないよ!」
「何を言うか。貴様が生きていたことを示す記録は、すべて消え去っておる。まっとうな人間で、おぼえているものは誰もおらん。貴様自身とて、みずから人に声をかけることすらできまい」
先生の目に、冷たい光が宿った。
「そういうものを世間では、死んでいると言うのだ」
「先生は、るる子のこと見捨てるってのかよ!!」
「捨てる捨てないの話ではない。あの娘がいつ死ぬかは、あの娘の問題だ。それとも、貴様は水取るる子が死にかけるたびに、私にどうにかしろでも言うつもりか? 自分では何もできないくせに、そんなことを人に命じていい道理がないことぐらいは、貴様にもよくわかっておるだろう」
「だったら、誰でもいいよ! 誰か、るる子のために救急車でもなんでもいいから、呼んでやってくれよ。電話するぐらい誰でもできるだろ」
すぐさま動こうとしたナナを制したのは、並行世界の俺だった。
「ダメだ。ナナ」
「どうして!? なんでなのっ、お兄ちゃん!」
「おまえが部活をできるのは、先生のおかげなんだろ。その先生がダメだ、って言っているんだ」
「でも……るる子さんが」
「俺としても、反対だ。おまえの兄として許さない。並行世界の出来事にかかわるなんてことをしたら、何が起きるかわからないんだぞ。おまえがもし万が一、元の世界に戻れなくなったりしたら父さんも母さんも悲しむって、わかるだろ」
「うぅ……」
ナナは黙った。
そこでたたみかけるように、俺ではない俺が声を大きくした。
「俺は兄として、もう一度言っておく。俺の妹に手を汚させておいて、自分だけは何もせず、のうのうとしてるようなやつなんざ、生かしておくつもりはない」
こっちを見ながら、きっぱり言いやがった。
我ながら頭の固いやつだ。
でも、俺に妹がいたら、やはり同じことを言ったに違いない。
誰かにすがりたい気持ちがいっぱいで、視線をめぐらせる。
いつもと同じ────いや、いつもよりさびしそうな笑みを浮かべた夕日がいた。
「夕日……」
名前を呼ぶと、彼女の顔にかすかな困惑。
「マモちゃん、ごめんなさいです」
普段と変わらない、優しい口調だった。
「私は、何もできないです。部室の外……」
と、言いながらキル先生が立っているあたりを指す。
そこはちょうど空間を広げる前、本来は廊下の行き止まりがあったところだ。
「あそこから、むこう側にいる人には、話しかけることができないです」
「ああ……いいんだ。おまえは……何も、悪くない」
頼るつもりではなかったが、夕日なりに誠意を見せてくれたのだろう。
そのことがわかって、情けない気分になった。
こいつは人間ではないけれど、とてもいいやつだ。
心のどこかで彼女を疑う気持ちを抱いていた、自分がふがいない。
けれども、今はもっと恥知らずなことまで考えているのだ。
「やめとけ」
白羽と黒羽に目をやる俺。
その視界をさえぎったのは、やはりまた俺だった。
「おまえは俺なんだろ。子供を利用しようだなんて、汚いことはするなよ」
「おじさん……」
「お姉様……」
「……わかってるよ!! そんなこと!」
やり場のない感情をぶつけたくて壁を殴った俺に、二人が声をかけてきた。
「おじさん。ごめんだぞ」
「すみません、お姉様。力になってあげたいですの。でも、今のお姉様は……」
黒羽の言葉を継いだのは、ナツメだった。
「そこから先は言わなくていいよ、お嬢さん。キミたちの国から魔力を盗んだのは、この僕だ。だから、キミが僕を助ける道理はない」
こんな事態だというのに、ひどく落ち着いた口調。
「僕の計画は失敗した。あの先生に目をつけられた段階でね。彼女の目を逃れ、並行世界のキミを利用することで、水取るる子を助けようとした。だが、しくじった。もうできることはない」
「何を勝手に!! 物わかりのいいこと言ってるんじゃねえよ!」
こんなところで、あきらめるわけにはいかない。
まだ何か、きっと────何かいい手があるはずだ。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
頭の中はまっ白のままだった。
答えは、誰にも与えてもらえない。
能力を失っていなかったとしても、それが俺の限界であることに違いはない。
「……なんだよ。こんな……なんでだよ!」
これだけ人間離れした連中が、ぞろぞろと顔を並べているのに。
なんで女を一人、助けるぐらいのことができないんだ。
どう考えたって、おかしいだろ。
何か。なんでもいい。
この状況を打開する手が、きっとあるはずなんだ。
「無様なことしてんなよ」
もう一人の俺が、低い声で言った。
「もう打つ手はない。あきらめろ」
「でも、おまえだってわかるだろ! おまえは俺なんだから……るる子を助けたいだけだって、わかってくれよ……」
「わからねえな」
驚くぐらい、感情のこもらない声だった。
「俺の世界に、水取るる子なんて女はいない」
「なん、だって……?」
並行世界に、るる子がいない。
それは他の世界にならいる、ということだろうか。
それとも逆に、るる子はこの世界にしかいないのか。
今となっては、どちらが正しいか知る方法はない。
「俺の人生で、一度もかかわったことない女だ。俺には、大事な妹と天秤にかけるなんてマネはできないな」
「そんな……」
「本音を言えば、助けてやりたいさ。自分はなんの力もないのに、あの先生を敵に回してでも、女のために命をかけようってんだ。さすが俺、って言ってやりたいくらいだぜ」
そんなにホメるなよ。
と思っていたら、決定的なことを言われた。
「けどよ、ハッキリ言ってやる。俺がここにいられるってことは、おまえはもう、俺じゃあないんだよ」
「…………」
「時間とか空間とか……なんだ。ああいう、俺の能力に制約を加えている絶対不変のものから、おまえは俺だって識別されていないんだろうよ。理屈はわからんが、きっとそういうことだと思うぜ。俺が並行世界から、この世界に来ることができた時点で、おまえにだって本当は……わかっていたんだろ」
そんなことは理解している。
わかっていたんだ。
でも────。
「おまえは、失敗したんだ」
そんなこと言うな。
「ナナから聞いたぞ。こっちじゃ、オヤジとオフクロがいないんだってな。おまえが消した。まったく、えらいことしてくれたもんだぜ」
やめろ。
それ以上、言うな。
「そういう過去の失敗もひっくるめて、おまえは自分の歩んできた道のどこかで、しくじっていたんだ。そいつはもう、やりなおせないことぐらい理解できるよな」
やめてくれ。
わかっているんだから。
それでも、あきらめたくないんだ。
「たとえ能力が戻ったとしても、過去は変えられん」
「ぐ……まだ、何か……方法が、あるはずなんだ」
「もしかしたら、その女と出会ったことが、おまえの失敗かもしれないんだ」
そんなひどい言い方をするな。
「最後ぐらい、潔くしろ。元、俺だったやつに俺からできる、最後のアドバイスだ」
「どんだけ正論でも……いや、正しくなかったとしても……」
俺は、あきらめるわけにはいかないんだ。
「……自分に説教されると、本当にムカつくなぁっ!!」
「だから、違う。もう、おまえは俺じゃない」
その通りだ。
だから、きっと────おまえとは、違う答えが出せるに違いない。
けれど俺にはもう、その時間さえなかった。
「せめてもの情けだ。俺が引導を渡してやる。先生、かまわないですよね」
「やってよい」
詰んだ。
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