第5章 七年とまっていた時間
1
日差しがまぶしい。
なんだかんだと色々あって、お茶菓子研究会の設立から一か月ほどが過ぎていた。
もうすぐ、夏が近い。
「あづいぃ……」
夏服のるる子が机の上でくたばっていた。
教室ではキリッとしているのに、部室ではこのありさま。
でもまあ、この暑さでは仕方がない。
まだ六月だってのに、雨がやんだときは、とんでもなく暑くなる。
「大丈夫です、るる子ちゃん?」
「もうダメぇ……助けて、夕日ちゃん……」
涼しい顔をしている夕日にむかって、るる子が恨み節を炸裂させる。
「アイス食べだい、かき氷食べたい、クーラーほしいぃ……守くぅん」
「やめとけって。こないだ冷たいもの食いすぎて、ハラ壊してただろ」
数日前、今日とまったく同じ状況になっていたのだ。
そのあげく、ついに根負けした俺はアイスをどっさり出してやった。
るる子は白羽と一緒になって、山盛りのアイスを食いまくった。
そして二人そろって、たいへんなことになった。
いい歳して、子供と行動パターンが同じってどういうことだよ。
「まったく手のかかるやつだ」
「だったら、この暑いのをなんとかして」
間違えて砂漠に来ちゃったクラゲみたいな声で、るる子が言う。
「我慢しろ。なんともならん」
「じゃあ、湿気を消して」
「消すのはダメだって、前にも言っただろ」
「だったら太陽を消して」
「だから……」
これは手の打ちようがない。
俺の能力を知る者がこの場にいれば、クーラーぐらいつけてやれよ、と言いたくなるかもしれない。
それに対する答えは、ノーだ。
この部室は、すでに夕日と一体化している。
もちろん、そこに手を加えることができないわけではない。
ただ、うかつに何かを変えると、またやばいことになりそうだしな。
いつもと同じで申し訳ない気分にすらなるが、結論はそれしかない。
「うぅ~……暑い」
かわいそうだが、るる子は放置。
だいたい、こんなクソ暑い日にまで、真面目に部活をしようだなんてのが、どうかしてる。
付き合って顔を出している、こっちの身にもなってほしい。
ほら。夕日を見てみろ。
ギラギラとふりそそぐ日の光を浴びながら、窓辺の席に座っている。
元は幽霊だってのに、太陽の下で平然と微笑んでいるんだぞ。
なんかもう、あいつは心霊とか怪奇現象だとか、そういう分類はできないものなんじゃないだろうか。
「……ねえ、守くん」
日の当たらないところに椅子を並べて、その上でゴロゴロしていたら、るる子が声をかけてきた。
「なんだよ?」
「守くんはさ、世界を全部消してやり直す、って考えたことはないの?」
「あるわけねえだろ」
なんか暑さのせいで、とんでもないことを言いだしやがった。
「だってだよ。世の中なんて、別になくなっても困らないものばかりだもん」
「そんなことねえよ」
消えていいものなんて、この世にはひとつもない。
あの龍宮ナツメにしたって、そうだ。
俺はあいつを消そうとした。
でも、別にそうしたくてしたわけじゃない。
むこうから勝負を仕掛けてきたから、結果としてそうなっただけなのだ。
「こんにちはっ。やあー、今日も暑いですねぇ」
微妙な空気になってきたところで、ナナがやってきた。
「お姉ちゃん。今日は黒羽ちゃんたちは来てないの?」
「そういえば、見てないな」
白羽に
返事は「ごぼろげべぼば、ぶぐべんぼばぼ」だった。
「プールで泳いでいるらしい」
「そうなんだ。いいなぁ」
泳いでいる途中でいきなり声をかけたもんだから、息を吐いてしまったようだ。
念のため、黒羽にも声をかけてみたが「お姉様……聞こえていらっしゃいますの……今……あなたの心に直接……呼びかけていますわ……」などと言い出したので通話を終わらせた。
「はぁ……」
また、るる子がため息をついた。
「うぅ……この暑さごと、世界をすべて消し去りたい」
「るる子さん。それ言うと、よけいに暑くなりますよ」
ナナもグッタリとした様子で、机に二個一組の自分専用マクラを乗せて、その上に頭を置いている。
妹に見惚れていたら、またるる子がぼやきだした。
「でもさあ、さっきの話じゃないけど。世の中なんて、なくなってもいいものばかりだよね」
「蚊とかな」
「私だって、別にいなくなっても誰も困らないと思うんだよ」
冗談がまるで通じない。
るる子から見えない角度にいるナナも心配そうに、目で「この人、大丈夫?」と聞いてきた。
「どこか、誰も知らないところに行きたいなあ。泡になって消えたいよ」
「本当にそんなこと思っているのか」
ちょっと声が大きくなってしまった。
「だって、誰ともかかわらなかったら、ラクでいいと思うもん。私も守くんみたいに、めんどくさい人と会わなくていい世界に行きたいよ」
いや俺にとっては、おまえが一番面倒なんだがな。
「ちょっと試しに、守くんの力で私のこと消してみて」
「やめろ」
「だって、ほら。前に守くんが私の制服を消したときだって、元に戻せたもん。消したものは出せないなんて言っておいて、本当はできたりするんじゃないの?」
「前にも言ったけど、似ているだけで同じものじゃない。そっくりに見えるけれど、細かく調べれば違うってわかるはずだ」
「お姉ちゃん、そんなことしたんだ。お兄ちゃんだった頃にやったの?」
そんなふうにナナが言うものだから、俺もるる子も絶句した。
「女の人の服を消しちゃうなんて、うちのお兄ちゃんでもやらないよぉ。かならず靴下だけ残すから、何かこだわりがあるみたいだけど。でもとにかく、そんなことをしちゃいけないんだからねぇ。やっぱりこのまま、お姉ちゃんでいたほうが……」
「待て。ナナ、待つんだ」
雰囲気を明るくしようとでもしていたためか、ナナは冗談めかした口調だった。
そんな妹の声をさえぎったところで、るる子がたずねる。
「ナナちゃん。あのとき、私と一緒にいたよね?」
るる子が言っていることは間違いない。
俺だって、その場にいた。
軽い失敗をごまかそうとするみたいに、ナナが無理に笑おうとする。
「いやぁ、あはは……じつは私、お兄ちゃんみたいに……」
「何か、特別な力があるんだな?」
「うん。ちょっと……変わった能力なんだよね」
ナナは、ひどくたどたどしい様子で説明してくれた。
「こう……なんていうのかな。お兄ちゃんたちみたいに、頭の中で思っただけでできるんだけど……効果がちょっと違ってて」
俺の胸に、悪い予感が広がっていく。
「知りたいことが、なんでもわかるんだ。でも……」
「……でも?」
「それを使うと、忘れてしまうって言うのかなぁ……過去の出来事とか、見たこと、聞いたことなんかが、一部分だけ切りとられたみたいになっちゃうの」
驚きのあまり、言葉が出てこなかった。
男のままだったら、感情的になって怒鳴っていたかもしれない。
「あ、でもね。自分で使おうって思わないかぎりは、忘れたりしないから大丈夫なんだぁ。だから、心配しないでね」
「いいか、ナナ。よく聞くんだ」
ゆっくりと言い聞かせる。
「その能力は、二度と使うんじゃない。約束してくれ」
「うん……」
ナナは頷いてくれた。
「あはは。やっぱりお姉ちゃんも、お兄ちゃんと……同じこと言うんだね」
「そりゃそうさ。会ったことはないが、自分のことだからよくわかる」
「そうだね……勝手なことして、ごめんなさい」
「いいよ。別に怒っているわけじゃない」
自分でも驚くほど、優しく言うことができた。
女になっているせいかもしれない。
「まあ、ご覧のとおりだ」
るる子がいる方向にむかって、静かに語りかける。
「俺たちの能力なんて、万能じゃない。どこかしらに落とし穴みたいな欠陥があったりするんだ」
耳の奥から、キーンと高い音が響いてきた。
思い出したくない、つらい記憶が甦ってくる。
「俺は五年前、あるものを消した」
口を開いただけで、喉がヒリつくほど乾いた。
「小学生だった。自分の能力の使い方なんて、まるでわかっていないガキだった。ある日、ちょっとしたイタズラをして両親にこっぴどく怒られたんだ」
「それって……」
るる子がこっちを見返す気配がしたけれど、目があわせられなかった。
「その日、俺は消えちまえって思った。そしたら、次の日の朝、もう家には両親の姿がなかった」
部室の中は静まり返った。
「だから、冗談でも消えていいなんて言うな」
椅子を鳴らして立ち上がった彼女に、視線を重ねる。
るる子の口が、ぎこちなく開いた。
「あのっ……私……」
彼女の顔から、血の気が失せている。
「私……守くんに、ひどいこと言っちゃってたんだよ……守くんたちの力は、そんな気軽に……私みたいに軽い気持ちで使わせたら、いけないんだって……知らなかったんだもん……」
「まあ、普通はわからないよな」
「今まで気がつかなくって、だから……それから……」
消え入りそうな声を出するる子の前まで言って、そっと頭の上に手を置く。
「バーカ。女同士で、何を遠慮してるんだ」
「だって……だって、私……」
「おまえは何も悪くないよ。謝る必要はない」
ひどく気落ちしている様子なので、笑顔で励ましてやることにした。
「くだらない昔話で、空気を悪くしちまったな」
雰囲気をぶち壊しにしてしまったせいで、罪悪感がひどかった。
しばらく顔を見せないほうがいいかもしれない。
ともかく今日はもう、ひとまず姿を消しておこう。
「今日は帰るよ。じゃあな」
短い挨拶だけして、そのまま部室を出ることにした。
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