女になってから、数日が過ぎた。


 何か変化があるかと思っていたが、そんなことはまるでなかった。

 腹が減ればドンブリに盛った大盛り飯をモリモリ食うし、読むマンガの好みもこれまでとまったく変わらない。

 家で寝転がって見る映画だって、おっさんが銃をバンバン撃ちまくるやつだ。

 男だった頃と、なにひとつ変わっていない。


 しかし、それでもいくらかは違いがある。


 スカートだ。

 るる子たちにいろいろ指導を受けて、制服だけは変えることになった。

 女子の制服を着て何日か過ごしてみたが、どうもこいつにだけは慣れない。


 部室でトランプをしている最中に、そんなことを言ってみた。


「それは、お姉ちゃんの座り方のせいだよ」


 そのときちょうど、この場にいたナナが答えてくれた。


「俺の座り方……? 普通だろ」


 椅子に腰かけているだけなのに、どこがおかしいのだろうか。


「足を閉じるといいのです」


 いつも部室にいる夕日からアドバイス。


 そう言われてみると彼女が座っている姿は、ちょこんと上品な感じがする。

 心霊現象のくせに、俺より女らしいとはどういうことだ。


「なるほど。こうか」


 さっそくマネしてみた。


 足元のスースーする感じが、多少はなくなったような気がする。


 いい具合になってきたので、七並べを再開した。


「ナナ。おまえ、ダイヤの九を止めているだろ」

「スペードの六とハートの五も止めてるよ」

「出せるカードがないのです」

「どんだけ止めているんだよ。ええい……パスだ、パス」


 パスが数回続いているうちに、だんだん気分がダレてきた。


「はい。これでアガリだよっ」

「私も手札がなくなったのです」

「んぁ~……負けだ。負け。俺の負け」


 気がつくと、背もたれから上半身がズリ落ちている。


「お姉ちゃん。足、足」

「んぁ? 足がどうした」


 股関節が、ハの字にだらしなく開いていた。


「いいよ。めんどくさいし」

「お姉ちゃんってば……」


 ナナが何か言おうとしたところで、廊下のほうから助けを呼ぶ声が聞こえてきた


「誰か、ドアを、開けてぇ……」


 るる子だった。

 

 扉を開けてやると、大きなダンボール箱を渡された。

 けっこうな重さだが、女になっても以前と同様、便利な能力があるので問題ない。


 机まで運んでやると、るる子が箱を開いて中身を出していく。


「なんだこりゃ?」

「先生から落し物の処分を頼まれたんだよね」

「雑用かよ」

「でも、使えそうなものがあったら、部活の備品にしてもいいって」


 るる子は折りたたみの傘を取り出し、壊れていないかバサバサと開いた。


「予算も少ないから、有効活用しないとね」


 あまり期待していない口調だった。


「必要なものがあれば、俺に相談しろよ」

「守くんにばっかり頼っているのも、悪いからね」


 いい心がけだ。


 俺が女になってから、なんだかるる子は少し優しい。

 気のせいかもしれないけれど、なんとなくこれまでとは違うような印象がある。


「ねえ。守くん」

「なんだ?」

「座るときに、足を閉じたほうがいいよ」


 また言われた。


「そんなの気にしすぎだろ。ここ以外じゃ誰かに見られるわけでもないしな」

「そ、それでも万が一ってこともあるでしょ」

「スカートの中身も男だったときに使っていた下着のままなんだ。見られたって、別にどうってことねえよ」


 るる子とナナが、同時に「えっ!?」と驚いた。


「それはちょっと……どうかと思うよ。お姉ちゃん」

「そうだよ。せっかく女の子になったんだから」

「かわいい下着をつけてみるのも、いいと思うです」

「人間じゃないやつは、ちょっと黙ってろ」


 夕日の頭を軽く押すと、風船みたいにふわふわと窓の方に漂っていった。


「とにかく、なんだ。その……着るものぐらい自由にさせてくれ。頼む」


 そのへんは俺のアイデンティティーとやらが、危うい分岐点にさしかかっているところなのではなかろうか。


「せっかく女の子になったのに、もったいないよぉ。お姉ちゃん」

「守くん。美人なんだから、オシャレすればいいのに」

「俺より、るる子のほうが美人だろ。スタイルだっていいし」


 そう言うと、彼女の顔に自然な微笑みが浮かぶ。


「そんなことないよ。私なんて、普通だよ」

「ねえねえ、お姉ちゃん。私は、私は?」


 目をキラキラ輝かせて、ナナがたずねてくる。


「ナナは……胸に栄養が行き過ぎかな」

「えー。ひどーい!」

「夕日に半分わけてやれよ」


 妹がブーブーうなるそばで、るる子が言う。


「でもほら。こないだみたいに、いきなり先生がやってくることもあるんだよ。もうちょっと自然に、女の子らしく見えるように気をつけたほうがいいんじゃないかな」


 キル先生の正体を知らない、るる子らしい発言だった。

 たぶん、俺が能力をうまく使ってごまかしたとでも思っているのだろう。


 まあ先生には、先生の日常がある。

 俺たちガキのやることに、そうそう首をつっこんでくることなど、あまりないことはわかっている。


「まあ、その点は心配いらねえって」

「でも……」


 そのとき、勢いよく扉が開いた。


「話は聞かせてもらいましたわ!!」


 えらい得意げな声とともに現れたのは、黒羽だった。


「この私、野兎黒羽がお姉様をエレガントなレディにしてさしあげますわ!」

「いや、別に……しなくていいかな」


 ちょっと気になって、あたりを見回す。


「そういえば、今日は一人なのか。白いほうはどうした?」

「白羽ちゃんなら、ここですわ」


 部室からひょいと顔を出して、黒羽が指した先を見る。


 廊下に白羽が座り込んでいた。


「このっ!! くの、うぬっ、ぬぁっ……両手剣、遅すぎだなっ。うがー!」


 殺気だった顔で携帯ゲームを操作している。


「……んで、何しに来たんだ。おまえら」


 部室の中に入り込んできた二人は、自分用だとばかりに椅子を占領していた。

 すっかり部員みたいになじんでいる。


「決まっていますわ。お姉様をより、お美しくするためですの」

「ふがっ、んが、んがぁっ……罠発動しろだぞぉ!!」

「ちょっと、白羽ちゃん。あっちに行っててほしいですわ」

「だぁっ、ゲームやってる途中で話しかけるなだぞ。そんなに押すなだぞ」


 白羽を部屋のすみまで追いやってから、黒羽が平坦な胸をそらした。


「……というわけで、今日は私がお姉様に女らしさを教えてさしあげますわ」

「だから、しなくていいって言ってるだろ」

「まずはこれですの!」


 黒羽は、いつもの小箱を取り出した。


「いきますわっ……キューティーデコレイション────ネイルアーップ!」


 箱から謎の光が放たれる。

 椅子の上に立ち上がった黒羽が、渦を巻く光とともにくるくると旋回した。


「さあ、ご覧になって!!」


 ピタリと動きを止めるなり、手の甲を見せつけてくる。


 黒羽の手の先端、小さな爪が色とりどりのビーズで飾られていた。


「どうですの? なかなか女らしいと感心なさってもいいですわ」


 どうにもコメントのつけようがなく、るる子に目で助けを求める。


 ヘルプメッセージはうまく伝わったらしい。

 彼女はダンボールの中身を整理する手を止めてくれた。


「うん。なかなか、かわいいと思うよ」

「か、かわ……」


 黒羽の顔に影がさした。


 あきらかに、予想していた返答ではなかったのだろう。

 おそらくもっと、大人びた扱いを受けられると考えていたに違いない。


 内心かなり傷ついていそうな黒羽の元に、ナナと夕日がやってきた。


「わぁ。これいいねえ。私、こういう子供っぽいの大好きだよっ」

「ぐぎ……」

「とってもキラキラしてるです。オモチャみたいです」

「……ぐぐごぅ」


 傷口に塩をすり込まれた黒羽が、きしんだ歯車みたいな音を出した。


「……キーッ!! あなたたち、私よりちょっと年上だからといって、遠慮なさすぎですわっ。そこまで言うなら、みなさんの女らしさを教えていただかないと、納得できませんの!」


 わめきちらす幼女のなだめ役をるる子たちに任せて、こっそりと部室のすみっこに避難する。


「このっ、くのっ……あああ、爆弾がたりないだぞ!」


 逃げた先でも、白羽がゲーム機を相手にわめいていた。


 よっぽどのめり込んでいるのか、横に並んでも気がついた様子もない。


 ちょっとのぞきこんでみた。

 最近のゲームなのだろうか。グラフィックの描き込みがすごい。

 小学生の頃に遊んでいたものとは大違いだ。


 面白そうだったので、そっくりそのまま同じゲームとハードを出してみた。


「……ん? なんだぞ?」


 画面に表示された通信プレイの通知に気がついたのか、白羽が俺を見た。


「協力プレイしようぜ。よしいくぞ」

「盾のかわりに、こきつかってやるんだな」


 画面の中ではおたがいのキャラが、巨大なモンスターと対峙している。


「もっと右に回り込むんだな。おじさん、そこサイドステップで避けるだぞ!」

「女になったんだから、おじさんはやめろって言ってるだろ」

「おじさんはおじさんだぞ。うわ、こっちに来たんだな!」

「ひひひ。ざまあみろ」

「逃げんなだぞー!」


 ゲームがあまりに面白すぎて、すっかり夢中になってしまった。


 それから、しばらくたって────。


「……それじゃあ、私はそろそろ帰るよぉ」


 夕方近くになった頃、ナナの声が聞こえた。


 るる子と黒羽も、帰りの用意を始めている。


「ほら。守くん。そろそろ部室を出ないと、怒られちゃうよ」

「白羽ちゃん。お姉様と一緒に、まだゲームに夢中ですの」


 わかっちゃいるけど、やめられない。


「おい! そっちボス行ったぞ。スタンさせて動き止めろっ」

「痺れ薬がもうないんだぞ!!」

「何やってんだよ! 逃げる、逃げるって!!」

「ぬがー!! おじさんは役に立ってないんだな!」

「俺のせいにするなっ!」


 すっかりゲームにハマってしまった俺たちであった。

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