5
俺と華汐先輩は、猫を求めて校内をうろついていた。
「先輩。何か手がかりはないんですか?」
階段を上がっていく先輩の後ろ姿を眺めつつ、上半身を斜めに傾ける。
残念ながら見えなかった。一応、本当に履いているのか、確認しようと思ってさ。
「十日前のことだわ」
ふり返ることもせず、唐突に話が始まった。
「ラーメン屋に入ったときのことよ」
「先輩、ラーメン好きなんですか」
「んっ……すごく熱いのが、ノドにからんでくる感じが……たまらないの」
「そこだけ変な感情こめて、青少年の情動をドギマギさせないでください!! よけいな演出いりませんから!」
誰か、俺のかわりにこの人を止めてくれないだろうか。
「それで、ラーメン屋に入ってどうしたんですか」
「メニューには、一番大きな文字で、バクダンてんこ盛りトンコツチャーシューメンと書かれていたわ。おそらく店主イチオシの定番メニュー。でも、ひとつだけ不思議なことがあったの」
「俺には先輩のほうが、ずっと不思議な存在に思えますけどね」
「お店に入って三時間。様子を見いてたのだけれど、そのメニューを頼む人は、誰もいなかったわ」
「三時間も何見てたんだよ……店の人とっては、普通に迷惑だろ。せめて何か注文ぐらいしろよ」
「三時間と十七分が経過したところで、餃子ライスを頼んだわ」
「あんなエロい前フリしておいて、麺類頼まないの!? あとそれ、どこのラーメン屋でもだいたい下から二番目ぐらいに安いメニューだから! それと十七分って、なんでそこ半端な時間タメてるの!? それに何より、女一人でラーメン屋に入って餃子ライスってありえないでしょ!! どんだけおっさんくさいオーダーだよ。それでビールの一本でも頼んだら、完璧に仕事帰りのサラリーマンだっての!」
「そこから二時間。やっと、バクダンてんこ盛りトンコツチャーシューメンを注文する客が現れたわ」
「餃子ライスで二時間もたないでしょ!! 何度も言うけど、それ本当に迷惑だから!」
「飲食店でバクダンと言えば、ニンニクを丸ごと揚げたものが一般的だわ。飲み屋の定番」
「先輩がどうして、飲み屋の定番メニューをご存じなのかは、聞かないことにしますねっ」
「ちなみに丼物のお店では、バクダンと言えば意味が違ってくるわ。魚の切り身と納豆をあわせたもの、それをバクダンと言うのよ」
「つまり、そのラーメン……バクダンモリモリチャーシューメンのバクダンが、揚げニンニクなのか、それとも納豆と刺身の組み合わせなのか、どっちのバクダンかが気になったわけですね」
「バクダンてんこ盛りトンコツチャーシューメン」
「いちいち言い直さなくていいです」
よけいなところだけ的確さを求めないでほしい。
「そして、お店を出たところで一匹の猫が」
「ちょっと待って!! 話、飛んでますよ!」
「猫の手がかり」
「それどころじゃなくって!!」
「とても重要な話を」
「いや、気になるから!! 飛ばしたところがどうなったか教えてくださいよ」
「期待させておいて悪いけれど、それほどすごい結末の話ではないわ」
「こっちだって、どうせ先輩のことだから話が横道にズレるだろうって前提で聞いていたんですよ。だから本筋に戻る前に、オチまでしっかり語ってくれないと、気持ちがスッキリしないって言うか────」
必死に熱弁をふるっていたら、背後から抱きつかれた。
「お兄ちゃんっ。みーつけたっ」
「ほぁう」
エアクッションが。
エアクッションが。
背中に。ダブルで。
「お兄ちゃん。こんなところで、何してるの?」
「ほぁぁぁ……んっと、えっとぉ、お兄ちゃんはぁ」
階段の上に立つ先輩が、吹雪を感じさせる目でこっちを見ている。
今のは危ないところだった。
俺の中で、ダブルムーン伝説が始まる一歩手前までいってた。
「ン、ンンッ……ゴホン。ナナ、お兄ちゃんはね。ちょっと、この人と猫を探しているところなんだ」
「そうなの? 部員探しはどうなっているのかって、るる子さんが聞いていたよ」
「それはまあ、今は無理だ。戻ってるる子に、そう伝えておいてくれ」
「このキレイなお姉さんは誰なの。お兄ちゃんの知り合いさん?」
たずねるナナの前に進み出てきた先輩が、スッと手を出した。
「こんにちは。久垣ナナ。華汐菊音よ」
「はーい。はじめまして。あれ……どうして私の名前を知っているんですか?」
握手をしながらナナがたずねる。
先輩は妹と向き合ったまま、触れずに指で俺をつついた。
「今、そこの人が、あなたをナナと呼んだわ」
「そこの人って、どういう扱いだよ……」
「あっちのなんかアレっぽいの」
「言い直さなくていいよ! しかも扱いが、さっきより悪くなってる感じするし!!」
たぶんこれ、言えば言うほど悪くなるパターンだ。
もうこの人と、しゃべるのやめよう。
話しているだけで、頭がどうにかなってしまいそうだ。
そう決意した直後、腕組みした先輩が軽く首を傾けた。
いかにも困った、とでも言いたげな仕草だった。
「妹さんは同性の私から見てもとてもかわいらしくて、よくできた子なのに、まったくお兄さんには困ったものね」
「俺を困らせてるの先輩だから!! だいたい一方的に頼みごとを押しつけてきたの、そっちじゃないですか!」
「へらず口しか言えないのかしら。親の顔が見てみたいわ」
「親の常識を疑いたいのは、こっちだよ!! あとネーミングのセンスも!」
そもそも先輩の両親は、どういう願いをこめて娘に名前をつけたのだろう。
名前が菊音なのに、ぜんぜん聞いてくれない。
しかも、フルネームだと華汐菊音。
「はなしをきくね」なのに、本当に、まったく、さっぱり俺の話を聞いてくれない点については、ご理解いただけるだろうか。
あきらかに育て方を間違えてますよご両親。
先輩と会話していても、殺伐な空気しか生まれてこない。
そんな場面を見ているというのに、ナナはクスクス笑っていた。
「二人とも、とっても仲良しなんですね」
「どうやったらそう見えるの!?」
「妹さんは心がキレイだわ」
首しか関節のない人形みたいに、先輩がカクカク頷く。
さっきの発言には、「お兄さんは心が汚い」って意味が言葉の外にこめられていたような気がする。
「ところでお姉さんは、猫ちゃんを探してるの。ニャン」
思わずここで、感動のあまり息をもらしそうになった。
それぐらい、今のニャンは完璧だ。
普通は語尾にそのままつなげて「ナントカだニャン」などと言ってしまうものだが、それは表現としてたいへんよろしくない。
自然体すぎて演技がない、と断言していいだろう。
元から不自然な単語である「ニャン」を発言する際に、滑舌が自然すぎると、そこに違和感が生じる。
かといって、肩の力が入りすぎてもいけない。
そこのところの、ナチュラルなテイストと演出の
その配分こそが重要で、もっとも大事なポイントである。
バランスの配分を見失い、語尾をひとつながりで発音してしまうと、あらかじめ「こう言おうと決めてました」的な狙いが見えると言うか、あざとさを感じさせる部分が、どうしても出てきてしまうものなのだ。
だが、ナナの「ニャン」には、その嫌味なところがまったくない。
いやむしろ、初々しいところがたまらない。
不慣れで、ぎこちない。そういうところが、たまらなく男心をくすぐるのだ。
さらにひと呼吸の間を置いたことで、効果は絶大。
語尾が絶妙なアクセントとなっている。
これほどパーフェクトな「ニャン」の使い方を俺は知らない。
「その通りだにゃん」
「なんだそのやる気のねえニャンは! どういうことだ。ニャン」
先輩が語尾につけたにゃんが、あまりよろしくなかったので、つい怒鳴りつけてしまった。
そして、俺もやっちまった。
沈黙が重い。
尊敬されるべき兄のポジションぶち壊し。
ナナは、クスッと笑った。
「お兄ちゃん、可愛い」
「わーい」
妹に頭を撫でられた俺が、どんな顔をしていたかは、先輩の表情を見れば一目瞭然だった。
「ま……まあ、そういうわけだから。部員集めは猫を探すのが終わってからだ」
「あの、お姉さん」
ナナが先輩にたずねた。
「猫ちゃんが見つからないと、困りますか」
「そうね。とても困るわ」
「そんなに困るのかよ。たかが猫一匹で」
そう言った俺のことを見もせずに、先輩はフゥとかすかに息をつく。
「とても大事な猫よ。ずっと一緒にいたいと、そう思っているわ。もういなくなってしまった、大切な人から預かった猫なの」
彼女の口から出たとは思えない、さびしい言葉だった。
ちょっとこれ、リアクションに困るんだけど、どうしたらいいの。
こんな学校の階段で言うにしては、重すぎる発言ではなかろうか。
先輩はビックリするぐらい、空気がまったく読めてない。
「あのですね、先輩……」
「わかりましたっ! 私が、その猫ちゃん探してみます」
ナナがやる気になっていた。
るる子もそうだが、どうして女っていうのはこうなんだろう。
感情で行動を決定しているとしか思えない。
何をどうやる気になったのか、ナナは立ったまま目を閉じた。
「何してるんだ……?」
声をかけたとたん、髪の毛がつかまれてグイと頭をひねられる。
「何するんですか。先輩、さっき俺のこと汚らわしいとか言ってたのに、髪触らないでくださいよ」
「妹さんの思考を読みなさい」
先輩の命令に、思わず疑問符。
「……は?」
「いいから。急ぎなさい」
やろうと思えばできる。
でも、他人の思考なんて無差別に拾っていると、やかましいだけだから基本オフにしている。
そんなわけで、いつもは使わないだけだ。
その気になれば、相手の思考を読む程度のことは朝飯前と言っていい。
だからといって、やっていいものかと言えば、それは違うとしか。
「妹の頭の中身をのぞくなんて、兄としてはどうかと……」
「遅かったわね」
何がどう遅かったのかはわからんが、ナナの表情はいつもの笑顔に戻っていた。
その顔を目にしたら、先輩の言葉に感じたささいな疑問は、頭からあっさりと吹き飛んでいた。
「学校の入口に猫ちゃんがいますよっ」
そこでいきなり、ナナが額に手をあてた。
「うっ……」
「どうした? しっかりしろ」
ふらついた妹の背を支える。
「私は大丈夫……でも、急いで。誰かが、猫ちゃんを捕まえようと……」
「なんでそんなことわかるんだ? っていうか、本当に大丈夫なのか。おい」
先輩につかまれっぱなしだった俺の髪が、力いっぱい背中側に引かれた。
首関節がゴキリと音をたてた。
どう考えても人間の可動域を超える範囲に動いている。
自動で再生能力が働かなかったら、絶対にやばかった。
はっきり言って、俺じゃなかったら死んでいてもおかしくない角度だ。
「校門に行くわよ。急ぎましょう」
「それだけか。他に言うことはねえのか」
先輩はちょっとだけでいいから、空気を読めるようになってほしい。
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