第3章 もうやめて!! とっくに俺のライフはゼロだよ!
1
手始めに、まずは事情聴取からだ。
たずねてみると、夕日はあっさりと説明してくれた。
「マモちゃんが昔、いっぱい作ってくれた通り道のおかげです。そこを通って、私は他の世界に行けるみたいなのです。誰も部室に来ていないときに、ちょっと探検してみたらですね、なんとこことそっくりの世界に行くことができたのです。そうしたらナナちゃんに会えて、お友達になれたのです。こんなに素敵な仕組みを作ってくれたマモちゃんは、とってもいい人なのです」
なるほど。そういうことらしい。
またしても俺のせいだ。
過去に行った空間操作の影響。
部室を作ったせいで、次元トンネルとでも言うべきものが開通したのだろう。
そして夕日は、テレビのチャンネルでもあわせるみたいにして、そこを自由に通り抜けられるようだ。
続いて、俺の妹────もちろん、よその世界にいる俺にとっての妹だ。
ひとまず彼女から、詳しい話を聞いてみることにした。
「なぁになぁに? お兄ちゃんの知りたいことなら、なんでも教えてあげるよっ」
ナナと名乗った妹が、前かがみになっただけですごい揺れた。
驚異の大地震バストだ。
むこうの世界にいる俺がうらやましい。
なにしろ、ぼるんぼるん揺れすぎて、見ているこっちの気が散ってしまう。
別世界から来たとはいえ、相手は妹なんだぞ。ときめくな、俺の心。
このままでは、まともに話すらできそうにない。
情けないが、ここは助けを求めてみることにした。
「るる子。頼みがある」
彼女は机に肘をついて、カバンから出した雑誌を読んでいた。
こっちがたいへんなことになっているのに、のん気にもほどがある。
声をかけてみたのだが反応がない。
もしかしたら、聞こえなかったのかもしれない。きっとそうだ。
「あの……るる子さん?」
返事はなかった。
「もしもーし。水取るる子さんは、いらっしゃいませんか」
「なに?」
まったく感情のこもらない声が返ってきた。
人はこれほど、冷たい言葉を発することができるのか。
「何か用なの」
「あの、ですね。たいへん、申し訳ないのですが」
なんか敬語が出てしまった。
「俺……じゃなくて、私めのかわりに自称、妹であるところのナナさんから話を聞いていただけないでしょうか」
「自分で聞けば」
「その……それが、ですね。うまくいかないと言うか」
「口があるんだから、話すぐらいできるでしょ」
「それは、おっしゃるとおりなのですが。その、なんていうか。えっと、胸が、はい。たいへん、そのタプンタプンでございまして」
るる子の背景が白黒になった。
「信じられないっ……!!」
目の下をヒクつかせながら、彼女は言った。
「自分の妹を相手に、何を言ってるのかわかっているの? バカなの? 変態だよ。ヘ、ン、タ、イ! 頭どうかしてるとしか思えないよ。最低だよっ」
まったく反論できなかった。
「その、なんていうか。すみません。はい」
「すみませんじゃないもん!! そういうの女性に対して失礼なんだよ」
「はい。はい、その通りです。まったく、るる子様のおっしゃるとおりです」
土下座した。
いっぱい、土下座した。
それから三十分ほどが過ぎただろうか。
ようやく、るる子はナナとの会話役を交代してくれた。
「それで、ナナちゃんのお兄さんは、どんな守くんなの?」
「うちのお兄ちゃんって、いっつも怒っているんですよね」
るる子にたずねられると、ナナはすぐさま俺の左腕にしがみついてきた。
「こうやって、ちょっとくっついただけで『ベタベタするんじゃねえ』ってすぐ怒るの。そういうの冷たくないですか。ひどいですよね。でも、こっちのお兄ちゃんは、ぜんぜん怒らないから、私だーい好き」
肘のあたりに、むにゅんむにゅんしたものが当たる。
「ナナちゃんの世界の守くんは、カッコいいんだね」
「んー……たしかに、そうかもしれないですけど、私はこっちのお兄ちゃんみたいに優しい方がいいなぁ。ね、お兄ちゃん」
「あ、ああ……」
なぜだか寿命が縮んだ気がした。
「どうしたの、お兄ちゃん? 顔色悪いよ」
「いや。なんでもない。るる子、話を続けてくれ」
るる子は返事のかわりに、軽く咳払いする。
口を開くと怒られそうなので、ふたたび黙り込むことにした。
「それで、そっちの世界の守くんは、ナナちゃんがこっちに遊びにくることについて、どう言っているの。ちゃんと許可をもらった?」
「えー、そんなの言えないですよぉ」
ナナがパタパタと空気を扇いだ。
「言ったら絶対に、ダメって言うに決まってます。すっごい過保護なんですから」
「それなら、ちゃんとお兄さんに許可をもらったほうがいいかもだよ」
「そうですか……残念だなあ」
妹の視線が足元に落ちる。
「お兄ちゃんは、私より五つ年上なんですよね。だから、今まで一度も同じ学校に通ったことがなくって……それで、部活の時間だけでもいいから……お兄ちゃんと一緒にいられたらいいな、って思って……」
聞いているだけで胸が痛くなってきた。
ちくしょう。そのくらいの願いは叶えてやれよ。
並行世界の俺は、何やってやがるんだ。
「そしたら、夕日ちゃんからこっちのお兄ちゃんのことを聞いて、ちょっとでもいいから会ってみたくなって……」
「う、ううっ……ナナちゃん。かわいそうだよ……」
るる子が目からボロボロと涙を流していた。
涙もろいにもほどがある。
感情移入しすぎではないだろうか。
いや俺も、人のことをあんまり言えた義理じゃないけれど。
「私、こういう話に弱いんだよ。ううぅ……守くん。なんとかしてあげて」
「なんとかって、どうしろってんだよ」
並行世界があることぐらいは、俺だって知っている。
けれど、俺自身はそこに行くことはできない。
原理はよくわからんが、ひとつの世界に俺は一人しかいられないルールがあるらしい。誰だ、そんな規則を作ったのは。
「俺が行って話をつける、なんてわけにはいかないぞ。ちなみに言っておくと、誰かをあっちの世界に送って説得させるのもナシだ。人道的な意味で送りたくない」
自分だって並行世界に行けないのだ。
行った先では、何が起きるかわからない。
そんなところに、他人を気軽に送るなんてマネはお断りである。
どうしたものかとみんなで相談していたら、扉が開いて誰かが入ってきた。
「調子はどうだ。ちゃんと部活やってるか?」
小さな先生がひょいと首だけのぞかせて、部室の中を眺めまわす。
全員の顔を見渡してから、ちびキルは俺に手招き。
「久垣、ちょっと来い。顔を貸せ」
「どっちの用事で?」
「あっちの用事だ。覚悟しとけ」
そんなに脅かさないでほしい。
教師としてではなく、仙人だか仙侠だかの役目を果たしに来た、という意味であることはあきらかだ。
まあ、こうなることは覚悟していた。
心の準備ができていたからといって、なんでも受け入れられるわけではないが。
「こっちの世界にも、キル先生いるんですね」
「ナナちゃんのほうにも先生はいるんだ。そっちにも、私がいるのかなあ」
るる子とナナの会話を耳に入れながら、ガチガチに固い動きで廊下に出ていく。
「なんぞ申し開きがあれば、言うがよい」
部室から出るなり、腕組みしたキル先生のおっかない声。
先生が怒るのも無理はない。
なにしろ今日の昼に、妙なことをしないようにと釘を刺されたばかりなのだ。
なのに、この始末である。言い訳しようもありゃしない、というものだ。
かくなるうえは、隠すことなく一部始終を伝えるしかなかった。
夕日が新入部員として、ナナを連れてきたこと。
もちろん、並行世界とこっちの世界がつながった原因についても、だ。
「つまり、原因は貴様だな」
「すみませんでした。全部、俺のせいです」
何か言われる前に、先に謝った。
さすがに、これをすべて夕日のせいにするのは忍びない。
さて、どう怒られるかとビクついていたら、先生の反応は予想外すぎた。
「まあよい、まあよい。部活動おおいに結構」
「怒ってないんですか?」
一応、聞いて確かめておくことにする。
「起きてしまったことをいちいち怒っても仕方あるまい。そもそも、
「その、ことわざぐらいは俺も知ってますけどね」
「それは結構。人間の生み出した、いかなる術においても
すごい年長ぶりを感じさせる、ありがたいお言葉である。
にしても、ちびキルはいったい何歳なんだ。
「とはいえ、このままにしておくわけにもいかんな。ちと、貴様の妹とやらをここに呼んで来い」
言われるがままに、部室に声をかけてナナを呼ぶ。
「久垣妹、生徒手帳を見せなさい」
廊下にやってきたナナが生徒手帳を渡すと、先生はパラパラとめくりだした。
手がぴたりと止まり、開いたページをつき出す。
「わかるか?」
「ええ。まあ。五年後、ですね」
先生が見せてくれたのは、生徒手帳の発行年月日だった。
そこの年数のところが、五年後になっている。
並行世界とこちらは、どうも時間にズレがあるらしい。
まあ、あまり意識しないほうがいいかも。
そうしておかないと、無意識に能力を使ってズレを補正してしまう可能性がある。
便利なところはありがたいが、無差別に整合性をとろうとするのも考え物だ。
さっきの先生の話じゃないが、せっかく全体がうまくいってるところをぶち壊しにしてしまいかねない。
先生はナナに手帳を返すと、ぽんと手を打った。
すると、手の中に生徒手帳がもう一冊出てくる。
一方の空いた手がスーツの内側に入り、今度は内ポケットから筆と丸めた長い巻物が出てきた。
廊下に立ったまま器用に巻物を広げ、筆先をさらさらと走らせていく。
「何を書いているんですか」
気になったのでたずねてみた。
「あちら側の私が、部活動のことをこの娘の内申に書かねばなるまい。よって事のあらましをここに記しておくのだ」
「あらまし、ってなんですか?」
「むこうの世界にいる私にこっちの事情を説明しとく、って言っているんだよ。まったく嘆かわしい」
また嘆かれてしまった。
とはいえ、そういうことならキル先生としては、ナナのことを問題なしとして扱ってくれるのだろうか。
そうなると残った問題は、並行世界の俺をどう説得するか、だけである。
「ナナ。そっちの俺は、先生とどんな関係なんだ」
返答しだいでは、うまく事が運ぶかもしれない。
ナナはチラリと先生の顔をうかがった。
言っていいものか、迷っているような感じがする。
「気にしなくていい。そっちの俺を説得できるかもしれないんだ。なんでもいいから教えてくれ」
「あんまり詳しく知らないけれど……前に、キル先生のことを話したら『あの先生、まだいるのか』って、ちょっと嫌そうな顔してたかな」
なるほど。
まさに五年後の俺が言いそうなことだ。
そんな話をしていたら、先生が書き物を終えたらしい。
「では、こちらに来たときはこの生徒手帳を携帯せよ。むこうの世界の生徒手帳は持ち歩かないようにすること。その他の持ち物も、だ。それから、部活動以外のことでは、できるだけ世の出来事にかかわらないように注意すること。そうでないと、身の安全が保てないと思うがよい」
キル先生は、ナナに巻物を手渡す。
「この巻物をそちらの私に渡せ。部活のことで兄を説き伏せるなら、先生に許可をもらったとでも言えばよかろう。どうしても納得しないときには、そちらの私に相談してみよ」
「はい! 先生ありがとうございますっ」
「くれぐれも、もめ事は起こさぬように。久垣は妹の面倒をよくみること。以上だ」
「へーい。わっかりやしたー」
先生にいいところを全部持って行かれてしまったので、やる気なく返答。
まったくいいところなしである。兄の面目丸つぶれ。
いやまあ、そこまででもないか。そんなに格好つけるつもりもないから、いいんだけどさ。
「ありがとう。お兄ちゃんのおかげだよっ」
またしても、ぽよんと抱きつかれてしまった。
「いや。俺は何も……」
「そんなことないよ。全部お兄ちゃんのおかげだってば。お兄ちゃん、大好きっ」
直後、頬にやわらかい感触。
え?
今、何されたの俺?
「おおお、お、おまえ、こここ、こんなところで……」
「むこうでは、いつもやってるよ。お兄ちゃん、嫌がるけど」
「そそそそ、そりゃホッペにチューはダメだろ。チューは」
「家族なんだから、そんなの気にしなくてもいいのに」
ペロッと舌を出して、ナナが笑う。
違うんだ。
聞いてほしい。
今、部室の扉のすきまから、誰かが見ていたような気がするんだ。
「それより中に戻ろう。夕日ちゃんたちにも、うまくいきそうって教えてあげようよ。明日からは、ちゃんとお兄ちゃんの許可をもらってから遊びにくるねっ」
「お、おう……」
俺たちは部室に戻った。
ナナから話を聞くと、るる子も夕日も嬉しそうに微笑んだ。
これで部員も増えて言うことなし。
じつにめでたい。
でも、その日、るる子は俺とひと言も話してくれなかった。
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