昨日の放課後からこっち、どうにも気分が落ち着かない。


 それもこれも、るる子のせいである。

 あいつ、どううまいことをやったのか、どうにかして顧問を引き受けてくれる先生をみつけたらしい。


 それがよりにもよって、ちびキルだ。


「ほら。急いで、昼休み終わっちゃうよ」


 るる子がグイグイと背中を押してくる。


「なんで俺が行かなくちゃいけないんだよ」

「先生に呼ばれたから、って昨日から何度も言ってるんだよ」

「いいよ。無視しておけって」


 先生が俺に、何の用があるかは知らない。


 知らないけれど、あまりいい話ではなさそうだ。


「顧問にはなってくれるんだろ。だったら、そのうち先生のほうから部室に顔ぐらい出すんじゃないのか。それじゃダメなのか」

「いいから、来なさい」

「理由ぐらい教えてくれ」

「先生が、守くんを、職員室にっ、連れてこないと、部活動の、申請を認めない、って言ってたもん!」

「なんで?」

「し、り、ま、せ、んっ!!」


 そんなに顔をまっ赤にするなよ。


 そういうわけで、俺はるる子に連行されることになった。


「新条先生。まも……久垣くんを連れてきました」


 職員室に入って、まっすぐキル先生の机に向かう。


 るる子のあとに黙って続く。

 うかつなことは、しないほうがよさそうだ。


「えっと、私もいたほうがいいですか」

「ああ。まずは水取のほうの用事を済ませるから、そこいてくれ」


 先生はメモがわりの紙を手に取り、クリップボードに留めた。、


 そして、左手を伸ばして、エンピツ立てを指でピンと弾く。

 中から一本のボールペンが飛び出して、ふわりとした放物線を描く。


 飛んでいったペンの滞空時間が、やけに長い。


 時間の流れが遅くなっている。


 そのことに気がついた瞬間、先生が焼いたポップコーンみたいな勢いで空中に飛び出した。

 真上でくるりと一回転。

 ペンを手にして、車輪のついた椅子の背もたれに着地する。

 つま先だけで立っているのに、小さな体はピクリとも揺れない。


「我が名は、瑠玉リュユーと申す!!」


 耳がぶっ壊れそうな大声だった。


河北かほくの西、新条山にてきょを構え、胆術たんじゅつを極め、そのかたわらで万書ばんしょを読み、風水ふうすいを占い、八卦はっけを解いて、四象ししょうを経て、両儀りょうぎより大極たいきょくまでつうずるをなす。師より孫呉の軍学を習い、九長九短の武芸を学び、また詩をぎんずることをくする者なり。かくて仙道の身でありながら、凡人俗界ぼんじんぞくかいをみだらんとするもの、これ見過ごすことかなわず。人界を流れ、勇みて功夫クンフー武力をもちい、よりて仙侠せんきょうの道をかんとす」


 ビリビリと空気が震える。

 いつも見下ろしていた先生の顔が、今は頭ひとつ分だけ高い位置にあった。

 そこから、すさまじい威圧感が放たれている。


の方、己にとがあらば命いのいとまに告げるがよい」


 つま先たちのポーズをとったまま、先生が右の腕をまっすぐ俺に向けた。

 その手の中で、伸ばした二本の指を添えたペン先が、俺を狙う。

 まるで剣でも持っているような構えだ。


 どうしたらいいんだろうか。

 俺、何か先生を怒らせるようなことしてしまったんだろうか。


「すみません。今日の授業で提出する宿題、家でやってくるの忘れました」


 思いつくことといえば、これしかない。


 いや、本当はやるつもりだったんだ。

 弁当を食ったら、午後の授業が始まる前に。

 このあと、るる子に頼んでノートを借りようと思っていた。


「ふむ」


 先生はその場で空気を蹴った。

 滞空状態を保ちつつ、空中でクルリと回転する。

 そのまま重力を感じさせない動きで落ちて、ふたたび椅子に座った。


 なんだ今の?

 体の外側からの運動エネルギーは、まったく働いてなかったぞ。

 筋肉の動きと重心の移動だけで、あんな動作ができるなんて人間離れもたいがいにしてほしい。

 卓抜たくばつとか、超絶みたいなレベルの身体操作技術だ。なにこれこわい。


「どうやら、話は通じるようだな」

「今までだって、普通に話していたじゃないですか」

「今後も通じるとはかぎらん」


 その対応については、ちょっと納得がいかない。


「話し合いができないようなやつかもしれない、と思われていたわけですね。俺は」

「不意打ちでもしてこちらの正体を見せれば、つっかかってくるのではないかと思ったのでな」

「つっかかったら、どうするつもりだったんですか」

「そりゃ、もちろん。力づくで道理を説くに決まっておる。なにしろお主が、いかなる邪淫鬼怪じゃいんきかいのたぐいかわからんからのう」


 ひどい言い草だ。

 だいたい、いきなり力づくって説得する気ゼロってことだろ、それは。


 俺だって先生が何者なのか、いまだに把握してないってのに。

 そんなに疑ってかかられては、こっちだってたまったもんじゃない。


「先生って、仙人なんですか」


 まずは先生が何者で、何が目的なのかはっきりさせておきたい。

 さっきの名乗りで、だいたいのことはわかっている。

 だが、いきなり仙人とか言われても、俺そんなの今まで一度も見たことないし。


しかり。さきほどそう言ったではないか。とはいえ、今はこうして流浪の身だ」


 仙人って山に住んでるものかと思っていたが、そうではないらしい。


「こうして身過ぎ世過ぎのついでで、武力を頼りに、世に仇なす妖物を退治などしておる。これを仙侠と言う」

「俺、古文って苦手なんで。もうちょい、わかりやすくお願いします」

「嘆かわしいやつめ」


 腕組みしながらため息をつかれてしまった。


 俺の成績について、先生も胸を痛めているらしい。


 現実的なことを言わせてもらえば、俺の特技であるこの便利な力にだって限界があることはご承知のとおりだ。

 ほしい物があればいくらでも生み出す力があっても、知りたいと思ったことを教えてくれることはない。


 たとえば、数学の公式なんぞをいくら思い浮かべてみても、頭の中にある解答欄は空欄のまま。

 答えは自分で書き込む必要がある。

 ようするに俺の能力は、自分の知識に影響を及ぼすことができないのだ。


 なので、何かを学ぼうと思ったら自力で学習するしかない。

 毎日きちんと授業を受けているのにも、そういう理由がある。


 そんな真面目な暮らしを送っているのに、なんで先生に呼びだされなきゃならないんですかね。


「んで、その妖怪退治の仙人様が、どうして今さら俺を試したりしたんですか」

「その前に、お主の正体について話せ。こっちの事情は明かしたぞ。できるだけ、詳しく話すがよい」


 しょうがないので、これまでの人生をダイジェストで語った。


「ふむ。天然か」


 話を終えたところで、先生が言った。


「人のことをマグロみたいに言わないでくださいよ」

「そういうのは話には聞いたことがあるが、見るのは実際はじめてだ」

「俺だって仙人なんかに会うのは、これがはじめてですよ」

「最初に貴様を見たときは、これが噂に聞く忍法ニンポーというやつかと思っておった」

「そんな忍者はいねえ」


 そこで、あたりを軽く見回す。


 時間の流れは、あいかわらず遅くなったまま。

 数学の吉沢先生なんか、間違えて息子のキャラ弁を持ってきてしまったらしくて、フタ開けてなんじゃこりゃあって顔したところで固まっている。

 なんだか、ちょっぴり気の毒。


「これ、先生がやってるんですか。俺、自分以外に時間を操作できる人に会ったことないんすよね」

「私じゃない」


 キル先生のちっこい頭が、ふるふると左右に回る。


「こういうのは、仙道同士が俗人の場で立ち会うと、よく起きるのだ。軽く気を当てれば、すぐ解ける」

「そういうものなんすか」

「昔話でもあるだろう。碁を打っている仙人のところに、頼まれて酒を届けに行った男が支払いを渋られてしまう、と。そして長い問答の末にようやく代金を受け取って街に戻ってみたら、そこでは数百年が過ぎていた、などという話を貴様とて耳にしたことぐらいはあるはずだ」


 悪いんですが、そういうのは浦島太郎ぐらいしか知らない。

 あとなんだっけ。

 リップ・ヴァン・ウィンクルだっけか。

 名前しか知らないけど。


 とにかく自分の能力以外で、こんな状況になったことは、生まれてから一度もないことだけは間違いない。


 当然のごとく、るる子も動きが止まっている。

 正確にはものすごくゆっくりなのかもしれないので、反応があるかどうか、試しにスカートをめくってみることにした。


「何をしとるかっ!!」

「げぽっ!」


 クリップボードで頭をはたかれた。


「先生、ひどいです」

「ひどいのは貴様だ。女の敵め」

「でも、人類の敵じゃないですよ」

「ぬかせ。貴様、ここ数日でなにやら妙なことをやらかしておるであろう」


 キル先生は、腕組みして俺をジロリとにらんだ。

 あらやだこわい。


「先週、グラウンドに穴を開けておったな」

「あれは俺がやったんじゃないですよ」

「部室を勝手に作ったのは、どういうつもりだ」

「ごめんなさい。部の活動で学校側に迷惑をかけたくなかったので、あのようにいたしました。事後承諾ってことでいいですか」


 部室作りで空間を無理やり押し広げた件については、言い訳のしようがない。

 なので、素直に頭を下げておいた。


 どうせ知っているであろう、夕日のことも見逃してほしい、という意味で。

 そうでないと、あいつが先生に退治されかねない。

 さすがにそれは、ちょっとかわいそうだ。

 そもそも夕日が部室に住みつく原因を作ったのは、俺だしな。


 ありがたいことに、先生からはおめこぼしがいただけたようだ。


「部室のことは気にせずともよい。だが、最初の件はそうもいかん」

「いかんって、何がです」


 先生の目が厳しくなる。


「あれは、なんだ?」


 どうやら先生にもわからないらしい。


 俺を地面にたたきつけて、不気味な声を発したものの正体。


 あれはおそらく、るる子が関係していることは間違いないのだろう。

 だが、それ以上のことはさっぱり不明だ。


「あまり良くない気を感じたぞ。一瞬ではあったが、ただならぬ気配が伝わってきた。なんぞあらんと巫術を施してみたものの、ところがさっぱり要領を得ない」

「それが俺にも、正体がまったくわからないんすよ」

「ふむ。そうか」


 先生が大きく頷いた。


「んじゃ、ほっとこう」

「そんなんでいいのかよ!」


 これだけグダグダやって、結論がそれか。


「ようはお主が、水取にちょかいを出さねばよいのであろう」

「それはまあ、そうなんですけどね……」

「もし、また姿を現さんとすれば、かるくひと撫でして、おとなしくなったところで話をうかがわせてもらえばよい」


 おっかないこと言うな。まず最初に話せ。


「では、話はついたようだな。今後も五行の運行をあたら乱すことなく、健全な学生生活を送るがよい」


 キル先生は膝の上に置いたクリップボードめがけて、ぱんと手を打ちつけた。


 すると、周囲の時間の流れが戻ったらしい。

 吉沢先生の「しまったー!」とかいう悲鳴が聞こえてきた。


「では、まずは部活設立の理由を語ってもらおうか。その前に、久垣。おまえはもう帰っていいぞ」

「え? もういいんですか」


 さりげなく会話を再開した先生の言葉に、るる子が不思議そうな顔をする。


「帰っていいって言うんだから、いいんだよ。あとは頼むぞ、るる子」


 二人に背を向け、手をヒラヒラ振る。

 すると、殺し屋みたいに非情な声が背後から響いてきた。


「宿題。授業が始まるまでにやっとけよ」

「るる子さん。いえ、るる子様。すみません、ノート貸してください」


 時間的に、丸写ししないと絶対まにあわない。

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