第12話豪放

「・・・と、根菜のトマト煮込みね」

「おい、聞いてんのか?」

「なによ?」

「金あんのか、って訊いてんの」

 オレがマボロシ酒場にきてから、小麦はすでに三杯めの酒に手をつけてる。

「飲みすぎじゃね?」

「グラスより、ボトルの方がよかったかな」

「だからさ、なんでそんなに金持ってんの?」

「持ってないよ。あんたバカ?知ってるでしょ?今あたしが働いてないこと」

 小麦は財布の中を覗き込む。

「・・・30円しかないよ」

 一瞬、オレの顔は青ざめて見えたにちがいない。何せこの履きっぱなしのジーンズのポケットには、わずかに423円の小銭しか入ってないのだ。三日先の原稿料の振り込みまでは、この423円で食いつなごうと考えてたのだ。つま先の冷たさが背筋にまでのぼってくる。

 テーブル上に続々と運び込まれる「カマスの叩き」やら「ホタルイカとタケノコの酢味噌和え」なんかの豪華な盛りを見るにつけ、総身が凍りはじめた。それは、オレがここにたどり着く前に、すでに小麦が注文してたものだった(この女は、おっさん料理が好みなのだ)。

「おい、バカ。オレだって持ってねーぞ・・・」

 小声で伝える。

「知ってるよ。マンガが売れないからでしょ?」

 その通りだ。そのことは小麦だって身に染みてわかってるはずだった。なのに、どんな神経が30円の持ち金でこの品数をオーダーできるのか。オレにはこの423円が掛け値なしに全財産だし、小麦のヤツはいっぱしに派遣OLとはいっても、貯金ゼロ。破産宣告を一回やっちゃってて、クレジットも利かないってだらしない身の上。ふたりはすなわち、この資本主義社会においては徒手空拳の身。支払いに対しては手も足も出ぬという有様。逃げ道なし。

 ハシは付けてないから、このおいしそうな品々、下げてもらえませんか店員さん、あははー・・・と、交渉に及ぶその横で、コラ小麦!なにをうまそうに食べてるのかねっ!出しなさい。吐き出しなさいって。無理か。あ、いいんです、いやいやどうもすんませんね店員さん、てへっ。去りゆくスキンヘッドに、またも訝しげな顔でにらまれる。

「・・・やばい、やばい、やばいやばいやばい、これはさすがにやばい・・・」

「あ、ハゲ店員さん、ワインおかわり!」

 もう何品オーダーしても同じこと、か。ハラをくくった小麦は強い。しれっとした笑顔で、新しいワインを受け取る。

 その暴走を、オレには止めることができない。それ以前に、不思議な感動に包まれる。あきれるよりも、怒りを感じるよりも先に、目の前の豪放磊落な女に「羨望」の眼差しを向けてしまうオレって。

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