Ⅱ.龍の村
1
約束通り村の入り口近くで下ろしてもらい、木立の間から村のほうを伺う。木組みの家々が並び、窓辺には花が飾られた静かな村で、雰囲気は旅番組で見たドイツの集落に似ていた。
「それで、私はどうしたらいい、の?」
ちょっとつっかえながら、敬語抜きで隣に立つウィルに尋ねる。獣型の時ほどではないにしろ、かなりの身長差なのでつらいものがある。彼が長身なのに加え、夏妃は同年代の中でも小柄な部類に入る。こっちが苦心しているのに気付いたのか、少し身をかがめてウィルが答えた。
「少しここに隠れて待ってて。
不安が顔に出たのだろう、ウィルは宥めるように笑って見せた。
「大丈夫、龍は情け深いし子ども好きだ。君の境遇を聞けばみんな受け入れてくれるよ」
いろいろと複雑なものはあるが、頷いておく。夏妃の頭を撫でてから、ウィルは木立から出て村へ歩いて行った。彼を見送って、息をつく。
身を隠した木の幹に背を預けて頭上の梢を仰ぐと、木洩れ日がちらちらと平和に踊っていた。全部が嘘みたいだ。嘘だったら、良かったのに。
もうひとつため息を落としたところで、近くの茂みが音を立てた。びくりとして、幹を回って身を隠す。
ウィルの忠告が頭の中をぐるぐる回った。まだ、誰かに姿を見られるわけにはいかない。
しかし、続いた犬の鳴き声と現れた小さな影に虚を突かれた。
腕に仔犬を抱いたその小さな男の子は、目を真っ赤にして鼻をぐずぐずいわせていた。ぽてぽてと歩く足元はいかにも危なっかしく、案の定、木の根に足をひっかけてべしゃっと転ぶ。若葉色の目に見る見る新しい涙が浮かび、抱いたままの仔犬が男の子と地面の間に挟まれて哀れっぽく鳴いた。
夏妃は見ていられず、つい身を乗り出してしまう。やばい、と思ったのは男の子としっかり目が合ってからだった。硬直する夏妃を見て、男の子はきょとんとした。
「おねえちゃん、みたことないかっこうしてる」
え、そこ? と内心でツッコミを入れた。
いや、それよりも仔犬が気になる。いよいよ苦しそうな鳴き声を上げているのだ。
仕方なく歩み寄って、男の子を助け起こす。ごみを払ってやった髪はウィルよりも色が淡い銀緑色だった。
男の子は人見知りをするように夏妃から距離を取って、おどおどとこちらを伺う。今さらだなあ、と思いながら夏妃は内心、困り果てていた。実は子どもはちょっと苦手なのだ。
とりあえず、じゃあこれでというわけにもいかないので話をすることにする。
「ええと、大丈夫? どうして泣いてたの?」
男の子は口ごもってぎゅっと仔犬を抱きしめる。だから苦しそうだってば。
「その子は?」
話のとっかかりのつもりで訊いてみると、男の子は急に慌てだして仔犬を隠そうとした。
「ち、ちがうよ! ないしょでかったりしないよ!」
……うん、状況がつかめた気がする。
おそらく彼は拾った仔犬を飼うことを親に反対されたのだろう。そして、諦めきれずに仔犬をかくまえる場所を探していたと。こういう単純、もとい一生懸命で素直な子は嫌いじゃないよ。
生暖かい気持ちになりながら、しゃがみこんで男の子と視線を合わせた。
「お母さんにだめって言われたんだ?」
男の子はどうしてわかるのか、と言わんばかりに目を大きくして夏妃を見る。そんな畏怖の目を向けられるようなことでもないのだけれど……。
彼はぽつぽつと、小さな声で答えた。
「さっきもりであったの。ひとりぼっちでかわいそうだから、おうちにいれてあげたかったのに。おかあさんはおこって、もとのところにもどすって。このこをつれていこうとするから、ぼく……」
家を飛び出してきた、というわけか。話しながら、彼は再び涙目になっている。
そう聞くと、なんだか仔犬と自分の現状がよく似ていることに気が付いた。夏妃も同じように森でウィルに拾われて、『抱っこ』されて連れてこられたわけだし。……あ、駄目だ。思い出しただけで恥ずかしくて死にそう。
記憶を振り払おうと慌てて頭を振った拍子に、男の子の腕の中の仔犬と目が合った。むくむくの灰色の毛並みに琥珀色のつぶらな眼をしている。ぴんと耳が立って手足が大きめなところはシベリアンハスキーに似ていなくもない。
夏妃はじっくりと男の子と仔犬を見比べながら考えた。
そして、おもむろに提案する。
「じゃあさ、その子を私に預けてくれない? これから村長さんに会いに行くの。お母さんがだめっていうなら、私が村長さんに頼んであげる」
「ほんと?」
途端に目をキラキラさせて、男の子が夏妃を見上げた。
「あれ?」
ウィルが戻ってきたとき、夏妃はちょうど男の子から仔犬を預かって胸に抱えたところだった。
「あ、おかえりなさい」
「どうしてティリオとナツキが一緒に?」
不思議そうに首を傾げながらやってきたウィルを見て、男の子は逃げるように夏妃の影に隠れた。
「ティリオ。オレアがお前を探し回っていたぞ」
「……しらないもん」
ぎゅっとTシャツの肩口を掴む彼の頭を撫でて、夏妃は立ち上がった。
「君はいったんお家に帰りなよ。この仔はちゃんと私が守るから。ね?」
「……うん。やくそくだよ、おねえちゃん」
「うん、約束」
笑いかけると、ようやく男の子も笑みを返してくれた。ウィルが驚いたように二人を見比べている。
「何があったんだ?」
「ないしょー!」
男の子は宣言して、木立から駆け出て行った。夏妃に向かって手を振りながら走る彼はやっぱり危なっかしい。また転ばないといいんだけど。
ウィルに視線を移すと、不思議なものを見るような眼と視線が合う。とりあえず先手必勝で謝ることにした。
「ごめんなさい、隠れてたんだけど見つかっちゃって」
「いや、それはいいんだけど。あいつ、ひどい人見知りなのにナツキにえらく懐いたね」
「それはたぶん、内緒の約束の威力です」
「内緒って、それ?」
指差された仔犬は、琥珀色をした真ん丸の眼でウィルを見上げてきゃんと吠えた。
「あの子、ティリオくんだっけ? お母さんに飼うのを反対されて困ってたみたい。飼えるように村長さんに頼んでみようと思って」
ウィルはなんだかひどく複雑そうな顔になった。
「でもナツキ、たぶんそれは……」
止められることを察して、彼の言葉を遮る。
「約束したんだもの、頼むだけ頼んでみるよ。村長さんには会えることになったの?」
「ああ、うん。もう待ってるよ」
「じゃあ行きましょう。この仔のことも話さなくちゃいけないし」
物言いたげではあったが、ウィルは重ねては何も言わなかった。
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