Ⅷ.月夜の約束

1

「いってきます」

 早朝、カウンターで手を振るミカに挨拶をして、ひんやりとした空気の中へと扉をくぐる。ストールをきっちりと巻いていても、隙間から首元に触れる空気は冷たくて身震いした。本当に冬が間近に迫っていると感じるのはこういう時だ。

 岩山の裾は明るんでいるけれど朝日は未だ顔を出していない。白く視界にかかる自分の吐息を意識しながら、集会所へ向かって歩き出した。もう繰り返し往復した道で、今は迷わず歩けるようになっていた。

 ひどく冷え込むまだ薄暗い時間帯であっても、朝市が出ている目抜き通りにはすでに結構な人出があって、ささやかながら喧騒が聞こえてくる。

 路地へ入って何度か折れると、いつもの練習場所の建物が見える。細い煙がテントの間から立ち上っているのは、早朝から集まった者同士で朝食を作っているからだ。食事は昼も夜も、他の作業同様子どもたちだけで参加者全員分を賄っている。材料費や食材の一部は地区の人たちからの厚意だそうだが、それがきちんと成り立っているあたり、なかなかすごいシステムだと思う。

 門の近くに立つ少年二人も、湯気の立つカップを持っていた。何か話している様子だったが、夏妃に気づくとまじまじと視線を向けてくる。耳覆いつきの帽子を被ってはいるが髪は隠さず流しているので、一目見れば夏妃が何者なのかはわかるだろう。

 気まずい思いをしながら挨拶をして門を通り抜けると、小声で囁く声が聞こえた。

「あの子が?」

「そうそう、“救い姫”。髪、真っ黒だろ。間違いないって」

 異端とはじくつもりはなく純粋な好奇心だろうとわかる口調だったけれど、居たたまれないのに変わりはない。なんとか俯かないようにして歩いていると、向こうからシスルとエリスの双子が駆けてきた。

「ここは我ら、西都の城なり!」

「敵を退け、守るが務め。我らに属す者ならば、隠されし言の葉を述べよ!」

 朝でも元気いっぱい、例の合言葉を問いかける。これはミカの言っていた通りお遊びのようなものらしいが、この二人のお気に入りのようだ。苦笑しつつ、覚えた呪文のような言葉をつっかえつっかえ答えると、シスルが満面の笑みでカップを差し出してきた。

「よくできましたー! ポタージュスープだよ。ご飯は食べてきた?」

「うん。稽古中にお腹が鳴るのは嫌だもの」

「そうね。ナツキは主役なんだもの、しっかり食べてばっちり演じてもらわないと!」

「……そうだよね」

 スープに視線を落として、思わず声のトーンも下がってしまう。

「ナツキ?」

 シスルが顔を覗き込み、エリスが心配そうに尋ねる。

「もしかして練習、上手くいってないの?」

 不安そうな声音に、慌てて首を振る。舞台のメインである役者たちの練習が滞っているなんていう噂が流れてしまったら、全体の士気を下げることにもなりかねない。しっかり者のローに何度となく注意されたことだった。

「ううん、そうじゃないの。ただ、早朝から夜までぶっ通しの練習が続いてるから、まだ体が慣れてなくて。寝たりないのかな?」

 ちょっとおどけた風にいうと、表情を和らげた二人に順に軽く肩を叩かれる。

「じゃ、それ飲んで早く目を覚ましなよ」

「大丈夫、まだ始まったばかりだもん。これからだよ」

 もしかしたら、彼女たちは言葉の裏の気持ちに勘づいていたのかもしれない。それでも問い詰めずに背中を押してくれる優しさが嬉しくて、飲み込んだスープと一緒に心が温まるような気がした。




 でも、呑気に構えてばかりもいられない。なにしろ、本番は一日ごとに近づいているのだ。思うように進めない焦りは、確実に精神力を削いでいく。

「ナツキ、また棒読みになってる。もっと感情を込めないと。それから、視線も下がってた。英雄が自信なさそうに戦場に立っているなんて様にならないよ」

「ごめんなさい……」

 縮こまるようにしてますます俯くと、息をついたローが全員を見回して手を打った。

「じゃあ、少し休憩。今日の台詞合わせはこのくらいにして、あとは距離感と発声の基礎練習に戻ろう」

 役者たちからばらばらに気の抜けた返事が返り、その場に座ったり水を飲みに部屋を出たりと、てんでに動き出す。その中で心もとなく立ち尽くす夏妃のところにローが近づいてきて、声を低めてドアを示した。

「ちょっと来て。話したいことがあるから」

「あ、うん……」

 慌てて彼を追おうとすると、冷ややかな呟きが喧騒にまぎれて聞こえてきた。

「あれが本当に〝救い姫〟? 噂と全然違うじゃない。覇気も華もないし。本当にあんな子に主役が務まるのかしら」

 思わず振り向くと、鮮やかなストロベリーブロンドが目を惹く少女が窓際に立っていた。気の強そうなガーネットのように光る鮮やかな瞳から慌てて目を逸らし、早足で部屋を出る。

 廊下の先で待っていたローに追いつくと、彼は困ったような顔で腕を組み、夏妃を見た。

「ごめん、厳しい言い方をするよ。君が遅くまで残って努力をしているのも、一生懸命やっているのもわかっているんだけど。正直、そろそろ何かつかまないと、まずいところまで来てると思う。まして、ほかの役ならまだしも君は主役だから」

 彼が精一杯気を遣っているのがわかって、情けなさのあまり顔が上げられなかった。

「うん、わかってるの。ごめんなさい、ローは何度も練習に付き合ってくれてるのに」

 劇といえば学芸会レベルの夏妃は、自分の経験値の無さを補うために、全体練習のほかに個人的にも練習を重ねていた。一人では限界があるから、他の役者の子にも時間が許す限りは相手役を頼んだりもして。自然と舞台全体のリーダー的存在に収まったローは、拙い夏妃に何度も根気よく付き合ってくれていた。

 それでも、成果は上がらない。演じる気恥ずかしさは発声練習や声の距離感を図る基礎練習を繰り返すうちに少しずつ薄らいだ。問題はそれよりも、台詞に気持ちをのせられないことだ。台詞を覚えたところで、気持ちが込められていなければ意味がない。動作もぎこちなくなり全体のバランスを崩してしまう。ずっとその繰り返しだった。

「そんなことよりも、欠けているものを埋めなくてはずっと今のままだ。このまま練習を繰り返したって意味はない。時間を無駄にするだけだ」

 無駄、という強い言葉に胸をえぐられる。見つめる床が滲んでくる。

 はじまったばかりなのに、がんばろうと決めたのに。今の自分はみんなの足を引っ張っているだけだ。

「ごめ……」

「謝らないで、ナツキ。君は諦めてしまうつもりなの?」

 怒ったような声にびくりとしながらも、大きく首を振った。それだけは、できない。

「なら、何が足りないのかを考えなきゃ。謝ったり泣いたりしなくても、僕は君が諦めずに続ける限りその助けになる」

 目が真っ赤になった情けない顔になっているのを覚悟で、彼の凛とした蒼い瞳を見る。その頼もしさが眩しい。

「ロー、……ありがとう」

 ごめん、と言いかけて言い直す。彼は少し表情を和らげて、頷いた。

「でも、僕が出来るのは手伝いだけだよ。答えを見つけるのは君自身だ」

「うん」

 そうだ。誰のせいにもせず、自分で選ぶと決めた。

 夏妃の目に力が戻ったのを見て、彼は壁に寄りかかって苦笑を漏らした。

「あとは、もうひとりの問題児も前向きになってくれるといいんだけど。あっちは正直、ナツキよりも深刻かもしれない」

「問題児って……シュカ?」

 彼女もまた、夏妃と同じかそれ以上に注意を受ける回数が多い。普段はぽやっとした天然系でたまに妙な迫力も見せるのに、練習中はそれらがすっかり鳴りをひそめてしまう。台詞を言おうとすれば真っ赤になって詰まり、立ち位置を変える場面では何もないところですっ転び、これが本番の衆人環視の中ではどうなってしまうのかと、役者全員が頭を抱えていた。

「でもシュカ、個人練習ではだいぶましになるよね?」

「大人数の前に出るのに慣れてないのかもね。でも、劇である以上は致命的だよ」

 深々と息をつくローの姿に、リーダーって大変だ、としみじみ思う。もちろん、他人事のように言ってる場合ではないのだけれど……。

 それでも実際、ローは本当によくやっていた。演技練習では威厳のある『龍の王』役を完璧に演じながら全体に目を配り細かなアドバイスをしているし、役者の取りまとめ以外にも大道具、舞台演出、広報といった各役職の進行状況も把握して指示を出しているという。どれだけ優秀なのか、と感嘆すると同時に慄かずにはいられなかった。

 そのうえ問題児の個人練習や悩み相談にまで付き合ってくれているのだ。……だんだん心配になってきた。

「ロー、ちゃんと睡眠時間は取れてる? 仕事を頑張ってくれるのは嬉しいけど、倒れちゃったら元も子もないよ。ローはみんなのリーダーだけど、大事な仲間の一員なんだから」

 無理はしないで、と訴えると、きょとんとした顔をしたあと、ふっと笑った。

「ありがとう。ほどほどにしておくよ。けど、ナツキは自分の心配をしなよ?」

 笑顔でさらっと釘を刺されてしまった。

「うう。わかってますよ……」

 ぐうの音も出ずしょんぼりしたところで、ローに腕をとられ元の部屋に引きずるように連れていかれる。

「さあ、休憩終了だよ。切り替えて」

「ちょ、ロー! 自分で歩けるってば!」

 転びそうになりながら考える。

 ローはやっぱり完全無欠なリーダーだけど、それだけじゃないのかもしれないな……。




 基礎練習は滞りなく終わり、夕方。今日の全体練習はこれで終了となるので、子どもたちはぞろぞろと帰り支度を始めていた。

「ナツキ、今日も個人練習していく?」

 とことこやってきたシュカに訊かれ、うーん、と考え込む。

 今のままで練習を重ねても意味はない、と言ったローの言葉は正しいと思う。このままでは付き合ってくれる彼らの時間を浪費してしまうだけだ。

 まずは何が足りないのか、それを見つけなくてはならない。そのためにはどうしたらいいのか、基礎練習中もずっと考えていたけれど、まだ答えが出ていなかった。

 思い悩みながら、シュカを見た。

「私、今日はやめておこうと思う。ちょっと、考えたいことがあるから」

「ふうん、わかった。私はどうしようかな……」

 憂鬱そうに呟くシュカと一緒に、窓際に置いた自分の荷物に歩み寄る。鞄の上に置いた台本を持ち上げると、何か紙片が落ちてかさりと音を立てた。折りたたまれた白い紙片を拾い上げ、開く。そこには細い文字で、短い言葉が書かれていた。


『お前は何も知らない。相応しくない』


 紙片を見つめて固まったままの夏妃に気づいたシュカが、不思議そうに手元を覗き込む。その文面を見て、息をのんだ。

「……え? これって、」

 脅迫状? 彼女が飲み込んだ言葉が、夏妃の頭の中で響く。そこまで大げさなものではないけれど、善意から書かれたものでないことは確かだ。並んだ文字から目が離せない。

「私は、何も知らない……?」

 最初の衝撃が去ってからふと、何かが引っ掛かって声に出してみる。

 そして、じわじわと気づく。その通りだと。

 これが、答えなんじゃないか。どうして今まで気が付かなかったんだろう。

「シュカ!」

 突然振り向いた夏妃の勢いにのけ反って、シュカが目をぱちぱちさせる。彼女の困惑にかまわず、高揚する気分のままに言った。

「私、何をしたらいいのかわかった! これのおかげ!」

「え? ええっ?」

「そうだ、ローに話さなきゃ!」

 紙片を握りしめて踵を返すと、すぐ近くにいた少女にぶつかりそうになった。小さく悲鳴を上げた彼女に慌てて謝ってから、部屋を飛び出す。幸い、部屋を出たばかりの彼を見つけて追いつくなり言った。

「ロー、私、わかったよ。何も知らないから、だから知らなくちゃ。それが足りないことだったんだよ!」

「な、ナツキ、落ち着いて。どういうこと?」

 困惑しているローと、追いかけてきたシュカに、今度こそ伝わるように話す。

「黒龍さまのこと、知りたいの。どんなひとなのか、何をして何を考えていたのか。台本からだけじゃわからないこと、調べようと思う。黒龍さまのことがわかったらきっと、舞台の場面でどんな気持ちだったのか想像できると思うから」

 夏妃は他の子どもたちのように黒龍伝説に慣れ親しんでいるわけじゃない。なら、遠回りであっても本物の『黒龍さま』のことを知るのが先決だった。それに気づかずここまで来てしまったのが悔しい。

 聞いていたローは真剣な表情になる。

「……なるほど、理に適ってると思う。でも、黒龍さまは大昔の存在で、ろくに記録も残っていないよ。信憑性のあるものとなれば数えるほどで、ほとんどはおとぎ話のような伝承ばかりだ」

「それでも。知るための材料がほしい」

 必死に見つめる夏妃の本気を感じ取ったのか、彼は小さく笑って頷いた。

「わかった、約束通り付き合うよ。少し歩くけど、北区に王立図書館がある。そこならいくらか資料も揃うはずだ」

「本当? じゃあ……」

「私も行く」

 はっとしてシュカに視線を向ける。少し乱れた前髪の隙間から除く桜桃色の瞳が、不思議な強さを秘めて真っ直ぐに夏妃を見つめていた。

「歴史はちょっと得意だから。ナツキの役に立てると思う」

 それは願ってもない申し出だけれど。いつもと違う雰囲気に、思わずローと顔を見合わせる。決断は彼のほうが早かった。

「……いいよ、シュカも一緒に行こう。どちらにしろ、僕はこの後全体会議に出なきゃならないから、今すぐには行けない。先に二人で行って調べておいてもらえると助かるよ。場所、わかる?」

 シュカが少し考えて、答える。

「北区の噴水のある公園から東にのびる通りを進んで、ふたつめの路地を右。水色の屋根の建物。天辺に銀色の鐘が掛かった塔がある」

 目の前の映像を読みあげているかのような説明に、ローが驚きつつも頷いた。

「うん、その通り。シュカに任せて大丈夫そうだな」

 会議が終わったらすぐに向かうから、と言ってくれたローに手を振って、荷物を抱えた二人は建物を出る。朝とは正反対の明るい気持ちで門をくぐった。

「ありがとう、シュカ。シュカも自分の役があるのに」

「ううん。ナツキには必要なことだし、私も知りたい。黒龍さまが考えていたこと」

 にこっと笑ってそういってくれるシュカに、改めて感謝する。調べ直すことで、彼女にもいい影響があるといい。

 バスも電車もない王都の移動手段は徒歩しかない。小一時間ほどかけて広い王都を歩き辿り着いた王立図書館は、シュカが言っていた通りの概観だった。

 白い壁と水色の屋根、綺麗なステンドグラスが嵌った鐘楼は西日を受けてオレンジ色に輝いている。普段ならばその美しさに見入っていただろうけれど、今は目的がある。足早に建物に入り、まずはカウンターに直行した。

 図書館の匂いというのは、どの世界も共通なのだろうか。古びた紙とインクの匂いがひどく懐かしくて、ここが元の世界につながる場所のような気さえしてくる。あらゆる知識と物語の窓口として存在する場所だから、そんな気がするのだろうか。

 想像通り検索用の端末などは存在しないようなので、司書らしい女性を呼んで希望の資料を依頼する。彼女が書庫の資料を探してくれる間、教えられた歴史関連の書籍がおさめられているというスペースに向かった。

 利用者はそこここで見かけるものの、聞こえるのはささやき声とページをめくる音だけでとても静かだ。そんな静謐な空間を歩くのは、妙に心地よかった。

 夏妃の身長の倍以上はある巨大な本棚が整然と並ぶ。その中に隙間なく収まる本はすべて龍の言葉で書かれているのだ。シュカがついてきてくれて本当に助かったと、心から思う。夏妃では、書名をひとつひとつ読むだけで膨大な時間がかかってしまうのだから。

「ナツキ、私がそれらしいのを片っ端から出していくから閲覧室に運んで。そのほうが早いから」

「うう、ごめんね」

 自分の無力さに肩を落としながら、言われた通り次々渡される本を抱えて個室になっている閲覧スペースの机の上に重ねていく。その作業の後は、司書の女性が持ってきてくれた分も合わせて、さっそく資料に目を通していった。

「これ、戦の記録かな? すごく難しそうだけど、劇の役には立つかな」

「こっちは伝承寄りだね。必要以上に美化して書いてる感じで、向かないかも。これは外そう」

 そうして資料を選り分けていくと、山と積まれていたものがたった五冊になる。信憑性のある記録がほとんど残っていない、というのは本当らしい。

 やがて個室のドアを開けて入ってきたローも合流し、手分けして資料を読み進むことにする。準備のいいローが大きな紙と筆記具を用意してきていて、そこにわかった情報をどんどん書き込んでいくことにした。

「黒龍様が参加した戦は、約二五〇〇年前のフィフリー戦役で間違いなさそうだね。戦の資料にも記述がある」

「ウェルテクス王の時代だよね。黄龍の妃を迎え、王都の灌漑整備に力を入れた王だった、と書いてある。そして治世七五七年目の春に魔族の侵攻を受けた」

「ウェルテクス王……、ああ、そういえばユウが言ってたっけ。黒龍伝説がある時代の王だって」

 額を突き合わせるように話していたローとシュカが、きょとんとした顔を向けてくる。

「ユウって?」

「あ、ええと。ユウェル殿下のこと。お城で友達になったの」

「殿下と友達!?」

 ローが声を張り上げ、慌てて自分の口をふさいだ。ここが個室で良かった、と三人で胸を撫で下ろした。

「ご、ごめん、びっくりさせて」

「いや、いいんだけど……。そうか、ナツキは本当にあの〝救い姫〟なんだなあ」

 感心したように言われると、肩身が狭い心地になる。それを察したのか、ローがごめんと苦笑して、気を取り直したように本に目を戻した。

「殿下がそう仰るなら正しい情報だろうね」

「うん、間違いないと思う」

 こっそりと、帝王学や歴史書、各地の報告書を読み込んでいたという彼のことだ。彼の持つ知識の信憑性は高いと思っていいはず。

 シュカが紙にウェルテクス王、フィフリー戦役と書き込み、夏妃を見た。

「ナツキが読んでるのは、伝記だよね? 詳しく書いてある?」

「私、読むの遅いから少しずつだけど……。やっぱり黒龍様は謎が多いみたい。生まれた場所も何もわからなくて、突然王城に現れたって書いてある。博識で誰も知らないようなことを知っていて、王様と友人になって、突然始まった戦でも惜しみなく力を貸したんだって」

 ふむ、とシュカが呟く。

「こうして聞くと、なんだかナツキと似ているよね」

「えっ!?」

 思いがけない言葉に、目を見開く。ローまで頷いてそれに続く。

「僕もそれは思ってた。誰も知らない世界から来て、殿下と友達になって、起こった事件に立ち会って。共通するところが多い」

「いやいや、戦争じゃ規模が違うし、別に私博識じゃないし!」

 本を読み進めることすらおぼつかないのに、とんでもない過大評価だ。

「でも、他の世界から来たっていうなら、こちらにはない知識を持っているってことだろう? 黒龍様の『誰も知らないような』知識と合致するよ」

 食い下がるローの言葉に、しぶしぶ確かに、と認める。けれど、こじつければ何とでも言える、という思いが強かった。まして、相手は伝説上の英雄。似ているといわれても、気後れしか感じない。

「うん。この世に二人といない黒色をもつ女性、ってだけでもすごい一致だもんねえ」

 シュカが夏妃の読んだ内容を紙にメモしながら、何の気もなさそうに言う。あまりにあっさりとした口調だったので、聞き流しそうになった。

「……え?」

「どうかしたの、ナツキ」

 顔を上げた彼女の顔を呆然と見る。

「今、シュカ、なんて……?」

「今? すごい一致って」

「そうじゃなくて、その前。黒色の、女性?」

 恐る恐る尋ねると、彼女はこくりと頷いた。まだ信じられない思いで、頭が混乱していた。自分の声がどうにも間抜けに響く。

「黒龍さまって、女性だったの……?」

 三人で、ぽかんとした顔を見合わせる。まずローが、まさかという口調で言う。

「知らなかったの? 女性だって」

「だ、だって、戦でものすごい成果を上げたひとだって聞いてたし! 伝説の英雄だってみんな言うから、てっきり、男性だと……」

 思い込みとは恐ろしい。今までそう信じて疑っていなかった。がらがらと自分の勝手なイメージが崩れる感覚に愕然とする。額に手を当てたローが、「だからか……」とため息をついた。

「ナツキの演技が慣れてないとかいう以前に、どこか不自然だとは思っていたんだ。根本から演じるものが違っていたっていうなら、それも当然だった」

「ほ、ほんとにごめんっ!」

 まさか本当に時間を無駄に浪費していたとは。今まで付き合わせてしまっていたローとシュカの徒労を思えば、血の気が引く思いだ。けれどローは怒るどころか夏妃に向かって頭を下げた。

「謝るのは僕のほうだ。ナツキがこちらに疎いのは最初に聞いていたのに、配慮が足りてなかった。本当にごめん」

「やめてよ、ロー! 迷惑をかけたのはこっちなのに」

 お互いにわたわたする夏妃たちを呆れた風に眺めていたシュカが、紙に黒龍さまは女性、と強調して書き込みながら言う。

「まあ、これで問題が解決したならよかったじゃない。今やっていることが方向性として正しいってことも分かったし」

「そうだよね!」

 シュカの言葉で気分が一気に浮上する。この調子でいけば、黒龍さまの気持ちをつかむことも、無理なことではないと思えた。

「じゃあ、資料に戻ろうか。時間がないのに変わりはないよ」

 気づけば窓から差し込んでいた西日はずいぶん薄くなって、夜の色に変わりはじめている。慌ててそれぞれ資料に戻り、必要な情報を拾い出す作業に没頭した。

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