エピソード09 「こうして僕は美少女の夢を見る」

週末のボロー・マーケット。


「ロンドン・ブリッジ」の地下鉄の駅を上がって直ぐのガード下に「まるで闇市?」の様な その食品市場が在った。



岩城:「凄い人だな…。」

翔五:「はぐれちゃいそうですね。」


エマは、お気に入りの白いヒラヒラワンピースにツインテールの出立ちで、相変わらず翔五の服の裾をチョコんとつまんでいる。



岩城:「そうだな、時間を決めて集合するか。 …取り敢えず、1時間後にこの場所でいいか?」


翔五:「了解です。」




そう言う流れで…

僕は「まるで万博会場」の様な混雑の中に、足を踏み入れる。



陽気で威勢の良いイケメンのお兄さんが、試食用のサラミをナイフで切り分けている。



お兄さん:「Anyone(どなたでもどうぞ。)」


お兄さんは ナイフの先で突き刺したサラミをエマの前にさっと差し出した。

チョット、面食らっていたエマだったが…勢いに流されたのか、思わずサラミを手に取って、…可愛らしい口に入れる。



お兄さん:「For you(あなたも。)」

翔五:「あ、サンキュー。」


一口サイズのサラミを貰って、恐る恐る噛み締めてみる。


…凝縮された旨味が、唾液の中に溶けて、口中に広がって行く。



翔五:「美味い。 グッ、テイスト!」


僕は親指を立てて「良いね」のポーズ。

お兄さんはそれを見て「にっこり」と微笑む。




何だか、チョット楽しい所かも知れない。…と、思いつつ、


僕たちは人の流れに身を任せて、どんどん奥?の方へ進んで行った。


やがて、三つの樽が並んだ西部劇に出てきそうな酒場の前に行き当たる。



翔五:「サイダーだって、飲んでみる?」


エマは、半信半疑に小さくうなずいた。


僕は、カウンターの中のおじさんに声をかける。




翔五:「クッジュウ、ギブミー ア サイダー。(サイダー下さい。)」

おじさん:「Which one would you like? (どれにする?)」


どうやら、樽には3種類あるらしい。

ドライ、スイート、その中間、




翔五:「どれにしようか?」


エマは、当然だろう…という風に力強くSweet(甘い)を指差す。



翔五:「アイ ドライク ドライ、シー ライク スィート。(僕はドライ、彼女はスイートを下さい。)」


おじさん:「Big one? Small one?(大きいの? それとも小さいのにする?)」


おじさんは二種類のプラスチックカップを指差す。



翔五:「スモール。」



やがて、樽からじょろじょろとリンゴジュース色の液体が注がれて来る。


僕は料金を払って、エマにスィートのカップを手渡す。



さて…


一口 口に含み…


いや、何と言うか味がしない…、

いや、微かにはするが…


しかも ぬるい…



翔五:「これは、意外だな。」


正直、キツメのアルコールを飲んでいるという事以外に、あまり感想が思い浮かばない。



翔五:「うーん、エマのはどう?」


僕もスィートにすれば良かったかな…




果たして、エマは…


一度口に含んだサイダーを、ベーっとカップの中に吐き出していた。 何と言うか、初めて梅干しを食べた赤ん坊の様な顔をしている。



翔五:「そっちも駄目か。」


エマは、飲みかけ…というか吐きこぼしたサイダーをそのまま僕に押し付けると、

通路の反対側のフルーツジュースの方に 僕を引っ張って行った。



何とか、口直しのジュースの方はお気に召したらしい。

エマは、機嫌の直った顔でチューチューとストローを吸い上げている。




僕は、エマから貰った「スィート」を飲んでみる。



翔五:「うーん、かすかに甘いかな…。」


と言うか、ひそかに 何だかエマの唾液の味がするみたいで、


少し…ドキドキする 。




いやいや、…僕は断じて変態では無い!


と、慌てて自問自答に弁解・断言する。



これはあくまでも アルコール度数の高い飲み物を一気飲みした事による 一種の「生体反応」に過ぎないのだ。



翔五:「ま、大人の飲み物だな…これは。」







またしばらく行くと、

今度は生牡蠣なまかきの売り場に出くわした。



翔五:「へー、牡蠣なんか売ってるんだ。」


牡蠣は僕の好物の一つである。

ワザワザ(独りで)宮島迄 美味い牡蠣を食べに行った事もある。


そんな「牡蠣好き」な僕としては、

このまま此処を素通りしてしまう訳には行かなかった。



翔五:「キャンナイ ハヴァ ディス ワン(これ食べれますか)?」


店員:「How many?(幾つ食べる?)」

翔五:「スリー、プリーズ(三つ下さい)」


お金を払い、ぷっくりとした牡蠣が入った発泡スチロールの容器を受け取る。


勿論「最高級」と言う訳にもいかないが、

久しぶりに食べる牡蠣である。


思わず、つばきが期待してしまう。



まずは、そのままで一口。


かすかな「海の塩味」で、生臭さは十分に消えている。


ソコソコ新鮮らしい。




翔五:「うーん、…まあ、宮島と同じという訳にはいかないよな。」


翔五:「キャン ナイ ユース ディス レモン? (レモンもらってもいいですか?)」


店員:「Sure!(どうぞ)」


カウンターの上に用意されてあった沢山のスライスレモンを一つ貰って、牡蠣に振りかける。 まあ、ポン酢の代わりと言う訳である。



エマが、不思議そうな目でみている。



翔五:「食べてみる?」


僕がもう一つを殻ごと口に運び、シュルっと吸い込むのを見て、…ちょっと興味が湧いたらしい。



…でも、イギリス人も牡蠣を食べるんだな。


チョット意外に思いつつ、

エマが僕の真似をして牡蠣の身を口に吸い込むのを眺める…



と、

果たして、エマは…


再び「何だか妖しい物を食べさせられた赤ん坊」みたいな顔をして、口の中の牡蠣をそのままベーっと吐き出すと、


何を考えたのか、そのまま「それ」を僕の口の中に突っ込んだ。


何か、理不尽に文句を言われている様な気がしたが、

兎に角、牡蠣はエマのお気に召さなかったらしい。




エマは、何だかプンプン怒りながら一人で先に歩き始めた。



翔五:「そんなに怒る程 不味くは無いと思うけどな…」



エマは、どうやら化粧室に入って行く。

流石に、一緒には入れないので、僕はちょっと離れた場所で待つ事にした。







ふと見ると…

ガード下の 少し人気の無い場所で、一人の男の人が倒れている。

酔っぱらい? どうやら、吐いているらしい。



よく見ると…

その男の人の傍に、不思議なモノが立っていた。

全身肌色の 彫刻みたいな…女性?

髪も、顔も、手足の肌も、修道女の様な服も、全部、オレンジ色掛かった大理石マーブルの様な模様で覆われている。



それは、しばらく、静かに、たたずんでいたが、

やがて、マントの様に見えていた「大きな羽根」を…ゆっくりと広げていく。


その姿は、まるで 美術館で見た事が在る様な…天使?




気がつくと、僕は…

息をする事も出来なくなっていた。


何時の間にか、全身の自由を奪われて、

その優雅な「奇跡の姿をしたモノ」が、まるで欠伸あくびをする様にしなやかに翼をひろげるさまを、ただじっと…見つめていた。




近くに居た人達は、

何時の間にか銘銘めいめいに祈りを口ずさみ、 ひざまずき、涙を流していた。


更に大勢の人々が、

一目「その奇跡の姿」を見ようと、駆けつけ、傍に寄り、その足下に平伏ひれふそうとした。



たたえ、懺悔ざんげし、訴える、人々の声が、


その、柔らかそうなマーブルの翼に…触れた。

そして、声に触れた「翼」が その羽根の下に「影」を落とす。




やがて奇跡が訪れる。


翼の「影」に触れた人々の身体は…

次々に宙へと舞い上がり…

あっと言う間にマーケットの天井に迄 到達し…

鈍い音を立てて天蓋のガラスに激突し…

やがて十数メートルの高さを落下する…


地面に叩き付けられ…

骨が折れる音を響かせ…

肉のひしゃげる音をくぐもらせ…

ガード下の暗く湿ったアスファルトを美しい赤いシミで染めて行く…



そして、大理石の彫刻の様な姿をしたモノは僕に気がついた 。

そして、大理石の天使の様な姿をしたモノが僕に近づいて来る。



その「翼の影」に触れた全てのモノは…

奇跡の力によって 全ての慣性力を喪失そうしつし…

時速1375Kmの自転速度と秒速28kmの公転速度で旅を続ける「大地」から開放されて…


虚空へと放り出される…



それは全てのモノを分け隔て無く、全てのモノに容赦が無かった…

コンテナも、車も、子供も、大人も、犬も…


およそ、大地にしがみ付いていない全てのモノが…

大いなる「翼の影」のもとから舞い上がる力を得る…



そして、大理石の彫刻の様な姿をしたモノは僕の前で立ち止まり。

そして、大理石の天使の様な姿をしたモノが哀れみと畏れの眼差しで僕の事を見下ろす。



やがて、その大理石の冷たい指先が僕の頭蓋に触れると、


僕は、再び「夢」を見る。



…そうだ、僕は「コレ」を知っている。

…「コレ」が僕に何をするのかを知っている。



身じろぎ一つ出来ないでいる僕に、

再び あの「恐ろしい夢」を見させようとしている。


それはかすかな閃きの様な、

かつて遠い未来に遭った記憶、




何処かに在る薄昏うすくらい部屋、

かつては真っ白だったが今はくすんでしまった壁一面のタイル、

床は様々な血で汚れ、

今も尚リンゴジュース色の薬品がしたたるのを吸い込み続ける、




僕の目の前で、少女が泣いていた、

とても美しい少女が泣いていた、


傷一つ無い端正たんせいな小顔は透き通る様に白く、長い睫毛まつげに大きくて深い瞳、ウェーブしたつややかな髪は腰まで届く豊かな長髪、 そして潤った唇。 まるで造り物の様に一点の欠陥も無い美少女、




その少女は 何故だか、既にコレから起こる事を…正確に理解していた、


人間としての尊厳を奪われて、堪え難い屈辱と際限のない痛みを与えられるであろう事を…正確に記憶していた、


今にも狂ってしまいそうな厭忌えんきの渦で全身を震わせながら、


それでも尚、辛うじてつなぎ止めた正気の中で、

僕を励まそうとしていた、




少女:「ショウゴ…」



僕は、

既に何も出来なくなってしまった僕には、


確かにこの世界の何よりも大切なその少女が

これから僕の目の前で辱められ、

壊されて行くさまから目を背ける事すらゆるされず、


ただ全てが終わってしまうときが訪れる事を望む以外、

何一つ出来る事はない、




…お願いだ、見させないでくれ。

…お願いだ、聞かせないでくれ。

…お願いだ、早く、終わらせてくれ。




アリア:「ショウゴ!」


僕は、その少女の名前を呼び返そうと命の限りに力を振り絞る、

しかしただ逆流した下水の様な感情と一緒に、

低い空気の漏れる音が微かに響くだけだ、




…お願いだ、もうこれ以上見させないでくれ。

…お願いだ、もうこれ以上聞かせないでくれ。

…お願いだ、もう十分だから、早く…終わらせてくれ。





声:「駄目!」


確かに、

間違いなく、

誰かが叫んでいた、



声:「息を、しなさい!」


確かに、

間違いなく、

僕は後ろへと引きり倒されて、

「恐ろしい夢」の呪縛から逃れて現実の感覚へと引き戻される、




そこに在るのは、

薄昏うすくらい部屋ではなく、かつては真っ白だったが今はくすんでしまった壁一面のタイルではなく、様々な血で汚れ今も尚リンゴジュース色の薬品がしたたるのを吸い込み続ける床でもなく、


鉄道ガード下の薄暗いアーケードと、

緑色の鉄骨と、

トマトの如く一瞬で潰れてしまった大勢の人々の亡骸、




少しずつ回復する視界の中に、

血の通った「現実の今」が姿を取り戻す、


僕の前に…白い少女の姿が浮かび上がる、



…アリア?


…違う、


…君は誰?




僕は、全身を痙攣させて…息を吹き返す。

一気に全身を巡り始めた血液が…今この瞬間の記憶を取り戻す。



金髪の美少女が、

地面に寝転がったままの僕をかばって「恐ろしいモノ」に立ちはだかっていた。



まっすぐに差し出された「少女」の細くて綺麗な指の先には、

確かに、其処に実体のない巨大な影炎かげろうが居て、


悪意も善意も、神聖さも邪悪さも感じない

しかし、確実に何か異質なモノが、



少女の意思にって「大理石の天使の様な姿をしたモノ」を退けていた。




翔五:「エマ…、」


僕は、その少女の名を呼んだ。


やがて、巨大な影炎の中から「それ」が姿を現す…。

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