第6話 そうだ温泉に行こう!
「そうだ、温泉に行こう」
全裸マッパマンこと十夜は、脱ぎ捨てた服を着なおして出かける準備をした。
せっかくの温泉町なのだ。京都に行くより温泉に行こう。
温泉でぐでーんと堕落するのが待ち遠しい。
昔は風呂に入るぐらいで気分が高まったりしなかったが、数ヶ月も風呂に入れぬ環境にいたのだ。
人は、容易に変わる生き物である。
ちなみに。
なぜ全裸マッパマンになっていたかの説明は、とてもじゃないが出来そうにない。
「お、ちょうどいい所に。声を掛けようとおもうとったのじゃ」
「お前らも行くのか。昨日は宿の湯で済ませてたからな、今日は行くぜ」
十夜が部屋を出ると、ちょうど隣の部屋からニアとクルカが出てくるところだった。手にした荷物を見る限り、二人も温泉に行くつもりのようだ。
「もったいない。せっかく温泉町なのに温泉に入らないなんて、イチゴの乗っていないショートケーキを食べるようなものよ」
「お前はイチゴの乗っていないケーキの存在を許容する優しさを持つべきだと思う」
お前はイチゴ星から来たイチゴ星人かと突っ込みたくなるほど、クルカはイチゴ好きだ。
もはや狂っていると言っても過言ではない。
過言か。
「ならば一緒に行くか。途中までは一緒じゃしな」
「おうよ」
気楽に返答をした十夜は、一瞬だけクルカに目配せをした後ニアの横に並んだ。
クルカと十夜の二人にて波乱万丈、大胆不敵でダイターンな幼女を挟み込むような体勢。ニアに対する監視フォーメーションである。この幼女から目を離すのは危険だ。
「なんか、こうしているとあれじゃの。仲の良い親子連れみたいじゃの。ひゅーひゅー、熱いねお二人さんっ」
「それはない。お前からは子供らしい気配をこれっぽっちも感じない。というか、おっさん臭い」
「私、こんなおっきい子供を生むような歳じゃないわ」
「あれ? こういう時は、互いに赤面し意識しあうのがセオリーなのでは?」
二人に導火線のついた爆弾を手渡そうとしてくるニアだが、そんなものはノーセンキューだ。
最初は戸惑っていたクルカも、あっという間にスルースキルを身に着けた。
のれんに腕押し、豆腐にかすがい、沼に杭。いや、馬の耳に念仏の方がふさわしいか。馬鹿の耳に説法が最適かもしれない。
あーだこーだ言いながら、急な坂道を登っていく。
温泉は山を少し登った所にあるため、どうしても坂道を登らざるを得ない。
山の方を見ると、高度を落としてきた太陽の端が山の陰に隠れ始めているのが見えた。明日にはきっと、その身のすべてを沈めるのだろう。
夕日に照らされた建物が、その影を大きく伸ばす。
この世界で太陽が星を一回りする周期は、約三十日。
十夜がこの世界に来て十日あまり。
長い昼は終わりを告げ、ようやく夜が訪れようとしていた。
やがて見えてきたのは、温泉のある高台。
高いだけでなく、絶えず大量の湯気が発生している。
目立ちに目立つその温泉はこの町のシンボルと言ってもいいだろう。
ちなみに、高台の上にあるのは女湯だ。男湯はその途中にある。
なんだか不公平感を覚えるが、露天風呂で覗き対策をする以上はやむをえない配置か。
「そういや、女湯の方ってどうなってるんだ? 眺めがすげぇいいらしいけど」
「確かに眺めは最高ね。この町をすべて見渡せるし、山間から見える朝日や地平に沈む夕日は名物と言ってもいいわ。あとは、夜空の星を見上げながら壷湯に入るのなんて最高よ」
「ちなみに儂はよい子なので、ここから星空を見上げた事はない。何度かこの町に来た事はあるんじゃがの。夜に一人で出歩いていると、鬼のように怖い管理人が『悪い子はいねぇかぁぁぁ!』とか言いながら強制的に家に帰そうとしてくるのじゃ」
「いい管理人じゃねぇか。ちなみに男湯の管理人は、なぜかみんなフンドシ一丁で巡回している」
「そんな情報は要らぬ」
男湯が見えてきた。
入り口の前は広場となっており、十数名の男女が談笑している。
広場の中央には、ウサギのモニュメント。なぜウサギなのだろう。謎だ。
「他に大きな違いといえば、お湯よね。女湯の方は、源泉が直接お風呂の中に注がれてる。男湯の方は、女湯から流れてきた湯を沸かしながら循環させてると聞いた」
「差別だ。真なる男女平等を実現させるために、ここは混浴制度を導入すべきではあるまいか」
「若い女性がいなくなるだけで、誰も得をせんと思うのじゃが」
「やはりそうなるか。男女平等への道のりは険しいな」
「平等と区別を故意に混ぜるでない。男女七歳にして席を同じゅうせずということわざを知らんのか」
「知らんなぁ」
そういえば。
男湯に流れ込んでくる湯を浴びて「あああああ、女神達のダシが効いた聖水じゃぁぁぁ!」とか「あの娘と俺は、同じ湯を浴びているんだぁぁぁぁ!」なんて叫んでるふざけた連中が居たが、ようやくその理由を理解した。
泣けてくる話だ。
「気持ちは痛いほどわかるぜ、同士諸君……んじゃ、俺はここで」
「おう、ゆっくり疲れを取って来い」
「帰りは待たなくていいわよ。たぶん私達の方が長いから」
「いや、今日は長湯したい気分だ。一緒に帰ろうぜ」
普段はさっさと帰るのだが、今日の十夜は一味違った。
その原因。十夜の心を乱したものの正体は、十夜の視線を辿れば一目瞭然。
十夜の視線の先には、風呂上りの
ほんのり上気した肌に、隙間が多く手を差し入れたくなる浴衣。
とてもけしからん。と、とてもけしからん事この上ない。
帯を引っ張って「よいではないか、よーいではないか」「あーれー、ご無体な」ごっこをしたい。
つまり十夜は、湯上り浴衣のクルカさんを見たいと思ったのだった。
この男を突き動かすものなど、熱きリビドー以外に存在しない。それ以外の情熱など、枯れ果て朽ちてしまった。
十夜の発言を聞いたニアが「ニタァ」と笑みを浮かべる。
心底意地の悪い笑みだ。殴りたい、この笑顔。
ニアは十夜の周りをぴょんぴょん飛び回りながら、無駄に尊大な態度でこう言った。
「まぁそう怒るな。迷える煩悩多き青少年、長月十夜よ聞くがよい。儂がありがたい言葉を授けてやろう」
「絶対にありがたくないと確信できるでござる」
「まぁ聞け。心頭滅却すれば火もまた涼し、という言葉がある」
「あるな」
「だがこの言葉を残したお坊さんは、そのまま焼死した」
「えっ」
そりゃびっくりだ。びっくりだが。
「でも、結局お前は何が言いたいんだ」
「つまり」
指をぴっと立て、ニアはずいっと十夜に迫ってきた。
迫りすぎて、思いっきり指で十夜の鼻を突き刺してくる。どついたろか。
「我慢のしすぎは良くないという事じゃ。もっと自分に正直になるがよかろう。でなければ、いずれ潰れてしまうやもしれん」
なるほど、いい事を言う。
いい事を言っているつもりなのかもしれん。
だが。
「でも結局の所、お前面白がってるだけだよね」
「その通りじゃ」
十夜は、ニアにデコピンを喰らわせようとした。
が、ニアはクルカの周囲を器用にぐるぐると回り、十夜の手から逃れる。
クルカを挟んで、二人の激しい攻防は徐々にヒートアップ。クルカの周囲は戦場と化した。
「ち、ちょーっと待って! なんで私を挟むの……あっ、今変なところ触った!」
「俺じゃないぞ! 触ったのは更年期障害を煩い、若い娘に嫉妬心を抱くニアだ!」
「儂じゃないぞ! 触ったのは変態の極限たるワールド・ワイド・アブノーマル、十夜じゃ!」
「どっちでもいいから、やめい!」
どっちでもいいのか。本当か、本当なのかー?
ならおっぱい触っておけばよかったと、十夜は心底後悔した。変な所を触ったのはニアだ。
十夜とニア、あとなぜかクルカも揃ってぜーはー言いながら息を整える。
風呂に来てこんな全力で疲れるというのは、一体全体どういう事なのか。
◇◇◇
おおう、ワイルド。
ニアは若干イラッとする。
だがクルカの笑顔を見て、少し位なら許すかと思いなおした。
「ふふ。なんだか、こういうの久しぶりね」
クルカは暴れるニアを押さえつけ、その背中をごしごし洗っていた。
こぼれ出た笑顔は聖母のごとき慈愛に溢れているが、その手が行っている所業は正反対。まるで猛獣をタワシで洗うがごとき豪快さ。クルカは、人(の皮膚)の強さというものを過大評価しているのかもしれない。
「昔を思い出すわ。よく妹の背中を、こうして流してたっけ」
「その妹御の背中、防御力高そうじゃの」
わりと真剣に。
しかし、珍しくクルカが自分の事について口を割った。
これ幸いとばかりに、ニアはクルカの事について尋ねる。
何を考えているのかわかるような、わからないような。そんなクルカだったが、行動の根幹となる部分は存外単純だった。単純で、ありふれていて。けれども突き通すのは難しい事だった。
「なるほどのぉ、妹御の病気を治すために金が必要か」
それであんなに金を稼いでいた、と。
妹のために奔走した結果、妹と離れて出稼ぎ生活をする羽目になるとは。なんとも皮肉なものだ。
「しかし、お主なら一人でも稼げるのではないか?」
「だって、仲間欲しいんだもの! 一人は寂しいんだもの! それに、一人だとリスク負えないから効率悪いし」
「お主ほどの腕前なら、欲しがる奴らは山ほどおるじゃろうに」
「いや、さすがに私の力に頼りっきりになるようなお荷物だったら正直要らない。それに、なんか下心が透けて見えるし……変な派閥争いとかあるし、なんか色々来るのよ。自分のことを最強だとか勘違いしてる脳味噌クルクルパー野郎とか。身の程をわきまえろっての」
「同類に近……いや、実力が伴っておらんなら話は別じゃが」
「そういう奴に限って弱いのよ。あと、なんか求婚してくる奴とか……普通の人が相手だったら、告白されたら少しは嬉しいんだけど。なぜか皆、上から目線だし。僕様が結婚してやろうというんだ感謝したまえみたいな感じなのよ。頭沸いてんじゃないかしら」
「ははぁ。ま、確かに冒険者というのは自信家が多い印象はあるの」
自信家でなければ勤まらない職業だ。自信の無い奴が長く続けられる職ではない。
人が、自分より強い者に戦いを挑むのは難しい。それは本能的なものだ。単純な力でいえば、人間より魔物の方が強い。
どんなに入念に準備をして、有利な状況を作り出したとしても。最後に自信を持てぬ者、不測の事態に恐怖を覚える者はギリギリの一線を越えられない。超えられない者は死ぬだろう。運良く生き残れたとしても、再び立ち上がる事はできない。死に挑む事はできない。
クルカの力は異常だ。確かに、クルカと共に歩いて行ける者はそうはいないだろう。十夜やニアと比べてしまっては逆にクルカが見劣りするが、普段は力を抑えている事を考えるとちょうど良いレベルなのかもしれない。
「一番イラつくのは、クソ領主なのよ。金と権力ぐらいしか取り柄のない親の七光りの肥満中年のくせに、人の弱みにつけ込んでグイグイ迫ってくるのよ。殺して良いかしら」
「バレないようにすれば、まぁいいんでないかの」
そろそろ社会制度の改革が必要か。
ニアは今後の社会体制について思考を巡らせた。一部の馬鹿を除けば、幼少の頃から専門の教育を施された者達が専門の仕事を担うのが最も効率的だ。しかしある程度の教育水準は確保できたし、そろそろ一般の人間が行政に参加できる仕組みも用意すべきだろう。停滞した環境は、澱んで腐敗する。流動性や外部の目というものも必要なのだ。
「クソ領主の事は置いておいて。前から聞きたかったんだけど、二人はどうして旅をしているの?」
「ん? うーん、儂らか?」
今度は、クルカの方から質問を投げかけてきた。
確かに他者の目から見れば謎だろう。幼女と青年の二人旅は。
「儂は、世界の様子を見て回りたいからじゃが。旅をしておると色々見えて面白い」
「確かにそういう面はあるかも。でも、その。ニアって、家族とかはいないの?」
「おらんなぁ」
若干どもりつつ問いかけてきたクルカの問い。
今のニアに、家族は居ない。共に過ごした者達はいない。
ほとんどの者は死んでしまった。寿命が違う以上、当然の事だ。
「お主らが儂の家族になってくれるとありがたいんじゃが」
「いいわよ。ふふ、お姉ちゃんに任せなさい! 妹が増えたわね!」
目をキラキラ輝かせ、胸をドンと叩くクルカ。
衝撃で揺れる。どことは言わないが、揺れる。
ううむ、意外とでかい。
体を流し終わった二人は露天風呂に浸かる。
黒く変色した岩。少し刺激臭がするのは、塩化物を多く含むからだろう。
浴場は暖かい湯気に覆われているが、強い風が吹いたその一瞬は冷たい空気が首筋を冷やす。
上を見上げれば、視界を埋めるのは空のみ。何の遮蔽物もない。
天空は二色のグラディエーションで染められている。青空と、夕焼けの赤。
ニアとしては賑やかでごちゃごちゃしている方が好きだが、たまにはこういうのも良いものだ。
「それで、十夜の方は何で旅をしてるの?」
「十夜は……本人の口から聞いた方がいいかの?」
正直な所、理由など無いだろうとニアは思った。
ニアが何かしろと言えば、文句を言いつつもなんだかんだで従うのが十夜だ。
十夜自身気づいていないかもしれないが、ある意味十夜は他人に依存している。
完全に一人で自立し。
それゆえに、他者の影響がなければ動かない。
他者にゼンマイを巻かれなければ、動けない。
十夜が自ら強い興味を示すなど、エロ方面ぐらいのものだろう。
他の行動をしないため、それが酷く目立つ。
剣や魔法にも、わずかながら興味はあるようだったが。
「ふむ。旅の理由を尋ねる……仲間との親交を深めるためには必要なイベントかしら。なんか結構ぞんざいに扱われてるような気もするけど、大丈夫よね? 邪魔とか思われてないわよね?」
「邪魔とは思われてないじゃろう。だが、親交度的にはどうじゃろうな……アホな子犬がじゃれついてるぐらいにか感じてない可能性もある。あやつは、ある意味ぶっ壊れておるし」
「あー、確かに他の人とは少し違う所あるかも……あれ。アホな子犬って私のこと?」
「他に誰がおる」
「ひどっ!?」
そうやって、温泉にゆっくり浸かり。
二人でぶっちゃけトークを行い。
帰り道は、三人で並んで帰る。
例によって、湯上り美人さんとなったクルカに対し十夜が変なちょっかいをかける。
結果、十夜はグリグリ攻撃の餌食となった。
まるで好きな子に意地悪をする子供のようで。
見ていてほのぼのするような、イラッとするような。
懐かしいような、寂しいような。
ニアは思った。
平和だなぁー。
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