第三章 先生助けて! コメディが息をしてないの!

第1話 夢見る少年、夢見た少女

 

 

 夢を見た。

 荒野を一人、さまよう夢。

 

 荒れ果てた大地。赤い空に、赤い大地。

 まるで、世界が血の色で塗りつぶされてしまったかのような。

 いや、事実そうなのだろう。

 この地は、血に染まっている。

 大地を侵食した血が、地獄の底まで続いている。

 

 この世界は、無数のむくろいしずえとし成り立っている。

 今にも崩れ落ちそうな人の骸の上を、綱渡りのように歩くしかない。

 

 

 よく見る夢だ。夢か現か、それとも過去の回想か。

 だが今日の光景には、どこか違和感がある。

 それは、視点の高さであったり。

 歩くペースであったり。

 見慣れた風景より、更に荒廃した世界であったり。

 

 

 ああ、そうかと。十夜は納得した。

 これは、自分の夢ではない。

 

 視点をぐるりと回す。目に映るのは、風にはためく白銀の髪。荒野を進む女性。

 普段より成長した姿だが、見間違えようはずも無い。ニアだ。

 

 

「一人は、慣れた」

 

 ニアがぽつりと呟く。

 

 だがそれは、気を紛らわせるすべを得ただけだ。

 乾きに順応しただけだ。

 潤いを得たわけではない。

 いずれ限界を超え、地盤ごと崩落する。

 それは、十夜にも理解できた。痛いほどに。

 

 

 

 百年が過ぎた。

 

 世界は変わることなく存在する。

 荒廃した世界。

 探せば、植物の芽ぐらいは見つけられるだろう。

 だが、それらが成長する事はない。

 ろくに日光の届かぬ地表は、木々の生育に適さず。

 乾ききった大地は、菌類の繁殖にも適さない。

 

 

 

 二百年が過ぎた。

 

 人の生き残りは存在する。

 人類は、世界が滅んでなお死滅していない。

 それどころか、いまだ争いを続けている。

 地中深くで、日の目も見ぬ場所で。ただひたすらに。

 まったく、呆れるほか無い。

 

 

 

 三百年を過ぎる頃には、ニアはこの世界に見切りをつけていた。

 

「……やはり、この大地はもう駄目か。自然に任せていては、生物が住める環境に戻るのに数千年必要だ」

 

 その心境は、諦観か。それとも、新たな可能性を見いだしたのだろうか。

 十夜の視点からでは、わからない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 やるしかない。

 ニアは、決意を固めた。

 

 

 しばらく時がたち。

 ニアは、大きなドームを造っていた。

 山すら越えるほどの威容を誇る建築物だ。

 昔からコツコツ作ってはいたが、最近はずっと掛かり切りとなっている。

 

「こら、やめろ! 暴れるでない! ……ああもう。起こすのはまだ早かったか。とはいえ、初期のコールドスリープは長期保存や再冬眠には適さぬし……ままならぬ」

 

 ドームの中。

 そこらじゅうを飛び跳ねて回る動物達に囲まれたニアは、コンソールを起動した。

 音声案内と共に空中に投影されたのは、この箱舟の動力経路。

 星と繋がり、循環し。脳波を同調させ指向性を与えてやれば、あらゆる奇跡をも実現できる。

 

 あらゆる、とまで称するのは過剰かもしれない。

 しかし、この世界の現状を打破するには十分な力だ。

 

「いい子だ、うまく動いてくれている……あの説は、意外といい線を突いていたのかもしれんな。重力の元となる歪み。それが発生するのは、体積が変化する速度にずれが生じるからだ。ずれの量は、質量と座標に依存する」

 

 コンソールは、ニアの意思に合わせて目まぐるしく表示する情報を変化させていく。もはや、人間の目で追いきれる速度ではない。

 

「しかし、力の方向が想定と逆か。もしかすると宇宙は膨張しているのではなく、中心に近いほど早い速度で収縮しているのか……? 仮に観測者自身が小さくなっているとすれば、確かに観測者視点では宇宙が膨張しているように見える……さすがに飛躍しすぎだとは思うが。圧縮されたエネルギーはどこに消えたのだという話に……いやでも、現にこうしてエネルギー自体は取り出せているわけだし……エネルギーも物質として存在していると考えれば? しかしそうなると、質量をエネルギーに変換する公式にずれが生じない理由が不明……質量の無い物質? 無いわけではないが、観測が難しい。証明するためには……いやいや、そもそもそんな事を証明したいわけではない」

 

 空中に浮かび上がる映像が増えていく。

 ニアの肩にのった猫が揺れ動く映像をキラキラした目で見つめ、高速猫パンチを繰り出した。

 

「あるいは単純に、余ったエネルギーが質量に変換されている可能性も……もしくは、誰かがエネルギーを取り出している? その場合、この宇宙は人工的に作られたエネルギー炉という可能性が……ああもう、思考が脱線する! めんどくさい!」

 

 頭をかきむしったニア。その頬を犬がペロリと舐めた。

 そして、激しく尻尾をふりつつ「ワン!」と一声鳴く。

 

「よーしよし。もうすぐ、お前たちの住む場所を用意してやれるぞ。こんな狭い場所ではなく、自由に駆け回れる大地をな」

「おねぇちゃん、もっと大きいドームを作るの?」

 

 声を掛けてきたのは、小さい女の子だ。

 年の頃は六歳といった所か。歳の割りに舌足らずなのは、喋る機会が少ないからかもしれない。

 その考えがよぎったニアの胸に、チクリとわずかな痛みが走る。

 ニアは憂鬱になりそうな気分を振り払い、元気いっぱいに答えた。

 

「いいや、違うぞ。今度はドームではない! 外の世界を魔改造してやろうというのだ!」

「ええー、そんな事できるの?」

「もちろん。私に不可能はない! 楽しみにしておけっ」

「うんわかった。楽しみにしてる」

 

 少女がニアの手を握る。

 その手は、とても。暖かかった。

 

 

 

 

 

 わずかに広がる花畑。

 まだ小さな世界。だが、希望に満ち溢れた世界。

 問題が無いわけではない。強い風が吹いただけで消えてしまう程度の世界。文字通り、吹けば消えてしまう。

 

 だが、生命活動可能な環境の構築には成功した。

 あとは時間とエネルギーさえあればどうにでもなる。

 エネルギーは、動力炉を拡張すればいくらでも手に入る。問題はない。

 時間も、ニアにとっては無限にあるようなものだ。何も問題は、無い。

 

「わぁー、すごい。すごい!」

 

 少女が希望の中で舞い踊った。

 すらりと伸びた手足。

 たった十年でこうも変わるとは驚きだ。

 ずいぶんと、綺麗になった。

 

 そして、その周りを動物達が付いて回る。

 まるでハーメルンの笛吹きのよう。

 みんなに喜んでもらえたようで、ニアは安堵の息を漏らした。

 苦労が報われた想いだ。

 

「おねぇちゃん、ほら! お花で作った冠だよ!」

「おお、うまいな。綺麗だ」

 

 惜しむらくは、この少女に緑溢れる世界を見せてやれない事か。

 生き物にとって、時間は残酷だ。

 どんな毒よりも深く、心と体を磨耗させる。

 成長するということは、死に近づくという事でもあるのだ。

 

 少女は作ったばかりの冠をニアの頭にのせ、笑顔をこぼした。

 それを見たニアも自然と笑顔になる。

 

「よし、私も作るぞ! ……ほら、どうだ!?」

「ん? うーん……おねえちゃんって、意外と不器用なんだね」

「ほあっ!?」

「だいじょうぶ、まかせて! 私が教えてあげるから!」

 

 そう言ってニアの横に並び、花の茎を丁寧に結び始める少女。

 ニアは見よう見まねで苦心しながら花同士を繋ぎ合わせ、どうにか満足できる出来の花飾りを作る事ができた。

 出来上がった花飾りを少女の服に取り付ける。

 

 なるほど、これはいいかもしれない。

 物を作るというのも、楽しいかもしれない。

 受け取ってくれた相手が、こんな眩しい笑顔を向けてくれるというのなら。

 

 

 ニアと少女は動物達に囲まれながら、柔らかく瑞々しい大地と草花の感蝕を楽しんだ。

 日が暮れ、暗い影が差すまで。

 

「小さな島ひとつぐらいなら、十年もあればどうにかなるか……?」

 

 すこし、急ぎすぎかもしれないが。

 

 

 

 

 

 平和だった世界は、破壊と殺戮の嵐に晒された。

 

「馬鹿な、なぜ……なぜ攻撃する必要がある」

 

 ニアの瞳に映るのは、鈍い光を放つ重厚な金属の塊。

 虫のようなフォルムをしたそれは、ドームの外にある花畑を踏み散らかし。ドームの中を飛び回りながら蹂躙する。

 放たれる銃弾は強力無比。

 かすりでもすれば、生身の肉体など血煙となって消し飛ぶだろう。

 その銃口から光が放たれるたび、ドームの中に住む動物達が命を落とした。

 

 ニアは地面に落ちた花飾りを手に取る。

 それは、血にまみれていた。

 どうしようもない位に、絶望的に。血で彩られている。

 手にしたニアの手も同様に、血に染まった。

 

 

 手を、横たわった少女の顔に添える。

 虚ろに見開いた目を閉じさせるためだ。

 冷たくなった体。もう、動く事はない。

 その表情を変えてくれる事は無い。

 

 ニアは震える手を抑え、ふらふらと立ち上がり周囲を見回した。

 破壊の限りを尽くすは、殺戮のために生み出された機械。

 蟻のように、蜂のように。

 ただ命令に従い、人を殺すためだけに作られた殺戮兵器。

 

 MFT-3、自律型拠点制圧用多脚戦車。

 生体コンピュータを搭載し、完全に独立して稼動可能なそれらは、ドームに開けられた穴から次々と。蟻の大群のように湧き出してくる。

 感情を捨てた機械の兵隊。だが、その向こうに居る人間の感情は透けて見えた。どうしようもなくドロドロと腐敗し、周囲を腐食しながら食い尽くす。ガン細胞の方がまだマシだ。データリンク機能を捨てた自律タイプを送り込んできたのは、ニアの接続リンク能力により支配されるのを恐れての事だろう。

 

「ふふ……私は何をやっていたのだろうな。何を勘違いしていたのだろうな。いつかは、わかってくれると……手を取り合って生きていけるなどと。なにを馬鹿な。お笑いだ」

 

 ニアは両の手で自分の体を抱きしめ、体の震えを押さえ込む。

 爆風に煽られた髪が踊った。

 炎に照らされた影がドームの外壁を黒く塗り潰す。

 

 

 ニアは、知らなかった。

 人の感情を。人の欲望を。人の嫉妬を。

 人の記憶という形で知識は与えられていたが、理解はできていなかった。

 ニアが実際に知る人間とは、無感情に。ただ合理的に。実験を繰り返し、結果を確認する。そういった連中。感情をあらわにしてくれる者達も数名いたが、ニアに向けるのは好意的なものしかなかった。

 

「そんなはず、無いではないか……そんな連中ばかりなわけが、無いではないか」

 

 ニアは手にした花飾りを握りつぶす。

 眩しい笑顔を浮かべる少女の顔が頭をよぎった。

 彼女は死の間際、どんな事を思ったのだろうか。

 恐怖か、絶望か。もしかすると、怒りかもしれない。

 

 人の感情は、他者の心に伝播する。同調する。反発する。

 どうしようもなく、かき乱す。

 死してなお。

 

「あ、あああ」

 

 ニアは、知らず知らずのうちに声を漏らしていた。

 こんな事は初めてだ。どうにもならない。我慢ならない。

 いや、我慢する必要など無いのだ。

 

「あああああああああああああああッッ!!」

 

 動力炉へ接続。膨大なエネルギーが体へと注ぎ込まれる。

 擬体が悲鳴を上げる。パワーに耐え切れない。調整不足だ。まともに力を振るえば、一瞬で体が粉々になってしまうだろう。だが、肉体から直接パワーを振るう必要はない。この状態ならば、重力を操る事など造作も無い。

 

 ニアは手のひらを掲げた。

 すると、死体に群がる多脚戦車が空中に浮かび上がる。そして、一箇所へと集められていく。

 途中、銃撃がニアの体を襲った。だが無駄だ。その全てがニアの体に届く事なく逸れていく。空間すら歪めるニアの防御フィールドを銃撃ごときで貫けるはずもない。それは、30mm機関砲の斉射や120mm滑腔砲……主力戦車をも撃破可能な攻撃であろうと同様だ。

 

「潰れろ。潰れてしまえ。全て、何もかも」

 

 手のひらを握る。

 

 ぐしゃり、と。

 怪物達は、まるでゴミのように。潰れて地面に転げ落ちた。

 

 

 

 

 

 地面に花を添える。

 墓というには少々寂しいが、さりとてこれ以上できる事もない。

 無機物の物資なら吐いて捨てるほど取得したが、それを使う気にはとてもなれなかった。

 

「安らかに眠れ。次はもっとうまくやる。おぬし達の無念を、無駄にはしない」

 

 後悔。ニアの胸を満たすのは後悔だ。

 しかし、謝罪はできない。許しを請うことはできない。

 涙を流して泣き叫び、うずくまる。それが出来たら、どんなに楽な事だろう?

 

「命を弄び、蹂躙する……は、はは。私とあの研究所の連中のどこに違いがあるというのか」

 

 ニアは自嘲気味にわらいながら、夜空を見上げた。

 半壊したドームからは、所々空が覗いている。隙間から見えるのは、淡くぼんやりとした輝きを放つ月。

 

 吹き込む風が死の匂いを運んでくる。

 生物には毒だ。このドームも終わりか。

 

 

 

「邪魔をする者は、敵だ」

 

 ニアは決意した。戦う事を。

 遅かったのかもしれない。

 もっと早く決意していれば、平和を維持する事もできたのかもしれない。

 だが、今からでも。

 

 人に望まれ、願いを託され、救いを求められ。

 人間達の意識を繋げて造り出された人造人間イオニアが。

 人類にとって最悪の敵になろうとは、なんという皮肉だろう?

 

 ――いや、それも当然の話か。

 人類にとっての天敵は、いつだって人の手により生み出されてきた。

 槍も。弓も。銃も。毒物も。大量破壊兵器や、ウイルスですら。

 この世界の荒廃も、元はといえば人類の手によるものだ。

 次は、その役目がこの身に降りかかった。ただそれだけの話。

 

 

「敵は、排除する」

 

 たとえ、誰に恨まれようと。

 紅蓮の業火に身を焼かれようとも。

 そうしなければ、望みは叶わない。

 

 願いが叶えられる者など、ごく少数だ。

 みな他者の願いを塗りつぶし、食い破りながら自らの願いを叶えようとする。

 それが自然なのだ。

 

 ならば。

 自身が他者を食い荒らす事に、何の問題がある?

 

 

「そのためには、力が必要だ」

 

 目処はある。

 動力炉を拡張しニアがコントロールしたならば、質量兵器等にそうそう負けはすまい。

 正面からやりあえば勝利は揺るがない。

 

 しかしそれは、失うものの無くなった現状だから言える事だ。

 守るものが増えれば、勝利条件も敗北条件も変わる。

 そして、いずれは負けるのだろう。ニアは確信していた。

 

 

「防衛するためには、地理的条件も必要だ」

 

 あるいは、やられる前に敵を全て滅ぼすか。

 いや無理か。こんな世界になっても生き延びている連中なのだ、人類とは。

 地の底に潜り、宇宙の彼方に漂い。まるで病原菌のようだとニアは吐き捨てた。

 広がり、蔓延したそれらを消し去るのは不可能だろう。病魔に冒された宇宙を治療する事などできやしない。

 むろん攻撃は必要だ。だが同時に、防衛に優れた拠点が不可欠。

 

 防衛に向いているのは、四方を海で覆われた島国か? しかし衛星から攻撃されてはひとたまりもない。

 衛星を全て打ち落とす? 難しい。いくら地球近傍にあるとはいえ、広い宇宙に巧妙に隠された軍事衛星を全て見つけ出すなど、ニアを持ってしても難しい。

 無数のデブリと攻撃衛星に覆われたこの星で、安全な場所などあろうはずも無かった。

 

 

「……ならば、答えは一つか」

 

 ニアは空を見上げた。

 冷たく乾いた風が吹き抜ける。

 何も無い世界。闇に覆われた夜の世界。そんな中、月だけが。

 いつまでも変わる事なく、世界を照らし続けていた。

 

 

 

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