第9話 無慈悲なまでの咆哮
岸が超人を超えた存在へと駆け上がる、その荒行を木の陰から見守っていたのは妊娠中の益美であった。
最強の奥義を会得する為にとった岸の行為は、同じ格闘家として称賛に値するものがある。
しかし、称賛しているだけでは終われない。
益美は同じ格闘家として、岸の荒行を指を咥えて眺めているだけなのが、耐えられなかったのだ。
益美は最強の格闘家となる我が子を無事に出産すると言う、母親としての大事な使命を背負っている。
背負っているものの大切さは理解しているが、岸が鍛え上げているあの立派で雄々しい、見事なまでの触手を見ると、自分自身が子を産むだけの存在であるのが許せなかった。
益美も岸と同様に真の格闘家である。岸の触手に対抗し得る奥義を生み出さんと、密かに特訓を試みるのであった。
…しかし、特訓をするにも岸の奥義を超えんとする程の奥義を、妊娠中の益美が会得することが可能なのだろうか?
妊娠中の益美にとって、一番重要視しなければならないのは、何よりもお腹の中の赤ちゃんである。
赤ちゃんの事よりも触手拳の奥義を優先するなど、母親として断じて許される事では無い。
もし女の子が産まれたらショクシュ子と、男の子が産まれたらショクシュ太郎と、既に命名の準備も整っている。
あとは無事に産まれて来てくれることを願うばかりである。
そんな出産を控える益美が触手拳の荒行など、益美が願ったところで岸が許すわけが無い。
妊婦で有りながらの奥義の開発。それは予想通りに難航を極めた。
身体の栄養は胎児に送られ、益美の体力は激減。その上、筋肉を鍛えようにも動くこともままならない。
胎児への影響も少なく、運動不足にならない為の対策として、近くに流れる川での水中歩行を敢行するが、この程度の運動では究極の奥義に対抗し得る奥義の開発には、到底及ばないのが現状だ。
岸の奥義への対抗策が思いつかない益美は、仕方なしにと荒行を始めるのを諦めた。
諦めた益美が、ふと思う。自分は何か、大切な物を見失っているのではないのかと。
そして益美は改めて向き合うことにした。そう、何よりも大切な触手と、その出会いについて。
触手のお陰で今の自分がある。お腹の中に宿る、新たなる生命も、触手があってこそである。
そんな触手への感謝を、自分は忘れていたのでは無いだろうか?
触手と改めて向き合う事により、自分がいつの間にか忘れていた触手への感謝、愛、敬意を思い出した。
触手への想いを改め直した益美は、その日から毎日の様に触手への感謝を捧げることとなる。
妊婦であり、動くこともままならない益美にとって、触手に対する感謝のみが触手との繋がりになった。
しかし、意外にも益美のこの触手に対する感謝こそが、諦めかけていた触手拳の新たなる奥義を生み出す結果となるのであった。
◆
益美がショクシュ子を出産し、一ヶ月もして落ち着きを取り戻すと、岸へと組手の話を持ちかけた。
そして岸との対峙。
岸は益美の予想を上回る、それはもう見事なまでの奥義を繰り出して来た。
女であれば誰もが受け入れてしまう程の、見事なまでの奥義。
逃げることも避けることも抵抗することすら叶わぬ、絶対不可避の奥義である。
慢性触手渇望症の益美であれば、なおのこと自ら急所をさらけ出して受け入れてしまう程の、見事なまでの奥義。
本来であれば
しかし、岸の
たとえ益美の
神技に対抗し得るは神技のみ。
つまり、益美もまた神技を繰り出さなければ、岸との組手に勝つことなど不可能なのであった。
益美の眼前に迫り来る岸の触手。考えている暇は無い。
この日の為に会得した、触手への感謝から生まれた新たなる奥義…いや、奥義の進化系である、神技と呼ぶべき益美の秘策。
それが遂に発動する時が訪れたのだ。
益美が触手に対する感謝を思い出した時、触手一本一本を自在に操ることを会得していた。1000本もの触手、その全てを、である。
1000の触手を自在に操る…これもまた、岸と同様に超人の域を超えた所業と言えよう。
触手に愛された者であるからこそ、天才的な格闘センスがあるからこそ、1000もの触手を自在に操る事が可能となったのだ。
それを触手に対する感謝から覚醒させた益美は、自らの奥義を新たなる極致へと昇華させた。
まず、益美はその自在に操る触手で型を作った。
攻撃に特化した型、防御に適した型、持続力に優れた型など、その数は100を数える。
100の型を作った益美は相手の動きに合わせて、型を組み合わせることにより対応。
これによって型の組み合わせ次第では、無限の対応が可能に。
こうして益美は唯一無二の対抗手段として、神技と呼べる奥義を会得したのであった。
そしてその神技が今、岸の神技に向かって解き放たれる…。
「奥義!
それは無慈悲なまでの咆哮となり、岸の神技を迎え撃つ為の、益美が昇華させた究極の触手拳が神技であった。
愛娘であるショクシュ子の眼前にて、壮絶なる神技と神技とのぶつかり合いが生じた。
そして勝敗は一瞬にして決する。
益美の上に倒れ込む岸の姿がその全てを物語っていた。
神技と呼ぶべき
百式のゼロは
のちに天才格闘少女と呼ばれる岸ショクシュ子。
今はまだ、この凄まじい神技と神技とのぶつかり合いを、理解するには至らなかった。
しかし、物心ついた頃より間近で神技を目の当たりにするという、この英才教育こそが、ショクシュ子の大いなる糧となる。
世界と言う舞台にて、真の格闘家として成長する時…ショクシュ子は携える触手と共に、不敗神話を築き始めるのであった。
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