第1話 伝統ある格闘技vs生まれたての格闘技
長き歴史のある格闘技が一つに空手道。
◆
実戦空手として名高い武神館。そこには武神館の歴史上、最強と謳われた少女が居た。
彼女の名前は大山益美。若干11歳にして世界選手権で優勝。そのまま六年間無敗で六連覇と、まさに最強。向かうところ敵なしである。
16歳の益美が道場での稽古を終え、最後に戸締りをして帰ろうかと思った矢先、道場の入り口に一人の男が立ち塞がる。
「俺の名前は岸ベシロー。最強の空手家、大山益美とお見受けする。不躾ながら手合わせを願いたい!」
岸と名乗る男は三十代前半といったところだろうか。
ボサボサの頭に無精髭、汚らしい武道着を纏った姿は、さながら山籠りで修行でもしてきたかの様な、出で立ちである。
「何?道場破り?今時流行らないわよ、そういうのは」
岸の佇まいから、それなりの実力者だと益美は判断した。だが、自分の相手になるとは思えないとも判断した。
適当にあしらって追い返そうとする益美。自分が負ける訳が無いと思いながらも、何やら嫌な予感がする。
格闘家としての勘とでも言うのか、岸との対戦は避けるべきだと、本能が警鐘を鳴らす。
「いや、別に道場破りなどでは無い。看板なんぞ欲しくて来たのでは無く、ただ純粋に手合わせを願いたいのだ」
看板なんぞ。その単語に益美がピクリと反応する。
しかし、岸は気にもしないで話を進める。
「俺は最強の格闘技を極めんと、一人修行をしてきた。その甲斐あって最強の格闘技なるものを生み出すことに成功!お陰で俺は、最強の漢となった。だが一人での修行が故に、組手一つ満足にしてこなかったのだ。最強になれたにも拘らず!」
岸は己の強さを自慢気に話し、更なる高みを目指さんが為に実戦経験を積むのだと、その為の手合わせだと説明した。
組手の一つもしないで最強を名乗るとは、その自信はどこから来るものなのかは分からなかったが、益美の怒りを買ったことだけは確かである。
「大した自信ね。負けた時、どんな言い訳をするのかしら?」
「おおっ⁉︎手合わせをしてくれると申すか?これはかたじけない!だが、武人なる者が闘う前から負けた時の事など、考える事も無し。殺す気でかかって来てくれたまえ。勿論、こちらは傷を負わせぬ様に、最大限の配慮はするがな」
益美の額にピキピキと青筋が浮かび上がる。自身の中に先程から鳴り響く警鐘などお構い無しに、岸との対戦が成立してしまった。
◆
二人が道場の真ん中にある開始線に立つと、岸の方からルールの提案がなされた。
「ルールは何でも有り。勿論、目潰しも金的も有りだ。ただし、こちらからは急所への攻撃は一切しない。打撃、絞め技、関節技、寝技が有りなら、空手には無い技もあるしな。こちらが有利では、負けた時の言い訳をされても後味が悪い」
「闘う前から負けた時の事を考えるのは、武人にあるまじき行為なんでしょ?今から相手が負けた時の事を考えるのは、相手への侮辱になるんじゃないのかしらね?」
岸の完全に相手を見下した態度に益美は苛立ちながらも、平常心を保たせながらルールの確認を続けた。
「それで、勝利条件は?」
「相手が気絶するか負けを認めるかまでの、一本勝負。道場外への逃亡も負けとみなす」
「それじゃあ、あんたの金玉を蹴り潰して、這々の体で逃げ出したら私の勝ちって事ね」
「そう言う事になるな」
「でも、悪いけどあんたが負けを認めても私は攻撃の手を一切、止めたりはしないわよ?股間を押さえながら必死で逃げ出さないと、私は容赦無く追い打ちをかけるから!」
「では、負けを認めても負けとはせずに、気絶するか逃げ出すかを勝利条件に」
「ええ、それでいいわ。で、開始の合図は?」
「…もう始まっているぞ」
そう言うと、岸の身体がゆらりと動く。咄嗟に益美は身構えるが、岸はそれ以上動く気配が無い。
岸は身構える訳でも無く、ただ立ち尽くしながらユラユラと動くだけである。
益美としては速攻で岸の懐に潜り込んで、必殺の一撃(金的)を繰り出そうと考えていたが、自身の意思とは裏腹に足が動かない。
先程から押さえつけて来た警鐘が、最大音で鳴り響きながら益美の足を踏みとどまらせているのだ。
益美の格闘家としての本能が「闘うな、脱兎の如く逃げろ!」と、訴えかけている。
それでも益美は前に出ようとする。何故なら、益美は真の空手家。ここで引いたら空手家では無い、ただのヘタレになるのだから。
勇気を振り絞り、見えぬ恐怖に打ち勝たんが為に、益美は前に出た。
素早く岸の懐に潜り込み繰り出した技は、急所への蹴りでは無く…中段への右正拳突きであった。
益美が最も練習をし、最も得意とする空手の基本の技でもあり、極めればそれが奥義と呼ぶに相応しい程の威力を持つ、空手道の真髄とも呼べる技である。
岸への警戒から、最も得意とする技を繰り出した益美。その考えに間違いは無い。間違いでは無いのだが、正しくも無い。
何故なら益美の正拳突きは、岸の技によって阻まれる事になるのだから…。
益美の攻撃に合わせて、岸の左腕がゆらりと動き出す。その動きは腕とは思えぬ、何とも奇妙な動き。
例えるなら、左腕が別の生き物であるかの様に、ウネリをあげながら益美の右腕に絡み付くのだ。
そして岸の絡み付いた左腕が益美の右正拳突きの威力を吸収し、渾身の一撃を不発に終わらせる。
しかも、ただ不発に終わるだけでは無い。岸の左腕は益美の右腕に絡み付いたまま、その動きを完全に封じ込めているのだ。
どの格闘技でも見たことのない、異常なまでの受け。益美は驚きながらも、追撃の手を止めるのは危険と判断し、すぐさま岸の右側頭部へと左上段蹴りを繰り出した。
しかし、正拳突き同様に益美の左脚が岸に到達することは無く、岸の右腕が奇妙なウネリを見せながら攻撃を絡め取る。
右腕と左脚を封じられた益美。残った左腕と右脚を使ってこの危機を脱出しようと試みるが、防御に徹していた岸がここで動きだす。
益美に絡み付いている両腕を、岸は自らの腰を落とすと同時にフッと下げる。
その瞬間、益美の腰がカクンと落ちて、力が抜ける。
俗に言う「合氣」と呼ばれる技である。相手の力の流れを読み取り、少ない力で相手を意のままに動かせる、合気道の極意であった。
空手家との対戦経験しか無い益美にとっては未知の技。
そしてこのまま押し倒されてしまえば、益美にとってこの上無い不利な状況に。
窮地から逃れるよう、必死で藻掻いて逃げ出そうとする益美であったが、このチャンスを逃すほど岸は甘くは無かった。
岸は益美をその場に押し倒し、抵抗する間も無くあっという間に両腕と両脚を絡め取る。そう、益美の四肢を完全に封じ込めたのだ。
そして岸は仰向けに倒れ、その上に益美を同じ様に仰向けに抱え込む。
…完全なる死に体である。決着が着いたと言っても過言では無い。
開始から30秒と経たずして、空手界最強と謳われた大山益美は動くことすらままならない状況下へと、追い込まれたのであった。
「クッ…放せっ!」
必死に抵抗を続ける益美。
どう足掻いても、纏わりつく岸からは抜け出せない。にも拘らず益美は諦めることなく、いつまで藻掻き続ける。
決着がついた様には見えるが、最初の取り決めでは『負けを認めても負けにはならない』とのこと。
つまり、死に体となっても勝負は続行。気絶するなり、逃げ出すなり、敗北条件を満たさなければ、負けにすらならないのだ。
逃亡も敗北も封じられた囚われの益美。抜け出せぬと分かっていても、足掻くしか無い。
「どうした、負けを認めるか?」
岸の余裕なまでの囁きに、益美は怒りをあらわにしながら更に藻掻き続ける。
「だ、誰が負けなんか認め…」
「おお、そう言えば負けを認めても、負けにはならないのであったな?」
「認めるか!貴様なんぞに負けるわけが無いだろうがっ!」
「ふむ…負けを認めないのは構わないが、空手が最強の格闘技では無いことだけは、認めて貰わないとな」
「ふざけるなっ!そんな事、認める訳が無いだろうが!空手は最強の格闘技だ!」
「この状態でも最強を名乗れるのなら大したものだ。身動きも取れずに喚き散らす事しか出来ず、それでも最強の格闘技を名乗れるとはな」
「お、お前だってこれ以上の攻撃は出来ないだろうが!柔道の抑え込みと一緒だ!攻撃が出来ぬ者が必死で相手を抑え込むだけで、勝ち名乗りをあげるな!」
「柔道の抑え込みは相手を死に体にする為の立派な技だぞ?まあ、空手同様に最強の格闘技とは言えぬから、目糞が鼻糞を笑う様なものだがな」
「ふぐぐぐぐっ!」
「どうした?格闘技で勝てなければ口喧嘩ですら勝てないのか?女に口喧嘩で勝ったところで自慢にもならないのだがな。これからは口喧嘩ぐらいは勝てる様にしておくがいいぞ。それが女の唯一勝てる術なのだからな」
「うるさい!真面目に闘え!いつまで縛り付けておく気だ!このままじゃ、お前だって勝てないだろう!お互いに立ち上がって殴り合え!それが格闘技だろうが!」
いつまでも岸に動きを封じられている益美が吠える。だが岸は束縛を解く気は毛頭無い。
「…最強の空手家と謳われても、やはりガキだな。まだ自分の置かれている状況を理解していないとは」
「なんの事だ?攻撃も出来ずに私にしがみ付いているだけだろうが!」
「相手の動きを完全に封じながら、安っぽい挑発で無闇矢鱈に暴れさせて体力を奪う。消耗した体力は回復することもままならず、あとはどう料理されるかを待つだけだと…まだ気が付かないのかな?」
岸の声に殺気に似た凄みが淀み始めた。益美もそれを感じ取ると、更に藻掻き始める。しかし、一向に抜け出せる兆しは見えて来ない。
「この状態から攻撃が出来ないと高を括っているのなら、それはとんだ勘違い。本当に何も出来ないと思っているのか?」
岸は問う。
だが、益美は答えない。いや、答える程の余裕が無いのだ。
必死で両手脚をバタつかせるも、寝技の経験も無い上に、完全に岸の技が極まっているのだ。
益美は抜け出す事も叶わずに、無駄に体力を消耗するだけなのであった。
体力の消耗。その説明を受けても、無駄に藻掻く益美。
いつの間にか汗だくになっている。それでも藻掻き続ける。
益美は気付いたのだ。自分が生まれて初めて、恐怖と言うものを感じていることを。
それが故に足掻く。手遅れであると分かっていても。
恐怖に怯え、必死で足掻く益美の耳元で岸がそっと囁く。
「最強の格闘技とは何か、知っているか?」
既に「空手」と言う単語すら益美の口からは出ることも無い。
今はただ、逃げ出すことしか頭に無いのだ。
岸はそんな益美の反応などお構いなしに続ける。
「中国拳法に象形拳なるものがある。動物の動きを武術に取り込む伝統的な格闘技だ。歴史のある格闘技ではあるが最強では無い。空手や柔道と一緒だ。歴史があっても最強にはなれず、時間をかけて最強にはなれなかったと、自ら証明している様なもの」
象形拳は最強では無い。岸が導き出した答えである。
「だが、象形拳が最強になれなかったのは、最強の生物を模する事が出来なかったからでは無いだろうか?最近ではトリケラトプスを模するトリケラトプス拳など開発されたが、それでも最強の頂きには達する事が叶わず。恐竜を模してすら、最強にはなれ無いのだ。…そう、歴史上誰の手によっても象形拳を最強の格闘技へと、昇華させる事は叶わなかったのだ」
岸は大きく溜息を吐くと、こう続けた。
「しかし!この天才、岸ベシローが最強の生物を模する事で、最強の象形拳を生み出す事に成功したのだ!歴史上、誰にも不可能とされた、奇跡の象形拳の誕生をな!」
そう言うと岸の四肢はウネリを上げながら、益美の身体に更に纏わりつく。
「喰らうがいい!これぞ最強の格闘技、触手拳なり!」
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