その408 気付くべき兆候
「ごめん」、と。
藍月美言ちゃんは、そう言いました。
初めて、自分の非をはっきり認める形で。
なんでしょう。
彼女が素直になってくれる日をあれほど待ち望んでいたのに、――、その時の私は、心臓をわしづかみにされたような思いだけを感じていました。
「な、……なんで……?」
問いかけますが、彼女はちょっとほっぺたを掻いて、
「まあ、そのうちわかる」
と、ほとんど答えにもなっていない言葉を口にします。
そして麗華さんの身体からナイフを引き抜き、ゴミのようにぽいっと、床に転がしました。
「ぐ…………げェッ」
踏み潰されたカエルのような声。
麗華さん、腐っても”プレイヤー”ということなのか、まだ息はあるみたい。しかし虫の息です。
「だ、……ダメですよ? いけません。――その人を、殺したら」
この言葉を口にした理由は、自分でも良くわかっていません。
ただ美言ちゃんが、何らかの連絡不行き届きで暴走している可能性を考えていました。
状況的に、そんなことあり得るはずはないのに。
「………………ッ」
ただ私が見たところ、ざんばら髪の少女にはまだ少し、迷いがあります。
当然でした。何ごとにもつっけんどんな彼女にだって、人の情というものがある。
そして私は、折に触れて彼女の情に触れてきたはず。
美言ちゃんは、そんな私の願いに応えるように、言いました。
「やくそく……」
「?」
「やくそくしたからな。にせニャッキーは、死んでない。たおしたが、ころさなかった。生きてる」
「それは……」
私、何か言いかけました。ですがその次の言葉が思い浮かびません。
なぜ?
どうして?
そう問いかければ良いだけなのに、きっと彼女は答えてくれない気がして。
「それじゃ、ばいばい」
彼女は言うだけ言って、例のロボットに駆け寄ります。
その間、二人を同時に始末する隙が六度ほどありましたが、私はそれを、黙って見守ることしかできませんでした。
両の手が、今になってずきずき痛み始めてきたから、とか。
万が一にも、”魂修復機”を巻き添えにする可能性を減らしたかった、とか。
そういうのは全部、言い訳です。
私はただ、二人を見逃した。
美言ちゃんを傷つけることで、自分を傷つけたくなかったから。
ロボットはこちらを警戒する素振りを見せながら、数歩ほど後退ります。
その肩に乗っかる形で、美言ちゃんがこちらを見下ろしました。
勘の良い彼女のことです。私が意図的に攻撃を避けていることに気付いているのでしょう。ちょっぴりこちらに会釈して、
「……最後だし。いっとく」
「え?」
「楽しかったよ」
脳裏に浮かんでいたのは、彼女と一緒に遊んだ記憶。
あの、少し奇妙で、ひねくれた子豚のゲームを。
『それと、……』
次に口を開いたのは、首なしロボットの操縦者です。
彼女は、美言ちゃんと比べて年長者の風格がある口調で、
『いろいろ世話になったお礼に一つ、忠告しておくわ』
「え?」
『たぶんこれから、おねーちゃんにとって良くないことが起こるよ』
「…………」
『逃げた方が、いいかもしれない』
それが、彼女が残していった最後の言葉でした。
美言ちゃん、いつの間にかロボットの背中にしがみつく格好になっていて、
「瑠依。ポジションについた。ズラかろう」
『わかってる。――ってか、名前呼ぶなッ、ばか!』
――瑠依…………?
そこでようやく、頭の中に符合するものが見つかりました。
水谷、瑠依。
かつて、救うことができなかった家族の生き残り。
「あ…………ッ」
私は何ごとか言いかけましたが、二人はそれ以上、話すつもりはないらしく、さっと背を向けます。
そしてロボットは、その鈍重な見た目からは想像もできないようなスピードで壁に向かって駆けていき、登場したときと同じく壁に大穴を空けました。
そして、一瞬だけこちらを振り返って、
『……………』
背中からぐらりと倒れるように、落下。
その後は、背中から高出力のエネルギーを噴射し、”王国”を飛び去っていきます。
”敵”――ああ、そうだ。今や美言ちゃんは敵なのです!――は間違いなく去った。
そう確信してから私は、早足に麗華さんに駆け寄ります。
彼女、ぐったりと床に倒れたまま、血で濡れた自分のお腹を眺めていました。
その時点で私、少し不思議に思っています。
麗華さんは”奇跡使い”。
《治癒魔法》はお手の物であるはずなのに……、
「あー……ちくしょう……」
なぜか彼女、自分の怪我を治す素振りも見せないのでした。
「どうしたんです? まさか、魔力切れ……?」
「じゃ、ねーわよ。あんた、私を馬鹿だと思ってる?」
「いえ…………」
「やられた。あのナイフ、”ゾンビ”の血が塗られてた」
「えっ」
「それか、”飢人”の血。どっちでも同じだけど」
その言葉が意味すること、……今の私には、ようくわかります。
助からない。
もう彼女は、助からない。
「そ、……そんな……!」
息を呑み、私は美言ちゃんの、――あの二人のやり口に、背筋を凍らせました。
それにしても、何故? どうして?
疑問符ばかりが、頭に浮かんでいます。
ただ一つだけ、はっきりしていることがありました。
どこかで私は、道を誤った。
どこかで気付くべきだった良くない兆候を、完全に見逃していたのだ、と。
「ううっ、最ッ低。”魔王”の……あの野郎の考えが流れ込んでくる。……私が、私じゃなくなっていくのがわかる……」
「ら、……麗華、さん……」
「ねえ、”名無し”ちゃん。さっきいろいろ、今後のことを話したけどさ。全部ナシでお願い」
そこで一瞬、ごふ、と、食道を逆流してきた血液が、彼女の口元を汚します。
血は、既にどす黒く変色しつつありました。
麗華さん、それを他人事のように見て、
「今の望みは、ただ一つよ。私の首を刎ねて。いま、すぐに」
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