その409 笑顔

 ひどい……もやもやで、頭の中がいっぱいになっていました。

 脳の機能が一部麻痺してしまったかのように、思考が空回りしています。


「でも……」

「ごちゃごちゃ言わないで。はやく」


 麗華さん、じれったそうに私を睨め付けました。

 そして、傲慢な主人がメイドさんに言いつけるように。

 「私の首を刎ねろ」と。


「ひょ……ひょっとすると、別の解決方法があるかもしれないじゃないですか」

「別の解決法って、――具体的には?」

「”どくけし”を手に入れるとか」

「ふーん。それ、いま持ってる?」

「……いいえ」

「じゃあ意味ないじゃない。私は、私が誰かの手先になるなんて耐えられないわ。さっさと始末して頂戴」

「そんな……っ、な、なんとかできませんか?」

「なんとかって、――それを私に聞く気?」

「え、ええ……」


 あとあと思い返してみても、その時の自分は実に頼りない態度でした。

 死の淵に居た彼女に、それがどのように映ったか。


 麗華さん、その時から一気に不機嫌になっていったように思えます。


「おい。……いい加減にしなさいよ。こちとら死にかけてんだ。くたばる前に、そんなシケた面を見せるんじゃない」

「う」


 彼女、ぴしゃりと説教して、


「くそっ……こんな幕切れか。……だいたい、今日は日が悪いと思ってたんだ。いつもより足が痛むし、……内臓の調子も悪くて……」

「麗華さん」


 もはや、これから死ぬ人に陰謀もクソもありますまい。

 少しだけ頭が回るようになった私は、早口で取引を持ちかけます。


「もし今後、新たに死者蘇生の手段を発見したら、あなたを蘇生の選択肢に入れることにします」

「気休めはよして。蘇生なんてもう、どーだっていい。私を特別扱いしない、こんなクソッタレた世界もどうでもいい。さっさと滅びちまえ」

「そう言わずに。――希望に賭けましょう」

「希望。……ああ! 一番嫌いな言葉! 特に、他人の口から聞かされる時は」


 内心、彼女が自暴自棄になる気持ちを理解しながらも、私は必死で説得を続けました。


「もし、何か有益な情報があるならば、きっとそれを役立てて見せますから。あなたが残したこの”王国”も、うまく運営するようにします」


 すると彼女は、少し小馬鹿にするように笑います。


「ああ、――それだけど、悪いね。あんたにはそれはできないようになってる」

「え?」

「万一、あんたが敵対した時の切り札としてね。とある映像を用意しておいたんだ。遺言のつもりでね。ネットには、その映像も自動的にアップロードされる」


 何を。

 この人が何を言っているのか。

 正直、私のような者には……理解しがたく。


「たぶんあれを見りゃ、十人いたら九人は私を殺したのはあんただと思うだろ」

「動画のアップロードを、――止める方法は?」

「そりゃ、私のPCのパスワードを知ってりゃあできるけど。試してみる? ランダムな20桁の英数字だけど」

「では、パスワードを教えて下さい」

「………………」


 その時でした。

 私の心の中に、はっきりと……不快を原因とする殺意が生まれたのは。


――あいつ、妙な奴でね。人生の望みと、心の在り方が矛盾してるんだ。誰よりも他人の幸せを望んでるくせに、人の不仲を眺めるのが、何より好物だときてる。


 ナナミさんの分析は、間違ってなかった。

 この人はやはり、邪悪な人です。


「アハ、ハハハハ、ハハ。まあ、最期の最期であんたのが見られたから、良しとするか」


 そういう彼女はまるで、”ミステリーツアー”でさんざん見かけてきた、悪い魔女のアトラクションそのもの。


「良い子ぶってんじゃないよ。どーせあんただって、心の底じゃあ自分のことしか考えてないくせに。他人のことなんか、どーでもいいと思ってるくせに。

 性欲と、食欲と、睡眠欲と。

 そーいう、単純な欲求を満たすことでしか、世界を捉えられない。

 自分と、自分の周りの人の幸福を尺度にする生き方しかできないんだ。

 いいかい? 名も知らないお嬢さん。

 あんたにゃあ成し遂げられない。

 絶対に成し遂げられっこないんだ。

 あんたみたいな正気の人間の仕事にゃあ、限度ってものがあるんだから!」


 それは……うまく言えませんが、彼女なりの遺言だったように思います。


――優れた人はみんな、狂っているものなのよ。


 と。


「麗華、さん…………」

「ところで私、ものすごぉく良いこと、思いついちゃった」

「?」

「これ、みて」


 麗華さん、ポケットから何か、ボールペンのようなものを取り出します。

 それが、小型のスイッチだと気付くまで、私は数秒ほどかかりました。


「――え?」


 例の不気味な笑顔。

 暗い色の血で濡れた親指で、カチリ。


 その、次の瞬間でした。


 どッ、ぼん! と音がして。


 振り向くと、”魂修復機”に、大穴が空いていたのです。

 中からは、磯臭い香りのするどろどろな液体がこぼれでて、埃っぽい床のうえに広がっていきました。

 一拍遅れて、私は全てを理解します。

 例のあの、とってつけたような遠隔装置はダミー。

 本物の爆弾は、に仕掛けられていたのだ、と。


 ごとり、と音を立て、人型の何かが床の上に転がります。

 釜の中の液体にまみれたそれが、人間なのか、そうでない何かなのか。

 私にはとても、判別できなくて。


「ばッ」


 私は、これでもかと目を見開き……――、


「馬鹿な! そんな! なんで!?」


 麗華さん、真っ白い頬をぐにゃりと歪めました。


『いやあ、いい顔だ! ずっとずっと! そのマヌケ面が見たかった!』


 次の瞬間。

 ほとんど自動的でした。

 私の右手が抜刀術を繰り出し、彼女の首を刎ねたのは。


 最期の彼女の表情は、これまで見た中でも最も満ち足りた笑顔で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る